渡辺俊介(わたなべ しゅんすけ)とは、ボストン・レッドソックス傘下のマイナーチームに所属するプロ野球選手(投手)である。
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現在ではほとんどいない、アンダースロー投手として有名。
球速はMAX130キロ前後と遅いが、地上5センチとも10センチとも言われる超低空リリースポイントから放たれるアンダー独特の浮き上がるストレートとストレートとほぼ同じ球速の高速シンカー、スローカーブを用いて打者を翻弄する。
また、その至上最も低い位置と言われるリリースの低さゆえ、調子の悪いときは手をマウンドにダフらせてしまうことがあるらしい。
2000年のドラフト4位で新日鉄君津からロッテに入団。3年目の2003年から先発ローテーションに定着し、2004年には12勝を挙げる。2005年には15勝4敗、防御率2.17という神成績を挙げ、チームの日本一に大きく貢献した。
2006年は2段モーションの撤廃によるフォーム変更やWBCの疲れなどの影響のせいか、5勝10敗と不振に終わる。2007年は2桁勝利は逃すも9勝6敗防御率2.44と復活を果たし、2008年には13勝を挙げた。
2009年は再びWBCに出場。しかしシーズンでは見るも無惨語るも無惨な無援護っぷりを発揮し、3勝13敗と大きく負け越した。援護率2.55は規定投球回数に達した投手の中でぶっちぎりの最下位。クオリティスタート13回で白星がついたのが2回ってどういうことなの…。ちなみに13勝した2008年(4.17)より防御率は良かったりする(4.05)。
2010年、2011年はだいたい8勝9敗ぐらいの先発ローテーションとして回っていたが、2012年から成績が低下。
2013年オフ、メジャーリーグに挑戦するため自身の希望によりチームを退団。その後、ボストン・レッドソックスとマイナー契約を交わした。
こうしてサブマリンは海を渡ったが2014年のスプリングトレーニングで結果を残せず3月にレッドソックスを解雇される。その後はアメリカ、ベネズエラの独立リーグを転々としながら2015年まで海外でプレーした。
2015年12月、古巣である新日鐵住金かずさマジックに選手兼任コーチとして就任。2016年4月には解説者デビュー。以降社会人野球と並行してマリーンズ戦の解説も行っている。
(2013年終了時点)
| 通算:13年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 255 | 42 | 8 | 87 | 82 | 0 | 1 | .515 | 1578.1 | 385 | 846 | 3.65 |
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最終更新:2025/12/07(日) 03:00
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