曹丕とは、三国志に登場する人物である。字は子桓。三国の一角、魏の初代皇帝。諡は「文帝」。「文」とは、政治に優れた君主に与えられることが多い諡である。
曹操の三男として生まれる。母は卞夫人。生まれた当時、卞夫人はまだ側室だった為、庶子の立場であった。
しかし、曹操が鄒と密通したことで長男・曹昂が戦死し、丁夫人が離縁してしまった。その為、母が正室に迎えられ、嫡子として扱われるようになる。次男の曹鑠も早世した為、第一後継者となった。
幼い頃から優秀で、文章を巧みに書き、剣術を得意とする等、文武両道であった。
217年、正式に太子として指名される。この時、同母弟で五男の曹植と太子の座を争ったと言われている。本来なら、嫡男で長子である曹丕が後継者となるのが筋であるが、曹操が曹植を寵愛した為、「曹丕派」と「曹植派」に分かれたのである。実際には本人同士という訳でなく、その取り巻きによる権力争いと言った方が正確である。
220年、曹操が亡くなると魏王に即位し、丞相の地位を受け継ぐ。そして、直後に献帝に禅譲を迫り、皇帝の座に付いた。こうして、後漢朝の命脈は途絶え、名実ともに「三国時代」を迎えることとなった。
226年、風邪を拗らせて肺炎を発症して逝去。享年40歳の早すぎる死であった。
呉に遠征を数度行っているが、あまり大きな成果は上がっていない。むしろ、政治面で大きな成果を上げている。
後漢時代の腐敗した政治形態を改める為、様々な政策を実行している。宦官が一定以上の地位に付けないようしたのはその代表的な物であろう。また、郭貴妃を皇后に立てる時には、皇帝を差し置いた皇后への奏上を禁止し、外戚(母親や妻の親類)の政治関与を禁じたりしている。その他、私刑や仇討ちを禁じる事で社会制度の安定を図り、大逆罪以外の密告を禁じ、密告自体を罪にするなどしている。後継者争いをした曹植を始め、弟たちを僻地に封じ領地を頻繁に変える事で大きな力を持たない様にしている。これは、皇族による政権掌握を防ぐ為であったが、後にこれが原因となり司馬氏の台頭を許してしまうことになる。
曹植をいじめる姿が印象的であるが、これは上記の意図があっての事なので別の問題であろう。有名な七歩詩(七歩の間に詩を作れと命じたエピソード)は創作であるとの意見が優勢である。
曹丕自身の在位期間がわずか7年と非常に短い為、その評価は少々難しい部分があるが、彼の治世の元では大きな反乱がない事等から比較的安定した社会情勢だったと考えられる。
父・曹操と弟・曹植と並んで「三曹」称され、名詩文家の代表とされた。数々の優れた詩を残す一方で、積極的に新しい表現方法を試す等、文学理論の構築にも取り組んでいる。「燕歌行」は現存する世界最古の七言詩として知られ、漢文のテキストにも用いられている。その詩は繊細優雅で父や弟とは好対照である。
また、中国史上初の文学論評である「典論」を編纂している。その中に収められた「論文」は、現存する最古の文芸評論で、「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」と述べ文学の効用を極めて高く評価している。
非常に神経質で、冷酷に描かれる事が多い。彼が皇位簒奪を行っている為、殊更悪く描かれているが、それに類する逸話が数多く残っている。
自分に対して恨み言を言った甄皇后に自殺を命じた事はその代表である。郭皇后の陰謀とする史書もあるが、郭皇后自身の記述や、その後の曹叡との関係を見れば信憑性に欠ける。
221年、捕虜となっていた于禁が釈放された時、曹丕は曹操の墓に、関羽に命乞いをする于禁の絵を描かせておいた。曹操の墓に訪れた于禁はこの絵を見て、恥と申し訳なさから病を発し亡くなった。北宋の司馬光はこの行為を「君主のやることではない。」と厳しく批判している。
曹操旗揚げ時代からの旧臣・曹洪の食客が罪を犯した時、過去に借金を断られた事を恨みに連座して処刑しようとしている。しかし、母の卞太后の執り成しにより処刑は取り消したが、所領を削り、爵位を降格した。
夏侯淵の甥の夏侯尚が、正妻でなく愛妾を寵愛していると聞いた曹丕は、「彼の正妻は私の一族だ。(曹真の妹)それをないがしろにするとは。」と語った。そして密かに人を送りその愛妾を殺させた。夏侯尚の嘆きは尋常でなく、精神を病み、愛妾の墓を掘り起こす事までしている。これを聞いた曹丕はますます怒り、「杜襲の言葉は正しかった」と語った。(曹操存命時に、夏侯尚は曹丕の友人としては不適格、とする言葉を杜襲は曹操に伝えていた。)しかし、彼の姿を見た曹丕は「私は愚かな事をした、つまらぬ事で優秀な配下と素晴らしい友を一度に失った。」と語り、彼を見舞う度に涙を流したという。
また、太子に立てられて浮かれる姿を辛憲英に呆れられている。
更には太子時代に自分の言うことを聞いてくれなかったり、気に入らない臣下を些細な罪状で処刑したり、自殺に追い込んだりしているのだから、 これは弁護のしようもないだろう。
しかし、「気を許した相手には身分を越えた親愛を示し、時として身分にふさわしくなく、軽薄に見えることもあった」と評されている。
三国志の作者・陳寿は「好悪の激しすぎる点を改め、広大無辺の度量、仁慈の心を持ち合わせていたのならば、古代の聖王と比較しても何ら劣らない明君となっていただろう」と残している。
性格に問題はあるが、非常に優秀な君主である事は疑いない事実である。
正史や北方三国志の影響でドSに定評のある男として扱われることが多い。時たまにツンデレ。最近は偉大な父と天才の弟の間に挟まれる苦労人であった一面をクローズアップした漫画も登場した。
真・三國無双3まではモブ武将として登場し、専用イベントも用意されていたが2で祝融から「甄姫の夫は曹操かと思った」と言われたりと扱いはあまり良くなかった。真・三國無双3エンパイアーズでは見た目が武将なのにモーションが軍師と特殊な存在であった。一部ではモブ時代の曹丕を懐かしむ者もいるらしい。
そして遂に真・三國無双4からプレイヤーキャラとして参戦。CVは神奈延年。妻である甄姫(甄皇后)より遅れての参戦である(甄姫は2から参戦)。腰に届く長さの長髪を一つに結った青年であり、特殊な双剣を武器に振るう。OPでも趙雲と人外な一騎討ちをしており、大きく取り扱われるのは初めての事でこの作品で曹丕を知った人も多いと思われる。
真・三國無双5では長髪を切り、白を基準にした衣服にイメージチェンジをした。NPCの時に騎乗しているる馬も白い。さながら白馬の王子様のようである。無印では孫権、袁紹と同じモーションのコンパチであったが真・三國無双5SPで固有モーションの長剣に持ち替え、無双モードも追加された。肝心の無双モードは主役を司馬懿に乗っ取られ気味だったけどな!
6では劉備と陸遜と同じ双剣を得意武器とし髪の毛を再び伸ばして登場。双剣のスピードと手数を活かした戦いを得意としていた。しかもCPU時に持つ固有武器が斬属性だったので高難易度で敵として現れたときは厄介だった。それでも劉備や陸遜と比べると弱ry
7ではまた長髪を切ってしまうも4以来、手放していた双刃剣がモーションを一新して復活した。公式Twitterが「エレガントにデザインした」とコメントした青色を基準にした衣装の歩くとどこからもなく風が吹いて裾が激しく靡く様子は一見の価値あり。DLCで配布された現代社会に出た無双キャラを想定した特別衣装が白衣の医者姿で鬼畜眼鏡属性も身に付けた。
8では再び長髪に。武器は見た目は7と同様双刃剣であるがモーションは一部を除き劉備と陸遜と同じの為切り離した状態で戦う。衣装については公式Twitterによると「スカーフと立て襟で貴公子っぽさを出し、鎧の部分を多くすることで実用性も強化しています」とのこと。6と7では父曹操を中心としたストーリーだったり、早世した有能な部下が亡くならずに生存していたら・・・と言うIfストーリーが中心でやや空気気味だったが、8では献帝から禅譲により初代魏皇帝に即位し、その後身を削って政を行っていたり、呉への遠征を行い、早世してしまった事やDLCシナリオでは「曹丕が早世せずに三国を統一したら」と言うIfシナリオと特別な衣装が販売される等「皇帝」としての彼が描かれた。また、曹操の甥で実の兄弟のように育ち、愚直と言えるほど曹丕を慕う曹休が参戦したことにより、これまでの曹丕と比べると明らかに感情や表情が豊かになっている様も描かれている。
無双OROCHIでは魏ルートの主役を任され、魔王再臨でもOPの中心的存在として出演するなどの厚遇を受けたりと順調に出世している。
6の頃に企画した人気投票で上位に食い込んだ影響か曹丕関連のグッズも出るようになった。その一つが抱き枕カバーである。
1から皆勤で登場。Wolfina氏による赤色の刺青が特徴で冷酷さを潜めた青年の絵が一部に人気だが、いつも不遇なお方である。
1ではなんと最もレアリティの低いコモンカード。しかも「スターター計略」と言われた「指揮」持ちで基本スペックも決して高くなかった為、使われる事が珍しい位であった。ただ、当時ではコモンの号令持ちは彼ぐらいなのでレアリティ限定大会やデッキ縛り等では重宝されていたようだ。信じられない事だが2の群雄伝・呉伝でラストボスを勤め、「指揮」でR孫権と次代を掛けての争いを演じた。この頃は太子時代を想定してか服装は大人しめだった。
2では曹操の息子たちの中で唯一排出停止されたが、Ver2.1の追加カードにてなんとSRで登場。大戦シリーズでは初の排出停止から復活したカードの第一号であり、Cから三階級特進に絵師のWolfina氏も驚いたという。だが、計略の「刹那の求心」が覇者の求心と刹那の号令の中間的存在で当時の魏では敬遠されがちだった弓兵に変更されたこともあってあまり使われなかった。(一応、後期は魏武デッキのサブ号令として使われていた時もある。活躍時期は短かったが)更に、群雄伝の魏後伝の第一話では主役を務めたが一話目で死亡し、あっさりと退場してしまうことも一部で話題だった。
3ではRに格下げされたものの、父の計略であった「魏武の大号令」を受け継いだ。ちなみに、「魏武」とは曹操本人の事である。(曹操の諡が魏武帝であるため。)彼が持つなら「魏文の大号令」だろうというツッコミは野暮だからやめようね!本人は明らかに低スペックにも関わらず、何かと曰くのある計略の影響か、バージョンごとに使用率が激変する。使用率20位以内が定位置という状況からバージョンアップ後三日でランキングから消えると言った事もある。そもそもVer3稼働直後はイマイチなスペック、父の頃よりも大幅に下方された計略の影響で長い間、ネタ計略と言われ続けていた。
NDSの「三国志大戦天」でDS版限定のカードにも登場する。こちらは魏では珍しい回復計略「首都よりの援軍」を持ち1.5コストとしてはハイスペックで実際に排出されたら使われたかもしれないと言われている。…が、okome氏によるカードイラストの影響かまさかの男の娘ボイスが女声で何かと印象的なカードであった。
性格は父コンプレックスが強調されており、コモンの台詞や群雄伝のイベント等では「父を超える」を多用する。絵師のWolfina氏も「父コンプレックス持ちであることを念頭に置いて描いています」と語っている。
ニコニコ動画では落城勝ちの台詞が俳句(字余り)みたいだとよく指摘されている。
そして復活の新・三国志大戦では稼働開始から5か月かけてようやく登場。
久々のSRであり、イラストレーターも戦国大戦のイケメン絵師でおなじみ黒葉.K氏に変わった。
計略は「魏武の継承者」に変更。やったね!これで「コイツ文帝やろ」とか言われなくなるよ!
効果時間は驚異の50カウント。ほぼ全盛期の勢いを取り戻したと言えよう。但し征圧力が下がる。
後、相変わらず本人性能はポンコツ(むしろ知力-1)なので下手な突出は避けるべし。
掲示板
345 ななしのよっしん
2024/06/02(日) 22:18:53 ID: iEyU5/XqeQ
それでも自分の代で国を潰さなかっただけ他よりマシではあるのと、
チ禁や弟のようにひどい目にあった人間も多い反面、曹操の代とは異なる人材を多く見出した人物でもある
あんだけ突然足元すくわれて死ぬのが日常の世界で確固たる地位を維持した程度の政治力は評価すべきだろう
346 ななしのよっしん
2024/08/22(木) 01:02:44 ID: kILSP5pI2g
国を潰せるほどの在位期間が無かっただけにも見えるけどね。
その見出した人材の派閥からゆくゆくは簒奪者が出てくるんだから世話無い
347 ななしのよっしん
2024/10/19(土) 08:24:36 ID: 2qEh5DjtSV
曹丕はなんかこう、余計な事考えちゃったんだろうな
せっかく孫権が関羽の首持って臣従してきたんだから一気に蜀攻めに動けば終わったんだけど、それだと臣としての孫権の存在が大きくなりすぎる
国内の取りまとめには定評のある若い初代皇帝は、もっとはっきりとした絶対勝者になって腕力を活かした自分の国づくりがしたかったんだろうと
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最終更新:2025/02/18(火) 16:00
最終更新:2025/02/18(火) 16:00
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