柳瀬明宏(やなせ あきひろ、1983年7月8日-)とは、広島県廿日市市出身のプロ野球選手(投手)である。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
| 福岡ソフトバンクホークス #54 | |
|---|---|
| 柳瀬明宏 | |
| 基本情報 | |
| 出身地 | 広島県廿日市市 |
| 生年月日 | 1983年7月8日 |
| 身長 体重 |
176cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2005年大学生・社会人ドラフト6巡目 |
| 経歴 | |
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| プロ野球選手テンプレート | |
140キロ台後半の直球と落差の大きいフォークが武器。
如水館高校時代は捕手で、龍谷大学に進んでから投手に転向。関西六大学リーグ新記録となる1試合18奪三振をマークするなど活躍した。同学年で同一リーグの京都産業大学の平野佳寿とはライバル関係だった。2005年の大学生・社会人ドラフト6巡目で福岡ソフトバンクホークスに指名され入団。背番号56。
2006年(1年目)はシーズン終盤に一軍昇格すると、10試合で防御率0.68という好成績を残し、プレーオフ第1ステージでは2試合連続で勝利投手になる。プロ未勝利の投手がポストシーズンで勝利を挙げるという史上初の記録をマークし、文字通り彗星のように現れ一気にヒーローとなった。
2007年はセットアッパーとしての働きが期待されたが、いまひとつ不安定な投球が続き、44試合で4勝1敗2セーブ9ホールド、防御率3.33とそこそこ程度の数字に収まった。
2008年は30試合に登板したが炎上が目立ち、防御率5点台に終わる。
2009年は3試合に登板したのみで、右肘を痛め手術。翌年も再び右肘にメスを入れ、一軍登板無しに終わる。オフに戦力外通告を受け、故障から復帰できるまで育成選手として契約することになった。背番号は131に変更。
2011年は育成選手としてリハビリを続け、2012年にようやく実戦復帰。一軍の中継ぎが手薄になったこともあって6月7日に支配下選手として再登録。背番号は以前の56が既に埋まっていたため54になった。翌日には一軍登録されると、13日の中日ドラゴンズ戦で1点リードの7回表ツーアウト2塁といういきなりピンチの場面で3年振りの一軍復帰登板。谷繁元信に四球を出したが続く高橋周平を三振に打ち取り、試合後にお立ち台に上がった。その後は森福允彦・岡島秀樹へ繋ぐセットアッパーとして主に起用され、高い奪三振率をマーク。最終的に35試合で0勝1敗15ホールド2セーブ、防御率1.63。奪三振率は12.09と好成績を挙げ、見事に復活を果たした。
2013年は開幕こそ出遅れたが5月に一軍昇格。5月19日の中日ドラゴンズ戦で5年ぶりの勝利を挙げた。その後も好投を続けて7月以降は主に抑えの五十嵐亮太へ繋ぐセットアッパーとして起用された。最終的に44試合に登板、4勝0敗11ホールド、防御率1.52とおおむね前年を上回る好成績を挙げ、後半戦のリリーフ陣を支えた。
2014年は開幕を一軍で迎えたが、5月に二軍落ち。新垣渚が東京ヤクルトスワローズに移籍したことで、ソフトバンクの古株の生え抜き投手となった。右肘の炎症がありながら40試合に登板し、優勝に貢献した。日本シリーズまで一軍に胎動したが、日本シリーズでの登板はなかった。
元ソフトバンクの新垣渚と顔が似ており、2012年の復帰登板の試合は先発だった新垣と揃ってお立ち台に上がったため「おいおい双子か」と一部で言われていた。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#1112 | 12527 |
(2014年終了時点)
| 通算:7年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 206 | 0 | 0 | 10 | 5 | 8 | 50 | .667 | 201.0 | 77 | 181 | 77 | 67 | 3.00 | 1.24 |
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最終更新:2025/12/07(日) 03:00
最終更新:2025/12/07(日) 03:00
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