鉄板焼き電車とは、103系1000番台の蔑称。地下鉄線内で床下機器の熱が接客設備の環境に悪影響を与えたことによる。
103系1000番台は、常磐線の複々線化、及び営団地下鉄千代田線への直通用として製造された車両。地上用の0番台と異なり、新型制御機の採用、ATCの搭載、防災対策強化が施されている。また地下鉄区間での騒音対策(?)で、ブレーキ(抵抗器)からの排熱を強制的に冷却する機構を持たず、外気を使って冷却するシステムとなっている。
本題とはややずれるが、問題の原因となっている思想が含まれるため、ここに記述しておく。
1971年4月20日、国鉄常磐線と営団千代田線の相互直通運転が始まった。これに伴い営団は既存の5000系に加えて、多数に新機軸を採用した6000系を導入しており、この時点で量産効果を意識して103系の亜種を導入した国鉄と対極の姿勢を見せた。この6000系は、消費電力を削減する工夫が盛り込まれていたため、電動車比率が高く消費電力も大きい103系との電気代相殺に当たっては、国鉄側の支払額が多く設定される程であった。
さて、ここからが問題の「抵抗器からの排熱」である。前述のとおり、103系1000番台するは排熱を強制的に冷却する機構を持たず、外気を使って冷却する。この機構そのものが問題となった。
具体的には、千代田線の建築物の構造との相性の悪さである。地下鉄を含む広義の地下鉄道では、通常は道路直下に路線を引くが、道路そのものの幅が狭い場合や、止むを得ず道路直下から外れる場合は、地上の地権者への支払を最小限に抑えるため、使用面積が最低限になるよう複線を上下二層のトンネルに分けて通すことがよくある。千代田線もその一例であり、単線トンネル区間が長かったことも、結果的に問題を助長することになってしまった。
単線断面のトンネルでは、車両周囲の空気容積に限界があり、車両走行による流動も一方的であるため、熱を持った空気が車両に纏わり付き、車内や駅構内に熱を貯めることになった。
影響は車内や駅の温度上昇だけには留まらなかった。逃げ場を失った熱は、床下の配線を蝕み、頻繁な交換を余儀なくされるという問題も発生した。この熱は配線のみならず客室の床敷物も焦がしており、乗り入れ撤退後も車内への熱伝導の凄まじさが覗えた。この敷物が焦げる程の加熱を、肉が焼かれている鉄板になぞらえて、「鉄板焼き電車」なる蔑称が生み出されたと思われる。
なお、室内の空調に関しては、当時103系は試作冷房車が登場して程ない時期であり、また冷房使用中も排熱があり、地下鉄線内での冷房の使用までにはそれから20年近くを要していることもあるため、仮に冷房化されていたところで車内環境の影響が緩和されていたかどうかは極めて怪しいと思われる。
営団が本線からの5000系追放を完了した翌年、1982年に201系と同等の機構を持った203系が登場。1986年までに103系を逐次する形で増備が続き、諸問題が一挙に解消されることとなった。
乗り入れ運用を離れた103系1000番台は、車体もそのままに105系500番台となって、紀勢・和歌山線や可部・宇部線に転用された他、103系として残った車両は、在来の103系に混ざって列車線での運用に回り、長大編成の中で個性を発揮し続けた。
1000番台と同等の性能を持つ1200番台は、営団東西線への直通に使用されたが、一転してこちらは何の支障もなく30年近く運用され続けていた。これは東西線に複線トンネル区間や地上区間が多かったことによるもので、先行して投入されていた301系共々、放熱への支障が少なかったことによるものである。
ちなみに、こちらには1000番台の1編成が予備車として加わり、10連化の完了時に1200番台10両と交換する形で、正式に転入している。
路線の性格から0番台互換の性能を持つ1500番台は、現在も福岡市交通局の車両との機能差に悩まされる存在である。地下鉄線内でのワンマン運転に対応しないため、103系の列車のみ車掌が乗務したり、ホームドアとの開閉連動もできないなど、著しく機能面で劣る状況ではあるが、車体そのものに耐久性があることや、運用上必要な改修は一通り受けているために、当面は置き換え対象にならないとみられる。
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最終更新:2025/12/23(火) 07:00
最終更新:2025/12/23(火) 06:00
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