日本サッカー協会とは日本のサッカー界を統べる巨大な組織である。
略称は『JFA(Japan Football Association)』である。決して『JSA(Japan Soccer Association)』ではない。
所在地は東京都文京区後楽1丁目4番18号 トヨタ東京ビル4 - 7階。
プロ・アマ全ての日本のサッカー界を統括し代表する国内競技連盟であり、サッカー競技の普及および振興を図り、もって国民の心身の健全な発達に寄与することを目的とした組織である。正式名称は『公益財団法人日本サッカー協会』。
それまでは「公益が主たる団体=財団法人」だったために『財団法人日本サッカー協会』が今までの正式名称だったが、公益法人制度改革によって「公益を目的とせずども財団法人が設立できる(=一般財団法人)」こともあって、現在の名称に改めている。(それ「財団法人」って表していいのか?)
また、立法機関としての評議員会と行政(執行)機関としての理事会、さらに司法機関の3つの主要組織から成り立っている。
発足は1921年9月10日。英国大使館の書記官補を務めていたウイリアム・ヘーグらの尽力により、イングランドサッカー協会(The FA)よりFAシルバーカップが寄贈されたことを契機に大日本蹴球協会として誕生。初代会長には大日本體育協會(現在の公益財団法人日本スポーツ協会)の筆頭理事を務めていた今村次吉が就任。
協会のシンボルマークは日本神話に出てくる八咫烏をモチーフにしている。このシンボルマークを基にサッカー日本代表のエンブレムが作られており、三足烏を盾の形の枠の中、太陽を表す「黄の地に橙の縦帯」の上に、「JFA」の文字を戴き、翼を広げてサッカーボールをキープした姿で“素早さ”と“力強さ”を表すものとして描かれている。
2005年1月1日、国立競技場で開催された第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝戦の前に、川淵三郎JFA会長(当時)が「JFA2005年宣言」を発表。「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」という日本サッカー協会(JFA)の理念を実現するために、JFAが掲げた目標のことで、サッカーの普及と強化、国際親善への貢献といったビジョン、そして2015年までの中期目標、2050年までの長期目標が示されている。
上位組織に国際サッカー連盟(FIFA)、アジアサッカー連盟(AFC)、東アジアサッカー連盟(EAFF)などがあり、それぞれに所属している。
下位組織…というか傘下となっている組織が、
がある。
公式サイトに超簡易的に書かれているので参照のこと。
この内、正式な法人となったいくつかの団体の主催リーグには共催として関わっている。
| 役職 | 氏名 | 所属・役職・ |
|---|---|---|
| 会長 | 宮本恒靖 | 元サッカー日本代表選手、前JFA専務理事 |
| 副会長 | 岡田武史 | 元サッカー日本代表選手・監督、FC今治代表取締役会長 |
| 副会長 | 野々村芳和 | Jリーグチェアマン |
| 副会長 | 西原一将 | 株式会社西原商会代表取締役社長、鹿児島県サッカー協会会長 |
| 事務総長 | 湯川和彦 | 前JFA事務総長 |
| 常務理事 | 高田春菜 | WEリーグチェア |
| 常務理事 | 山口香 | 筑波大学人間総合科学学術院教授、ソウルオリンピック柔道女子52㎏級銅メダリスト |
| 理事 | 河瀬淳史 | 関東サッカー協会専務理事、千葉県サッカー協会専務理事 |
| 理事 | 田中琢二 | 楽天証券ホールディングス取締役・PCIソリューションズ取締役 |
| 理事 | 西本強 | 日比谷パーク法律事務所パートナー弁護士 |
| 理事 | 大岩真由美 | 元日本サッカー協会1級審判員、北海道サッカー協会副会長 |
| 理事 | 小澤隆生 | ヤフー株式会社 代表取締役社長 社長執行役員 CEO |
| 理事 | 川澄奈穂美 | 元なでしこジャパン選手、アルビレックス新潟レディース選手 |
| 理事 | 志済聡子 | 中外製薬執行役員デジタルトランスフォーメーションユニット長 |
| 理事 | 須藤実和 | 公認会計士、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授 |
| 理事 | 福田雅 | 公認会計士、東京都サッカー協会理事、関東大学サッカー連盟監事 |
| 技術委員長 | 影山雅永 | 元サッカーU-20日本代表監督、前JFAユース育成ダイレクター |
| 女子委員長 | 佐々木則夫 | 元なでしこジャパン監督 |
| 審判委員長 | 扇谷健司 | 元プロフェッショナルレフェリー |
| 代数 | 名前 | 在任期間 | 在任中のおもな出来事 |
|---|---|---|---|
| 初代 | 今村次吉 | 1921年 - 1933年 | ・大日本蹴球協会発足(1921年) ・FIFAに最初の加盟(1929年) |
| 第2代 | 深尾隆太郎 | 1935年 - 1945年 | ・ベルリンの奇跡(1936年) ・第二次世界大戦(1939年~1945年) |
| 第3代 | 高橋龍太郎 | 1947年 - 1954年 | ・FIFA再加盟(1950年) ・FIFAワールドカップ地域予選初出場(1954年) |
| 第4代 | 野津謙 | 1955年 - 1976年 | ・東京オリンピック(1964年) ・日本サッカーリーグ(JSL)発足(1965年) ・メキシコオリンピック 銅メダル(1968年) |
| 第5代 | 平井富三郎 | 1976年 - 1987年 | ・奥寺康彦が日本人のプロサッカー選手第一号となる(1977年) ・FIFAワールドユース選手権日本大会開催(1979年) ・全日本女子サッカー選手権開幕(1980年) ・「キャプテン翼」の連載が開始(1981年) |
| 第6代 | 藤田静夫 | 1976年 - 1992年 | ・第1回FIFAフットサル世界選手権初出場(1989年) ・日本女子サッカーリーグがスタート(1989年) |
| 第7代 | 島田秀夫 | 1992年 - 1994年 | ・AFCアジアカップ 初優勝(1992年) ・藤田静夫前会長がFIFA功労賞を受賞(1992年) ・Jリーグ開幕(1993年) ・ドーハの悲劇(1993年) |
| 第8代 | 長沼健 | 1994年 - 1998年 | ・ユニバーシアード福岡大会優勝(1995年) ・2002 FIFAワールドカップ 日韓共同開催が決定(1996年) ・マイアミの奇跡(1996年) ・ジョホールバルの歓喜(1997年) FIFAワールドカップ初出場が決定 ・1998 FIFAワールドカップ グループリーグ敗退(1998年) |
| 第9代 | 岡野俊一郎 | 1998年 - 2002年 | ・FIFAワールドユース選手権1999 準優勝(1999年) ・AFCアジアカップ2000 優勝(2000年) ・2002 FIFAワールドカップ 開催(2002年) 日本代表が初のベスト16進出 |
| 第10代 | 川淵三郎 (キャプテン) |
2002年 - 2008年 | ・JFAプリンスリーグU-18創設(2003年) ・JFAハウス誕生(2003年) ・AFCアジアカップ 連覇(2004年) ・JFA2005年宣言(2005年) ・第1回FIFAクラブワールドカップ開催(2005年) ・川淵三郎キャプテンがFIFA功労賞を受賞(2006年) ・2006 FIFAワールドカップ グループリーグ敗退(2006年) 「オシムって言っちゃったね」 |
| 第11代 | 犬飼基昭 | 2008年 - 2010年 | ・2010 FIFAワールドカップ ベスト16(2010年) |
| 第12代 | 小倉純二 | 2010年 - 2012年 | ・AFCアジアカップ 優勝(2011年) ・東日本大震災(2011年) ・FIFA女子ワールドカップ2011優勝(2011年) なでしこジャパンが紫綬褒章を受章 ・日本サッカー協会が公益財団法人化(2012年) |
| 第13代 | 大仁邦彌 | 2012年 - 2016年 | ・ロンドンオリンピック女子サッカー銀メダル(2012年) ・FIFA U-17女子ワールドカップ 初優勝(2014年) ・AFC女子アジアカップ2014 優勝(2014年) ・2014 FIFAワールドカップ グループリーグ敗退(2014年) ・FIFA女子ワールドカップ2015 準優勝(2015年) |
| 第14代 | 田嶋幸三 | 2016年 - 2024年 | ・AFC女子アジアカップカップ2018 優勝(2018年) ・2018 FIFAワールドカップ グループリーグ敗退(2018年) ・AFCビーチサッカー選手権タイ2019 優勝(2019年) ・FIFAビーチサッカーワールドカップ2019 ベスト4(2019年) ・JFAヨーロッパオフィス設立(2020年) ・新型コロナウィルス感染拡大(2020年) ・WEリーグ開幕(2021年) ・東京オリンピック(2021年) ・2022 FIFAワールドカップ ベスト16(2022年) |
| 第15代 | 宮本恒靖 | 2024年 - |
1995年11月、加藤久強化委員長を中心としたJFA強化委員会は、サッカー日本代表の加茂周監督との契約を見送り、当時ヴェルディ川崎の監督を務めていたネルシーニョを後任監督として推薦。ネルシーニョとヴェルディ川崎も監督就任に対して内諾しており、交渉は最終段階にまで進んでいた。
ところが、当時の長沼健会長が鶴の一声でそれまでの交渉を白紙にし、加茂監督の続投を決めてしまう。日本代表監督契約を突然白紙撤回されたネルシーニョが「日本サッカー協会には腐ったミカンがいる」と長沼を非難したことも物議を醸し、マスメディアを大いに賑わせる騒動となった。面子を完全に潰された格好となった加藤久は直後に強化委員長の職を辞任。
この件に関し、長沼は「加茂でフランスに行けなかったら辞任する」と発言しただけで独断による白紙撤回の過程や理由を説明しなかった。なお、この2年後のフランスW杯アジア最終予選の最中に加茂は更迭となり、自らは会長職にとどまるのだった。
2007年、当時川崎フロンターレに所属していた我那覇和樹が練習後、体調不良によりチームドクターから受けた点滴治療に対し、サンケイスポーツに「我那覇に秘密兵器 にんにく注射でパワー全開」という記事が載ったことをJリーグのドーピングコントロール委員会で問題視され、我那覇はドーピング違反で6試合出場停止処分を受けることとなった。しかし、実際に我那覇が受けたのは感冒の治療であり、サンケイスポーツによるフェイクニュースが発端だった。
Jリーグが事実関係を調査して誤報を流した記者を呼び出し、叱責して終わらせるべきものだった。ところが、Jリーグ側はこの報道を鵜呑みにして、当事者に確認する前に、マスコミに向けてドーピングだと発信し始めた。この騒動に対し、選手を守るべき競技団体のトップであるはずの当時の川淵三郎JFA会長は「「我那覇の件はけん責処分とか6試合以下の出場停止処分か、それより重い資格停止(12か月以下)、その程度が常識的なところだろう」と語ったことで我那覇の立場はさらに悪化してしまう。
この裁定にJリーグの全クラブのチームドクターたち31人が処分の撤回を求め、JFAにも訴えたが、自分たちの面子を守りたいJFAはこの主張を黙認。自分たちの間違いを認めようとしなかった結果、我那覇は3000万円を越える私財を投じてCAS(スポーツ仲裁裁判所)に提訴。結果、我那覇の主張は全面的に認められたのだが、我那覇を奈落の底に落とす張本人となった川淵や次期会長で当時のJリーグチェアマンだった犬飼基昭は我那覇に対して謝罪のひとつもせず、当時のことは無かったことにしている。
2006 FIFAワールドカップでジーコ監督率いる日本代表は1勝もできないままグループリーグで惨敗という結果に終わったが、大会直後に川淵三郎JFA会長は報道陣に対し、「オシムガ・・・・」と次期監督候補としてまだ交渉中だったジェフユナイテッド千葉のイビチャ・オシム監督の名前を出してしまう。この直後、川淵は失言に気付き、「オシムと言っちゃったね」と話した。
契約内定前の思わぬ失言に、川淵は会見を一時中断して関係者に連絡。約10分後にオシムに一本化して交渉していることを明言する。この件については、ジーコを自らの鶴の一声で監督に招聘した川淵が敗戦の責任を逃れるために発したと見る向きもあり、千葉からは結果的にオシム監督を「強奪」する格好となり、物議を醸すこととなった。
なお、オシムを引き抜かれた後の千葉は低迷するようになり、10年以上J2沼に浸かっている。
2018年4月7日、2018 FIFAワールドカップを目前に控えたタイミングでJFAの田嶋幸三会長は、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督を解任することを発表する。本大会直前での電撃解任に日本中が騒然とし、田嶋は「選手たちとのコミュニケーションや信頼関係が薄れていた」と解任理由を語った。
これに対し、ハリルホジッチは「日本では、すべてが金とビジネスによってひっくり返ってしまった」と解任に不満を示し、日本での会見も行われることとなった。2018年5月24日、JFAに対し、名誉毀損による慰謝料1円と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴する事態に発展する。
このあまりにもふわっとした解任理由や田嶋会長の説明不足でサッカーファンから批判が集まり、JFAに対する不満が大きくなる。一部ではスポンサーが求める人気選手をハリルホジッチが積極的に起用しなかったことが解任の理由だと邪推する声も挙がる。
事の是非はともかく、この一件が代表監督の評価の線引きを曖昧にしてしまった。
2024年1月31日、AFCアジアカップ2023の大会中のタイミングで週刊新潮によって日本代表の中心選手である伊東純也が大阪のホテルで2人の女性を酒に酔わせ、同意を得ないまま性行為に及んだとして刑事告訴されたことが報道される。これに対し、伊東側は事実を全面的に否定。逆に女性側を虚偽告訴罪で刑事告訴し、後に2億243万3131円の損害賠償を求めて民事でも提訴している。
事実が分からない状況の中、JFAは2月1日付けで伊東のアジアカップからの離脱を発表。しかし、翌日に一転して選手側からの要望もあって伊東をチームに残すことを発表する。ところが、その後田嶋幸三会長によって伊東が離脱することが決定したことが明かされる。このとき、田嶋はスポンサーへの配慮も考慮したことを認めている。
決定が二転三転したことに加え、「推定無罪」の原則を取らずに伊東をチームから外したことに対し、ファンからJFAに対する批判の声が増えるようになる。さらに、伊東が所属するフランスのスタッド・ランスが推定無罪に則ってこれまで通り試合に出場させたことで、伊東を守ろうとしなかったJFAへの不信感が加速するようになる。
▶もっと見る
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。