「えっと、あの、九九艦爆がはみ出ちゃうから」
蒼龍(そうりゅう)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、日本海軍の空母「蒼龍」をモチーフとした艦娘である。
CV:上坂すみれ。絵師:しばふ。図鑑番号:No.008。
「蒼龍」の名は中国神話の霊獣・青龍の別名から採られている。青龍は名前に青とついているが、四季では春、五行では木行を司る霊獣であり、象徴色は緑である。蒼龍の衣装が青緑なのも、青龍からの連想があるのかもしれない。一方髪色は青みを帯びた黒髪で、茶色みの髪で暖色系の飛龍との対比になっている。
「蒼龍」の甲板の着艦識別文字は「サ」と言われているが、実際にはこの文字が甲板上に書かれたという資料がないためか、デザイン上書かれていない(相方の「飛龍」には、書かれていた写真が残っているため、ちゃんと艦これでも再現されている)。念のため説明するが、当時は「蒼龍」は旧仮名遣いで「サウリウ」とされていたので「サ」である。
レアリティは金レア。加賀・翔鶴と同じだが、2013年8月末のメンテナンス以後「3-2-1」でのドロップ報告が相次いでおり、正規空母の中では最も手に入りやすくなっている……かもしれない。ところが2014年春イベント辺りから3-2-1でのドロップが確認されなくなったという報告が相次いでいる。真偽は不明だが「入手できなくなった」という声は多い。
入手の容易さから、任務達成の報酬で手に入る赤城に次いで2番目に手に入る正規空母であろう。先に加賀や翔鶴を手に入れちゃう提督もいるが。
モデルとなった正規空母「蒼龍」が、一航戦や五航戦の空母に比べて小型であるため、搭載機数こそ少なめだが妖怪食っちゃ寝「赤城」などよりコストパフォーマンスが良く、日ごろ鎮守府の資源管理に苦しむ提督たちの間で重宝されている。史実通りに「飛龍」とコンビを組ませたり、一航戦・五航戦の2隻を両方運用するのが資源的に苦しい時にサブ的な位置で編入したり、軽空母では物足りない場合に投入するなど、運用法にいろいろ都合がつきやすいようだ。
正規空母の中では最も資材の消費が軽いので早期に手に入っても提督の懐に優しい仕様となっている。性能的に千歳型最終形態や飛鷹型に迫られてはいるが、空母にとって重要な要素である耐久と搭載量は蒼龍の方が上。耐久の低さが泣き所な軽空母と比べて頑丈なので大破する可能性も少なく扱いやすい。燃料は節約したいけど耐久と搭載量も欲しい……こんな時は蒼龍を起用すると良いだろう。
一方で残念ながらと言うべきか、話題に登ることが少ない艦娘でもある。
華やかな話題はどうしても一航戦や五航戦に偏りがちだし、史実ネタとしても、同じ二航戦の「飛龍」が山口多聞やミッドウェー海戦の件で話の中心になってしまうので、いまひとつ印象に残りにくい面がある(真珠湾攻撃のときの二航戦で山口多聞が乗艦していたのは、「飛龍」ではなく「蒼龍」なのだが、やはりミッドウェーの印象が強すぎるために、山口は戦争中ずっと「飛龍」に乗っていたと勘違いされていることが多い)。しいて言うなら、そのスタイルや「九九艦爆がはみ出ちゃう」という台詞から「九九式艦爆乳」なる言葉が生まれてる事だろうか。( ゚∀゚)o彡°おっぱい!おっぱい!
あと、図鑑では角度的に少々判りにくいが、静画や公式四コマの16話を見て貰うと判る通り、髪型はツインテールである(編集者は四コマを見て一瞬利根か川内だと思ったのは秘密だ)。
「蒼龍」は、戦艦からの転用である「赤城」「加賀」を除けば、この規模のものとしては日本初建造の本格的空母である。「飛龍」も、「翔鶴」型も「雲龍」型も起点は「蒼龍」であり、「鳳翔」とはまた違った意味で日本空母の祖と言える存在なのだから、もっと注目度が上がってもらいたいところである。
なお、「蒼龍」の艦名は、現在の海上自衛隊主力潜水艦である「そうりゅう」型潜水艦(16SS)に引き継がれている。
2014年7月18日のアップデートにおいて、「飛龍」改二の実装時に示唆されていたとおり「蒼龍」も改二が実装された。改装レベルは「飛龍」よりひとつだけ高く78。
(※改二の立ち絵がやや不自然だという声があるが、「飛龍」改二の立ち絵と並べてみると、違和感が解消されるのではないか・・・?)
「飛龍」改二でオリジナル装備として九七式艦攻(友永隊)がついてきたのと同様、「蒼龍」改二でも艦に縁のあるパイロット名のついた艦載機として九九式艦爆(江草隊)が初期装備として用意されている。「江草」とは史実において真珠湾攻撃以来「蒼龍」の艦爆隊長を努め、支那事変の時期から部隊を育成して80%以上の命中率を叩き出す鬼の急降下爆撃隊を育て上げた、「艦上爆撃機の神様」こと江草隆繁のことである(「江草隊」イラストの妖精さんハチマキと機体尾翼の塗装は江草大佐のパーソナルカラーになっている)。
この「九九式艦爆(江草隊)」(爆装10/対潜5/命中4/索敵3)は「彗星一二型甲」(爆装10/対潜3/索敵1)の上位ステータスとなっているが、ある任務を達成することにより「彗星(江草隊)」に装備進化。爆装値が13にアップする。砲撃戦時の火力は「流星改」や「飛龍」改二オリジナル装備の「天山一二型(友永隊)」すら上回るものであり、艦これの仕様では長らく ”いらない子” 扱いだった艦爆の面目一新となった。
「彗星(江草隊)」は装備変更任務が一度しか出ないためひとつしか入手できないが、「九九式艦爆(江草隊)」は蒼龍を改二にすれば入手できるため、これを利用して一応量産も可能。しかし改装必要レベルは実装時点で一番高く、あまり現実的ではないといえる。
このほかの「蒼龍」改二の初期装備は、飛龍改二にも搭載されていた零式艦戦21型(熟練)と今回初登場の九七式艦攻(熟練)。更に索敵機として「二式艦上偵察機」もついてくる(「龍驤」改二にも付随)。
二式艦偵は「彗星」の試作機を偵察機へ転用したもので、史実ミッドウェー海戦において「蒼龍」へ試験的に2機を搭載(名称は「十三試艦爆」)。「赤城」以下三空母の被弾と索敵混乱で敵情不明のなか、よく任務を果たしてアメリカ艦隊の空母が三隻いることを掴み、単独反撃中の「飛龍」へ情報をもたらした。無線機の故障で、索敵報告が「飛龍」への帰還後になってしまった点が悔やまれるものの、南雲機動部隊の戦闘詳報では同機の功績を「抜群ナリ」としている。
建造は呉海軍工廠。昭和9年(1934年)11月起工、昭和12年(1937年)12月竣工。
「蒼龍」の建造計画時は、列強各国間で戦艦・空母の保有総排水量を定めたワシントン海軍軍縮条約およびロンドン海軍軍縮条約が有効であった。当時の日本の空母保有残枠は約13000トンだったため、大正11年(1922年)竣工の「鳳翔」(約8000トン)を昭和11年(1936年)に退役させ、これによって保有残枠を約21000トンとして10000トン級空母2隻を建造する計画を立てた。これが「蒼龍」の計画第一段階である。
計画当初は10000トンの大きさに対して20.3cm連装砲の搭載や艦上機を100機とすることなどが盛り込まれており、「龍驤」と「最上」を足して2で割ったようなオーバースペックが要求されていたが、昭和9年(1934年)3月に発生した友鶴事件によって小艦体に重武装を詰め込むとトップヘビーで艦がたやすく横転・沈没することが判明したこともあり、砲の搭載をとりやめ、搭載機数も70機程度に抑えた計画に変更された。
一方、建造開始直後の昭和9年(1934年)12月に日本がワシントン海軍軍縮条約からの脱退を表明。保有排水量を抑える必要がなくなったため、「蒼龍」は16000トン級空母として完成することとなった(なおこれによって前述の「鳳翔」も退役を免れている)。また、相方の「飛龍」は本来空母保有残枠を利用した蒼龍型2番艦として計画されていたが、条約脱退により急遽拡大再設計されて17000トンとなった。このため、「蒼龍」「飛龍」を同型艦として扱わない文献も多い(艦これではこちらの説に倣い「飛龍」は飛龍型1番艦とされている)。
余談であるが、日本は列強各国には「蒼龍」建造の際「10000トン級空母」として通告しており、米軍は開戦後も「蒼龍」を10000トン級の小型空母として認識していた。のちにミッドウェー海戦で「蒼龍」を攻撃した爆撃機の隊員はより大きい「加賀」を沈めたものと思い込んでおり、戦後のインタビュー時にあれは「蒼龍」だったと言われて「そんな小さな空母を爆撃した覚えはない」と怒ったという話がある。
昭和13年(1938年)12月、「蒼龍」は第二航空戦隊(第二艦隊所属)に配属。翌年の「飛龍」就役までは「龍驤」と戦隊を組み、「飛龍」の就役後は「蒼龍」「飛龍」の2艦編成となった。この編成はミッドウェー海戦まで変わることはなかった。
昭和16年(1941年)4月、新設の「第一航空艦隊」(南雲機動部隊)へ配属。真珠湾攻撃では、航続距離への懸念から不参加を検討されたが、山口多聞司令官が強く推薦し、所構わず重油のドラム缶を詰め込んで燃料を確保することで参加が決定されたという。
11月、二航戦旗艦として、第一航空艦隊でハワイ真珠湾へ出撃。真珠湾攻撃では第一次攻撃で九七艦攻18・零戦8、第二次攻撃で九九艦爆19・零戦9を放った。この時「蒼龍」では新たな攻撃隊を準備し、山口司令官が南雲忠一長官へ第二次攻撃を要請する信号を送ったが、艦隊司令部は反転・帰投を選んだ。日本への帰投途中、南雲機動部隊は一度攻略に失敗したウェーク島の攻略支援を命じられ、二航戦が艦隊から離れてウェーク島へ向かい、12月20日に航空攻撃を行っている。二度目の攻略作戦となった本作戦では見事成功を収め、ウェーク島を占領した。
昭和17年(1942年)になると、南雲機動部隊は南方攻略作戦へ転戦。1月はインドネシア東部、2月~3月はオーストラリア本土を攻撃。4月はインド洋へ進出し、セイロン沖海戦でイギリス東洋艦隊に壊滅的打撃を与える。帰国後、二航戦の旗艦は「蒼龍」から「飛龍」へ変更となったが、この時航空隊員の人事異動が行われて新人隊員が多く乗艦し、航空隊のレベルが落ちてしまったという。
6月、連合艦隊はミッドウェー島攻略作戦を発動。「蒼龍」も引き続き南雲機動部隊の一艦として出撃する。
6月5日、空母部隊はミッドウェー島への空爆を開始するが、その途中、重巡「利根」の索敵機が米機動部隊発見を通報。南雲長官は、「蒼龍」に試験搭載していた十三試艦爆(のちの艦上爆撃機・彗星)を索敵に向かわせた。
ミッドウェー島の米航空隊や米空母艦攻の雷撃を回避し、島の空爆から帰ってきた航空機を収容して一息ついていた10時30分ごろ、米空母「ヨークタウン」の放ったドーントレス艦爆が奇襲。爆弾は三基のエレベーターに命中し、格納庫で炸裂。当時格納庫内は出撃準備中の九九艦爆や爆弾、艦攻用の魚雷でごった返しており、炸裂した爆弾がこれらを次々に誘爆。被弾から10分で機関が停止し、消火作業もできなくなって「蒼龍」は大火災となった。
それでも18時30分ごろには火勢が弱まり、艦から脱出していた一部人員が帰艦しての復旧を試みたが、19時ごろに再び大爆発を起こす。このとき既に救助は不可能となり、19時13分に「蒼龍」は沈没していった。柳本柳作艦長以下、700名余りが艦と運命を共にした。一方で、江草隆繁大佐など航空隊員のほとんどは救助されており、「ミッドウェー海戦でベテランパイロットが多く戦死した」という通説が、必ずしもそうではなかったということが近年明らかになっている。
やはりというか、九九艦爆乳ネタが多かったりする。
二航戦コンビ(龍姉妹とも)
二航戦のヤバい方
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/07(日) 03:00
最終更新:2025/12/07(日) 03:00
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