ジョン・ブローニング(1855年1月21日~1926年11月26日)とは、世界でも5本の指に入るであろう天才銃器設計者である。
概要
ジョン・モーゼス・ブローニングはアメリカ合衆国の銃器設計者である。レバーアクションライフル、レバーアクション式ショットガン、ポンプアクション式ショットガン、セミオートショットガン、ガス圧利用式機関銃、自動拳銃など数多くの傑作銃器を開発し、世界的名声を残した。
ニコニコ動画においては、銃の解説動画でたびたびその名前が出現し、「またブローニングか」とコメントされたりしている。
生涯
ジョン・ブローニングは1855年にアメリカ合衆国ユタ州に生まれる。父のジョナサン・ブローニングは鉄砲店を営んでおり、ブローニングは父の手伝いの中で銃器に精通していくようになった。ジョン・ブローニングが24歳の時に父がこの世を去り、兄弟と共に鉄砲店を引き継ぐと、ジョン・ブローニングは自らが開発したレバーアクション式単発ライフルを販売した。この銃は周辺地域で大好評となり、これがウィンチェスター社の目に留まることになる。ウィンチェスター社の社長、トーマス・G・ベネットは自らブローニングの鉄砲店に乗り込み、このライフルの在庫全てと特許を8000ドルで買い取り、自社でウィンチェスターM1885として製造・販売した。
ジョン・ブローニングとその兄弟たちはウィンチェスター社にライフルを売却した利益を元に、オグデンで新たに「ブローニング兄弟商会」と名付けた鉄砲店を立ち上げる。ここでジョン・ブローニングは店舗の経営や銃の修理・製造を兄弟たちに任せて自らは銃器設計に専念することにし、頑丈で故障の少ない連発式レバーアクションライフルの開発に成功している。このライフルもまたウィンチェスター社が特許ごと買い取り、ウィンチェスターM1886として製造・販売。12万丁を売り上げる大ヒットとなった。また、この売買の後にベネットから「レバーアクション式ショットガンを作れないか」と話を持ちかけられ、開発したのがターミネーター2で有名な世界初のレバーアクション式ショットガン・ウィンチェスターM1887である。
しかし、ジョン・ブローニングはこれに満足せず、グリップから手を離すことなく連発できる新たな連発機構ポンプアクションを考案し、これを搭載したショットガンを開発する。これが世界初のポンプアクション式ショットガンであるウィンチェスターM1893であり、2度の改良を受けてウィンチェスターM1897、ウィンチェスターM1912として製造・販売された。
このポンプアクションを開発する過程でジョン・ブローニングは火薬ガスの余剰圧力を利用した自動連発機構を着想。これを実用化させるべく研究を始める。銃身から一部だけ取りだした火薬ガスでレバーを動かすレバーアクションライフルの試作や、ガンベルトから発想を得た弾帯の開発を経て遂に「機関銃」を開発し、これを軍用銃製造大手のコルト・ファイヤーアームズに売り込んだ。コルトも機関銃に興味を示し、何度かの改良を行って最終的にブローニングM1895重機関銃としてアメリカ軍に販売された。ちなみに、こうしている間にウィンチェスター社の依頼で30日以内に新型レバーアクションライフルを設計し、しかもこれがウィンチェスターM1892として100万丁売れる大大大ヒットになってたりする。この後もジョン・ブローニングは反動利用・水冷式のブローニングM1917重機関銃、M1917を空冷化したブローニングM1919軽機関銃、今でも全世界で使用されている傑作中の傑作、ブローニングM2重機関銃などの機関銃を開発する。
さらにジョン・ブローニングはこの連発機構(ガス・オペレーション)を拳銃にも適用し、自動拳銃の開発に成功している。その後、ガス・オペレーションは拳銃には適さないと判明したため、ジョン・ブローニングは代わりに薬莢が火薬ガスによって後ろに押される現象を利用したブローバックを考案している。これを適用した自動拳銃はベルギーのFN社からブローニングM1900として販売された。これは後にジョン・ブローニング自身の手で改良され、ブローニングM1910となる。一方で反動利用式(ショートリコイル)の研究も重ね、1911年にはブローニング式とも呼ばれるティルトバレル式ショートリコイルを搭載したコルト・ガバメントを開発している。
この後、ジョン・ブローニングは反動利用式のセミオートショットガンを1900年に開発してウィンチェスター社に持ち込むが、契約金支払いで関係が悪化していたウィンチェスター社はこれの買い取りを拒否する。対抗するレミントンも社長の急死で混乱が発生し、最終的にはFN社がこれを買い取って1902年からブローニングオート5として欧州市場で販売された。これによりジョン・ブローニングはウィンチェスター社と関係を断ち切り、FN社との関係を深めていくことになる。1922年には上下二連式ショットガンを開発。1926年11月26日、彼の開発した自動拳銃の集大成、ブローニング・ハイパワーの開発中に心臓発作で倒れ、死去する。
大百科に記事のある、彼が開発した銃
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関連項目
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