夢で逢えたらとは、1988年~1991年にフジテレビ系で放送された伝説の深夜番組である。
概要
まだ若手有望格的扱いであったダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子の計6人による合同コント番組。
当初は関東ローカルの夜深い時間でひっそりと始まり、視聴率が1%を下回ることもあるくらい誰からも注目されない存在であった。
しかし、徐々に人気が高まり、1989年4月に土曜23時半へ放送時間が移動し全国ネットに昇格。ダウンタウンやウンナンの人気上昇や、この番組の前の時間帯に放送されていた「ねるとん紅鯨団」の視聴者がそのままこの番組にも流れてきたという相乗効果も相まって、最盛期には深夜番組としては異例の20.4%を獲得するなど、若者を中心に絶大な人気を誇るようになった。
1991年3月に野沢の渡米に伴う芸能活動休止でこの番組も降板し、最終回までは残りの5人体制となった。
この番組を源流として、ダウンタウン側は「ダウンタウンのごっつええ感じ」、ウンナン側は「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」に分裂し、それぞれが独自の進化を遂げることとなる。
なお、「ごっつええ感じ」のレギュラー放送開始が番組改編期ではない1991年12月に急遽決まったことから、Panasonic枠としては翌1992年3月までの間ダウンタウンとウッチャンナンチャンがゲストを招いてトークする番組「夢の中から」がつなぎ番組として制作され、前述の2番組と並行して放送された。
補足
- 東西の若手有力お笑い芸人を一堂に会した合同コント番組というフォーマットはすでに「オレたちひょうきん族」で確立されていたが、この番組の成功によって、「まず合同コント番組を深夜に立ち上げ、人気が出たら23時台に、そして最終的にはゴールデンタイムに持って行き看板番組に育て上げる」という、フジテレビ特有の番組・出演者・スタッフの育成方法が確立された。その格好の実験場としてこの放送枠が利用され、Panasonic(旧:松下電器産業)の一社提供枠であったことから「Panasonic枠」という俗称で定着し、1990年代には数々の人気番組が生まれることとなった。「夢がMORI MORI」からはSMAP・森脇健児、「めちゃ2モテたい!」からナインティナイン、「LOVE LOVE あいしてる」からはKinki Kidsと、この枠の番組をきっかけに人気者となった。
- 「夢逢え」開始当初、ダウンタウンはまだ本格的に東京進出する前だったため大阪から新幹線で毎回東京まで通って収録を行っていた。大阪ですでに平日夕方の帯バラエティ番組「4時ですよ~だ」(毎日放送)のメインMCに抜擢されるなど爆発的人気を得ていたダウンタウンにとって、大阪での深夜までに及ぶ数々の仕事をこなすのに加えて東京に通うのは体力的にもかなりキツいものだったため、一度「食あたり」という嘘をついて収録を欠席したことがある。
「夢逢え」の土曜23時半への時間移動前後からダウンタウンは本格的に東京へ活動拠点を移し、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ)をスタートさせるなど全国区の人気を確実なものにさせる。 - 「夢逢え」放送当時すでに売れっ子であった野沢直子が1991年に突如芸能活動休止をしたのは、この番組において他の5人との実力差に直面して絶望し、すべての仕事を投げ出してアメリカへ逃亡したからだと、2016年に放送された「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日)にゲスト出演した際告白している。また、そのように悩んでいたのは他にもおり、中にはストレスで10円玉程度の脱毛症状が起きてしまった者がいたと野沢は番組スタッフから聞かされたとも話している。
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