A Happy New Year!!!
もっと、熱くなれよぉおおおおおおおお!!!
松岡修造とは、諦めない、絶対できる、いつもポジティブ、しかし暑苦しいという元気な元プロテニスプレイヤーである。現役引退後も、若手育成やテレビキャスターなどで精力的に活動している。
東京のヒートアイランド現象の原因、いや地球温暖化の原因の一つとも言われており、地球温暖化を食い止めるには、彼を宇宙に飛ばすしか方法がない。しかし、彼を宇宙に飛ばすと地球の温度が-273℃になるともいわれ、その温度差は物理法則にすら囚われていない。
| 年 | テーマ |
|---|---|
| 2007年 | 一所懸命 |
| 2008年 | 本気 |
| 2009年 | 元気 |
| 2010年 | できる |
| 2011年 | 楽 |
| 2012年 | 信じてる! |
最近では炎の妖精と呼ばれるようになり、あまりの人気と熱気がある彼は、ニコニコ4大妖精の1人として入ったほどである。AB型はクールで冷静沈着という定説が彼一人の存在でもろくも崩れ去っている。
幻と言われる技、スーパーウィンブルドンステップの持ち主でもある。
ちなみに、2012年の修造のテーマは「信じてる!」である。
1967年11月6日生まれ、AB型、東京都出身、身長188cm、体重85kg。元プロテニスプレイヤーで、現在はタレントとして主にテレビキャスターとして活躍している。テレビCMにも多数出演しており、2008年CM起用ランキングでは木村拓哉と並んで1位を獲得している。(ニホンモニター株式会社調べ)。
また英語が堪能であるのを生かし、キャスターとしては同時通訳や英語でのインタビューなどもこなしている。
婦人の出産予定日と自身のテニス大会が重なり悩んだ末彼が行き着いた答えは階段の上り下りやスクワットをさせて出産を三日早めさせる事だった。(死産することがある為真似しない事)
その他にも、いくつかのテニス関連団体にも所属している他、若手育成にも取り組んでおり、テニス活性化プロジェクト「修造チャレンジ」を自ら主催している。錦織圭も修造チャレンジに参加したことがあり、この頃から松岡修造にその実力を認められている。
人柄は情熱にあふれる熱血漢で、現役選手時代からその熱血ぶりは有名であった。現役引退後もその勢いは衰えることなく、タレントとしてのテレビ出演時にもその様子が伺える。また、かなりお茶目な一面も持っており、番組収録の合間に撮影されたプライベート映像(と思われる)が公式ホームページ(外部リンク)で公開されており、松岡修造からの熱いメッセージや、楽しそうにはじけている松岡修造を閲覧できる。
東宝株式会社の社長である松岡功の次男で、曽祖父は阪急阪神東宝グループの創始者である小林一三である。本格的にプロテニスを目指したころ、父親からは反対され援助を受けられない時期もあった。その父も有望なテニスプレイヤーであったが、事業に専念するためテニスから一切足を洗っていたため、松岡修造は父親がテニスをしていたことすら知らなかったという。また、兄も全日本大学選手権に出場するほどのテニスプレイヤーであった。
Wikipedia 松岡修造(外部リンク) より
氏の出生や家系に関しては、Wikipediaには記述があるものの、氏の公式ホームページ(外部リンク)に掲載されているプロフィールには、テニスを始める以前の記述や家系に関する記述は一切ない。メディアにおいても氏の家系について触れられることはないため、氏の輝かしい功績は実力で勝ち取ったものであることがうかがえ、氏も出生に関して特別視している様子はないようだ。
プロテニス選手時代で最も有名な功績は、1995年のウィンブルドン選手権におけるベスト8出場であろう。日本の男子テニスにおいては62年ぶりの快挙であり、氏が日本における最高峰のテニス選手であったこと示す輝かしい功績である。プロ時代、度重なるケガや病気に悩まされながらも、その逆境を跳ね除けた後にこの栄誉を勝ち取っており、氏の実力とテニスに掛ける情熱が本物であったことをうかがい知れる。
松岡修造オフィシャルサイト(外部リンク)では、松岡修造メッセージと題し、修造からのビデオメッセージ「こんなあなたに…」が公開されており、氏の人生観や熱烈な応援メッセージ、はじけっぷりを見ることができる。
テニス選手として確かな実力と輝かしい経歴を持つ松岡修造であるが、ニコニコ動画における氏のイメージはそれとは大きく違っていた。
全ての始まりは、2008年の年始に投稿された「【松岡修造】ニコニコユーザーへ向けて応援メッセージ【熱血】」である。
「今年のテーマ」と評される二本の動画のあと、遠くから「頑張れ頑張れできるできる」と応援しながら走り寄ってくる松岡修造の映像は正にシュールであり、締めに発せられた「北京だって頑張ってるんだから!」は、一見しただけでは何のことかさっぱりわからない。その後に続く動画も、心に響く良い言葉を言っているものの、熱すぎる口調と奇妙なシチュエーションが相まってやはりシュールであった。動画のラストを飾った、寒いダジャレの後に披露されるお茶目な氏の姿からは、日本テニス界を代表する偉人らしさは感じられず、むしろ誰だこいつはといった様相であった。
このシュールさが受け、一部ではあるがニコニコ動画においても氏の存在が話題となり、これをきっかけとして氏の活躍を記録した様々な動画(素材)が有志によってアップロードされ始めたことから、徐々にMADが作られるようになる。その後、2008年夏以後に投稿された「Xepher - SHUZOMix」「Hot knows...」「松岡動画流星群」等のヒットを期にMAD素材としての知名度が一気に高まり、更には、uni Nano Diaとのタイアップ企画「修造式!英単語・四字熟語道場」と「修造の家庭訪問!」のあまりの面白さから、氏の人気は更に加速した。
当初のMADでは動画のシュールさが強調されていたが、次第に氏の真摯な思いや元気が出てくる応援メッセージを前面に押し出した所謂"正統派MAD"を作る者も現れ始め、バラエティに富んだ個性的なMADが頻繁にランキング入りするようになる。2009年5月1日には、「Hot knows...」が松岡修造動画初の100万再生を達成。他にもニコニコ動画でヒットしたMAD動画は数知れず、特に氏の情熱だけを一心に詰め込んだ関連動画は「松岡天満宮」として、就活生や勝負所を控えた人たちの間で密かな人気を誇っている。
このようにいつでも熱く、時にシュールさを醸し出した氏の動画の存在は、今やニコニコ動画における「元気」「情熱」の象徴として捉える事も出来る。物事と真摯に向き合い、今を生きる人々を積極的に応援し続けるその姿があるからこそ、非常に多くのニコニコユーザーに愛されるに至ったのだろう。
そして2009年10月22日。テニスマガジン12月号 (発売日:2009年10月21日) の連載コラムにてついに松岡本人がニコニコ動画における数々のMADの存在に触れ、それを容認した。
更に2009年10月26日「松岡修造の「熱い」MAD動画 「元気もらえる」とネットで人気」と題されたコラムがYahoo!Japanのトップに掲載。 [1]
「怒るとかそういうことよりも、僕は『ホント、よくできているな』と思って見ている。凝った編集には『あっぱれ!』をあげたいし、逆に出来が悪いものには、もっと頑張ってくれないかな、と思うほどだ。こんなに一所懸命に作ってくれて、感謝したいくらいだ。みんながいい作品(?)を作れるように、僕たちも、もっと強烈なものを作るべきだなと思っている。」
上記のコメントのように、松岡本人は自身の映像や声を素材としたMAD動画の存在に対して寛容であり、怒るどころかむしろ喜んでいるようである。彼は実際にそれらの動画を見て、個人的に評価をしているらしい。
[HV]報道ステーション スポーツコーナーキャスター
(月)~(金)*21:54~23:10 テレビ朝日 *日によっては出演しない場合あり ⇒関連サイト
[HV]松岡修造のくいしん坊!万才 11代目レポーター 2000年より出演
(月)21:54~22:00 フジテレビ 提供:キッコーマン ⇒関連サイト
[HV][新]松岡修造の情熱チャージ 熱血!ホンキ応援団 メイン司会者
(土)19:00~19:57 テレビ朝日 (冠番組) ⇒関連サイト
詳しくは→修造素材リンク
→松岡修造関連商品一覧へ
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最終更新:2025/12/09(火) 01:00
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