青木正重(1581~1664)とは、戦国時代の武将である。
豊臣家に使える大坂七手組の番頭の一人。通称は駿河守。
小寺則頼の息子で母親が青木一重の姉。斎藤義龍の家臣だった父親が一柳直末に殺された騒動が、のちに一柳直末を殺す遠因になったとも。
叔父の青木一重の養子となり、以後大坂冬の陣で彼と出陣する以後のことしかよくわからない。青木一重が徳川家康に捕らえられたため、以後彼の後任となった。以後大坂夏の陣で奮戦し、藤堂高虎、井伊直孝の隊を防ぐも、大坂城の炎上の際にちりじりになってしまう。堀田正高と話して屋敷に戻り、豊島まで落ち延びることに成功した。
以後は、叔父の青木一重と異なり召し抱えられず、蟄居したまま小寺道伯を名乗り、部下の再就職を斡旋したくらいしかよくわからない。その後、どうやら麻田藩に向かったようだ。息子・青木重明は水野家の家臣となったようだ。
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最終更新:2025/12/10(水) 21:00
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