檜(松型駆逐艦)とは、大日本帝國海軍が建造・運用した松型駆逐艦16番艦である。艦名の檜(ひのき)はヒノキ科ヒノキ属の針葉樹から取られており、本艦で二代目。1944年9月30日竣工。対潜攻撃で米潜レッドフィッシュを撃破する戦果を挙げた。1945年1月7日、リンガエン湾近海で水上戦闘のすえに撃沈された。
1942年の戦時補充計画(通称マル五)にて、丁型一等駆逐艦第5502号艦の仮称で建造が決定。1944年3月4日、横須賀海軍工廠で起工。6月20日に駆逐艦檜と命名。7月4日に進水し、9月30日に艦長山口浩少佐の指揮下に竣工。横須賀鎮守府に編入された。竣工後は訓練部隊の第11水雷戦隊に編入され、瀬戸内海西部で慣熟訓練に従事。
10月17日、アメリカ軍の大部隊がレイテ湾スルアン島に上陸。これを受けて連合艦隊は翌日に捷一号作戦を発動する。第11水雷戦隊の旗艦を務めていた軽巡洋艦多摩も作戦に参加する事になり、檜が旗艦となった。11月15日、姉妹艦の桑、樫、杉、樅と第52駆逐隊を編制し、第31戦隊の指揮下に入る。11月23日に楓へ旗艦の座を譲渡。
11月25日20時、シンガポールに向かうヒ83船団を護衛して門司を出港。マニラ行きの増援部隊である陸軍第10師団を乗せた輸送船5隻と、シンガポール行きの輸送船3隻からなる船団で、護衛戦力は商船改造空母海鷹、駆逐艦5隻、海防艦数隻であった。レイテ沖海戦の敗北で南シナ海の制海権が危うくなりつつあったが、11月30日午前6時に経由地の高雄へ入港。ここで檜は護衛任務を終了し、ヒ83船団と別れて呉に帰投した。次なる任務は、フィリピンに特攻兵器「桜花」を緊急輸送する空母雲龍の護衛任務であった。
12月17日午前8時30分、雲龍、檜、時雨、樅の4隻は呉を出港。夕方頃に下関海峡の入り口に仮泊して一晩を明かした。翌18日午前7時、関門海峡を通過。海峡を通過する際に門司と下関の人が手を振って見送ってくれた。朝鮮半島南岸に沿って東シナ海を上海方面に向けて航行。大陸沿いの航路は敵潜の出現率が低く、陸からの援護が受けやすい利点があった。しかし夜になって英語の会話らしき通信が傍受され、敵潜が潜んでいる可能性を考慮して予定の航路を変更。12月19日の早朝から見張りを厳重にして警戒する。正午頃、舟山列島東方に到達。16時35分、米潜水艦レッドフィッシュから4本の魚雷が放たれ、うち1本が雲龍の右舷中央部に直撃。16時42分、レッドフィッシュは檜に狙いを定めて魚雷4本を発射して深く潜航。やがて聞こえてくるであろう駆逐艦の破壊音に耳を傾けた。檜は魚雷の回避に成功、全くの無傷で済んだ。だが4本中1本が流れ弾となって雲龍に命中し、桜花の誘爆もあって16時57分に沈没してしまう。檜は潜望鏡を発見し、雲龍の仇を取るべく対潜攻撃を開始。潜航中のレッドフィッシュに12発の爆雷を投下。続いて9発を投下した。的確な爆雷攻撃を受けたレッドフィッシュは油圧系統と電気系統が故障した他、音響装置が破壊され、乗組員1名に耳が千切れる重傷を負わせた。辛くも生き残ったレッドフィッシュだったが、とても哨戒が出来る状態ではなく退却を余儀なくされた。その後、檜と樅は生存者の救助を始めたが、大時化のため救助できたのは146名だけだった。12月20日、機関故障を起こした時雨が護衛より離脱。残った檜と樅は航海を続け、高雄に寄港。
12月22日、高雄を出港。敵の猛攻を受け続けている策源地マニラ基地へと向かい、12月24日に到着した。4日後、戦艦伊勢と日向から燃料補給を受ける。続いて輸送任務のためサンジャックに移動。12月31日、樅とともに特設給糧船生田川丸を護衛してサンジャックを出発。
1945年1月4日夜、無事マニラに到着した。フィリピン方面の戦況は悪化の一途を辿り、ルソン島西部にはリンガエン湾上陸を目指す敵艦隊と輸送船団が北上中であった。1月5日午前11時20分、南西方面艦隊は第52駆逐隊に西方退避を命じ、マニラから脱出する第933海軍航空隊の整備員等を便乗させて出港。樅や生田川丸とカムラン湾まで避難する事になった。ところが16時15分に敵輸送船団の攻撃を命じられ、生田川丸と別れた檜と樅は突撃を開始。掃海を担当する米第77.6部隊の背後を突いて奇襲をかける。敵護衛艦艇と激しく撃ち合うも互いに決定打を与えられず、更に第77任務部隊から出撃した敵艦上機が飛来して一気に不利な状況へと追いやられる。海上と空からの同時攻撃により、檜は1発の直撃弾を受けて航行不能に陥る。すかさず樅が援護に回るが、奮闘むなしく魚雷を受けて撃沈されてしまう。敵中で孤立する羽目になった檜だが、夜間空襲や敵潜からの雷撃を回避しながらの応急修理で何とか航行可能となり、翌朝マニラまで逃げ込んだ。
1945年1月7日午後、サンジャックへの退避を目指して再度マニラを出港。しかしマニラから南西50海里進んだところで運悪く敵の輸送船団と出くわしてしまう。敵駆逐艦チャールズ・オーズバーンはレーダーで檜を探知し、ブレイン、ラッセル、ショウとともに襲い掛かってきた。小型駆逐艦に過ぎない檜に勝ち目はなく、決死の抵抗をしながら東方に逃げようとしたものの集中砲火を浴びて爆沈。生存者はいなかった。アメリカ側の資料によると檜から魚雷発射の閃光が見えたらしく、事実であれば水上艦最後の魚雷発射ではないかとされる。
4月20日、除籍。
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最終更新:2025/12/09(火) 07:00
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