いつまでも熱く
ほんの一瞬だけ
煌々と輝いたり
のびのび悠揚と
波間を漂ったり。熾し火のように
いつまでも熱く
燃え続けることを。
メジロドーベルとは、1994年産の日本の元競走馬・繁殖牝馬、現功労馬・リードホースである。
馬名の由来は「冠名+ドーベルマン(犬種)」から。牝馬につける名前じゃry
主な勝ち鞍
1996年:阪神3歳牝馬ステークス(GI)
1997年:優駿牝馬(GI)、秋華賞(GI)、オールカマー(GII)
1998年:エリザベス女王杯(GI)、府中牝馬ステークス(GIII)
1999年:エリザベス女王杯(GI)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「メジロドーベル(ウマ娘)」を参照してください。 |
カーチャンのおっぱいで娘がヤバイ
父メジロライアン、母メジロビューティー、母の父パーソロンという血統。メジロ牧場ゆかりの配合ということで期待されていたのだが…
母メジロビューティーは当時日本所属の種牡馬の約22%以外は皆相性が悪く、生まれた仔が血液型の不一致を起こし、初乳(免疫力をつけるには不可欠、飲ませないわけにいかない)を飲んだら最悪死に至ってしまうという難儀かつ特殊な血液型の持ち主で、一個上のサンデー産駒の仔は初乳を飲んだ後このせいで黄疸が出て、輸血を繰り返した結果感染症で死亡してしまった。そしてすでに身ごもってしまった仔の父メジロライアンは、やはり相性が悪い種牡馬であった。
しかし、どうにかして初乳さえ飲ませれば、免疫力がつくので不適合でも何とかなる。ということで、同じ頃に出産を控えた牝馬から初乳を分けてもらい、免疫力をつけることになった。
その後、当歳時に重度の骨折をしてしまったがそれ以外は息災に育ち、無事競走馬としてデビューすることになった。
(以下、馬齢表記は旧表記)
躍動する乙女
3歳夏の新馬戦では4番人気と見くびられたが勝利。次走の新潟三歳Sでは若さを見せスタートで外にぶっ飛んでいったシーキングザパールにも敗れ5着に敗れたが、その後2連勝し阪神三歳牝馬Sへ向かい、ここを快勝。鞍上の吉田豊にGI初勝利をプレゼントし、最優秀3歳牝馬に選ばれる。
4歳初戦は桜花賞トライアルチューリップ賞、大物外国産馬シーキングザパールもいないここでは絶対の人気を背負うが…優先出走権こそ獲得したが3着に敗れてしまう。
そして本番の桜花賞では、4歳牝馬特別をぶっちぎってやって来たキョウエイマーチに人気も、桜花賞馬の称号も奪われてしまった。やっぱり血統が古臭いのか。
どっこい、オークスでは重馬場もものともせずグングン伸び快勝した。秋初戦はなんと古馬相手の重賞オールカマー。しかしここを逃げ切り、本番秋華賞で再びキョウエイと対決。逃げ粘るキョウエイを外から豪快に差し切り二冠達成。
これはやっぱり強い!ということで有馬記念でも3番人気と支持を集めたが8着に凡走。しかし最優秀4歳牝馬を受賞し、2年連続でJRA賞を獲得した。
女殺しの専門家
その後、休みなく日経新春杯に出走するが8着敗退、続く大阪杯はエアグルーヴに屈したものの2着となるが目黒記念で5着、宝塚記念でも5着と牡馬相手だとイマイチピリッとしない。牝馬らしく繊細だったのだろう。
秋は牡馬挑戦を一旦諦め府中牝馬ステークスへ向かう。ここは勝利。そしてエリザベス女王杯では上がり最速の末脚で派手に斜行しながら最内から突き抜けエアグルーヴを撃破しGI4勝目を挙げた。しかし有馬記念では9着惨敗。牡馬が混じるとやっぱりダメ。
6歳初戦は中山牝馬ステークスを選ぶが実績がありすぎて58.5キロという斤量設定をされ、これが響いたか差し切れず2着。レース後腱鞘炎で休養に入り春は全休となってしまう。
秋は斤量の問題から毎日王冠からの始動となったがやっぱり完敗。しかし牝馬同士のエリザベス女王杯ならば負けない。内から突き抜けGI5勝目。この勝利を手土産に引退となった。さらに年度表彰で2年連続で最優秀5歳以上牝馬を受賞。なんとデビューから4年連続でJRA賞を獲得となった。
成績について
21戦10勝GI5勝、かつJRA賞4年連続獲得……と、凄まじいまでの実績を持つが、同時期のエアグルーヴや、キョウエイマーチに比べるとなんだかひ弱なイメージがあるのはやはり
出走数 | 1着 | 2着 | 3着 | 馬券外 | |
牝馬限定戦 | 11 | 8 | 2 | 1 | 0 |
牡牝混合戦 | 10 | 2 | 1 | 0 | 7 |
という、あまりに対牝馬に特化しすぎた成績であることが大きすぎる気はする。
連対した牡馬混合戦は産経賞オールカマー(GII)を除けばいちょうステークス(3歳オープン)とエアグルーヴとの一騎討ち扱いだった産経大阪杯(当時はGII)であり、ちゃんとした混合戦とはちょっと言い難い感じはある。それに比べれば、牡馬一線級とどつきあっていたエアグルーヴや、牝馬も通じやすいマイルとはいえ地方まで出張って戦い抜いたキョウエイマーチの方がたくましく見えるのは仕方の無いことであろう。
とはいえ、ピークが短いとされる牝馬ながら3歳から6歳まで一線級として戦い抜いたドーベルは、十二分に立派な馬である。父メジロライアンも彼女とメジロブライトの大活躍で種牡馬としての寿命がぐんと伸びたわけで。
メジロを受け継ぐ"姐さん"
繁殖牝馬としては「不運」の一語に尽きる。第一子と第二子はデビューすら出来ず、第三子は不運続きの中予後不良となり死亡。ようやく勝ち上がった第四子メジロシャレードは厩舎で腰を骨折し引退、第六子のメジロダイボサツは12冠ベイビーという呼ばれ方をしたが未勝利脱出がやっとという有様。運も悪いが、無事な仔を見ると失敗と言わざるを得ない結果である。
そうこうしているうちにふるさとのメジロ牧場も解散(2011年)となり、彼女も2016年に繁殖牝馬を引退することになった。これを逆に奇貨として、今までの不運を払拭するような子孫が現れることを願うばかりである。2014年には孫に重賞勝ち馬が現れた(ショウナンラグーン, GII青葉賞1着)あたり、GI勝ち馬の血統表で"メジロドーベル"の文字列が見られる日もそう遠くないのかもしれない。
老成し牧場スタッフとファンから"姐さん"と呼び敬われるようになった彼女は現在、メジロ牧場の後継であるレイクヴィラファームにて繁殖牝馬と仔馬たちの面倒を見る馬群のリーダー「リードホース」として第三の馬生を送っている。精神的に不安定になりがちな離乳後の仔馬たちの保母として、時には現役の繁殖牝馬たちを統べるネオメジロレイクヴィラの長老として、"ドーベル姐さん"は今日もかつてのメジロの地からいつかターフ・ダートへ巣立って行く子供たちを暖かく見守っている。
なお、仔馬たちが夜間放牧や運動・馴致に向けて動き出すため、冬季は高齢の身を考慮して1歳になる組のリードホースを若い馬と交代し、自身はこれから出産を迎える繁殖牝馬たちのリードに就いているとのこと。2021年からは次期1歳組のリードを息子の"ゆめお"ことホウオウドリームが引き継ぐようになった。騸馬がリードホースを勤める理由については、その先駆けであるフサイチホウオーの記事を参照。
血統表
メジロライアン 1987 鹿毛 |
アンバーシャダイ 1977 鹿毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer |
Lady Victoria | |||
*クリアアンバー | Ambiopoise | ||
One Clear Call | |||
メジロチェイサー 1977 鹿毛 |
メジロサンマン | Charlottesville | |
*パラディシア | |||
*シェリル | *スノッブ | ||
Chanel | |||
メジロビューティー 1982 鹿毛 FNo.10-d |
*パーソロン 1960 鹿毛 |
Milesian | By Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Calonice | |||
メジロナガサキ 1971 栗毛 |
*ネヴァービート | Never Say Die | |
Bride Elect | |||
メジロボサツ | *モンタヴァル | ||
メジロクイン | |||
競走馬の4代血統表 |
産駒成績
- メジロヒラリー (2001年産 牝 父エルコンドルパサー 不出走)
- メジロルルド (2002年産 牝 父サンデーサイレンス 不出走)
- メジロアレグレット (2003年産 牝 父アグネスタキオン 6戦0勝)
- メジロシャレード (2006年産 牝 父マンハッタンカフェ 2戦1勝)
- メジロオードリー (2007年産 牝 父スペシャルウィーク 14戦2勝)
- メジロダイボサツ (2008年産 牡 父ディープインパクト 16戦1勝)
- レーヌドブリエ (2012年産 牝 父ゼンノロブロイ 30戦4勝)
- ホウオウドリーム (2014年産 牡 父ルーラーシップ 18戦4勝)
- メジロドーベルの2015 (2015年産 牝 父キングカメハメハ 不出走)
- ピンシェル (2016年産 牡 父ルーラーシップ 15戦1勝)
関連動画
関連生放送
関連コミュニティ
関連項目
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
|
JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
---|---|---|
1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
|
2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
|
※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
競馬テンプレート |
その他表彰
JRA賞最優秀3歳牝馬 | ||
---|---|---|
1995年 | 1996年 | 1997年 |
ビワハイジ 3戦3勝 阪神3歳牝馬ステークス |
メジロドーベル 5戦4勝 阪神3歳牝馬ステークス |
アインブライド 5戦3勝 阪神3歳牝馬ステークス |
JRA賞最優秀4歳牝馬 | ||
1996年 | 1997年 | 1998年 |
ファビラスラフイン 7戦4勝 秋華賞 |
メジロドーベル 6戦3勝 優駿牝馬・秋華賞 |
メジロドーベル 6戦3勝 桜花賞・秋華賞 |
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
1996年 | 1997年 | 1998年 |
フラワーパーク 8戦4勝 高松宮杯 スプリンターズステークス |
メジロドーベル 同上 |
メジロブライト 7戦3勝 天皇賞(春) |
JRA賞最優秀5歳以上牝馬 | ||
1997年 | 1998・99年 | 2000年 |
エアグルーヴ 7戦2勝 |
メジロドーベル 7戦2勝 エリザベス女王杯 3戦1勝 エリザベス女王杯 |
ファレノプシス 3戦1勝 エリザベス女王杯 |
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