藤井聡太(ふじい そうた)とは、将棋棋士である。2002年7月19日生まれ。愛知県出身。杉本昌隆七段門下。棋士番号307。
史上5人目の中学生プロ棋士であり、2017年現在、史上最年少でプロとなった棋士でもある。
5歳で祖母に教えられて将棋を始める。7歳でアマ初段として研修会に入会し、2012年9月、10歳(小4)で奨励会に入会する。すでにその時点で非凡ではあったが、「藤井聡太」の名は詰将棋の神童、として将棋関係者の間で名を轟かせていた。
9歳で作成し「将棋世界」に投稿した作品が年間優秀作の一つに選ばれ、詰将棋の解答者としては「詰将棋解答選手権」でただ一人満点取って優勝。この時、小学6年生。並み居るトッププロや詰将棋解答の名手たちを差し置いての快挙であり、その後も2016年・2017年と3連覇を果たしている。
当時将棋連盟会長だった谷川浩司は、藤井の師匠である杉本に対して藤井の指導に関するアドバイスを送っている(会長が一奨励会員の指導方法にアドバイスをするのは極めて異例)。その内容は「詰将棋は解くだけにして、作るのはプロ入りまで控えるように」というもの。詰将棋作りには独特の魅力があるため、作る方にはまりこんではいけない(解く方は棋力強化になるのでどんどん解いていい)という意味。谷川自身も詰将棋作家として非凡であり、この助言は真に迫ったものである。
詰将棋だけでなく奨励会での出世スピードも凄まじく、小学6年生で奨励会初段に入品。小学生のうちにあっさり二段へ上る。そして2015年、史上最年少の13歳3ヵ月で三段昇段。
2016年、「地獄」と言われる三段リーグのデビュー1期目で13勝5敗の成績を収めて優勝。14歳2ヶ月で四段昇段(プロデビュー)を果たした。師匠の杉本昌隆七段に「藤井聡太をプロに出来なかったら、私は責任を取ってプロを引退する」とまで言わしめた才能は、奨励会入会からわずか4年で大輪の花を咲かせた。
なお、初段からプロデビューまですべて史上最年少記録であり、特に14歳2ヶ月での四段昇段は「ひふみん」こと加藤一二三の持っていた最年少プロデビュー記録、「14歳7ヵ月」を62年ぶりに更新する快挙であった。
“中学生棋士”は加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明に続いて史上5人目で、三段リーグ1期抜けは2013年の三枚堂達也以来、史上6人目となる。
史上最年少棋士のデビュー戦は、現役最年長棋士・加藤一二三(当時76歳)との対局になった。62歳差の対局は日本将棋連盟の記録に残っている公式対局では最大の年齢差。この対局に勝利し、史上最年少勝利記録(14歳5ヵ月)も更新した。
このデビュー戦から2017年6月現在まで、公式戦では無傷の20連勝(継続中)。「デビューからの連勝記録」も更新しており、マスコミの過熱気味の報道も相まって「藤井フィーバー」の様相を呈している。
居飛車党。詰将棋選手権3連覇の高い終盤力が持ち味だが、序盤・中盤が雑と言う訳でもなく、土俵際まで追い詰められてからの粘り腰も驚異的。
指導した棋士がみんな口を揃えて「負けず嫌い」と評する程の負けず嫌い。師匠との練習将棋ですら負けて悔しがってたとか。母曰く「生活能力が低い」らしく、初めて1人で大阪の将棋会館に行った際には服と傘をすべて将棋会館に忘れてきたらしい。
集中力も凄まじいものがあるようで、風呂場のタイルを将棋盤に見立てて考えていたらのぼせた、将棋のことを考えながら歩いていたらドブに落ちた…などのおちゃめエピソードも。
かなりの活字好きらしく、沢木耕太郎や新田次郎、司馬遼太郎をよく読むとのこと。そのためかインタビューでは年齢離れした言葉のチョイスも光る(「望外の結果」「自分の実力からすると僥倖」など)。
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最終更新:2025/12/16(火) 08:00
最終更新:2025/12/16(火) 08:00
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