久保建英 (くぼ たけふさ、2001年6月4日 - )とは、日本のプロサッカー選手である。
スペイン・ラ・リーガのレアル・ソシエダ所属。サッカー日本代表。
173cm67kg。ポジションはFW、MF。利き足は左足。愛称は「タケ(TAKE)」。
概要
神奈川県川崎市出身。小学生の頃からスペインの名門FCバルセロナの下部組織(カンテラ)で育ち、「日本の至宝」と称されるほど、幼い頃から将来の日本代表のエース、さらには世界的なスター選手とになることを期待されてきた超逸材である。
バルセロナの規約違反の影響で15歳のときに一度日本へ戻るが、18歳になった2019年6月にバルセロナのライバルチームであるレアル・マドリードと契約。その後、マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェとラ・リーガのクラブにレンタル移籍した後、レアル・ソシエダへ完全移籍。
レアル・ソシエダに移籍後、才能が開花しており、これまで日本人にとって鬼門になっていたラ・リーガでチームの年間最優秀選手や海外メディアが選ぶシーズンのベストイレブンに選出されるなど現地でも高く評価され、クラブを10年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ出場に導いている。
2024年1月の時点での市場価値はアジア人選手のトップとなる6000万ユーロ(約97億円)とされている。
日本代表には2019年に18歳でデビューし、2022 FIFAワールドカップにも出場したが、なかなか目立った結果を残せずにいた。それでも2023年ではソシエダで見せているハイレベルのプレーを披露するようになり、代表の主力に定着。
攻撃的な二列目のポジションであればどこでもこなすことができるが、もっとも得意としているのは右のウイング。また、幼い頃からスペインで育ったことからスペイン語とカタルーニャ語を完璧に話すことができ、現地の文化や風習も理解できている。パーソナリティもスペイン人寄りであり、自己主張が強く、大人しいとされる日本人の中では異例の存在となっている。私生活のノリもかなりの陽キャである。
経歴
生い立ち
2001年に長男として生まれ、6年後に生まれた弟もいる4人家族で育つ。父親はミサワホームの総務部長で、筑波大学のサッカー部に在籍した経歴を持つ。両親は長男であるものの次男のように育てるという方針を持ち、自分の気持ちをストレートに表現できる子に育てようと考えていた。
ボールを蹴り始めたのは2歳のときで、近所の公園で父親と一緒に毎朝1時間弱サッカーの練習を始めるようになる。
3歳になった2004年、父親がコーチとして参加していた坂浜サッカークラブへ入団し、本格的にサッカーを始める。
小学1年生で地元川崎市麻生区にある「FCパーシモン」に入団。1年生最初の招待試合で優勝し、優秀選手にも選ばれ、すでに非凡な才能を見せていた。
2009年、小学2年生のときに横浜で開催されたFCバルセロナキャンプに参加し、MVPに選ばれる。翌年4月、FCバルセロナスクールの一員として選ばれ、ベルギー開催のソデクソ・ヨーロピアンカップに参加。チームは3位だったにもかわらずMVPに選ばれる。この頃から一部メディアの間では、天才少年として取り上げられていた。
小学3年生のときに川崎フロンターレの下部組織に入団。当初はU-10チームに所属していたが、小学4年生になったばかりの頃には、2学年飛び級であるU-12チームの試合に出場している。
バルセロナ下部組織
2011年8月FCバルセロナの下部組織カンテラの入団テストに合格。地元カタルーニャ出身で尚且つ13歳以上の入団条件でありながら、弱冠9歳の外国出身選手として特例中の特例で11歳以下のアレビンCに入団し、ラ・マシアで英才教育を受けることになる。
すると、U-11のリーグ戦年間30試合で74得点を記録し、得点王に輝く。2013-14シーズンの地中海カップU-12トーナメントにおいて大会得点王とMVPに輝く。2013年には、バルセロナの一員として来日し、U-12の大会に出場している。バルセロナのカンテラで中心選手として君臨する日本人の存在は、日本のサッカーファンの間でも将来の日本の希望として注目されるようになり、スペイン国内でも将来のバルセロナのエース候補として期待される存在となる。
2014-15シーズンに14歳以下のインファンティルAに所属するが、外国人補強問題でFCバルセロナがFIFAから罰則を受けた事で、公式試合に出場できなくなり退団することに。
FC東京
2015年3月、日本へ帰国し、FC東京の下部組織に入団。古巣川崎含め複数のクラブで争奪戦となったが、マスコミをシャットアウトしプレーに集中できる環境が決め手となった。
2016年、中学3年生ながらFC東京U-18に飛び級で昇格。8月の日本クラブユース選手権では、大会史上初となる中学3年生での得点王に輝き、チームの優勝に貢献している。9月には、FC東京のトップチームに2種登録される[1]中学生Jリーガーとなった。同年11月5日のJ3第28節長野パルセイロ戦でゴールを決め、Jリーグ史上最年少得点記録を塗り替える。
2017年11月1日にFC東京とプロ契約を交わし、正式にトップチームへ昇格。11月26日のJ1第33節サンフレッチェ広島戦で途中出場し、J1デビューを果たす。しかし、長谷川健太監督が守備時の運動量を要求したこともあってJ1リーグではなかなか出場の機会が与えられず、J3リーグでの出場が主戦場となっていた。
2018年もトップチームのベンチ入りすら果たせず、J3での出場がメインだった事に危機感を募らせ自ら期限付き移籍を志願し、同年8月15日に横浜F・マリノスへ期限付き移籍。8月25日のJ1第24節ヴィッセル神戸戦にてJ1初ゴールを決める。しかし、マリノスが残留争いを繰り広げるなか出場機会を徐々に失い僅か5試合の出場に留まった。
2019年に期限付き移籍が満了しFC東京へ復帰。開幕戦川崎フロンターレ戦にてスタメンとなり、4月10日の秩父宮ラグビー場で行われたYBCルヴァンカップグループステージサガン鳥栖戦においてFKでシーズン初ゴールを上げる。その後5月12日のジュビロ磐田戦でリーグ戦シーズン初ゴールを上げる。主に4-4-2の右サイドハーフを主戦場にプレーし、リーグ戦13試合で4ゴールを記録。チームを5月の中断期間の時点において首位に押し上げる活躍を見せた。
レアル・マドリード→マジョルカ
2019年6月14日、古巣であるバルセロナからもオファーを受けたが、条件面で上回っていたレアル・マドリードに5年契約で完全移籍することが発表された。1年目はBチームであるカスティージャでプレーすることになっていたが、ジネディーヌ・ジダン監督から才能を買われてトップチームのプレシーズンツアーに帯同。同年8月22日トップリーグでのプレーを希望したこともあり、プリメーラ・ディビジオンに所属するRCDマジョルカへの期限付き移籍が決定。
2019年9月3日ラ・リーガ第3節バレンシア戦において途中出場で待望のリーガデビューを果たし、第13節のビジャレアル戦では後半8分にラ・リーガでの初ゴールを決める。しかし、降格圏に低迷するチームの中で守備での貢献度の低さが問題となり、チームトップの技術を持ちながらなかなかスタメンで起用されない時期が続く。それでも、2020年2月9日の第25節ベティス戦で6試合ぶりにスタメンで起用されると、1得点1アシストを含むチームの全3得点に絡む大活躍を見せる。これがきっかけでレギュラーに復帰。新型コロナウィルスによる中断明けとなった6月13日には、古巣であるバルセロナと対戦。チームは0-4で敗れた中で1人躍動し、強烈な存在感を見せる。以降、攻撃の中心として君臨し、2020年7月1日のセルタ・デ・ビーゴ戦では2アシストを含む4ゴールに絡む圧巻のプレーを見せる。チームは1年でセグンダ・ディビジオン(2部)に降格となったが、個人としては結果を残し、飛躍のシーズンとなった。UEFA公式サイトによるラ・リーガの「ブレイクイレブン」に選出されるなど、その活躍ぶりは国内外から注目を浴びる。
ビジャレアル
保有先のレアル・マドリードは、引き続きレンタルで経験を積ませようと考え、スペイン国内外の多数のチームが獲得のオファーを出し、移籍先が注目された中、2020年8月10日ラ・リーガのビジャレアルCFへのレンタル移籍が決定。レンタル料は3億円をビジャレアルが支払うことになり、契約が成立した背景にはウナイ・エメリ監督が直接会談するなど獲得に意欲的だったことがあげられている。
2020-2021シーズンのラ・リーガでは開幕から5試合連続でスタメンを外れ、いずれも出場時間が10分未満と出場機会を得られない日々が続く。10月18日のラ・リーガ第6節バレンシア戦では、後半19分から出場し決勝ゴールを演出するが、2度の警告を受けて退場となる。しかし、2度目の警告に対してビジャレアル側が異議を申し立てた結果、警告が取り消しとなり、出場停止処分が撤回される。10月22日のUFEAヨーロッパリーグ・グループステージ第1節シバスポル戦で移籍後初スタメンを飾ると、移籍後初ゴールに加え、2アシストの大車輪の活躍を見せ、勝利に貢献する。だが、ラ・リーガではスタメンで起用された試合はわずか2試合にとどまるなど満足な出場機会が得られず、保有元であるレアル・マドリード側の意向もあって2021年1月でレンタル契約を打ち切ることとなる。
ヘタフェ
2021年1月8日ラ・リーガのヘタフェCFへの期限付き移籍が発表される。契約は2020-2021シーズン終了までの半年間。背番号は「5」。加入からわずか3日後の1月11日、チーム練習に参加できないぶっつけ本番ながらも後半19分から起用され、2得点を演出する働きによって勝利に貢献する。しかし、ここでもビジャレアル時代と同じく守備の強度不足と戦術がプレースタイルに合わないことが問題となり、出場機会に恵まれない日々が続くようになる。それでも、5月16日のラ・リーガ第37節レバンテ戦で後半30分から出場すると、シーズン初ゴールとなる決勝ゴールを決め、チームのラ・リーガ残留が決まる値千金の勝ち点3をもたらす。
マジョルカ復帰
2021年8月11日、1部に昇格したRCDマジョルカに再びレンタル移籍することが発表される。チーム合流からわずか3日で試合に出場し、主力として重要視されていたが、9月22日のラ・リーガ第6節保有先のレアル・マドリード戦で膝を負傷して前半で交代。当初は全治1か月とされていたが、その後当初の見立てよりも重症であることが発覚する。11月27日のヘタフェ戦で20分間プレーし復帰。復帰2試合目となったラ・リーガ第16節アトレティコ・マドリード戦では試合終了間際にシーズン初ゴールとなる劇的な逆転ゴールを決め、チームに8試合ぶりとなる勝利をもたらしている。復帰後はフィジカル面が向上し、課題だった守備で成長が見られたが、得点やアシストが伸びずにいた。チームが降格の危機に直面したことで2022年3月24日に元日本代表監督でもあるハビエル・アギーレが監督に就任するとスタメンから外れることが多くなる。結局マジョルカは最終節で残留を果たしたが、自身は1得点0アシストに終わる厳しいシーズンとなり、市場価値も2年前から大きく下落する。
レアル・ソシエダ
2022年7月19日、スペイン ラ・リーガのレアル・ソシエダへ完全移籍することが発表される。契約は5年、背番号は「14」。当初、レアル・マドリードがレンタルでの移籍以外は認めない方針だったため交渉が難航していたが、久保本人がソシエダへの完全移籍を希望したことから、レアル・マドリードが買い戻すことが可能な50%の保有権を保持することで交渉が成立した。
プレシーズンでのアピールに成功し、8月14日のラ・リーガ開幕戦カディス戦にスタメンとして出場。2トップの一角での起用となったが、前半24分に先制ゴールを決めるなど高いパフォーマンスを披露し勝利に貢献。リーガ公式のMOMに選出され、リーガ公式の開幕戦ベスト11に選出されるなど、最高の新天地でのデビューとなる。9月18日の第6節エスパニョール戦では、21歳3か月でラ・リーガ100試合出場を達成。この試合で公式戦2試合連続となるアシストを記録している。10月2日ラ・リーガ第7節ジローナ戦では1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献。初のバスク・ダービーとなった2023年1月14日の第17節アスレティック・ビルバオ戦ではチームの追加点を奪うのみならず、ダメ押しとなるPKを獲得する大活躍ぶりで公式戦7連勝をもたらし、MOMにも選ばれる。また、2月にはダビド・シルバが負傷離脱した中で攻撃の中心として躍動し、リーグ戦3試合連続でMOMを獲得する。4月8日のバリャドリード戦では、シーズン6ゴール目を決め、乾貴士の持っていたラ・リーガにおける日本人のシーズン最多得点記録を更新する。5月2日には古巣であるレアル・マドリードを相手に先制ゴールを決め、チームの勝利に貢献。1年間中心選手として躍動し、公式戦9ゴール6アシストの成績を残し、チームを10年ぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場へと導く。リーグ最多となるシーズン通算9回のMOMに選ばれており、ムンド・デポルティーボなど複数のメディアがラ・リーガのシーズンベストイレブンに選出。さらには、クラブの年間最優秀選手に選出され、まさに飛躍のシーズンとなった。
シーズンオフには、サウジアラビアから巨額のオファーを受けたもののこれを断り、ソシエダに残留する。
2023-24シーズンはダビド・シルバが怪我のために現役を引退することになりさらに責任が圧し掛かるシーズンとなったが、2023年8月12日のラ・リーガ開幕戦では前半5分で先制ゴールを決め、MOMにも選出される。9月2日の第4節グラナダCF戦では、前半に2ゴールを決めるなど4得点に絡む大活躍でチームにシーズン初勝利をもたらす。リーガでは初のドブレーテ達成であり、開幕から4試合連続でMOM選出という快挙も成し遂げる。9月は5試合で4ゴールを挙げるなどハイパフォーマンスを披露し、日本人としては初となるラ・リーガ月間最優秀選手に選出される。相手からの執拗なマークやCL・代表による過密日程に苦しみながらも12月9日の第16節ビジャレアル戦では1ゴール1アシストを含む3ゴール全てに絡む大活躍を見せる。久保のドリブルはラ・リーガのDFをもってしてもファウルをしなければ止められなくなっており、その弊害として暴力的なファウルを受け、自ら警笛を鳴らすコメントを発している。
アジアカップ参加から復帰したばかりの2024年2月12日にはクラブとの契約を2029年6月まで延長。アジアカップから帰還したシーズン後半戦は過密日程や負傷の影響によってコンディションを落とし、スタメンから外れる試合も出るなど圧倒的なパフォーマンスを見せた前半戦と比べると失速した感は否めなかった。それでも前半戦のインパクトは評価され、リーガ公式のMVP候補に選出されている。
2024-25シーズンはリヴァプールFCへの移籍話が浮上するが、最終的にレアル・ソシエダに残留。2024年8月25日、ラ・リーガ第2節エスパニョール戦では途中出場ながら個人技から決勝ゴールを決め、チームにシーズン初勝利をもたらす。
日本代表
2016年9月にインドで開催されたAFCU-16アジア選手権2016にU-16日本代表として出場。同年代の選手と比べてすでに別格といえるレベルのプレーを披露し、グループリーグ最初の2試合で連続2ゴールを決める。準決勝までの5試合中4試合に出場し、U-17ワールドカップ出場権獲得に貢献。11月には、15歳(中学3年生)でアルゼンチン遠征をおこなうU-19サッカー日本代表に飛び級で選出。史上初となる中学生でのU-19代表メンバー入りを果たす。
2017年5月には、韓国で開催された2017 FIFA U-20ワールドカップに出場するU-20日本代表のメンバーに15歳で選出される。グループリーグ初戦の南アフリカ戦に途中から出場すると、堂安律の逆転ゴールをアシスト。また、第2戦のウルグアイ戦とラウンド16のベネズエラ戦に途中出場している。また、9月にはインドで開催された2017 FIFA U-17ワールドカップのメンバーに選ばれ、1年で2つの世代別のワールドカップを戦うこととなる。6点を奪って大勝したグループリーグ初戦のホンジュラス戦では1ゴール1アシストの活躍。攻撃の軸としてチームを牽引し、ラウンド16ではこの大会で優勝したイングランド相手に善戦するが、PK戦の末に敗れている。
2018年10月には、インドネシアで開催されたAFCU-19アジア選手権2018にU-19日本代表として出場。グループリーグ初戦の北朝鮮戦では、直接フリーキックを決めて勝利に貢献。準決勝でサウジアラビアに敗れたものの、U-20ワールドカップ出場権獲得に貢献。しかし、翌年のU-20ワールドカップには、コパ・アメリカ出場を優先させるため、出場が見送られた。
2019年のキリンチャレンジカップにてA代表に飛び級招集され、6月15日に開催するコパアメリカの日本代表メンバーにも選出された。6月9日に開催されたエルサルバドルとの親善試合において後半22分から出場してA代表デビューを果たし、コパ・アメリカでは全3試合に出場。グループステージ敗退に終わったが、久保自身のプレーは海外のメディアから高く評価された。2020年10月13日におこなわれたコートジボワール戦では、久々にスタメンで出場するが精彩を欠き、後半16分で交代となる。
2021年3月には東京オリンピックを目指すU-24代表に選出され、U-24アルゼンチン代表との2連戦にいずれもトップ下としてスタメンで出場。3月29日の第2戦ではコーナーキックから板倉滉のゴールを2度アシストし、強豪相手に3-0で勝利した立役者となる。6月12日におこなわれたジャマイカとの親善試合では、右足からカットインしながらDF4人の股の下を通す圧巻のゴールを決めている。
2021年7月開催の東京オリンピック本大会のメンバーにも順当に選出。なお、オリンピック本大会前の親善試合では背番号「11」と付けていたが、メンバー発表後は背番号「7」に変更されている。7月22日、グループステージ初戦の南アフリカ戦では0-0で迎えた後半26分に値千金の決勝ゴールを決め、日本を勝利に導いている。第2戦のメキシコ戦でも前半6分に2試合連続となる先制ゴールを決めている。さらに第3戦のフランス戦でも3試合連続で先制ゴールを決め、日本の3戦全勝でのグループリーグ突破に貢献する。決勝トーナメントに入ってからも厳しいマークと連戦の疲労を抱えながら攻撃を牽引したが、スペイン、メキシコに敗れメダル獲得はならず。メキシコ戦後、「サッカーをやっていてこんな悔しいことはない」と人目をはばからず悔し涙を流した。
2022 FIFAワールドカップ アジア最終予選では敵地での中国戦でスタメン出場するが、ラ・リーガでの怪我で離脱している間に日本はトップ下を置かないフォーメーションに変更したうえに右WGの伊東純也が大活躍を見せたことで控えとなり、重要な2022年2月のサウジアラビア戦、3月のオーストラリア戦では出場機会が与えられなかった。所属クラブで結果を残せないこともあり、メディアやファンから不要論も出始める中、6月10日のガーナ戦で代表17試合目にして待望の初ゴールを決める。
レアル・ソシエダ移籍後の活躍が認められ、2022年11月にカタールで開催された2022 FIFAワールドカップのメンバーに選出される。26人の中で最年少ながらグループリーグ初戦のドイツ戦とスペイン戦の2試合に左サイドハーフとしてスタメンで出場。しかしチームが劣勢に立たされる時間帯で守備のタスクを十分こなしていたものの、本来の攻撃面での持ち味は発揮できず、2試合とも前半45分で交代となった。ラウンド16のクロアチア戦は体調不良のため欠場となり、悔しさの残る初のワールドカップとなった。
2023年6月15日のエルサルバドル戦では1ゴール2アシストの活躍を見せる。9月9日のドイツ戦では15分間の短い出場時間ながらも2アシストの活躍を見せる。10月、11月の代表戦ではトップ下で起用されるようになり、チームの中での存在感を見せるようになる。11月21日、2026 FIFAワールドカップ アジア二次予選のシリア戦では圧巻のミドルシュートで先制ゴールを決め、代表での公式戦初ゴールを記録する。
2024年1月にカタールで開催されたAFCアジアカップ2023では、直前に左太ももを負傷した影響もあって初戦のベトナム戦は後半39分からの出場となるが、投入されてすぐに上田綺世のゴールをアシストする。第2戦以降はトップ下(右IH)でスタメンで起用され続け、ラウンド16のバーレーン戦では大会初ゴールをマークする。しかしいずれの試合も試合中盤で途中交代となり、チームも準々決勝のイラン戦で敗退。ワールドカップのときと同様に消化不良感の残る大会となった。
2024年9月5日、2026 FIFAワールドカップ アジア最終予選初戦の中国戦では1ゴール2アシストの活躍で7-0の大勝に貢献。なお、この試合では大手サイト「Sofascore」による機械採点において10点満点という異例のパーフェクト評価が付けられている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2016 | FC東京U-23 | J3リーグ | 3 | 0 | |
2017 | FC東京U-23 | J3リーグ | 21 | 2 | |
FC東京 | J1リーグ | 2 | 0 | ||
2018 | FC東京 | J1リーグ | 4 | 0 | |
横浜F・マリノス(loan) | J1リーグ | 5 | 1 | ||
2019 | FC東京 | J1リーグ | 13 | 4 | |
2019-20 | マジョルカ(loan) | ラ・リーガ | 35 | 4 | |
2020-21 | ビジャレアル(loan) | ラ・リーガ | 13 | 0 | |
ヘタフェ(loan) | ラ・リーガ | 18 | 1 | ||
2021-22 | マジョルカ(loan) | ラ・リーガ | 28 | 1 | |
2022-23 | レアル・ソシエダ | ラ・リーガ | 35 | 9 | |
2023-24 | レアル・ソシエダ | ラ・リーガ | 30 | 7 | |
2024-25 | レアル・ソシエダ | ラ・リーガ |
プレースタイル
ドリブル突破、キック精度、パスセンス、高いテクニックが目を引くが、指導者や評論家からはゲームメイク能力と視野の広さを高く評価されている。バルセロナの下部組織出身らしくボールを持ったときに首振りを何度もおこない、敵と味方の位置を確認しながらプレーの選択肢を考えるプレーが特徴的である。
ドリブルの際は、ボールを懐に入れることで相手に間合いに入らせないようにし、相手が奪いにきたら細かいタッチでかわし、来なければそのまま運んでゴールへと近づく。また、常に前を向いておくことで視野を確保することが可能となり、相手の出方や味方の動きを観察できる状態を維持している。そのため、味方の動き出しに合わせてパスを出すことができる。
プレスキックも得意としており、FKからの直接ゴールを狙うこともできる。ボール技術の高さから正確にコントロールしたシュートをもっとも得意としているが、パワー系の強いシュートも放つことができ、距離のある位置でも枠に飛ばすことができる。右ウイングでプレーする際は、カットインから個人技で左足のシュートを決めるのが得意な形となっている。
一方、フィジカル面では課題を抱えており、チームが守勢に回ったときに存在感が薄くなる傾向があった。だが、ヘタフェやマジョルカで壁にぶち当たっていた時期に守備力が大きく向上。特に前線からのコースを切る守備は世界でもトップクラスの技術を持っている。フィジカル面もソシエダ加入後は大幅に強化されており、当たり負けのしない強靭な体を手にしている。
そのプレースタイルから「左利きのイニエスタ」とも称される。スペインのジャーナリストであるヘスス・スアレス氏は、ワールドサッカーダイジェストのコラムにおいてダビド・シルバに似たプレースタイルであると語っている。特にダビド・シルバとはソシエダ移籍1年目のときにチームメイトになっており、大きな影響を受けている。また、本人は目指す究極形としてベルナルド・シウバの名前を挙げている。
エピソード・人物
久保の非凡な才能は、幼少の頃の両親の英才教育の賜物であると言われ、2歳頃は足裏の感覚を養わせるために公園で遊ぶときははだしで歩いていた。幼稚園児の頃は、外遊びをさせるために家におもちゃを置かないようにし、絵本をたくさん読み聞かせることで想像力と考える力を養わせている。
バルセロナで活躍していた幼少期の頃から注目されていたため、マスコミやファンから長年「久保くん」と呼ばれることが多かった。これに対し、プロ契約した後に「これからは久保くんじゃなく、久保建英でお願いします」とマスコミに呼びかけている。
レアル・マドリード移籍が決まった後の試合後、壮行セレモニーがおこなわれたが、このときFC東京のサポーターだけではなく、この試合の対戦相手であり1年前のレンタル先でもあった横浜F・マリノスのサポーターにも感謝の言葉を述べている。
実はかなりの陽キャであり、ゴールを決めた際はチームメイトのリクエストに応えたユニークなゴールパフォーマンスを披露している。日本代表のチームメイトからも「よく喋る、ずっと騒いでいる」と評されている。ビジャレアルに加入した際は、チームメイトの前で「ドラえもんのうた」を熱唱している。
スペインで長く過ごしていることもあって物事をはっきりと発言するタイプであり、通常日本人が言いづらいことも堂々と話す。ただ謙虚さを好む日本人の感覚に合わず、発言が一部で物議を醸すことがある。
2022年7月にはWOWOWの番組で中村俊輔との対談が実現。その際に直々にフリーキックの蹴り方を伝授されている。
2023年6月20日の日本代表とペルー代表の親善試合の試合後に、足の怪我の治療のためにドクターに診てもらおうとした際に交換したペルーの選手のユニフォームを思わず投げ捨ててしまう。久保はすぐに謝罪の言葉をSNSで述べたが、ペルー人から誹謗中傷のコメントが寄せられ、炎上騒ぎになってしまう。
6歳下の弟である久保瑛史もサッカー選手であり、横浜F・マリノスのジュニアユースを経て現在はレアル・ソシエダの下部組織に在籍している。また、従妹の久保凛は陸上選手として活躍しており、高校1年生にして全国高校総体の800mで優勝している。
関連動画
関連書籍
関連項目
関連リンク
脚注
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