霞よ!ガンガン行くわよ、ついてらっしゃい!
霞(かすみ)とは、大日本帝国海軍の朝潮型駆逐艦10番艦(9番艦とする場合あり)をモデルとした艦隊これくしょん~艦これ~の登場キャラクターである。
CV:宮川若菜
朝潮型駆逐艦の十女。起工順的には九女であったが霞の竣工が遅れて本来の十女、霰の方が先に竣工したためこのような結果となっている。艦これでは霰が「朝潮型最後の建造艦」と言っているものの、図鑑の並び的に霞が10番艦とされているようなので本記事ではそちらに従う。
他の朝潮型同様市立小の女子用制服のような服装が特徴。特にこの霞は機関部の背負い紐が赤く、小学生女子の代名詞でもある赤いランドセルのようにも見えるためそれが余計に際立っている。
さて見た目的には完璧なロリコンホイホイなのだが、それでは人気の方がどうかと言うとこれがさっぱりである。
理由は「口が凄まじく悪いから」と非常に明白。
こうした点は姉である満潮とも似るが、彼女の場合は加入時セリフが「霞よ!ガンガン行くわよ、ついてらっしゃい!」と非常にポジティブ(ただしこれも後から考えれば『不遜な態度』の一部だったりする)で「駆逐艦隊を率いてくれる姉御肌の艦娘か」と期待した提督たちが不意討ちを受けたためか評価はさらに悪く、「満潮なんて霞に比べればだいぶマシ」などと言う声も聞こえてくる程である。
霞に期待した提督の受難は秘書艦にした直後に始まる。どんな反応を返すのかとwktkしながら霞をつついた提督たちの耳に入ってくるのは「だから何よ」「用があるなら目を見て言いなさいな」「はぁ?それで逆切れ?だらし無いったら!」と耳を疑うような罵詈雑言の数々なのであった。思ってたのと違う。
ではつつくから駄目なのかと戦績を開くと「手紙よ。何度言わせるのよ、このクズ!」と予想をはるかに超える悪態が飛んでくる。ちなみによく比較対象となる姉、満潮は「司令官にお知らせ。」と良くも悪くも極めて事務的に対応してくれる。
補給や改装を施せば「こんなの強化の内に入らないわよ。」とのたまい、建造が終われば「新艦が完成したわ。迎えに行きなさい」と提督を使い走りにし、作戦中には「ああもう、馬鹿ばっかり!」等と聞き方によっては部隊の艦娘をディスるような言動をし、MVPを取れば「別に嬉しくもなんとも無いわ。一応貰っといてあげるけどね」とかのビッグセブン、戦艦長門の様な口をきき、帰ってくれば「作戦が終了したわ。報告を聞きなさい。」と再び提督を顎で使い、満潮は弱みを見せた入渠も小破以下なら「タイミングおかしいったら!」中破以上になれば「ったく、どんな采配してんのよ!ホント迷惑だわ。」いや、一体どうしろと。
このように常時不遜な態度で悪態を吐き散らしまくる。悪く言ってしまえば霞とはそんな艦娘なのである。
しかし、霞は太平洋戦争勃発前からあの天一号作戦で大和の最期を見届け自分も沈むまで帝国海軍の栄枯盛衰を間近で見守り、そして次々と沈んでいく姉妹艦や僚艦たちを見続けた百戦錬磨の駆逐艦であることを忘れてはならない。
帝国海軍に長く在籍している以上、必然的にその艦生は決して華々しいものではなかった。霞に下された指令には理不尽なものも多かっただろう。実際、言いがかりのような形で座乗していた艦隊司令官が自決に追い込まれた経験すらある。
こうした経験が「だれにも頼らない」と不遜な態度を生み出しているのかもしれない。
そしてそんな霞を、罵詈雑言の雨霰を浴びながらもやさしく抱きしめる提督たちも少数ながら確かに存在している。
編成時に口走る「霞、出るわ。見てらんないったら!」の一言が彼女の本心を最も明確に表しているのかもしれない。
霞は1939年6月、朝潮型駆逐艦10番艦として浦賀船渠で竣工した。
そして姉妹艦の霰、陽炎型の陽炎、不知火とともに第二水雷戦隊所属の第十八駆逐隊を編成することとなる。
主に空母の護衛を担当し、かの真珠湾攻撃で初陣を迎えることとなる。その後はラバウルへ向かう空母を護衛。 二航戦によるポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦にも参加し、空母同士の本格的な機動戦となったセイロン沖海戦にも護衛として参加した。
同年6月、ミッドウェー海戦が勃発。しかし霞は今まで担当してきた空母機動部隊の護衛ではなく、近藤中将率いる攻略部隊に参加。結果はご存知の通り。霞は長い間守ってきた空母たちの最期を見届けるどころか、護衛にすらつくことができずに殆ど全てを失ってしまったのである。
そして、ここから霞と帝国海軍の転落が始まった。
ミッドウェー海戦から間もなく、霞は第十八駆逐隊司令艦として千代田とキスカへ向かう輸送船の護衛に当たる。
しかし、キスカ湾にて濃霧のために停泊していたところに米潜水艦グロウラーが襲い掛かった。霞の一番砲塔下に魚雷一本が命中し、艦体前部が一挙に破断。浸水と火災が発生し、乗員10余名が死亡する惨事となった。
グロウラーによる被害はこれだけにとどまらず、この攻撃により姉妹艦霰は轟沈。僚艦の不知火も霞同様に大破。第十八駆逐隊は一瞬にして陽炎を除く全艦が大損害を被ってしまったのである。
しかし、霞の受難はある意味ここからが本番と言えるかもしれない。
一撃で霰を失い、残存艦も3隻のうち2隻が大破という事態に海軍内では第十八駆逐隊に対して「油断があったのではないか」と非難の声が上がった。結果、司令艦の霞に座乗していた第十八駆逐隊司令官宮坂大佐は責任を取って切腹自決をすることになってしまったのである。
雷に曳航されて本土に戻った霞は舞鶴海軍工廠にて翌年6月までかかる修理を余儀なくされた。ここで霰の轟沈と霞、不知火の長期にわたる修理により行動不能となった第十八駆逐隊は解隊されることとなる。唯一行動可能だった陽炎も霞、不知火の修理を待たずに配置替えをされた。
修理の終わった霞は第五艦隊第一水雷戦隊隷下の第九駆逐隊に編入。吹雪型と朝潮型という性能の大きく異なる艦級同士を半ば数合わせのようにして強引に編成した駆逐隊であった。
こんな部隊がまともな戦闘に参加できるわけもなく、任務は輸送船団の護衛が中心であった。霞は空母機動部隊の護衛として戦場を駆け、華々しい戦果を挙げたかつての日々と打って変わって非常に地味な任務をこなすこととなる。
その後構成艦の転属、轟沈などによる第九駆逐隊の解隊により、霞は第十八駆逐隊を再結成。ここで霞は不知火と再会することとなる。
が、その再編第十八艦隊の初陣がよりにもよってあのレイテ沖海戦。
第十八駆逐隊は志摩中将麾下の第五艦体第二遊撃部隊に配属され、西村艦隊突入に続けてスリガオ海峡よりレイテ湾に突入する算段であった。
しかし、スリガオ海峡に差し掛かったところで第一水雷戦隊旗艦の阿武隈が敵魚雷艇の攻撃により小破。戦闘続行が困難となり、木村昌福少将を始めとした第一水雷戦隊司令部は急遽霞に移乗して戦闘を続行することとなる。最終的に志摩艦隊はレイテ突入を断念。コロン湾まで撤退することとなった。
ここで再び霞に悲劇が襲い掛かる。コロン湾までの撤退の途中、僚艦不知火が栗田艦隊の軽巡鬼怒、駆逐艦浦波の救助中に米軍艦載機隊の攻撃で戦没してしまったのだ。
こうして霞は開戦からの戦友だった第十八駆逐隊の僚艦を全て失い、とうとうひとりぼっちになってしまったのである。
霞ただ1隻を残すのみとなった第十八駆逐隊は当然のごとく解隊。霞は第七駆逐隊に編入される。この第七駆逐隊は由緒ある駆逐隊であり、結成当時から1944年まで所属艦の戦没が一切無かった隊であった。が、同年以降は1月に漣、11月に曙が戦没しており、霞が編入された時には当初からの所属艦は潮ただ1隻であった。この第七駆逐隊には後に第六駆逐隊最後の生き残りである響も編入されている。潮、響、そして霞と、由緒ある第七駆逐隊に各駆逐隊最後の生き残りを編入した精鋭部隊と言えば聞こえはいいが、その実情は死にぞこなった駆逐艦をかき集めたあり合わせの居場所に他ならなかった。
この後霞はオルモックへの輸送作戦の護衛を第一水雷戦隊旗艦として担当。そして木村少将の第二水雷戦隊司令就任と共に霞も同戦隊旗艦に就任することとなった。
そして12月のミンドロ島への攻撃作戦では重巡を含む艦隊でまさかの旗艦を担当。この決定は駆逐艦ならではの機動性があり、何より木村少将とも縁が浅からず乗員とのなじみも深いことが要因であったとされる。
ミンドロ島の米軍の上陸拠点への攻撃を敢行、敵上陸地点に砲雷撃を加え輸送船1隻を大破炎上させ、米海軍の輸送物資集積所を破壊した。ここにきて霞と帝国海軍は久々に、そして最後となる勝利をつかんだのである。
1945年2月には北号作戦に伊勢、日向の護衛として参加。しかし既に水上艦の動ける場所は狭められており、霞も それまでのように海原を駆けることはできなくなっていた。第七駆逐隊も1944年11月に潮が損傷により本土で行動不能となり、翌年1月に響が加わるまでは実質上霞1隻のみの駆逐隊と化していた。
その後、霞は第七駆逐隊から第二十一駆逐隊に編入される。
そして迎えた1945年3月、天一号作戦。霞は第二水雷戦隊隷下の艦として大和とともに沖縄への水上特攻へ参加することになる。運命の1945年4月7日、坊ノ岬沖にて米軍の艦載機隊と遭遇。数百単位の艦載機が霞たちへと一挙に襲い掛かった。13時25分、霞は直撃弾2発、至近弾1発を受けて缶室に浸水。そのまま航行不能となった。
大和と連合艦隊の最期と乗員の救助を見届けた霞は、16時57分、僚艦冬月の砲撃処分によって海底へと沈んでいった。奇しくも、この時メガホンで霞の乗員達に退艦を指示し、救助後に霞の砲撃処分を行った冬月艦長は1945年2月末まで霞の艦長であった山名寛雄少佐であった。霞の乗員達は山名少佐が来た際に「前艦長」では無く「艦長」と呼んだという。
霞は開戦時から天一号作戦まで(キスカ湾の被害以外は)多くの戦死者を出さずに戦い続けた事もあって、長い間共に戦い続けた乗員達には家族の様な深い結束と連帯感が生まれていた。天一号作戦時も艦長含め皆「歴戦をくぐり抜けてきたこの船は沈まない!」と言い合ったという。冬月への最期の移乗の際、霞の乗員たちは全力を尽くしたという誇りから、皆胸を張って退艦したと伝わっている。
霞の戦没により、全10隻が建造された朝潮型駆逐艦は全艦戦没。霞も5月10日に除籍されている。
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最終更新:2025/12/07(日) 02:00
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