松本啓二朗(まつもと けいじろう、1986年6月24日-)とは、千葉県出身のプロ野球選手(外野手)である。
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移籍・戦力外・引退による書き換えはNPBの公示が出るまで待ってください。 |
| 横浜DeNAベイスターズ #61 | |
|---|---|
| 松本啓二朗 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 千葉県大綱白里市 |
| 生年月日 | 1986年6月24日 |
| 身長 体重 |
180cm 78kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2008年ドラフト1位 |
| 経歴 | |
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
出生地は岩手県盛岡市だが千葉県大網白里市出身。
ファンからは「K26」などと呼ばれる。
父親が監督を務める千葉経大附高校に進み、3年夏の甲子園には4番・投手として出場。ダルビッシュ有を擁する東北高校を破るなどしてベスト4進出を果たした。
早稲田大学進学後は外野手に転向し、1年秋からレギュラーに定着。同級生の上本博紀、細山田武史、須田幸太らとともに活躍し、東京六大学史上28人目の通算100安打、4年秋に首位打者などの成績を残した。
2008年のドラフト会議で、1位指名で横浜ベイスターズと阪神タイガースが競合し、抽選の結果横浜に入団。背番号6。横浜は大洋時代の1969年、早稲田大学からドラフト指名したものの入団拒否の姿勢を見せた荒川尭が暴漢に襲われた「荒川事件」以来、40年ぶりに早稲田大学の選手を指名(4位でも細山田を指名した)。球団社長は「今日は歴史的な日」とコメントした。
2009年、同じルーキーの細山田・山崎憲晴と共に開幕一軍入りし、開幕戦に1番・センターでスタメン出場を果たす。しかし打撃で結果を残せず、4月中には二軍落ちしてしまった。シーズン終盤に復帰するも、22試合で打率.136という数字に終わる。
2010年は二軍で3割を打ち、8月に一軍昇格。主にターメル・スレッジの守備固めでセンターに入る形で起用され、9月25日の中日ドラゴンズ戦で2番・センターで初スタメン出場し山本昌からプロ初本塁打。その後閉幕までスタメンで起用された。34試合で打率.295、2本塁打と好成績を残す。
2011年は春先は代打や代走で起用されたが、その後は二軍暮らし。9月に昇格し、シーズン終盤はスタメンで起用された。47試合で打率.212。
2012年、登録名を「啓二朗」に変更。開幕一軍入りするものの、スタメン出場は一度もなく、自己最少の18試合の出場に留まる。9月には左肘を手術。
2013年、登録名を再び本名に戻し、開幕一軍入り。アレックス・ラミレスやナイジャー・モーガンが不振、荒波翔と多村仁志が故障という状況の中、4月中旬から5月上旬までセンターのスタメンで起用され好成績をマークし、井手正太郎とともに外野の穴を埋める活躍を見せた。その後は成績を落として7月に抹消、9月に復帰後も他の外野手の好調でレギュラー確保とはならなかったが、自己最多の72試合に出場、打率.247、4本塁打をマークした。
2014年は34試合に終わり、背番号を61に変更した。
2015年も一軍と二軍を行き来し、51試合に終わった。
2016年は11試合に終わった。
2017年は13試合に終わり、戦力外通告を受けた。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| DeNA | 応援歌のピコカキコ一覧#382 | 9636 |
(2017年終了時点)
| 年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2017年 | 13 | 14 | 12 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | .250 | .357 |
| NPB:9年 | 302 | 564 | 506 | 58 | 119 | 18 | 2 | 7 | 45 | 5 | 24 | 5 | 25 | 4 | 101 | 8 | .235 | .274 |
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最終更新:2025/12/06(土) 22:00
最終更新:2025/12/06(土) 22:00
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