曹丕 単語


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ソウヒ

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曹丕とは、三国志に登場する人物である。字は子桓。三国の一角、魏の初代皇帝。諡は「文帝」。「文」とは、政治に優れた君主に与えられることが多い諡である。

Wikipediaより抜粋。

概要

曹操の三男として生まれる。母は卞夫人。生まれた当時、卞夫人はまだ側室だった為、庶子の立場であった。

しかし、曹操が鄒と密通したことで長男・曹昂が戦死し、丁夫人が離縁してしまった。その為、母が正室に迎えられ、嫡子として扱われるようになる。次男の曹鑠も早世した為、第一後継者となった。

幼い頃から優秀で、文章を巧みに書き、剣術を得意とする等、文武両道であった。

217年、正式に太子として指名される。この時、同母弟で五男の曹植と太子の座を争ったと言われている。本来なら、嫡男で長子である曹丕が後継者となるのが筋であるが、曹操が曹植を寵愛した為、「曹丕派」と「曹植派」に分かれたのである。実際には本人同士という訳でなく、その取り巻きによる権力争いと言った方が正確である。

220年、曹操が亡くなると魏王に即位し、丞相の地位を受け継ぐ。しかし、直後に献帝に禅譲を迫り、皇帝の座に付いた。こうして、後漢朝の命脈は途絶える事となった。なお、歴史上ではこの前の出来事はあくまで「漢」時代である。その為、「三国志」はこの瞬間から始まるのである。

226年、風邪を拗らせて肺炎を発症して逝去。享年40歳の早すぎる死であった。

皇帝として

呉に遠征を数度行っているが、あまり大きな成果は上がっていない。むしろ、政治面で大きな成果を上げている。

後漢時代の腐敗した政治形態を改める為、様々な政策を実行している。宦官が一定以上の地位に付けないようしたのはその代表的な物であろう。また、郭貴妃を皇后に立てる時には、皇帝を差し置いた皇后への奏上を禁止し、外戚(母親や妻の親類)の政治関与を禁じたりしている。その他、私刑や仇討ちを禁じる事で社会制度の安定を図り、大逆罪以外の密告を禁じ、密告自体を罪にするなどしている。後継者争いをした曹植を始め、弟たちを僻地に封じ領地を頻繁に変える事で大きな力を持たない様にしている。(これは、皇族による政権掌握を防ぐ為であったが、後にこれが原因となり司馬氏の台頭を許してしまう。)

曹植をいじめる姿が印象的であるが、これは上記の意図があっての事なので別の問題であろう。有名な七歩詩(七歩の間に詩を作れと命じたエピソード)は創作であるとの意見が優勢である。

曹丕自身の在位期間がわずか7年と非常に短かい為、その評価は少々難しい部分があるが、彼の治世の元では大きな反乱がない事等から比較的安定した社会情勢だったと考えられる。

文人として

父・曹操と弟・曹植と並んで「三曹」称され、名詩文家の代表とされた。数々の優れた詩を残す一方で、積極的に新しい表現方法を試す等、文学理論の構築にも取り組んでいる。「燕歌行」は現存する世界最古の七言詩として知られ、漢文のテキストにも用いられている。その詩は繊細優雅で父や弟とは好対照である。

また、中国史上初の文学論評である「典論」を編纂している。その中に収められた「論文」は、現存する最古の文芸評論で、「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」と述べ文学の効用を極めて高く評価している。

性格

非常に神経質で、冷酷に描かれる事が多い。彼が皇位簒奪を行っている為、殊更悪く描かれているが、それに類する逸話が数多く残っている。

自分に対して恨み言を言った甄皇后に自殺を命じた事はその代表である。(郭皇后の陰謀とする史書もあるが、郭皇后自身の記述や、その後の曹叡との関係を見れば信憑性に欠ける。)

221年、捕虜となっていた于禁が釈放された時、曹丕は曹操の墓に、関羽に命乞いをする于禁の絵を描かせておいた。曹操の墓に訪れた于禁はこの絵を見て、恥と申し訳なさから病を発し亡くなった。(後に、「君主のやることではない。」と厳しく批判されている。)

曹操旗揚げ時代からの旧臣・曹洪の食客が罪を犯した時、過去に借金を断られた事を恨みに連座して処刑しようとしている。しかし、母の卞太后の執り成しにより処刑は取り消したが、所領を削り、爵位を降格した。

夏侯淵の甥の夏侯尚が、正妻でなく愛妾を寵愛していると聞いた曹丕は、「彼の正妻は私の一族だ。(曹真の妹)それをないがしろにするとは。」と語った。そして密かに人を送りその愛妾を殺させた。夏侯尚の嘆きは尋常でなく、精神を病み、愛妾の墓を掘り起こす事までしている。これを聞いた曹丕はますます怒り、「杜襲の言葉は正しかった」と語った。(曹操存命時に、夏侯尚は曹丕の友人としては不適格、とする言葉を杜襲は曹操に伝えていた。)しかし、彼の姿を見た曹丕は「私は愚かな事をした、つまらぬ事で優秀な配下と素晴らしい友を一度に失った。」と語り、彼を見舞う度に涙を流したという。

また、太子に立てられて浮かれる姿を辛憲英に呆れられている。

しかし、「気を許した相手には身分を越えた親愛を示し、時として身分にふさわしくなく、軽薄に見えることもあった」と評されている。

三国志の作者・陳寿は「好悪の激しすぎる点を改め、広大無辺の度量、仁慈の心を持ち合わせていたのならば、古代の聖王と比較しても何ら劣らない明君となっていただろう」と残している。

性格に問題はあるが、非常に優秀な君主である事は疑いない事実である。

三国志大戦

1から皆勤で登場しているが、いつも不遇なお方である。1ではなんと最もレアリティの低いコモンカード。しかも「スターター計略」と言われた「指揮」持ちで基本スペックも決して高くなかった為、使われる事が珍しい位であった。

2ではなんとSRで登場。Cから三階級特進であり絵師のWolfina氏も驚いたという。ところが、コスト比武力が非常に低い上に計略の「刹那の求心」が劣化覇者の求心かつ劣化刹那の号令という物だった為、変わらず使われなかった。

3ではRに格下げされた物の、父の計略であった「魏武の大号令」を受け継いだ。ちなみに、「魏武」とは曹操本人の事である。(曹操の諡が魏武帝であるため。)彼が持つなら「魏文の大号令」だろうというツッコミは野暮だからやめようね!本人は明らかに低スペックにも関わらず、何かと曰くのある計略の影響か、バージョンごとに使用率が激変する。使用率20位以内が定位置という状況からバージョンアップ後三日でランキングから消えると言った事もある。

真・三國無双シリーズ

真・三國無双4からプレイヤーキャラとして参戦。

妻である甄姫(甄皇后)より遅れての参戦である(甄姫は3から参戦)。

無双OROCHIでは魏ルートの主役を任されるなどの厚遇を受けている。

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関連項目

  • 曹操
  • 曹叡
  • 甄皇后
  • 郭皇后
  • 三国志の登場人物の一覧

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最終更新:2025/12/21(日) 05:00

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