ガダルカナル島の戦い単語

15件
ガダルカナルトウノタタカイ
3.4千文字の記事
  • 2
  • 0pt
掲示板へ

ガダルカナル島の戦い(1942年8月7日 - 1943年2月7日)とは、太平洋戦争大東亜戦争)の戦いの一つである。
を結ぶこのに建設された飛行場をめぐり、日双方の消耗戦が繰り広げられた。
特に日本陸軍にとって海軍ミッドウェー海戦と並ぶターニングポイントとも言われている。

戦いまで

42年6月ミッドウェー海戦で敗戦した日本軍だが、遮断作戦の為のソロモン諸島の制権確保は継続中であった。
権確保のために選ばれたのがガダルカナル島であり、そこでは日本軍の設営隊と海軍戦隊が飛行場建設を行っていた。
しかし、現地の諜報員によりアメリカ日本軍行動を察知し、7月に対日反抗作戦ウォッチタワー作戦」発
その時の日本軍アメリカの反抗時期を来年以降と想定していた・・・ 

米軍上陸~イル川渡河戦

8月7日アメリカ海軍の猛艦砲射撃とともに約11000人海兵隊第1兵師団が上陸。この時多くの部隊が眠っていたため全な奇襲となり、飛行場は難なく占領され、内地への潜を余儀なくされる。後に飛行場はミッドウェー海戦空母飛龍」に特攻を敢行し戦死したロフトン・R・ヘンダーソン少佐に因み「ヘンダーソン飛行場」と命名された。同時期にはツラギにも上陸し日本軍は玉砕することになる。 

8月9日、「第一次ソロモン戦」が勃発、夜戦において連合軍の重巡洋艦4隻を撃沈したものの反撃を警したため、後方にいる輸送部隊への攻撃は中止された。一方のアメリカ軍もこの敗戦の報告を受け、十分な揚陸が出来ないまま物資の揚陸を中止、は「餓島」となっていく。だが、その時引き揚げられた重火器類がの戦いに大きなをもたらすことになる。

8月19日、一木清直大佐率いる一木支隊約900人が駆逐艦陽炎」に乗東部のタイポに上陸。この時アメリカ軍は偵察的であり兵をせいぜい2000と見積もっていた。

8月20日、飛行場へ向かい西進する一木支隊はイルにて海兵隊と遭遇(「イル渡河戦」)。戦差は明らかであり21日未明には弾と機により包囲殲滅され一木支隊900人中800人が戦死、その後、一木清直大佐拳銃により自決海兵隊の戦死者はわずか40名ほどであった。

この「イル渡河戦」はアメリカ軍にとってツラギの戦いと同じく陸における初勝利といわれている。

第一次総攻撃

8月23日-24日には「第二次ソロモン戦」が勃発。空母龍驤」撃沈、空母サラトガ」大破という結果に終わった。その間、飛行場には護衛空母航空機の揚陸を行い航空はますます充実していく。
権を取られ、高速の輸送艦もない日本軍間に速度の速い駆逐艦を用いた「輸送」を用いて、兵員や物資の輸送を行っていくことになる。駆逐艦が一列に並び輸送する姿を見たアメリカ軍はそれを「東京急行」と呼んだ。

9月7日川口支隊が上陸したが襲により満足な物資が揚陸できなかった。正面突破は理と悟った川口支隊は回してジャングルから奇襲する作戦を建てたが、満足な土木設備もいため手作業でを切り拓いた。この時「高射砲2門・野4門・山6門・速射14門」の揚陸にも成功していたが、運搬することもままならず多くが後方に置かれた。総攻撃開始時には日本兵は疲労困憊であった。

9月13日から14日未明にかけて川口支隊による第一次総攻撃が開始。米軍が構築した条網や重火器による放火に阻まれ撤退を余儀なくされる。戦いのさなか一部の部隊が飛行場の倉庫を確保したものの、すぐに混戦となり撤退した。

戦いの後、現場から「米軍の戦は想像以上であること」「確保するには10月までに20個単位の戦車砲兵が必要」である事を報告したが、それは日本軍の輸送かにえたものであった・・・

第二次総攻撃

10月初旬。日本陸軍第2師団の兵員及び物資輸送の為、飛行場を撃、一時機を停止させた後、物資輸送を行う作戦が立案された。

10月12日、「サボ島沖夜戦」勃発。飛行場撃の第一として向かった部隊夜戦で阻まれ失敗。
日本海軍にとっての夜戦での初敗北と言われている。 

10月13日アメリカ陸軍50000人が上陸。ジャングルに集音器を設置しさらなる地の補強を行った。
同時に海兵隊の物資不足も解消され、物資面での勝敗は決した。 
その日の、飛行場撃の第二として戦艦金剛」「榛名」による飛行場撃が敢行。飛行場と航空機を破壊、及び兵約30名が戦死したものの、密かに建設された第二飛行場から発進した航空機に阻まれ満足な揚陸が行えなかった。

10月24日、飛行場への第二次総攻撃開始。戦車、重火器を擁する陽動部隊ジャングルからの奇襲部隊に分かれて攻勢を開始したが、餓えや疲労に加え、弾薬も装備も不十分のままバラバラに突撃したこと、陸軍による地補強によりまたしても阻まれ撤退を余儀なくされる。戦いの終わった26日に師団参謀は「奪回は不可能」の旨を大本営に連絡した・・・

だが第二次総攻撃が失敗した26日に「南太平洋海戦」が勃発。空母ホーネット」撃沈。空母エンタープライズ」を大破させ、米軍太平洋における空母稼働数を0にしたが、陸上支援も行えず、その代償として150名近いベテランパイロットを失い日本機動部隊レベルはますます低下していくことになる。米軍パイロットの死者数は僅か30名であった・・・

この戦の結果を知った大本営は第38師団1万名の輸送を決定した。

第38師団の輸送、そして転進

11月12日15日。第38師団輸送支援の為「第三次ソロモン戦」が勃発。この戦いは大混戦となり日ともに多くの艦艇が沈んだ。しかし、飛行場撃に必要な戦艦比叡」が応急修理にて復帰した空母エンタープライズ」の艦載機によりを破壊され自沈処分となり、もう一隻の戦艦霧島」が戦艦サウスダコタ」、戦艦ワシントン」との撃戦の末に沈した。その結果、輸送隊が飛行場からの襲にさらされ輸送は実質失敗に終わった。

この戦の勝利アメリカガダルカナル島の確保を確信。ワシントンDCでは戦勝パレードが行われた。

この時、日本軍の物資不足も深刻になっており、約23万人がにいたが飢えと疫病により実質戦になる兵士は約8000人程にまで弱体化していた。生きて上陸できた第38師団が攻勢にでるもの、約60000人の米軍を前に飛行場へ近づくことすらままならなかった・・・

12月半ば、上陸時のであった海兵隊第1師団が療養の為、オーストラリアへ後退。第2師団約1万人と交代した。

12月31日日本では御前会議にてガダルカナル島からの撤退が決定された。

来年2月1日-7日。撤退作戦である「ケ号作戦」実施。この作戦は成功し生き残った約1万名の日本軍兵士が生還した。アメリカはこれを再攻勢と思い込んでいたが、8日になり撤退だと気付いた。

こうしてガダルカナル島の戦いは決した。

日本軍の逐次投入された戦は約30000人。
20000人が死亡、そのどの約15000人以上が餓死、病死と言われている。

一方のアメリカ軍の死者は7000人。1000人が戦死し6000人が戦傷、及び餓死、病死者であった…

その後

日本陸軍は、最後まで兵站に悩み続けたが解決できなかった。万歳突撃を止め徹底抗戦に切り替わったペリリューの戦いまで、太平洋々では玉砕が行われ続けた。

日本海軍は、夜戦で多くの戦果を挙げたものの、ガダルカナル島周辺のソロモン諸島の戦いから米海軍レーダーにより夜戦での優位性を失った。山本五十六の「最初の1年は暴れて見せる」の言葉通り、開戦から約1年後の1943年には正規空母エセックス級戦艦アイオワ級等の艦艇が続々と就役し、太平洋から後退していくことになる。

第二次世界大戦後

元々はイギリス植民地であったガダルカナル島ソロモン諸島として1978年独立
ヘンダーソン飛行場は現在首都名前である「ホニア際飛行場」としてソロモン諸島の輸送の中心として活躍している。

関連動画


関連商品


関連項目

【スポンサーリンク】

  • 2
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

ガダルカナル島の戦い

21 ななしのよっしん
2017/09/25(月) 20:17:08 ID: BuyBWhJRyu
>>20
重要でないわけではない。
しかしながら、制権確保はあくまで地上支援、輸送のための領域を確保する手段でしかない、という認識が当時の海軍には欠如していたのではなかろうか。
だからこそ、陸上支援を果たせなかった戦略敗北を恥じないどころか、空母一隻ぽっちの撃沈という戦術的範囲に留まる小さな勝利を高くできたんだよ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
22 ななしのよっしん
2017/12/06(水) 16:48:23 ID: hao7He3E+7
>>17
ぜひドイツ海軍批判してもらいたい
なぜ英上封鎖を打ち破って中立との通商路を確保しようとしなかったのか
>>21
護衛戦を切り捨ててまで充実させたはずの正面戦すらホーネット一隻沈めることにすら大量に航空機パイロットも消耗して運用可空母隼鷹一隻だけになるってみたいなしかなかった
👍
高評価
0
👎
低評価
0
23 ななしのよっしん
2017/12/06(水) 20:14:40 ID: sV2XVWQGFv
初期の襲と第一次ソロモン海戦の戦果で結果的に米軍輸送団の後退には寄与したけど、それもまぁ結果論だよね

「もし第八艦隊がルンガに突入していたら」って仮定は「もし米軍空母と輸送団を後方に下げなかったら」とほぼ同値であることを忘れてはいけない
👍
高評価
0
👎
低評価
0
24 ななしのよっしん
2018/07/15(日) 14:21:14 ID: Fx8XlhJe1T
1年は暴れてやる キリッ
そのなか半年をここで潰したんだもんなァ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
25 ななしのよっしん
2018/09/04(火) 13:40:50 ID: y34D2qSyoJ
1942年7月の段階でFS作戦遮断作戦)が中止されたので、
米軍が逆上陸してきた時点でもうを保持する価値はくなっている
ようはこの半年間ってぶっちゃけ戦略上何の意味もない消耗
普通に考えたらこの時点で即から撤退すれば済んだ事なのに、
固守しようとして限りなく駄な犠牲を垂れ流した

戦略性がさすぎて笑えないコレ
👍
高評価
2
👎
低評価
0
26 ななしのよっしん
2019/03/02(土) 23:36:12 ID: 1XW8USYGxk
※25
戦死20000ってガダルカナルだけの話なわけだろ?
ブーゲンヒルとか全部含めたら想像絶する駄な犠牲になったわけだよなあ。
あげく、一航戦や台南などのベテランパイロットに、比叡霧島をはじめとする艦多数と輸送絡みはほぼ全滅だったわけだろ?

戦略さがどうしようもなさ過ぎる。
南雲や三かれる傾向にあるけど、彼等は現場の指揮官なわけであって、最高官や参謀連中の戦略眼の欠如が致命的なんだよなあ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
27 ななしのよっしん
2019/12/29(日) 13:44:40 ID: 30blYeeImZ
NHKスペシャル
原住民に生贄にされてる
の悲鳴が生々しい
👍
高評価
0
👎
低評価
0
28 ななしのよっしん
2020/02/14(金) 20:45:04 ID: KDf/tReIkk
第一次ソロモン戦と第二次ソロモン戦の間に航空機と補給物資が届いて襲圏の「蜘蛛の巣」が完成してしまったから、誤解されるんじゃないかと思うけど
第一次ソロモンの時の輸送攻撃は、直接攻撃はせずとも十分な成果だったと思うんだ

第一次ソロモン戦と第二次ソロモン戦の間に航空機と補給物資が届いてしまったけど
その妨に特別大きな作戦もなかったけど
大きな作戦もないからその間に何が輸送されてようが、日本海軍敗北に数えられる事はほとんどないけど

第一次の時にしても輸送攻撃以外に奪還のための上陸部隊輸送も計画していて中途断念、断念後の帰還中に輸送撃沈されてる事は話題にもならんけど
まあたかだか590人の部隊では成功したらしたで悲惨だったかもしれんが
👍
高評価
0
👎
低評価
0
29 ななしのよっしん
2020/08/12(水) 22:15:15 ID: HJkeJ/J4qq
日本陸軍が日露での経験とww1での教訓を元に何十年と練り上げてきた浸透夜襲アメリカww1の経験をもとに練り上げた突撃破砕戦術に木っ端微にされた一木支隊の戦闘以降日本の【攻撃】戦術自体が机上の空論になるというね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
30 ななしのよっしん
2020/12/22(火) 20:22:08 ID: KfH+f+oQMr
>>7
戦略的にソロモンよりもニューギニアの戦いの方が重要だからなあ
といってもニューギニアもあまり語られることはないが
👍
高評価
0
👎
低評価
0