エイジアンウインズ(英:Asian Winds)とは、2004年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
とある逆神の加護を受けて、同期の府中の申し子・ウオッカに、ただ一頭、府中芝1600mで勝った馬。
主な勝ち鞍
2008年:ヴィクトリアマイル(JpnⅠ)、阪神牝馬ステークス(GⅡ)[1]
概要
父フジキセキ、母サクラサクⅡ、母父*デインヒルという血統。
父は*サンデーサイレンスの初年度産駒で、弥生賞まで圧倒的な強さで4連勝しながらクラシック前に引退した「幻の三冠馬」。種牡馬としてもマイラーを中心に数多の活躍馬を輩出した名馬。
母は未出走。2歳上に地方で走った同名の馬がいたため「サクラサクⅡ」と表記される。
母父は海外で多数の活躍馬を出した大種牡馬。日本ではファインモーションの父として知られる。
オーナーはウイニングチケットの馬主である太田美實(本業は京都の内科医)。
馬名の意味は「アジアの風」として登録されているが、由来は宝塚歌劇団の2005年の公演「ASIAN WINDS! -アジアの風-」。オーナーの妻の太田珠々子(夫同様に馬主。夫の没後は夫の所有馬を引き継いだ。主な所有馬にローマンレジェンド)が元タカラジェンヌで、この公演を見て演出家の岡田敬二に「馬名に使いたい」と交渉。岡田が「日本語読みの『アジアンウインズ』じゃなく、世界に通用するように英語読みにして『エイジアンウインズ』でどうですか」と提案してこの馬名に決まったそうである。ちなみにこの岡田敬二も地方で一口馬主をしていたりする年季の入った競馬好き。
2004年3月28日に社台ファームで誕生。セレクトセールにて太田オーナーの依頼を受けた藤原英昭調教師に落札され、栗東の藤原厩舎に入厩した。
アジアの風
2歳~4歳4月
購入時から藤原師は「桜花賞を獲れる」と期待していた素質馬だったが、体質、特に足元が弱かったため、デビューは2006年12月の阪神のダート1400m戦。ここは3着に敗れたが、3週間後の未勝利戦は横綱相撲で5馬身差の完勝。
3歳となり3月に4戦目の500万下で2勝目を挙げたが、藤原師は芝のレースに出すには時期尚早と判断してクラシックを断念、翌年のヴィクトリアマイルを目標として宮崎の牧場に放牧に出される。
休養を経て体質も強くなり、休養明け2戦目の宝ケ池特別(1000万下、2着)から芝に転向。すると続く鳥羽特別(1000万下)を上がり最速で差し切り勝ち。
古馬となってからも初戦の韓国馬事会杯(1600万下)を2着、続く心斎橋S(1600万下)を勝利とトントン拍子に勝ち上がって、芝転向後は一度も連対を外さないままオープン昇格を果たした。
そして2008年4月、ヴィクトリアマイル出走のため満を持して初重賞挑戦となるGⅡ阪神牝馬ステークスに出走。1番人気は後に同年のマイルCSを勝つブルーメンブラット、3番人気は同期のオークス馬ローブデコルテ、4番人気は1歳上の桜花賞馬キストゥヘヴン、7番人気は同期のNHKマイルC馬ピンクカメオなど結構なメンバーが揃う中、重賞初挑戦ながら単勝8.8倍の5番人気に推される。
芝転向後の2勝はどちらも後方からの差し切り勝ちだったエイジアンウインズだが、このレースでは好スタートから果敢に逃げを打つ。直線で後続を振り落として突き抜けると、大外から上がり最速で猛然と迫ってきたブルーメンブラットをクビ差凌ぎきってゴール。鮮やかに重賞初勝利を挙げた。
最後の大物、戴冠
そして2008年5月18日、大目標だったGⅠヴィクトリアマイル。このレース、ぶっちぎりの1番人気(単勝2.1倍)は同期で64年ぶり牝馬のダービー馬となったウオッカ。ダービー以降はスランプに陥っていたとはいえ、宿敵ダイワスカーレットは故障で不在、さすがにダスカ以外の牝馬相手にダービーを勝った府中、5戦4勝のマイル戦なら敵はなし、と思われていた。
一方のエイジアンウインズは単勝13.4倍の5番人気。前走で破ったブルーメンブラット(4番人気)にも人気で負けていた。
前走が逃げ切り勝ちだったためレース前は逃げるかとも思われていたが、レースでは荒れた内を避けて中団、6~7番手の好位を追走。直線で一度は前が詰まったが、馬群をこじ開けるように抜け出すと、残り200m手前から鞍上の藤田伸二の鞭が一発、ぐっと加速。先に抜け出したブルーメンブラットを差し切ると、外から追い込んできたウオッカを3/4馬身凌ぎきってゴール。
時代は動いた! エイジアンウインズ! 最後の大物が制した!
藤原調教師は開業8年目で嬉しいGⅠ初勝利。太田オーナーにとってもウイニングチケット以来15年ぶりのGⅠ勝利となった。
振り返れば福永アナのスタート時の謎ポエム「自分が描いた憧れに負けたくない、今わたしは風になる!」がまさにそのまま、エイジアンウインズの勝利を予見していたかのようである。
世代を牽引する同期のスターの華々しい活躍とは遠いところで静かに力をつけてきた、遅れてきたアジアの風が府中を吹き渡り、舞台の主役の座を見事に奪ってみせたのであった。
その後
こうして遅れてきた大物が、ウオッカとダイワスカーレットという同期の歴史的名牝2頭の新たなライバルに名乗りを上げた……という物語になれば美しかったのであろうが、残念ながらそうはならなかった。
次走は1歳下のオークス馬トールポピーとともにアメリカ遠征を予定していたが、トールポピーが遠征を取りやめたため単独遠征を避けてこちらも遠征取りやめ、休養に入る。
その後、足元の不安が再発。蹄の炎症に悩まされて休養は長引き、2009年のヴィクトリアマイルを目標に復帰を目指していたが、結局復帰を断念。2009年6月に競走馬登録を抹消され引退となってしまった。
通算11戦6勝。生涯で重賞は2戦のみ、ほとんどの競馬ファンにとっては「ヴィクトリアマイルでウオッカに勝った馬」というよりも「ウオッカが負けたヴィクトリアマイルの勝ち馬」という以外の印象は特にない馬であろうし、その後のウオッカの活躍から、このレース自体「ウオッカが不調だった」の一言で片付けられがちではある。
ウオッカに勝ったあと一度も走らず引退してしまったため、その真価がよくわからないままに、牝馬の時代の幕開けを告げた同期の歴史的名牝2頭の影に隠れてしまった感はあるが、芝転向後のダイワスカーレットを思わせる安定した成績と、逃げも差しもいける自在な脚質。マイルCSを勝ったブルーメンブラットに2戦2勝、どちらも競り勝っているのだから、おそらくは牡馬とも渡り合える実力はあったと思われる。ウオッカ・ダスカ世代の「最後の大物」としてもっと第一線で競い合う姿を見てみたかった馬と言えるのではないだろうか。
なお鞍上は乗り替わりが多く、生涯11戦で福永祐一(2回)、クリストフ・ルメール(3回)、岩田康誠、ミルコ・デムーロ、横山典弘、鮫島良太(2回)、藤田伸二と7人の騎手が乗っている。
引退後は新ひだか町の藤原牧場で繁殖牝馬となっている。今のところ産駒に重賞勝ち馬はいないが、2015年産のメジェールスー(牝、父ロードカナロア)と2017年産のワールドウインズ(騸、父ルーラーシップ)の2頭がオープンまで勝ち上がっている。エイジアンウインズ自身もまだまだ繁殖牝馬として現役だが、メジェールスーも2022年から繁殖入りし、彼女の血を継いでいくことになった。
……ちなみにこの馬、なぜか競馬を知らないのにこの馬の名前には聞き覚えがあるというプロ野球ファンが妙に多いという。どうしてかは関連動画を参照。
血統表
フジキセキ 1992 青鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ミルレーサー 1983 鹿毛 |
Le Fabuleux | Wild Risk | |
Anguar | |||
Marston's Mill | In Reality | ||
Millcent | |||
サクラサクⅡ 1997 鹿毛 FNo.5-h |
*デインヒル 1986 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer |
Pas de Nom | |||
Razyana | His Majesty | ||
Spring Adieu | |||
*サクラフブキ 1990 鹿毛 |
*フォーティナイナー | Mr. Prospector | |
File | |||
Bound | Nijinsky | ||
Special |
クロス:Northern Dancer 4 x 5、Natalma 5 x 5
関連動画
関連コミュニティ
関連リンク
関連項目
脚注
- *なお、当時は日本のパートI国昇格から国際格付取得までの端境期のため、一部レースの格付けは現在のG(グレード)ではなく日本独自格付けのJpn表記になっていたが、ややこしいので本文ではG表記で統一する。
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- ダイワスカーレット
- クィーンスプマンテ
- ドリームジャーニー
- アストンマーチャン
- フリオーソ
- スリープレスナイト
- ピンクカメオ
- ローレルゲレイロ
- ヒカルアヤノヒメ
- カノヤザクラ
- アドマイヤオーラ
- ベッラレイア
- アサクサキングス
- ヴィクトリー(競走馬)
- ロックドゥカンブ
▶もっと見る
- 2
- 0pt