III号戦車とは、ドイツが第二次世界大戦時に使用した中戦車で、大戦初期から中期にかけてのドイツ機甲師団の中核を担った。特殊車両番号(Sonderkraftfahrzeug)は141。V号戦車やVI号戦車に見られる「パンター」や「ティーガー」といった愛称は無い。
ドイツがベルサイユ条約の破棄とそれに伴う再軍備を開始した時点でドイツ軍が保有していたI号戦車、及びII号戦車は、他国の戦車と比較して全く満足の行くレベルの物ではなかった。そもそもI号戦車は戦車製造技術の獲得・育成、そして戦車兵の教育の為の車両であり、II号戦車もI号戦車と比較すれば実践的な車両ではあったが矢張り目的は同じであった。その為、ドイツ軍がその機甲戦力の中核たる主力戦車として設計したのがIII号戦車である。III号戦車は対戦車用の車両として計画され、歩兵に対する火力支援はIV号戦車が行なう事になっていた。
開発の開始は1934年1月。5人乗りの24t級中戦車でアウトバーン上において最高速度35km/hの発揮が可能、且つ敵機甲戦力との遭遇戦において敵戦車を撃破し得る攻撃力を持ち、全車に無線機を装備し車内及び他の戦車と単体での通信を可能とすべし、という要求による。この新型戦車に対しグデーリアンは(当時としては)強力な5cm砲の搭載を主張したが、陸軍兵器局は歩兵用の装備である3.7cm Pak 36対戦車砲の転用を主張、結局兵器局による主張が通る形で3.7cm砲を主砲として搭載する事が決まった。しかし「将来の発展を見越して」という名目でターレットリング(砲塔が胴体に嵌っている穴。基本的に大きい程大型の砲塔を搭載できる=大型の砲が搭載できる)は5cm砲を搭載できるサイズの物に決定された。このある意味では玉虫色の決定が、後に大きな意味を持つ。
ダイムラー・ベンツ社、MAN社、ラインメタル社、クルップ社の4社により試作車両が製作された。1936年から37年にかけて行われたコンペティションの結果ダイムラー・ベンツ社案が正式採用となり、III号戦車A型(PzKpfw III Ausf.A)として正式採用された。
III号戦車は主力戦車と位置付けられていた物の第二次大戦の開始時には予定数の生産が完了しておらず、ドイツ軍は前述のI号戦車・II号戦車を中心とした機甲師団でポーランド戦を戦う事となる。
その後ポーランド戦、フランス戦、アフリカ戦と改良を続けながら使用された。
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最終更新:2025/12/08(月) 16:00
最終更新:2025/12/08(月) 15:00
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