藤本博史とは
この項目では1.を解説する。
1963年、大阪府生まれ。
天理高校から1982年のドラフトで南海ホークスに入団。
1988年からレギュラー入りをすると、背番号が5になり、本拠地が大阪から福岡になった際に活躍した。
パワーヒッターが中々育たないホークスの中で、長距離を期待されていたが、1992年の20本が最高で、中々ホームランを放てなかった。
1990年にサイクルヒットを達成している。
現役時代からヒゲがトレードマークで、ダイエーでヒゲといったら藤本だった。現在もヒゲをほとんど剃っていない。これには理由があり、ダイエー時代から伸ばし始め、目の悪い祖父に自分を見てもらおう、という作戦だった。その時のチームは佐々木誠も森脇浩司も生やしていなかった。
1998年途中にオリックスブルーウェーブに移籍後、同年引退。長年、打率の低さに悩まされ、生涯打率は.235。本塁打105本。安打も715本と少なかった。
引退後、TVQスーパースタジアムやJSPORTS STADIUMで、主に福岡ソフトバンクホークス戦で解説をつとめる。
2011年から福岡ソフトバンクホークスの二軍打撃コーチ。
なお、現在の福岡ソフトバンクホークスのチャンステーマは元々は藤本の選手別応援歌であった。
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最終更新:2025/12/06(土) 22:00
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