山姥切長義(刀剣乱舞) 単語


ニコニコ動画で山姥切長義(刀剣乱舞…の動画を見に行く

ヤマンバギリチョウギ

7.0千文字の記事
これはリビジョン 2641659 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる
ネタバレ注意 この記事はイベント「特命調査 聚楽第」についてネタバレしています。
続きは自己責任で読んでください。

 

 

 

 

 

「俺こそが長義が打った本歌、山姥切。
聚楽第での作戦において、この本丸の実力が高く評価された結果こうして配属されたわけだが、……さて」

 

山姥切長義(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。

イラストレーター:⑪ / CV:高梨謙吾

いいのかな?概要の出番まで奪ってしまうかもしれない。

備前長船長義作の打刀。長義は長船派の主流とは別系統の刀工となる。
写しであると言われている山姥切国広と共に伯仲の出来。美しいが高慢。
より正確に言えば自分に自信があり、他に臆する事がない。

公式Twitterの紹介文

 

2018年10月31日~2018年11月22日に開催のイベント「特命調査 聚楽第」にて実装された。
刀種は打刀。

初出は2018年9月13日。当初はフード付きマントと黒いマスク(影のようにも見えるが、目の部分が開いていることと拡大すると額に肌色が見えるためマスクだと思われる)で顔を隠した「謎の人物」として紹介された。
このためユーザー間でその正体が様々に予想され、「山姥切長義実装説」「山姥切国広オルタ説」「謎の人物感を出すために布を着ている説」「刀剣ではなく人間説」「極めた山姥切が脱いだ布の付喪神説」など諸説が飛び交う事となった。

2018年10月16日、ムービーが公開。

イベントでは本丸に訪れて時の政府からの通達を行い、放棄された世界である歴史改変された聚楽第に「監査官」として審神者の部隊に同行して評定を行う。
敵300体撃破、および聚楽第本丸最終ボスを撃破して、監査官から評定「優」を獲得すると、本丸帰還時に「政府から特命調査 聚楽第の調査報酬が贈られました」というメッセージが表示され、顕現の演出が入って刀剣男士・山姥切長義として仲間になる。「プレゼントは私」の体現。
これまでのように事前に刀剣男士としての紹介はされず、イベントお知らせ画像では「(監査官の立ち絵に被せるように)優獲得で…」とお察しくださいといった匂わせ方をされ、具体的な実装は半ば伏せられていたサプライズの確定報酬。
イベントから10日経過した11月9日に公式Twitterで改めて刀剣男士としてのキャラクター紹介がされた。

二振目以降は聚楽第本丸の最終ボスで稀にドロップし、入手台詞が異なる。
入手台詞が二種類あるのは、太鼓鐘貞宗(刀剣乱舞)に続き二振目。

かねてより山姥切国広(刀剣乱舞)が言及していた刀剣だったが、キャラクターとして言及していると見るかは意見が別れていた。
実装を期待していた者にとっては、太鼓鐘貞宗(刀剣乱舞)(1年6ヶ月10日間)・大包平(刀剣乱舞)(1年12ヶ月7日間)・千子村正(刀剣乱舞)(2年18日間)を超えて、実に3年10ヶ月18日間待たされた刀剣男士となる。

その関係性から山姥切国広(刀剣乱舞)と対になるデザインの多い、銀髪蒼眼の美青年。
刀帳で備前長船の刀工・長義の作と明言あるが、ゲーム内では刀派なし表記となっている。長義は長船の主流派とは別系統であり、備前風に相州風を加えた相伝備前と言われる作風を作出したことからかとされる。刀派こそないが長船派で共通する衣装の特徴と一致しており、かつ独自の要素も入っている。
肩に巻いたストールは灰色がかった白色の表地に青い裏地と四隅に装飾が施されており、長船に共通する暗色のスリーピーススーツを着ている。わざと汚した格好の山姥切国広と比べ、山姥切長義の格好は洗練されてオシャレな印象。
キャラの紋は、山姥切伝説と後北条氏の三つ鱗紋を意匠した山を、長尾氏の九曜巴紋を意匠した9つの三つ巴紋がとりまいているものとなっている。山の向こうから三つ巴紋が迫ってきてるように見える。

一人称は「俺」。審神者の呼び方は現状では不明。
高圧的な態度をして撤退時には辛辣さも見せた監査官のときとは打って変わり、本丸の実力を高く評価したことで仲間入りしてからは審神者には柔らかい態度で接する。
自信家で高い矜持を抱いており、「持てる者こそ、与えなくては」という「ノブレス・オブリージュ」の精神の持ち主で、負傷時やつつきすぎの対応から審神者には寛容である。
審神者とは可もなく不可もない距離感の印象だが、近侍クリックには「減るものではなし」と笑って許容し、他の刀剣男士には迷惑がられることが多いつつきすぎボイスでも嫌がらないことから、おさわりOK派の模様。審神者に構われるのはまんざらでもないと窺え、審神者が長期間留守から帰った際には平静を取り繕っているが声に動揺が表れている拗ね方をしている。 
就任記念日の台詞では審神者の実力を見極めているようであり、年を経るごとに評価を高めてくれ、3年目ではやっと祝いの言葉を贈り歴戦の審神者として認めてくれる。

戦場では敵に死を与える存在と自認しており、好戦的になって粗野な口調も散見される。戦闘では荒々しく変わるのは山姥切国広と通ずるものがある。
反面、馬当番・畑当番をさせると難色を示し、終わり際にはやる気のなさを露呈した声であったり、刀装失敗では最初は普段の態度を取り繕うがだんだん不機嫌になっていきしまいには飽きて放り出すなど、子供っぽい面もある。

尾張徳川家の繋がりで顔見知りの南泉一文字(刀剣乱舞)と回想が発生。
南泉のことを「猫殺しくん」呼ばわりし、南泉からは嫌味でいじってくる性格だから会いたくなかったと鬱陶しがられる。斬ったものの格の差を持ち出したことから、「そういう性格なのは呪いを受けたせいで)猫斬ったオレがこうなったみたいに、化け物斬ったお前は心が化け物になった」と皮肉を返されるも、「語尾が猫になったまま凄んでもかわいいだけ」と流し、皮肉の応酬をする腐れ縁なことが窺える。
この回想から察するに、南泉一文字が山姥切国広に声をかける回想があったのは山姥切長義と旧知だからだろう。

通常の山姥切国広(刀剣乱舞)と山姥切国広極、それぞれと回想および特殊手合わせが発生。
写しである山姥切国広に対しては、自分が居なかった間に『山姥切』として認識されていたことを疎み、「偽物くん」呼ばわりしている。例えるなら自分がいない間にクローンドッペルゲンガーに居場所を取られていたようなものか。山姥切国広はオリジナルではないことにコンプレックスを抱いて拗らせているが、山姥切長義は4年近い時間の開きから成る状況が拗らせの一因となっており、『山姥切』として認識されることを望んでいる。
山姥切国広の言う「偽物」は「贋作」であるが、山姥切長義の言う「偽物くん」は自分を差し置いて山姥切の名で顔を売っているという嫌味であると思われ、嚙み合っていないことが見受けられる。

通常の山姥切国広には余裕を失わず終始優勢。しかし修行で自身の物語を見つめ直し、審神者の刀としてアイデンティティを確立した山姥切国広極には冷静に言葉を返されて苛立ちを見せ、彼が去ったあとに激情を露わにして悔しがっている。この際の反応は刀剣破壊を踏まえると、かなり深刻な精神ダメージだったことが窺える。
山姥切国広に対しては回想や手合わせでは当たりが強いものの、監査官のときには「実力を示せ」「がっかりさせるな」と発破をかけており、さらにはキャラ設定文に「共に伯仲の出来」とあるため、刀剣としては認めていると推察される。
「伯仲」には「よく似ていて力などが接近していて優劣がない」という意味の他に、語源から兄弟の意味もあり、彼らは兄弟設定ではないがそれほど深い関係性ということが窺える。
また、対面だと違う可能性もあるが、刀帳や内番の通りであるなら、山姥切国広から本歌の呼び方は「山姥切」とされる。

普段はスマートな態度を取り、一部の相手には嫌味な態度で強気だが、これらの回想や刀剣破壊からすると、内心は激情家で追い詰められると脆い面が見られる。
そんな性格や背景から庇護欲をそそられる審神者や嗜虐心をそそられる審神者が早速頻出しており、さらには監査官のときの態度にSを感じて罵られたい審神者までいるとか美しくて高慢な監査官からの「失望させてくれる」は我々の業界ではご褒美です。???「監査官としてこの事実を報告させてもらう」

一方で、歴史改変された聚楽第において、敵に占拠された中心地に自分の銘に関する元主・北条氏政の存在が確認されるなかで「これが正史でない以上、当人であるかどうかは瑣末なこと」と言い切り、正史を守ること関しては揺るがない冷徹さを持ち合わせている。
監査官=一振目の山姥切長義なのかは明確ではないが、再会を匂わせる言葉の直後に仲間入りして評定が終了するため同一人物と推察される。ドロップから審神者が顕現したとされる二振目以降の入手台詞からすると、二振目以降には監査官の記憶はない可能性もある。
また「政府に不満なら反乱してもいいが無事ではすまない」という口ぶりから政府の内情を知っていると思われ、いつからなぜ政府所属となって役職に就いていたのか、これも謎である。
絢爛図録からは刀剣男士を生み出せるのは審神者の能力のみと受け取れるが、実体としての彼を顕現したのは政府なのか別の審神者なのか。山姥切国広の活躍を知っていた言動から、政府にいた頃から審神者や山姥切国広の動向を伝聞で知っていたのか――などなど、謎の多い存在。
本イベントで別の世界に介入できることが判明したので、放棄された世界や別の世界線と関わりがあるのかとの憶測もある。

余談

聚楽第イベントは一振入手するだけなら、これまでのイベントと比べて圧倒的に楽な部類に入る。課金にしても、樋口一葉おひとりさま程度で即日入手が可能。無課金でも一週間あれば十分に達成できるのでごあんしんください。
イベント開始当初は課金必須ではないかという無課金勢からの非難も上がったが、現在では攻略勢による解説によりおおむね解消している。

だが、乱舞レベル上げのために欲を出すと泥沼化する。
1周回には最短ルートで七福賽3つと抜け道の鍵で480円×3+600円=2,040円かかり、ドロップは完全に運。 ドロップ率はそれなりに悪くないようだが、周回数で殴りにくいので複数振り所持の難易度は高い。しかもレア2なので乱舞レベル上げの必要数も多い。

……と思ったら、開始8日目にして乱舞レベル5(必要数22振)を達成した猛者からの報告が上がった。
申告によると課金額は給料三ヶ月ぶんくらい。この事から「スピード結婚」と称され、改めて畏怖と尊崇を受けたのだった。すごんい。

っはは。では、俺の史実を見せてくるか。

南北朝時代の備前国長船派の刀工、長義(ちょうぎ/ながよし)の作。

同時代の長船派の正系(長船派の祖・光忠の嫡流)である兼光一派とは別系統。ちなみに「長義」は「ながよし」とも読むが、音読みして「ちょうぎ」と通称するのが一般的で、ゲームでも後者となっている。

備前長船の中でも長船四天王の一人に数えられ、また正宗の弟子として正宗十哲にも名を連ねている。正宗十哲には、左文字三兄弟の左文字源慶、へし切長谷部(刀剣乱舞)の長谷部国重、篭手切江(刀剣乱舞)の郷義弘などがいる。
南北朝期の備前の中でも特に相州伝を強く表す「相州備前」の刀工であり、そのため「備前にありながら最も備前離れした刀工」とも言われる。
著名作には佐竹義重所持の「八文字長義」、大久保忠世所持の「六股長義」、堺市博物館寄託の「朱銘長義」などが知られ、前者二振は切れ味のすさまじさを伝える逸話からその号がつけられている。

山姥切長義は備前長義作の刀の異名で、信州戸隠山中で山姥という化物を退治したことに由来する。
重要文化財に登録されており、正式名称は

刀 銘:本作長義天正十八年庚寅五月三日ニ九州日向住国広銘打/天正十四年七月廿一日小田原参府之時従屋形様被下置也長尾新五郎平朝臣顕長所持

と大変長く、「本作長義…(以下58字略)」と省略されることもある。刀剣界の寿限無。

後北条家に伝来し、1586(天正15)年に長尾顕長に下賜された。
元は太刀か大太刀だったのが磨上げられ、元の茎がなくなったのに伴って製作時の銘(作者のサイン)も消えてしまったため、天正18年(1590)5月、刀工・堀川国広が新しく銘を入れている。
銘の内容は

この長義の打った刀は、天正十四年(1586年)七月廿(二十)一日に小田原城に参府した際に北条家当主から長尾顕長へ下賜されたもので、天正十八年五月三日に九州日向国の国広がこの銘を刻んだ

という内容。~国広銘打までが差表、天正十四年~は裏に記されている。
「本作」とは「この作品は」という意味で、長義が打ったものであるという但し書のようなもの。写しに対する本歌という意味ではない。このように、所有者やその由来を明らかにするために入れられた銘を切付銘という。
なお、この時の北条氏は既に北条氏直が家督を譲り受けていたが、父の氏政も二頭体制で統治に影響を及ぼしていたと考えられ、どちらから拝領したとするかは資料によって分かれる。
天正18年(1590年)は豊臣秀吉による小田原征伐が行われた年であり、北条氏の家来である長尾顕長は敗戦を察して、堀川国広に命じて刀の由緒について銘を切らせたのだと言われている。磨上げ銘に長々と切付けてあるのも、長尾顕長がこの刀を揮って最期を飾ろうという悲壮な決意の現れとされる。
北条氏が無条件降伏したので予想したような死闘は起きなかったが、氏政はこの戦いで降伏後に切腹、氏直は助命されて高野山に送られて翌年に赦免されるも病死しており、長尾顕長は所領を召し上げられ浪人となった。
小田原征伐が起こった原因の一つには、天正16年(1588年)に秀吉から氏直・氏政親子に聚楽第行幸の列席を求められたが氏政が拒否したこともあるとされる。本イベントで1590年の聚楽第に本来居るはずのない氏政が居たのは、小田原征伐が起きない世界に改変されたと推測される。

南北朝時代の備前ものに見られる、いわゆる相州伝備前の典型で、身幅が広く豪壮な姿をしている。
磨上げの時期については、顕長が拝領した時点で既に磨上無銘だったのか、国広が追刻銘だけでなく磨上も依頼されたのかなどの詳細は不明。作刀から追刻銘されるまでに200年以上開きがあり、目釘孔の数から複数回の磨上が行われている可能性もある。

この刀への銘打ちに先立って天正18年(1590年)2月に作刀されたのが、写しである山姥切国広である。
美術工芸品や日本刀において写しの元となった基準作品・実物は、和歌の本歌取りに倣って「本歌」と称される。「本科」と書かれることもあり、実際に山姥切国広は修行の手紙で「本科」と書いている。
二振は本歌と写しの関係にあるが、実はその姿はそっくりというほど似ているわけではない。現代では写しは本歌の姿をなるべく模造するのが主流だが、この二振は反りや刃長、茎の仕立てなどが異なる。

また「山姥切」の逸話は本歌・写し双方にあり、本来どちらが山姥切の呼称だったのかは明らかでない。更に本歌の号についてだが、実は尾張徳川家の記録上では「山姥切」についての記述はない。
延宝5年(1677)に本阿弥家で折紙(日本刀の鑑定の証明書)が発行されている。「山姥切」の号があれば、折紙にその旨の記載があったと思われるが、現在は折紙が附帯していないので不明となっている。折紙を発行する際に本阿弥家の留帳(刀剣台帳)には長義の刀について記載があったものと思われるが、関東大震災で焼失してしまった為、今となっては知るすべもない。
しかし本歌・写しともに国の指定品である国宝・重要文化財となっているものは、この二振り以外には皆無であり、双方とも優れた名刀であることを物語っている。また刀剣乱舞の世界観で山姥切の逸話がどうなっているのかは、山姥切国広の修行の手紙でその一端が描かれている。

1681(延宝9)年6月、尾張藩2代藩主・徳川光友が152両1分で購入し、尾張徳川家に伝来。
以後は同家を離れる事なく、現在は尾張徳川家ゆかりの徳川美術館に所蔵。
同館所蔵およびゲームに登場する刀剣には、南泉一文字・鯰尾藤四郎・後藤藤四郎・物吉貞宗がある。

2018年9月29日~11月25日、京都国立博物館の京のかたな-匠のわざと雅のこころにて全期展示。
……が、公式からなかば存在を伏せて実装されたのが10月31日である事に加え、ゲームとのコラボの刀剣ではないため、気付いていない人が多い。11月9日に公式Twitterでキャラクター紹介がされてからは注目度が上がっているようだが、貴重な機会なので見に行ける人は是非足を運ぼう。

待たせたな。お前たちの関連動画が来たぞ。

俺についてきてほしいのかな?

ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。

関連コミュニティで一息、かな。

ニコニコミュニティは2024年8月に終了しました。

新しい関連項目が出来たみたいだな。

  • 刀剣乱舞
  • 刀剣男士
  • 山姥切国広(刀剣乱舞) - 回想と特殊手合わせが発生。自身の写し。
  • 南泉一文字(刀剣乱舞) - 回想が発生。尾張徳川家つながりの顔見知り。
記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/07(日) 03:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/07(日) 03:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP