神風特攻隊 単語


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神風特別攻撃隊(神風特攻隊)とは、大日本帝国海軍(日本海軍)の航空特別攻撃隊である。命名者は猪口力平。ここでは並行して行われた陸軍特攻や、航空機以外の特攻も含め、特別攻撃隊全般について述べる。

 概要

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特別攻撃(特攻)とは、爆弾を搭載した爆薬を積んだ航空機や高速艇等で目標に乗組員ごと体当たりする戦法であり、その戦法を行う部隊を特別攻撃隊(特攻隊)と呼ぶ。大東亜戦争末期の日本で陸海軍あげての大規模な作戦として実施された。

名前の由来は、1274年と1281年に日本へ攻めようとした元軍の大船団を沈没・壊滅させた暴風雨(神風)から。特攻を元の大船団を沈めた神風に見立て、連合国軍に対しかつての奇跡を再び起こそうとした事が窺える。

背景には、大東亜戦争末期における日本軍の航空機の数的不利と航空機燃料の品質悪化や航空機の生産過程での品質の低下、近接信管(VTヒューズ)やグラマンF6F ヘルキャットに代表される米海軍の対空迎撃能力の飛躍的向上により、日本軍の航空戦力が劣勢になって、通常の航空攻撃では充分な戦果を敵艦隊から挙げにくくなったことがある。実際にフィリピン戦前に戦われた、マリアナ沖海戦や台湾沖航空戦といった日本軍航空機の通常攻撃では米艦隊に殆ど損害を与えることができなかった。

一般的に、神風は「かみかぜ」と読まれているが、正しくは「しんぷう」と読む。これは、神風特攻隊初出撃を報じた日本ニュース第232号のナレーションにて「かみかぜ」と読まれた事が定着したためとされる。又、特攻隊の中でも神風特攻隊が特に有名であったため、諸外国では特攻及び特攻隊も含めてカミカゼ(Kamikaze)としている。

 特別攻撃隊の歴史

特別攻撃隊編成まで

航空機による体当たり攻撃は、開戦の真珠湾攻撃における飯田大尉の航空基地格納庫への体当たり以降、個別搭乗員の判断でしばしば行われていたが、戦局の悪化が進むにつれて軍として組織的に検討が始まる事となる。

まず、海軍が航空機による特攻が本格的に検討される前に、人間魚雷(後の回天)を1944年2月に試作決定し、9月に訓練開始と航空機特攻に先んじて準備が進んでいた。

航空機特攻についても、陸海軍それぞれ1944年には本格的な検討に入っていたが、1944年6月のマリアナ沖海戦で、航空機の通常攻撃では米艦隊に効果的な攻撃が困難になった事が判明し、更に検討が加速する事となる。

まずは1944年7月陸軍が先んじて航空機による特別攻撃が内定し、部隊の編制を開始したが、海軍は上記の人間魚雷による特攻が先行し、航空特攻の正式な編制は陸軍より遅れることとなる。但し特攻専用のロケット機桜花の研究は、一足早く1944年6月には正式に決定している。

神風特別攻撃隊出撃

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1944年10月、特攻の産みの親と言われている大西滝治郎中将が、第一航空艦隊司令長官に任命され、ルソン島のクラークフィールド航空基地に着任した。

大西中将は海軍の中で、航空畑を歩んできた海軍航空隊の第一人者であり、現状の日本軍の航空戦力では米艦隊に対抗困難であることを痛感しており、着任前に航空機により特攻を軍令部に進言し、承認を取っていた。

現地に着任すると、当時の第一航空艦隊の戦力は実動機が100機に満たないほど消耗しており、レイテへの日本海軍の総力を挙げた反抗も控えてる中で、大西長官はもはや特攻しか米軍に対抗する手段なしと特攻作戦の開始を決意し、ついに海軍航空隊により特攻攻撃隊、神風特別攻撃隊が編成される事となった。

指揮官は海軍兵学校出身者から選抜され、海兵第70期の関行男大尉が指名されることとなり、他も編成を一任された201空副長玉井中佐が、自分の教え子の中から志願を募り、合計24名が初めての海軍特攻隊として出撃することとなった。

1944年10月21日に、レイテ沖で日米海軍艦艇の死闘が行われている中で、敷島隊以下4隊の神風特別攻撃隊24機が編成され出撃した。

 特別攻撃の効果

特別攻撃の戦果

特別攻撃は、その一号となった敷島隊(正確には悪天候で帰還を繰り返しており4度目の出撃)が1944年10月25日護衛空母セント・ローを撃沈 他2隻大破して以降、終戦直前の1945年7月28日の第三龍虎隊による駆逐艦キャラハン撃沈まで、10ヶ月間に渡って米艦隊に莫大な損害を与え続けた。

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総合戦果

艦   種 正規空母 軽空母 護衛空母 戦 艦 巡洋艦 水上機母艦 駆逐艦 その他 合 計
撃沈・廃棄   0   0   4  0  0   0  38  29   71
損   傷   16  4   13  11  12   5  143  71  275

※撃沈・廃棄には特攻によりその場での沈没は免れたが、その後自沈処分されたり、工廠に回航するも修理断念でそのまま除籍された艦も含む。

※駆逐艦には護衛・敷設・輸送等の各型駆逐艦を含む

主な撃沈・廃棄艦

艦種 艦名 特攻年月日 状況
護衛空母 セント・ロー 19年10月25日 海軍敷島隊の攻撃でレイテ沖で1機命中撃沈   戦死者143名 
護衛空母 オマニー・ベイ 20年1月4日 陸軍特攻旭日隊の特攻でスルー海で1機命中大爆発後自沈 戦死者98名
護衛空母 ビスマルク・シー 20年2月21日 海軍第2御盾隊の特攻で硫黄島沖で1機命中大爆発後転覆して沈没 戦死者218名
護衛空母 サンガモン 20年5月4日 沖縄沖で菊水第五作戦の特攻機1機が命中大破、戦死者46名戦傷116名。修理の為ノーフォークに回航されるも全損判定で除籍。本艦はセント・ローが撃沈された同日に敷島隊の零戦から機銃掃射を受け1名の戦死者と数名の戦傷者を出しており、2回目の特攻損害で廃艦となった。
駆逐艦 アブナ・リード 19年11月1日 海軍天兵隊等の特攻でスリガオ海峡で1機命中撃沈23名戦死
大型給油艦 ミシシネワ 19年11月20日 人間魚雷回天菊水隊の回天1艇命中、満載した大量の燃料ごと(航空機2000機分・駆逐艦約20隻分の燃料に相当)横転して沈没戦死63名、特攻で沈没した最大の艦(排水量25833トン)
駆逐艦 マハン 19年12月7日 海軍千早隊・陸軍勤王隊等の特攻によりオルモック湾で1機命中大破18名戦死、同日自沈処分
輸送駆逐艦 ワード 19年12月7日 マハンと同日・同場所で1機命中大破炎上、同日自沈処分、ちなみに本艦は真珠湾で日本攻撃前に特殊潜航艇を撃沈し太平洋戦争の戦端を開いた艦であった
駆逐艦 レイド 19年12月11日 海軍第一金剛隊の特攻でスリガオ海峡で1機命中爆沈108名戦死
輸送駆逐艦 ブルックス 20年1月6日 海軍金剛隊各隊・陸軍鉄心隊等の大規模特攻でリンガエン湾で1機命中大破3名戦死、カルフォルニアサンペドロに回航後除籍、廃艦
掃海駆逐艦 ロング 20年1月6日 同日同場所2機の命中で横転し沈没戦死者1名、翌日本艦生存者を救助した駆逐艦ボーヴェイが雷撃で撃沈され乗艦が2日連続で撃沈されるといった不幸を味わうこととなった
輸送駆逐艦 ベルナップ 20年1月11日 日本側に出撃記録ないがルソン沖で特攻により大破戦38名戦死フィラデルフィアに回航後除籍、廃艦
高速駆逐艦 ディカーソン 20年4月2日 第二銀河隊等の特攻で1機命中大破炎上艦長以下54名戦死、2日後現地で自沈処分、沖縄戦初の戦果
駆逐艦 ブッシュ 20年4月6日 菊水一号作戦 沖縄沖で1機命中で撃沈94名戦死
掃海駆逐艦 エモンズ 20年4月6日 同日同場所で特攻機5機命中し翌日自沈処分64名戦死
駆逐艦 コルホーン 20年4月6日 同日同場所特攻機3機が命中し翌日自沈処分35名戦死
駆逐艦 ロイツェ 20年4月6日 同日同場所特攻機1機命中して大破7名戦死 サンフランシスコハンターズポイント造船所に回航後除籍、廃艦
駆逐艦 ニューコム 20年4月6日 同日同場所特攻機2機命中大破43名戦死、破壊の度合いが特に酷くサンフランシスコに回航後除籍、廃艦
駆逐艦 モリス 20年4月6日 同日同場所特攻機1機命中大破12名戦死 ロイツェ・ニューコム2艦と同様にサンフランシスコまで回航後除籍、廃艦
駆逐艦 マナートLアベール 20年4月12日 菊水二号作戦 特攻ロケット機桜花が命中し真っ二つとなり3分で轟沈79名戦死
駆逐艦 プリングル 20年4月16日 菊水三号作戦 1機命中撃沈65名戦死
駆逐艦 ハーデング 20年4月16日 同日同場所1機命中大破23名戦死 ノフォークまで回航後除籍、廃艦
駆逐艦 ハッチンス 20年4月27日 陸軍特攻艇マルレの攻撃で艦首部分を大破座礁、後にワシントン.ブレマートンに回航後除籍、廃艦
駆逐艦 ハガード 20年4月29日 海軍第9建武隊 陸軍第18振武隊等により沖縄沖で1機命中大破11名戦死 ノフォークまで回航後除籍、廃艦
敷設駆逐艦 アーロンワード 20年5月3日 海軍振天隊・陸軍特攻誠第35飛行隊等により沖縄沖で5機命中撃沈 戦死45名
駆逐艦 リトル 20年5月3日 同日・同場所 2機命中で撃沈戦死30名
駆逐艦 ルース 20年5月4日 菊水五号作戦 沖縄沖で2機命中大破37名戦死、サンフランシスコに回航後除籍、廃艦
駆逐艦 モリソン 20年5月4日 同日同場所2機命中撃沈150名戦死
護衛駆逐艦 オバーレンダー 20年5月9日 海軍忠誠隊 陸軍特攻誠第33飛行隊等により1機命中大破24名戦死、その後慶良間沖で自沈処分
護衛駆逐艦 イングランド 20年5月9日 同日同場所1機命中大破37名戦死 フィラデルフィアに回航後除籍、廃艦
護衛駆逐艦 ヒューWハドレイ 20年5月11日 菊水六号作戦 桜花により大破30名戦死 ハンターポイントまで回航後除籍、廃艦
駆逐艦 エバンス 20年5月11日 同日同場所 4機命中大破32名戦死 サンフランシスコまで回航後除籍、廃艦
駆逐艦 ザッチャー 20年5月20日 陸軍第五十振武隊 3機命中大破14名戦死 ワシントンブレマートンまで回航後除籍、廃艦
護衛駆逐艦 ベイツ 20年5月25日 菊水第七号作戦 1機命中21名戦死転覆し沈没
輸送駆逐艦 バリー 20年5月25日 同日同場所で1機命中大破 その後沖縄に停泊していたが、6月28日に曳航中練習機白菊の特攻で慶良間沖で沈没
駆逐艦 バトラー 20年5月25日 同日同場所で1機命中大破9名戦死、サンフランシスコに回航後除籍、廃艦
駆逐艦 ドレクスラー 20年5月28日 海軍琴平水心隊・陸軍四十五振武隊等の特攻で2機命中転覆し沈没158名戦死
駆逐艦 シュブリック 20年5月29日 海軍振天隊・陸軍特攻第二十戦隊等の特攻で1機命中大破32名戦死、ピュージェットサウンドに回航後除籍、廃艦
駆逐艦 ウィリアムディツター 20年6月6日 陸軍第百五十九振武隊等の特攻で1機命中大破死傷者多数、サンディエゴに回航除籍、廃艦
駆逐艦 ウィリアムDポーター 20年6月10日 陸軍第百十二振武隊1機至近弾、船体に亀裂が走り後横転沈没
駆逐艦 トゥイッグス 20年6月16日 特攻部隊不明 99艦爆が1機特攻で撃沈艦長以下152名戦死、雷撃機が魚雷投下後そのまま体当たりしたという説もあり
護衛駆逐艦 アンダーヒル 20年7月24日 人間魚雷回天多聞隊の勝山中尉艇がルソン沖で命中、船体が真っ二つになって轟沈、艦長以下122名が戦死
駆逐艦 キャラハン 20年7月28日 海軍第三龍虎隊93式練習機(通称赤とんぼ)の特攻で撃沈47名戦死、米軍の第二次世界大戦最後の喪失艦

主な損傷艦

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艦種 艦名 特攻年月日 状況
正規空母 フランクリン 19年10月30日 海軍葉櫻隊の特攻でミンダナオ島東方で2機命中、大破56名戦死60名戦傷、20年3月15日に合流するまで4か月以上修理の為、戦線離脱
20年3月19日 九州沖防空戦、第五航空艦隊の通常・特攻両用攻撃により室戸岬沖で第406航空隊の銀河の急降下爆撃で大破、724名戦死265名戦傷、復帰後わずか4日での再度の戦線離脱となった。その後も2度の大破による船体の損傷が甚大で1947年2月に予備艦とされ、そのまま1度も使用されることなく1964年にスクラップとして売却
正規空母 エセックス 19年11月25日 海軍吉野隊等の特攻でルソン沖で1機命中、中破15名戦死44名戦傷、ウルシーに後退して修理1ヶ月間戦線離脱
正規空母 イントレピッド 19年10月30日 海軍初櫻隊・陸軍至誠隊等の特攻でサマール島沖で1機命中、小破10名戦死6名負傷、作戦行動に影響なし
19年11月25日 エセックス中破と同日同場所、2機命中、大破炎上63名戦死58名負傷の甚大な損害、修理の為真珠湾に後退
20年3月18日 海軍菊水部隊彗星隊各隊により九州南東海上にて至近弾、軽微な損傷、死傷者なし
20年4月16日 菊水第三号作戦 沖縄沖で爆装零戦1機が命中1機至近弾で中破、飛行甲板とエレベーター破壊で10名戦死87名戦傷、本艦は大戦中4回と最多の特攻被害艦となった。現在は海上宇宙航空博物館となっている
正規空母 タイコンデロガ 20年1月21日 海軍新高隊の特攻で台湾沖で2機命中大破、100名以上の死傷者の甚大な被害を出し、ピュージェットサウンドまで後退し修理、沖縄戦末期まで戦線復帰できず
正規空母 サラトガ 20年2月21日 海軍第二御盾隊の特攻で硫黄島沖で2機命中大破、123名戦死192名戦傷航空機36機炎上の深刻な損害を受けた。ピュージェットサウンドで5月末まで修理、その後は実戦部隊復帰せず練習艦次いで復員艦として使用され、翌21年6月日本軍戦艦長門らと原爆標的艦として使用され除籍
正規空母 ランドルフ 20年3月11日 海軍特攻菊水部隊梓隊銀河13機が米軍基地西カロリン諸島ウルシーを奇襲攻撃船体後部に1機命中、中破大火災で25名戦死106名負傷
正規空母 エンタープライズ 20年5月14日 3月18日と4月11日に特攻で2度に渡り軽微な損害を受け、ウルシーで修理を受けた後に沖縄で第六筑波隊富安中尉の特攻により大破13名戦死68名負傷、人的被害に対し船体の被害は深刻でピュージェットサウンドに修理の為後退、終戦まで復帰できず。その後も復員艦として使用された後、戦後まもなく除籍
正規空母 バンカーヒル 20年5月11日 海軍特攻第七昭和隊の安則中尉と小川少尉の2機がいずれも、搭載していた爆弾を投弾後体当たり、搭載していた艦載機の燃料に引火し大破炎上、一時は総員退艦も危ぶまれたが、米軍の卓越したダメージコントロールで沈没は免れた。但し戦死者396名負傷者264名は特攻単独での最大の損害であり、終戦まで復帰することはできなかった。その後も船体への甚大な被害を考慮しフランクリンと同様に早々に予備艦に回されている
軽空母 ベローウッド 19年10月30日 海軍葉櫻隊の特攻により1機命中、出撃準備していた艦載機に引火し大破大火災、92名戦死と艦載機30機全てを喪失し、修理の為ハンターズポイントまで後退
護衛空母 スワニー 19年10月25日 特攻機初の戦果となったセントローと同日に敷島隊1機が突入、翌26日には海軍大和隊2機が命中し、2日間で合計3機命中で大破し2日間で107名の戦死者と160名戦傷の膨大な損害を出したが沈没は免れた。修理の為ハンターズポイントまで後退
護衛空母 マニラ・ベイ 20年1月5日 海軍特攻第十八金剛隊の2機が命中し中破、14名戦死56名戦傷。突入箇所で命中機2機の内1機の搭乗員の遺品の財布と日章旗が発見され、その遺品を持ち帰った乗組員の子孫の尽力で1995年に命中機は丸山隆中尉機と判明し、遺品は50年ぶりに遺族に返還された。
戦艦 ニューメキシコ 20年1月6日 海軍金剛隊各隊・陸軍鉄心隊等の特攻機1機がリンガエン湾で艦橋に命中中破、英国首相チャーチルの指示でフィリピン戦の観戦に来ていた英陸軍ラムズデン中将と本艦艦長以下の艦首脳陣30名戦死87名戦傷、真珠湾に修理の為に後退。ちなみにラムズデン中将は第二次世界大戦中英国陸軍且つ特攻による最高位の戦死者となった
20年5月12日 第五艦隊旗艦インディアナポリスが特攻により損傷した為、臨時旗艦としてスプルアンス司令が搭乗していたが、海軍特攻生気隊・陸軍特攻誠第百二十戦隊による特攻1機命中1機至近弾で中破、戦死者54名119名戦傷、スプルアンス司令もあやうく戦死するとこであり、本艦で特攻により中将に次いで大将の戦死者を出すところであった
戦艦 カルフォルニア 20年1月6日 ニューメキシコと同日同場所、艦砲射撃中に特攻機1機が命中、中破し45名戦死155名負傷、修理の為ピュージェットサウンドに後退した。この日は戦艦2隻の他巡洋艦4隻も損傷しており、大型艦艇の損害が多い日となった
重巡洋艦 オーストラリア 19年10月21日 特攻1号とされる敷島隊の突入以前に、レイテ湾で日本軍機の特攻攻撃を受けて艦長以下30名の戦死者を出している。同日出撃したのは久納中尉以下3機の大和隊(零戦)で、未帰還は久納中尉のみだが、本艦に特攻したのは一式陸攻との戦闘記録である上に出撃時間もずれており、久納機であるかは不明。その為久納中尉も特攻1号とは認定されてない(特攻による戦死とは後日認定された。)その後も本艦は特攻攻撃を受け続け合計4回(6回とする説もあり)最終的に1月6日に2機の命中で大破、合計86名の戦死者を出して修理の為にイギリスに後退し、終戦まで復帰できず
重巡洋艦 インディアナポリス 20年3月31日 第五艦隊旗艦としてスプルアンス司令の乗艦であったが、陸軍特攻誠第三九飛行隊の1機が艦尾に命中し小破し、旗艦から外された。後に本艦は旗艦には復帰せず、原爆輸送の極秘任務に従事して、任務後に回天特攻母艦のイ58号の通常魚雷攻撃で撃沈され883名の戦死者を出している
軽巡洋艦 ナッシュビル 20年12月13日 マッカーサーの旗艦としてニューギニアからレイテに上陸するまで、マッカーサーが乗艦していた。その後第78任務部隊の旗艦となり、ミンダナオ島に進行中に海軍第二金剛隊の5機の零戦の内1機が命中し大破、第78任務部隊の幕僚多数を含む133名の戦死と190名の戦傷を出し修理の為ピュージェットサウンドに後退

特別攻撃の戦果についての評価

上記の通り、米海軍の損害は莫大な数に上るが、巡洋艦以上の撃沈艦、特に特攻が主目標にした正規空母の1隻の撃沈も無かったのが、しばしば特攻攻撃に効果が薄かったとする評価に繋がっている。

しかし特攻により撃沈された3隻の護衛空母が、商船を改造した軽量臨時の補助艦船という誤解を受けてる場合が多いが、特攻で撃沈されたカサブランカ級は当初より空母として設計・建造された艦船であり、排水量も基準7800トン 満載時10800トンと重巡洋艦並みの排水量を誇る大型軍艦である。

搭載機も30機と他国の軽空母並みの戦闘力で、大西洋ではその戦闘力でドイツ軍のUボート相手に猛威を振るっており、撃沈は非常に困難な艦船であった(大西洋での米護衛空母の損失はロングアイランド1隻のみ)

特攻に限らず、大戦後半は日本を含む枢軸軍が米軍大型軍艦を沈めるのは非常に困難となっており、1944年以降で枢軸軍が沈めた巡洋艦以上の米軍大型軍艦は以下の2隻のみである。(独伊は大戦全期間に渡って、米軍の巡洋艦以上の撃沈艦なし)

艦種 艦名 喪失年月日 状況
軽空母 プリンストン 19年10月20日 第二航空艦隊の彗星の急降下爆撃で500キロ爆弾命中。一旦は火災が鎮火に向かったが、爆撃から5時間後に弾薬庫び引火し大爆発。本艦で108名戦死、艦を横付けして消火支援してた軽巡バーミンガムも爆発に巻き込まれて233名戦死、426名戦傷の大損害を被った。その2時間後、本艦火災が日本軍の夜間攻撃の目標になるのを懸念したミッチャー司令の判断により、味方駆逐艦の雷撃で自沈処分。
重巡洋艦 インディアナポリス 20年7月30日 原爆輸送の極秘任務の復路、イ58号の魚雷3発が命中。内1発が主砲弾薬庫誘爆を誘発して横転、沈没。チャールズ・B・マクベイ3世艦長は戦後に本艦沈没の責任を取らされて、軍法会議で有罪となり不名誉除隊させられている。

大戦後半に米軍艦の沈没が激減した理由は以下が考えれれる。

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  • 米軍の大戦中に就役した新鋭艦の防御力が、他国艦船と比較して著しく高かった。
  • 米軍の対空・対潜水艦能力が大戦中盤以降、他国と比較してずば抜けて高いレベルに向上しており、枢軸軍の航空機や潜水艦が容易に攻撃位置まで達することができなかった。特に水上艦に大打撃を与える魚雷を米軍艦に命中させる事が、航空機・潜水艦ともに非常に困難となっていた。(爆弾は特攻機も含め相当数命中しているが、上部構造物を破壊しても沈没まで至らせるのは困難だった)
  • 米軍のダメージコントロールが、日本軍との戦いの中で改良・熟練されており、応急処置により致命的ダメージに至ることを抑止できた。(沈没した2艦は弾薬庫が誘爆するという不運に見舞われ致命的ダメージとなった)
  • 大戦後半は米軍が圧倒的に制空・制海権を確保している上に、多数の艦船で大艦隊を編成しており、大ダメージを受けた艦艇を他艦船が救援し、最終的には曳航して安全地域まで後退させることが可能であった。特攻による大破艦の中でも、大戦前中盤の様に米軍が制空・制海権を完全に確保できていない状況であれば、自沈処分まで至る様なダメージを受けた艦も多かった。

以上の通り特攻においてでも、米軍大型艦の撃沈は困難となってはいたが、大破した正規空母バンカーヒル・エンタープライズ・タイコンデロガ・サラトガ・護衛空母サンガモン・英空母フォーミダブルは終戦まで戦線復帰できなかった様に、特攻により常に4~5隻程度の空母を戦線離脱させ、米空母部隊の戦力の減殺に成功している。また沖縄戦で米海軍が主に特攻によって被った、36隻沈没368隻損傷(損傷艦の内には多数の廃艦が含まれる)は現在に至るまで米海軍史上最大の損害であり、特攻は表面上の撃沈数だけでは測れない打撃を米軍に与えている。

但し直接廃艦まで至らなかった損傷艦の中でも、正規空母バンカーヒルは修理はされたが、戦後同じエセックス級空母の多くは近代化改装を施されて後年まで活躍してるのに対し、本艦は米軍損傷艦の中で最悪の損傷レベルであった為、九州沖防空戦で大破したフランクリンと共に改装の必要がないと判断され、1947年1月予備艦に移されて以後1966年11月に除籍されるまで使用されずスクラップ売却された。

他にも、太平洋戦争中の米軍の最高殊勲艦であった空母エンタープライズとサラトガ・英空母フォーミダブルは、特攻で大破後は戦闘艦として復帰できず、復員船としての使用を経て、戦後まもなく除籍され、標的艦やスクラップ売却により艦歴を終えている。また護衛空母サンガモンは修理を断念しそのまま廃艦となった。

また直接的な損害の他にも、米空母艦隊は沖縄戦の日本軍の組織的抵抗が終わる1945年7月までは特攻攻撃に曝され続け、沖縄近海での足止めを余儀なくされた為、沖縄戦以降の日本本土への艦載機による本格的な攻撃を1945年7月にずれ込ませるなど、米軍空母艦隊の作戦行動の自由を奪う成果となった。これを特攻による多大な成果とする米軍側による評価もある。

このような特攻の有効性は、戦後に敵であった米軍の評価やニミッツ元帥ら米軍高官の回想によっても明らかになっており、大戦末期に米艦隊に殆ど対抗する術を持たなかった日本軍にとって、米艦隊に効果的な打撃を与える限られた戦術の一つとなっていた。

特別攻撃による人的損失

航空特攻

  • 戦死者 陸軍 1844名 海軍 2535名
  • 航空機損失 陸軍:1185機 ・ 海軍:1298機(直援機は含まず)

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回天特攻

  • 回天搭乗員 戦死 107名
  • 回天母艦 潜水艦8隻喪失 乗組員812名戦死

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連合軍

  • フィリピン戦では、戦死行方不明1500名、 戦傷者1200名以上との推定。
  • 硫黄島戦では、大破したサラトガで戦死23名、負傷者192名 撃沈されたビスマルクシーで戦死218名。
  • 沖縄戦 米海軍戦死者 4907名 負傷者4824名(この内80%以上が特攻による犠牲)
  • 回天は3隻の撃沈で米軍戦死200名以上、また回天の母艦のイ58号が作戦中に通常魚雷で重巡インディアナポリスを撃沈して同艦で883名の戦死者、他にもイ36号が通常魚雷で輸送3隻を撃沈している(死傷者不明)
  • 米軍以外でも英・豪軍で、英軍の第二次世界大戦での最高位の戦死者となるハーバード・ラムズデン中将以下数百名の死傷者あり。
  • 以上により連合軍の死傷者数は10000名を超えるものと推定され、航空特攻と回天及び回天母艦の戦死者以上の損害を米軍に与えている。また戦傷者以外でも、特攻による心理的ショックにより、多くの戦闘神経症の患者を出し第一線から離脱させなければいけなくなった(詳細次項)

特別攻撃の心理的効果

また特攻は米兵にとって非常に恐ろしいものだった。特攻を受けた艦の多くの乗組員が戦意喪失したりノイローゼを起こした。特攻攻撃が開始された1944年10月末に空母ワスプで、乗組員の内100人余りを抽出して健康診断した結果、戦闘行動に耐えられる乗組員はわずか30人足らずだったという調査結果もある。

これは将官についても同様で、ミッドウエーで日本海軍を打ち破った立役者スプルアンス提督は、沖縄でのあまりの特攻の被害に精神的に追い詰められ、艦隊司令をハルゼー提督と交代させられている。また米空母艦隊司令ミッチャー大将も、旗艦が二度に渡り特攻で大破した為、幕僚多数を失うと共に自らも体調を崩し、戦後まもなく若くして亡くなっている。

これらのようにそのあまりの恐ろしさに兵員やその家族に不安を与えると判断した報道機関は特攻の存在を伏せ、後に存在を明らかにした。こうした背景もあり戦後、アメリカなどで身を省みない攻撃や命を捨てた体当たり攻撃の事をカミカゼと呼ぶようになったという。

 米軍の対策

特攻で指揮下の艦隊が大損害を受け、その対策に頭を悩ましていた第3艦隊司令ハルゼー大将と第38任務部隊司令ミッチャー中将が、ワシントンの海軍首脳部と協議した結果、サンフランシスコで19年11月24日から26日まで3日間に渡って最初の特攻に対する集中対策会議が開かれる事となり、その会議で様々な特攻対策が定められた。またこの会議以降も継続的に特攻への対策が講じられることとなる

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  • 特攻隊の基地とおぼしき航空基地への爆撃を徹底強化(沖縄戦ではB29まで投入)また戦闘機を常時警戒飛行させ、特攻攻撃出撃を阻止。
  • 第38任務部隊(後に第5艦隊の指揮下に入って第58任務部隊に改称)の空母群を従来の4任務群から3任務群に集約し、各任務群の哨戒能力や対空能力の強化を図る。
  • 正規空母の標準搭載機を艦上戦闘機36機艦上爆撃機36機艦上攻撃機18機から艦上戦闘機72機艦上爆撃機15機艦上攻撃機15機に変更。艦爆・艦攻減による攻撃力低下は、艦戦を戦闘爆撃機として運用することによって対応し、戦闘機増により不足した戦闘機は海兵隊戦闘機を空母搭載し補充。
  • レーダー装備の駆逐艦を特攻機の来襲方向の前方に配置、早期警戒を徹底強化。またこの駆逐艦には直援の戦闘機を配置し、駆逐艦への特攻攻撃の防止を図る。
  • 対空火器の増強、特に特攻機に有効だったボフォース40ミリ機関砲装備数を強化。米主力空母エセックス級は4連装8基32門から18基72門に大幅強化(5インチ対空砲のⅤT信管は高価で装備数も少なかった為、特攻機にはあまり効果がなかったwikipedia参照)また艦対空ミサイルも特攻機対策で英米で開発され、実際に試射されている。
  • 学者を動員し、効率的な艦の回避運動や対空火器の集中方法について研究、これは後に大々的に官民に導入されたオペレーションリサーチのさきがけとなった。

これらの対策もあって、特攻攻撃の成功率をフィリピン戦での26%から、沖縄戦15%と大幅に低下させて、かなりの効果を上げることができたが、結局米軍は終戦まで特攻を完全に防ぐまでの有効な対策は持ちえなかった。

 航空機以外の特別攻撃

  • 回天  航空特攻より早い1944年2月に最初の特攻兵器として、人間が操縦する魚雷の開発が決定された。これは後に回天と名付けられた。酸素魚雷2発分の炸薬量で戦艦も一撃で撃沈可能との期待も大きく、早速1944年11月に実戦投入され、初陣のウルシー環礁への攻撃で米軍の大型給油艦ミシシネワを撃沈している。しかし米軍の対潜水艦能力の高さもあり、回天母艦の潜水艦が撃沈されることも多く、戦果は撃沈3隻損傷5隻とその期待と犠牲に見合う戦果を挙げることができなかった。余談であるが、原爆をマリアナに運搬した重巡インディアナポリスを撃沈したイ58号潜水艦は回天を搭載していたが、インディアナポリスを撃沈したのは通常の魚雷攻撃であった
  • 桜花  特攻専用の有人ロケット機、母機である爆撃機から発射され火薬ロケットにより最高1000キロ以桜花(スミソニアン航空宇宙博物館蔵)上の高速で敵艦に体当たり攻撃を行う、航空特攻が開始される前の1944年6月から研究が開始され、1945年3月に初めて実戦投入されたが、戦闘機の迎撃で母機の一式陸攻が全機撃墜され、桜花を発射することすらできなかった。その後も母機が撃墜されることが多く、挙げた戦果は駆逐艦マナートLアベール撃沈と数隻の損傷に終わった。但し命中した際の破壊力はすさまじくマナートLアベールは、1200キロの爆薬で船体が真っ二つに折れ、3分で轟沈した。また本土決戦用に地上発射型の桜花も計画され、実際に発射台も作られたが、実戦には投入されなかった。 
  • 震洋(海軍)マルレ(陸軍)  特攻用の小型艇 いずれも艇首に爆薬を搭載し、敵艦に水上で体当たり攻撃を行う。航空特攻より早く1944年中ごろには開発完了し、フィリピン戦・沖縄戦に投入されたが砲爆撃や地上戦に巻き込まれて全滅した部隊も多く、詳細な戦果は不明。また本土決戦用に多数製造され、隊員の訓練も行われたが、事故により多数の犠牲者を出している。
  • 伏龍  簡易潜水具を着用した隊員が海底に潜み、敵艦や上陸用舟艇を爆雷で攻撃する、とても兵器とは呼べない代物。幸いにも実戦には投入されなかったが、訓練により犠牲者を出している。

 特別攻撃への評価

米軍側の評価

大戦後半は質量ともに日本海軍を圧倒し、海戦や通常の航空攻撃での損害は減少していた一方、特攻からの損害は激増しており、特攻は相応の効果を挙げていたとする評価が多い。

以下はごく一部であるが、米軍の公式文書から軍の上層部から末端に至るまで、特攻に苦戦したとういう評価は枚挙に暇がないほど多く存在する。

日本人によって開発された、最も有効的な航空兵器は特攻機(自殺航空機)であり、戦争末期数か月に日本全軍航空隊によって、連合軍艦船に対し広範囲に渡って使用された。

44ヵ月続いた戦争のわずか10ヵ月の間に、米軍全損傷艦船の48.1% 全沈没艦船の21.3%が特攻機(自殺航空機)による成果であった。

ただし特攻は日本にも高い代償で、特攻を実施した10ヵ月間に日本軍は2550機を犠牲にして、連合軍の各種艦船に474機命中させた。成功率は18.6%であった。

(日本本土上陸作戦が実施された場合)特攻により、上陸作戦の連合軍艦船が、連合国空軍が計画した多様な対策にも関わらず、大きな損害を受けたことに疑問の余地はない

(米軍戦略爆撃調査団報告書Japanese.air.powerより抜粋)

4ヵ月に渡った沖縄戦で、日本海軍と強力な米第5艦隊が直接戦闘したことは一度もなかった。

だが我が海軍が被った損害は、戦争中のどの海戦より遥かに大きかった。沈没30隻以上、損傷300隻以上、9000人以上が死傷もしくは行方不明になった。

この損害は主として日本軍の航空攻撃、主に特攻によってなされた。

(太平洋艦隊司令チェスター・ウィリアム・ニミッツ海軍元帥)

特攻は非常に有効な兵器で、我々は軽視することはできない、私はこの作戦地域内にいた者でなければ、特攻が艦隊に対しどのような力を持っているか理解することはできないと信じている。それは安全な高高度から効果ない爆撃を繰り返している、我が陸軍航空隊の重爆撃機隊とは全く対照的である。

特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20航空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する

(米第五艦隊司令レイモンド・エイムズ・スプールアンス海軍大将)

特攻機は通常攻撃の4倍から5倍の命中率を挙げている。

通常攻撃機からの爆撃を回避するように操舵するのは難しくないが、舵を取りながら接近してくる特攻機から回避するように操舵するのは不可能である。

(空母タイコンデロガ艦長ディクシー・キーファー海軍大佐)

日本での評価

日本では、太平洋戦争の悲惨な敗戦により、旧軍に対する批判が強く、特攻は旧軍首脳部の戦争指導の稚拙の象徴として否定的に捉えられることも多い状況である。また、戦後の人権意識の向上等の価値観の大きな変化により人命・人権軽視の頂点として批判されることも多い。

特に前途有望な若者を、戦争指導の拙さから必死の死地に追いやった、旧軍上層部への批判が強く、特攻隊員は上層部に特攻を強制されたり騙されたりして死んでいった被害者という見方も根強い。

それがよりヒートアップして、特攻は拒否すると本人や家族が処罰されるとか(実際には特攻の拒否者は相当数おり、実質的な強制も含めて志願者数は充足していたため、拒否者への正式な罰則はない)

特攻隊員は覚せい剤を強制的に注射させられて、人事不省のまま出撃させられた(覚せい剤メタンフェタミンは疲労回復の薬として、特攻隊員以外の兵士にも配布されていた。また日本以外の各国も錠剤を兵士に配布していた。メタンフェタミンは日本で合成された薬であったが、毒性が広く伝わったのは戦後しばらくしてからで、それまでは日本を含む各国で普通に市販されていた。)とかのデマまじりの批判にも繋がっている。

また一方で、昨今の保守的思想の広がりにより、従来から特攻批判の思想と対立してきた特攻への感謝の思想、それが進んで特攻賛美の考え方も広がり、実世界でもネットでも両者の論戦が激しくなっており、いわゆる大東亜戦争史観と同様に簡単には結論が出ない状況にある。

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関連項目

  • 大東亜戦争
  • 第二次世界大戦
  • 大日本帝国海軍(日本海軍)
  • 航空隊
  • 特別攻撃(特攻) - 特別攻撃隊(特攻隊)
  • 桜花特殊攻撃機
  • 零式艦上戦闘機
  • 人間魚雷 / 回天
  • 軍事 / 軍事関連項目一覧

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