浅倉大介ファミリー 単語


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アサクラダイスケファミリー

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浅倉大介ファミリーとは、

90年代半ばから2000年代初頭までの間に浅倉大介によってプロデュースされたアーティスト達の事である。

1995年

accessが活動を休止し、浅倉はプロデュース活動を始める。

5月に浅倉大介 expd. 西川貴教として「BLACK OR WHITE?」リリース。

その他にも、この年には雛形あきこなどもプロデュ-スを開始する。

1996年

  • 5月 西川がT.M.Revolutionとしてソニーのレーベル・アンティノスレコードからデビュー、西川がデビューしたての頃は、西川が音楽番組などに出演する際は一緒に出演していた。浅倉プロデュースでデビューする歌手は皆アンティンス所属である。
  • 7月 Icemanがデビュー、浅倉自身がメンバーとして参加。
  • 11月 T.M.Revolutionが3枚目のシングル「HEART OF SWORD 〜夜明け前〜」をリリース、るろうに剣心のEDに起用されオリコン初登場16位ながらロングヒットを記録し「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」にも出演し、TMRの存在が広く知られるようになる

1997年

  • 1月 ニッポン放送で「西川貴教のオールナイトニッポン」放送開始。番組内にIcemanのコーナーがあった。
  • 7月 T.M.Revolution「 HIGH PRESSURE」がヒット、初のオリコン10位以内を記録。
  • 10月 「WHITE BREATH」がオリコン一位、ミリオヒットを記録し、一気にTMRはスターに。この年の紅白歌合戦にも出場した。

1998年

  • 1月 T.M.Revolutionのアルバム「triple joker」が200万枚を超える大ヒットに。
  • 当時モー娘。を輩出した人気番組『ASAYAN』から誕生したpool bit boysや木村由姫、Fayrayを相次ぎプロデュ-スする。
  •  6月 T.M.Revolution 「HOTLIMIT」が70万枚を超えるヒット、強烈なインパクトのある衣装が話題に。

1999年

  • 2月 横浜アリーナで「DA’s Special Valentine Party」を開催、TMR・Iceman・Fayray・コタニキンヤが一堂に会しライブを行う。
  • 3月 T.M.Revolutionが東京ドームでライブを行う。その直後にT.M.Revolutionの封印を発表。
  • 6月 T.M.Revolutionを封印し、「the end of genesis T.M.R. evolution turbo type D」となり「陽炎-KAGEROH-」をリリース、西川と浅倉の二人のユニットという形で活動をしていった。その後年内に「月虹-GEKKOH-」、「雪幻-winter dust-」をリリース。
  •  10月 Icemanのギター伊藤賢一 と共にプロデューサーユニット「 Mad Soldiers」を結成し、コタニキンヤがMC-K2名義でデビュー。
  • 12月 代々木第一体育館にてカウントダウンライブを開催。

2000年

  • 1月 コタニキンヤとして「高熱BLOOD」で正式にデビューする。
  • 3月 藤井隆「ナンダカンダ」がヒット、この年の紅白にも出場。

   Icemanが活動停止を発表。

  • 4月 T.M.Rが封印解除し、「BLACK OR WHITE? version 3」をリリース。
  • 7月 木村由姫「LOVE & JOY」をリリース。
  • 10月 テレビアニメ「グラビテーション」放送、サウンドプロデュースを浅倉が担当し、OPED挿入歌にコタニキンヤ・サカノウエヨースケの曲を使用。
  • 11月 サカノウエヨースケが「SUPER DRIVE」でデビュー、浅倉プロデュースではあるが 作詞作曲のほとんどを自身で行い、浅倉は編曲を担当していた

2001年

  • 1月 T.M.Revolution「BOARDING」をリリース。封印解除後TMRのCD売上は人気とは裏腹にあまり良くなく、西川はTMRの存在意義に苦悩し、この年は新曲はこの一枚のみであった。
  • 3月 Icemanから黒田倫弘が脱退し、活動終了する。
  • 6月 木村由姫が最後のシングル曲をリリース、12月で引退。
  • 11月 浅倉がベストアルバムを発売する。
  • 12月 accessの活動再開が発表される。

2002年

  • 2月 T.M.Revolutionが一年ぶりのシングル「Out Of Orbit -Triple ZERO-」をリリース。この曲からTMRは西川のセルフプロデュースとなる。作曲は引き続き浅倉が行った。

 

  以後、浅倉のプロデューサーとしての活動はほぼ終了、accessの活動に本腰を入れ始め、

  浅倉ファミリーのメンバーもそれぞれの道を歩むこととなる・・

総評

  • ビジネス面として見れば、「成功したのはTMRだけ」というのが正直な所ではあるが(シングル曲でオリコン10位以内が複数枚あるのはTMRだけ)、ライブをやれば常に盛況であり、木村由姫「LOVE & JOY」は今でも人気があるなど、今でも浅倉ファミリーの楽曲には一定の人気がある。
  • アンティノスレコードも売上の大半をTMRに頼っていたというのが実情であり、TMRの活動が停滞していた頃には、西川はラジオで「ウチの事務所お金無いの・・」などとネタにしていた。アンティノスグループは2004年3月を持って解散した。
  • 当時「アンティノスてれび」というソニーのサイトで無料で見れる番組があり(今で言うニコ生のような事をしていた)、まだ当時はインターネット黎明期で、現在のようにネットで動画を見れる環境もあまり整っていない時代には珍しい存在であった。西川も新曲発表時などによく出演し、ラジオと変わらないノリであった。
  • the end of genesis T.M.R. evolution turbo type Dが曲を三部作として発表した時は、1994年にaccessが三部作(通称・ガチホモ三部作)を発表した直後に活動休止したため、当時のファンは不安になったという。
  • 2000年以降、西川と浅倉が表舞台で共演する機会は無く、2005年に発売したアルバム「vertical infinity」では作曲こそ浅倉が行うも、西川やabingdon boys schoolのメンバーが編曲に参加するなど、これまでのTMRには無かった動きを見せ、2006年にはabsが正式にデビューし、TMRは活動を休止。ファンは西川と浅倉の不仲説を心配した。しかし、2010年のイナズマロックフェスに浅倉がシークレットゲストとして登場、東京ドームでのライブ以来、約10年ぶりのツーショットにファンは驚き、不仲説を払拭した。
  • 現在でも個人同士での付き合いはあるようで、浅倉とコタニや黒田がお互いのツイッターをフォローしていたり、コタニが浅倉のライブを見に行ったり、コタニのライブ伊藤賢一が出演したりしている。東日本大震災の際に、西川が発起人となって立ち上げた「STANDUP!JAPAN」には黒田やコタニも出演し、久しぶりの共演にファンを沸かせた。

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関連項目

  • 浅倉大介
  • 西川貴教
  • T.M.Revolution
  • access

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