戦艦(艦これ) 単語


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※この項目では、『艦隊これくしょん~艦これ~』における「戦艦」について、史実解説も含めて記述しています。

 概要

 大艦巨砲主義が粉砕されて久しいとはいえ、戦艦はやはり軍艦の華である。『提督の決断』をはじめとする各種の軍事ゲームでも決戦兵器といえば戦艦であり、巡洋艦・駆逐艦の中小砲でちまちまとしたダメージしか与えられない重装甲の難敵を、戦艦の巨砲で一気に吹き飛ばしてしまう様は爽快である。『艦これ』においても例外ではなく、連日大量の資材を投入して、お目当ての戦艦を入手せんとする“建艦競争”が繰り広げられている。

 『艦これ』には2013年11月現在、太平洋戦争に参加した日本海軍の12隻の戦艦全てが実装されている。
 「大和」「武蔵」はイベント海域クリアによる報酬だが、後々は通常の建造で入手可能(ただし“大量の資源・資材”が必要)ということになっている。また、「艦これ」プロデューサーの田中謙介氏によると、史実では計画倒れに終わった“超大和型”の戦艦も、いずれは艦娘として投入するつもりであるという。

 『艦これ』において戦艦は、重装甲で敵の攻撃を凌ぎつつ、その高火力によって敵を粉砕することが期待されている。また、艦種の中で唯一昼戦での“2回攻撃”の特性がついており、戦艦を艦隊に組み込んで昼戦の手数を増やすことで、時として中・大破の損害を受けたり轟沈の可能性がある夜戦に引きずり込まれる前に、昼戦でケリをつけるようにする戦略性もある(ただし敵艦隊にも戦艦がいる場合、無駄に昼戦が長引いて大ダメージを被るデメリットがある)。

 武装に関しては【46cm三連装砲】などの大火力砲を装備できるが、偵察機以外の航空機や魚雷・爆雷の類は装備できない。このため敵艦隊が潜水艦のみでこちらが戦艦ばかりだと、一方的に攻撃を受けるだけに終わる。また、機銃や【三式弾】のような対空兵器の武装を怠っていると、戦闘開始直後の敵空母の空襲でボロボロにされてしまうだろう。
追記:2015年12月25日のアップデートにより、航空戦艦及び航空巡洋艦に対潜水攻撃が可能な艦載機が搭載されていた場合、潜水艦を優先的に攻撃するように仕様が変更された。

 建造における大量の資材もさることながら、燃料・砲弾の補給や損傷修理のコストも非常に高い。「大和」を入手して戦闘に出し修理ドックに入れたところ、すっかり大食いキャラのイメージがついた空母「赤城」どころではない莫大な修理資材を要求されて、真っ青になった提督が大勢いたことが記憶に新しい。

 「大和」「武蔵」以外の戦艦艦娘も同様に、補給・修理では大量のご飯と長大なお風呂タイムを要求してくる。適切なコスト調整の要求される『艦これ』において、戦艦の“ご利用は計画的に”お願いしたいものである。


※ここから、艦型ごとの戦艦の総合解説・史実解説等

 金剛型戦艦

金剛型四姉妹 金剛(艦これ) 比叡(艦これ) 榛名(艦これ) 霧島(艦これ) も参照

 太平洋戦争で最も活躍した“金剛型”の戦艦姉妹、「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」の4人。

 『艦これ』においては、任務「金剛」型による高速戦艦部隊を編成せよ!があり、これを達成することが第四艦隊解放の条件となっているため、ほぼ全ての提督が血眼になって全員を揃えようとする戦艦である。

 任務名にもあるように、重武装・鈍足(低速)が普通の戦艦という艦種の中にあって、史実では30ノット前後の高速力を発揮した戦艦であり、これがために高速の巡洋艦部隊や空母機動部隊と行動を共にすることができた。
 これを反映して『艦これ』ゲーム中でも速力は“高速”に分類されているが、ユーザーの間では“低速”の艦(金剛型以外の戦艦など)を入れていると艦隊のダメージ回避力が落ちるという説や(運営サイドも時折、そのようなニュアンスのことを言っている)、一部の海域では潜水艦と遭遇しやすくなるといった要素があり、そのため艦隊に戦艦を入れる際には、金剛型戦艦を使うことが好まれる傾向にある。

 反面、初期装備が3スロット(改造で4スロットへ増加)しかなく、防御力も他の戦艦より数値が劣る。また、火力と命中率を上げる効果を持つアイテムの【九一式徹甲弾】も装備できない(史実では装備可能)。これらは、戦艦の中で唯一“高速”であることの代償なのだろう。もちろん改造と適切な近代化改修を行えば、克服可能なデメリットである。

 艦娘としての性格も四者四様で非常に人気があり、長女の「金剛」及び次女の「比叡」は先頃“改二”が投入された。『艦これ』を代表するキャラクターとなったと言っても良いだろう。

 戦史・第三戦隊

日付 出来事
大正2年(1913)8月16日 「金剛」竣工 (英国・ヴィッカース社)
 11月15日、横須賀着・就役
大正3年(1914)7月28日 第一次世界大戦 開戦
8月4日 「比叡」就役 (横須賀海軍工廠)
8月18日 第一艦隊第三戦隊(2代目)を編成
 巡洋戦艦「鞍馬」「筑波」「金剛」「比叡」
大正4年(1915)4月19日 「榛名」就役 (神戸川崎造船所)
「霧島」就役 (三菱合弁会社三菱長崎造船所)
12月13日 「比叡」「榛名」「霧島」で第三戦隊を編成
 以後、大正10年まで第三戦隊、昭和3年まで第四戦隊を
 金剛型戦艦のローテーションで編成
大正11年(1922)2月6日 ワシントン海軍軍縮条約成立
 「長門」「陸奥」以外の八八艦隊戦艦建造が中止され、
 金剛型・扶桑型・伊勢型戦艦の近代化改修が始まる
昭和3年(1928)12月4日 昭和天皇御即位御大礼観艦式
 先導艦「金剛」 御召艦「榛名」 供奉艦「比叡」
昭和5年(1930)4月22日 ロンドン海軍軍縮条約成立
 「比叡」を廃艦にする代わりに訓練艦へ改装を許可
 (昭和8年、一部武装撤去して練習戦艦へ)
10月16日 特別大演習観艦式 御召艦「霧島」
昭和6年(1931)12月1日 「金剛」、連合艦隊旗艦
昭和8年(1933)8月25日 大演習観艦式 御召艦「比叡」
11月15日 「金剛」、連合艦隊旗艦
昭和9年(1934)11月15日 「榛名」、連合艦隊旗艦
 翌昭和10年は、近代化改修作業の影響で可動戦艦が
 「榛名」「扶桑」「山城」の3隻のみに落ち込む
昭和11年(1936)6月1日 「榛名」「霧島」で第三戦隊(4代目)を再編
10月29日 大演習観艦式 御召艦「比叡」
12月31日 ロンドン軍縮条約失効
 「比叡」の戦艦復帰を計画(翌年4月より開始)
昭和15年(1940)1月31日 「比叡」再武装、戦艦に復帰
10月11日 紀元二千六百年記念特別観艦式 御召艦「比叡」
昭和16年(1941)9月1日 「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」で第三戦隊を編成
 戦隊旗艦は「比叡」
11月26日 「比叡」「霧島」は第一航空艦隊(南雲機動部隊)へ配属
 真珠湾攻撃のため択捉島・単冠湾を出撃
12月4日 「金剛」「榛名」は南方攻略部隊へ配属 台湾を出撃
12月8日 真珠湾攻撃 太平洋戦争開戦
12月10日 マレー沖海戦
 「金剛」「榛名」は英艦隊との砲戦を企図するも、
 航空隊が英戦艦を撃沈したため、会敵せず
昭和17年(1942)4月5日 セイロン沖海戦
 第三戦隊は4艦そろって第一航空艦隊へ配属
6月6日 ミッドウェー海戦
 「榛名」「霧島」は第一航空艦隊へ配属
 「金剛」「比叡」は第二艦隊へ配属
7月14日 第三艦隊編成(機動部隊再建)
 「比叡」「霧島」は第十一戦隊として第三艦隊へ配属
 「金剛」「榛名」は第三戦隊で第二艦隊へ配属
8月24日 第二次ソロモン海戦 第十一戦隊が参加
10月13日 ヘンダーソン飛行場攻撃
 第三戦隊はガダルカナル島の飛行場を艦砲射撃
10月26日 南太平洋海戦
 第十一戦隊は第三艦隊(空母部隊)で参加
 第三戦隊は第二艦隊(巡洋艦部隊)で参加
11月13日 第三次ソロモン海戦第一夜戦
 「比叡」戦没 ほか、駆逐艦「暁」「夕立」戦没
11月15日 第三次ソロモン海戦第二夜戦
 「霧島」、「サウスダコタ」に損害を与えて後退させるも
 「ワシントン」の急襲に遭い、戦没
 ほか、駆逐艦「綾波」戦没
12月20日 所属艦全滅のため、第十一戦隊は解隊
昭和18年(1943)4月1日 第三戦隊、第三艦隊へ編入
昭和19年(1944)6月19日 マリアナ沖海戦
 第三戦隊は機動部隊前衛 「榛名」、空襲の爆撃により
 推進機関を損傷 未修理のままレイテ沖海戦へ
8月15日 第三戦隊、第二艦隊(栗田艦隊)へ編入
10月23日~27日 レイテ沖海戦
 第三戦隊は第二艦隊第2群を構成 サマール島沖海戦で
 「金剛」が空母「ガンビア・ベイ」と駆逐艦「ロバーツ」に
 命中弾を与える
11月21日 「金剛」、日本本土へ帰投中に台湾沖で米潜水艦の
襲撃を受け、戦没
12月15日 第一戦隊が解隊され、「長門」が第三戦隊に移籍
昭和20年(1945)1月1日 第三戦隊、解隊
 「榛名」は呉鎮守府、「長門」は横須賀鎮守府の予備艦へ
3月19日 呉軍港空襲 「榛名」、命中弾あり小破
7月28日 呉軍港空襲 「榛名」、江田島沖で大破着底
8月15日 玉音放送 事実上の終戦
昭和21年(1946)7月4日 「榛名」の解体処分終了

 扶桑型戦艦/伊勢型戦艦

扶桑(艦これ) 山城(艦これ) 伊勢(艦これ) 日向(艦これ) も参照

 大正時代初期に建造された戦艦でありながら、昭和の太平洋戦争で非常に数奇な運命をたどった戦艦姉妹。

 「扶桑」「山城」と「伊勢」「日向」はそれぞれ扶桑型と伊勢型で別区分され、『艦これ』でも各々で絵師・声優が異なっているが、本来は“扶桑型四姉妹”で計画されていた戦艦である。よく知られているようにネームシップ「扶桑」の構造上の欠陥により、「伊勢」と「日向」は設計を変更して建造されたため、両艦は別型として登場することとなった。ただし「山城」だけは、設計変更を検討されたものの、そのまま扶桑型戦艦として建造された。
 『艦これ』作中では、扶桑型と伊勢型が元は姉妹であったことを伺わせる描写は乏しいが、「扶桑」のセリフに「伊勢」「日向」に負けたくないというものがあり、少なくとも「扶桑」の方では意識しているようだ。

 初期値では4人とも高火力・重装甲・低速の典型的な戦艦。「扶桑」「山城」は戦艦でも最もレアリティが低く設定されており、まだ戦力が整っていない序盤に建造やドロップでポンと、あの画面を覆い尽くす巨大な砲塔を背負ったお姉さんが飛び出して、驚愕した提督も少なくないだろう。
 「伊勢」「日向」も、体中に巨大砲塔をミノムシのごとく武装した造形で描かれていて、いずれも戦艦という、大艦巨砲主義の塊を強く思わせるキャラクターになっている。

 しかし彼女たちの最大の特徴は、改造で戦艦から“航空戦艦”に変化することであろう。
 史実では「伊勢」「日向」が、ミッドウェー海戦で4隻の正規空母を失った穴埋めとして空母への改造を計画され、最終的に船体後部の砲塔2つを撤去して飛行甲板にする結果となり、「扶桑」「山城」については計画倒れに終わった訳だが、『艦これ』ではこの経緯を踏まえて「扶桑」「山城」も航空戦艦に改造となる。

 艦娘としての性格は概ね、伊勢型が明・扶桑型が暗という形。これは伊勢型姉妹が大戦末期のレイテ沖海戦や北号作戦で武勲を挙げ、割合に良いエピソードで語られることが多いのに対し、扶桑型姉妹は様々の“欠陥”を指摘され続けたことやレイテ沖海戦での悲劇的最期など、暗いエピソードが多いことに起因すると思われる。

 出撃任務の一つに、レイテ沖海戦の史実を踏まえた「西村艦隊」出撃せよ!がある。「扶桑」「山城」を主力とするこの任務を達成することで、少しでも扶桑型姉妹の“不幸”を除けるのであれば、『艦これ』開発者としても幸いであろう。

 戦史・第二戦隊

日付 出来事
大正4年(1915)11月8日 「扶桑」就役 (呉海軍工廠)
大正6年(1917)3月31日 「山城」就役 (横須賀海軍工廠)
12月1日 「扶桑」「山城」で第一艦隊第一戦隊を編成
12月15日 「伊勢」就役 (川崎重工業神戸造船所) 第一戦隊へ編成
大正7年(1918)4月30日 「日向」就役 (三菱合弁会社三菱長崎造船所)
 以後、大正9年まで扶桑型と伊勢型、長門型の就役後は戦艦6隻で第一戦隊をローテーション編成
大正11年(1922)2月6日 ワシントン海軍軍縮条約成立
 「長門」「陸奥」以外の八八艦隊戦艦建造が中止され、
 金剛型・扶桑型・伊勢型戦艦の近代化改修始まる
昭和3年(1928)12月10日 「山城」、連合艦隊旗艦
昭和4年(1929)11月30日 「伊勢」、連合艦隊旗艦
昭和5年(1930)
~昭和12年(1937)
全戦艦、断続的に大改装 昭和10年は可動戦艦が
「榛名」「扶桑」「山城」の3隻のみに落ち込む
昭和15年(1940)11月15日 「伊勢」「日向」で第一艦隊第二戦隊を編成
 第二戦隊の編成は17年ぶり
昭和16年(1941)8月11日 連合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官の兼職を分離
 高須四郎中将を第一艦隊司令長官に親補
 第二戦隊が第一艦隊の司令戦隊となる
 「日向」(旗艦)「伊勢」「扶桑」「山城」
12月8日 太平洋戦争開戦
昭和17年(1942)5月5日 「日向」、演習中に第5砲塔爆発事故
6月6日 ミッドウェー海戦
 第一艦隊は連合艦隊司令部(第一戦隊)に随伴して出撃するが、特段の戦果無く帰投
7月14日 清水光美中将、第一艦隊長官に親補
「長門」「陸奥」が第一戦隊より移籍
 第二戦隊は6戦艦が勢ぞろいするが、前線へ出ること無く瀬戸内海で遊兵化
12月 「伊勢」、航空戦艦への改造開始
昭和18年(1943)5月 「日向」、航空戦艦への改造開始
6月8日 「陸奥」、爆沈
9月 「伊勢」の改造完了
10月20日 「陸奥」爆沈で清水長官更迭 後任は南雲忠一中将
 この時期「扶桑」はトラック諸島に進出 「伊勢」はトラック諸島への輸送任務に従事
11月18日 「日向」の改造完了
昭和19年(1944)2月25日 第一艦隊、解隊
 第二戦隊は第二艦隊へ編入 「長門」は第一戦隊へ復帰
5月1日 「伊勢」「日向」は第四航空戦隊を編成
 第二戦隊は「扶桑」「山城」のみとなる
6月2日 「扶桑」、ビアク島方面で第一次渾作戦に参加
6月19日 マリアナ沖海戦
 第二戦隊・四航戦ともに出撃機会なし
9月23日 第二戦隊は呉を出撃、リンガ泊地へ向かう(10月4日着)
10月19日 四航戦は第三艦隊所属で瀬戸内海を出撃
10月25日 レイテ沖海戦
 第二戦隊はスリガオ海峡へ突入 「扶桑」「山城」とも撃沈され、西村艦隊は壊滅
 四航戦はエンガノ岬沖海戦で囮作戦を敢行
11月5日 所属艦全滅のため、第二戦隊は解隊
昭和20年(1945)2月10日 北号作戦
 四航戦ほか4隻、シンガポールより日本へ強行突破
 (20日、呉軍港着)
3月1日 第四航空戦隊、解隊
 「伊勢」「日向」は呉鎮守府の予備艦へ
7月24日 呉軍港空襲 「日向」、情島沖で大破着底
7月28日 呉軍港空襲 「伊勢」、三ッ子島沖で大破着底
昭和22年(1947)7月4日 「伊勢」「日向」の解体作業完了

 長門型戦艦

長門(艦これ) 陸奥(艦これ) も参照

 帝国海軍の伝統と名誉を担い続けた戦艦姉妹。「長門」「陸奥」の2人。

 今のところ『艦これ』で建造可能な戦艦としては最強(初期装備で41cm連装砲持ち)であり、その強さと知名度、そして入手難度の極高さから、日夜鎮守府の燃料・弾薬・鉄鋼を消費させ続けている存在。どこそこ海域のボスドロで出るという情報を拾っては、姿を求めて艦隊を投入し続ける提督が後を絶たない。

 ワシントン海軍軍縮条約で八八艦隊の建造が中止され、太平洋戦争時に大和型戦艦が登場するまでの20年間、長門型戦艦こそが日本海軍の象徴であり、そのほとんどの期間において両艦が連合艦隊旗艦や第一艦隊旗艦を務めてきた。「長門」の連合艦隊旗艦は通算で11年間におよび、当然歴代最長である(「大和」「武蔵」はそれぞれ1年間程度)。

 艦娘としての造形は、とかく大艦巨砲を強調している扶桑型・伊勢型に比べるとその部分は控えめで、どちらかというとスマートな印象。艦としての完成度が高かった長門型戦艦のイメージを表しているものと思われる。
 性格は「長門」がクールで誇り高く、「陸奥」は少々遊び慣れた面があるが肝心なところではきっちり仕事をこなす、という描写・・・なのだが、こと「長門」についてはいわゆる“ギャップ萌え”の対象となっているのが現在の主流。[要出典]

 「待ちに待った艦隊決戦か。胸が熱いな」→ 駆 逐 艦にCritical Hit!!!
 「ビッグセブンの力、侮るなよ」→ 駆 逐 艦にCritical Hit!!!


※↓戦史・第一戦隊は大和型戦艦と一緒に

 大和型戦艦

大和(艦これ) 武蔵(艦これ) も参照

 史上最大・最強にして、空前絶後の知名度を持つ戦艦姉妹。「大和」「武蔵」の2人。なお、末の妹として戦艦(未完成)から空母へ改装された「信濃」がいる。

 『艦これ』においては、「大和」が2013年夏のイベント海域クリア報酬、「武蔵」が2013年秋のイベント海域クリア報酬として、それぞれ先行実装された。投入がこの時期になったのは、史実での進水日が「大和」は8月8日・「武蔵」は11月1日だったことによる。
 「大和・武蔵無くして何が日本海軍か!」というのは、海軍ゲームプレイヤーならば誰もが思うことであり、夏も秋も無数の艦隊が、困難極まりない戦場へ送り込まれた。建造が可能になった暁には、今度は莫大な資源が工廠へぶちまけられることだろう(白目)。

 今でこそ知らぬ者無きとなった大和型戦艦だが、史実の太平洋戦争中は最高軍事機密として存在を隠され(もちろん軍港のある呉や佐世保の人々は知っていたが)、国民の間ではずっと「長門」「陸奥」が海軍の象徴だった。
 また実際の戦場においても、「大和」と「武蔵」は連合艦隊旗艦・決戦兵器との位置づけで後方温存され、それでいて最新鋭の軍艦で充実した艦内設備を持っていたことから、前線で苦闘する将兵からは“ホテル”や“旅館”という有り難くないアダ名を頂戴していた。

 『艦これ』においてもその点のエピソードは反映されており、特に「大和」の時報セリフで多く使われている。『艦これ』では、慢心さえしなければ滅多に轟沈しはしないのだから、この超弩級戦艦をお持ちの提督サンたちは、思う存分戦場へ繰り出しましょう。

 なに?補給?修理?バケツぶっかけましょう。資源なんて寝てれば貯まるよ、大丈夫大丈夫(慢心)

 戦史・第一戦隊

日付 出来事
大正9年(1920)11月25日 「長門」就役 (呉海軍工廠) 八八艦隊の一番艦
大正10年(1921) 列強間での軍縮協定締結の動きが浮上
10月24日 「陸奥」就役 (横須賀海軍工廠) 八八艦隊の二番艦
 ※軍縮会議に間に合わせるための急造
大正11年(1922)2月6日 ワシントン海軍軍縮条約成立
 激しい折衝の末、「陸奥」の廃棄は回避 一方で「加賀」以降の八八艦隊の戦艦建造は中止され、一部の艦は空母転用
12月1日 連合艦隊が臨時組織から常設組織になる
 「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」で第一艦隊第一戦隊編成
 「長門」、連合艦隊旗艦
大正13年(1924)12月1日 「陸奥」、連合艦隊旗艦
大正14年(1925)12月1日 「長門」、連合艦隊旗艦
昭和5年(1930)12月1日 「長門」、連合艦隊旗艦
昭和7年(1932)12月1日 「陸奥」、連合艦隊旗艦
昭和9年(1934)9月5日 「長門」「陸奥」大改装に入る
昭和10年(1935)11月15日 「長門」、連合艦隊旗艦
昭和12年(1937)12月1日 「陸奥」、連合艦隊旗艦
昭和13年(1938)12月15日 「長門」、連合艦隊旗艦 以後、「大和」就役まで継続
昭和16年(1941)8月11日 連合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官の兼職を分離
 「長門」「陸奥」の第一戦隊は連合艦隊司令部直属部隊へ編成が変わる
12月8日 太平洋戦争開戦
12月16日 「大和」就役 (呉海軍工廠)
昭和17年(1942)4月10日 「大和」、連合艦隊旗艦
 「大和」「長門」「陸奥」で第一戦隊を編成
6月6日 ミッドウェー海戦
 第一戦隊は出撃したが、会敵機会なく帰投
7月14日 「長門」「陸奥」は第一艦隊第二戦隊へ移籍
 「長門」、第一艦隊旗艦
8月5日 「武蔵」就役 (佐世保海軍工廠)
昭和18年(1943)4月10日 「武蔵」、連合艦隊旗艦
4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官、戦死 (海軍甲事件)
6月8日 「陸奥」、爆沈
昭和19年(1944)2月25日 第一艦隊、解隊
 「長門」、第一戦隊へ復帰
3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官、殉職 (海軍乙事件)
4月1日 軽巡洋艦「大淀」が連合艦隊旗艦となる
 第一戦隊は第二艦隊へ編成
6月19日 マリアナ沖海戦
 「大和」「武蔵」は機動部隊本隊で前衛
 「長門」は二航戦(「隼鷹」「飛鷹」)の護衛
10月23日~28日 レイテ沖海戦
 24日、シブヤン海海戦で「武蔵」戦没
 25日、サマール島沖海戦で「大和」「長門」は砲撃戦
12月15日 第一戦隊、解隊
 「大和」は単独で第二艦隊所属
 「長門」は第三戦隊(「榛名」のみ)へ移籍
昭和20年(1945)1月1日 第三戦隊、解隊
 「長門」は横須賀鎮守府の予備艦へ
2月10日 「大和」、第一航空戦隊(一航戦)へ配属
 ※戦隊司令官不在、書類上の残存空母寄せ集めで、部隊としての実体は無し
4月7日 坊ノ岬沖海戦 「大和」戦没
7月8日 横須賀空襲
 「長門」、艦橋に命中弾あり中破 艦長戦死
8月15日 玉音放送 事実上の終戦
昭和21年(1946)7月1日・25日 ビキニ環礁にて艦艇に対する原爆投下実験
 29日深夜、「長門」沈没

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