小早川秀秋
「小早川秀秋」(こばやかわ・ひであき 1582 ~ 1602)とは、戦国時代の大名で豊臣家臣。
通称は「金吾」。(※元服時の官位「左衛門督」の唐名「執金吾」から)
羽柴秀吉の正室おね(北政所/高台院)の甥(兄、木下家定の五男)であったが秀吉の養子となり、羽柴秀俊と名乗ったがのち小早川隆景の養子となり小早川家を継ぐ。
朝鮮の役では元帥として参加しながら槍をもって奮戦し(この頃に名前を秀俊から秀秋に改名する。)、関ヶ原の戦いにおいては序盤戦というべき伏見城の戦いでは西軍の一員として戦功を上げた。
・・・・・・が、決戦の場である関が原の戦いでは豊臣家に連なる者でありながら西軍から東軍へと寝返り大谷吉継の軍勢に攻め込むが、吉継は元より裏切りを予測しており兵数で勝るはずの小早川軍は迎撃をうけて遁走してしまうも、他の西軍側武将らの裏切りの連鎖が続き大谷軍は崩壊、それが契機となり西軍壊滅し、東軍が勝利を収める結果となった。
その後、関が原の戦いの戦後論功行賞で岡山藩55万石の藩主となったが2年後に急死(大谷吉継が関ヶ原の合戦において自害する際、秀秋の陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹しており、この祟りによって狂乱して死亡に至ったという説あり)した為、(関が原以前の領地では農民保護策など善政を執っていた模様でもあるが)裏切り者の悪名だけが残る結果となってしまった。
美形であったといわれる片倉小十郎重長(伊達政宗に仕えた片倉小十郎景綱の子)を追い回していたとの話が残る。
※その他「小早川秀秋」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
概要
「関ヶ原の裏切りの代表格」として、数多くのドラマに登場し、「信長の野望」にも配下武将システムが初めて導入された「戦国群雄伝」から全てのタイトルに登場する。
「裏切り者」の印象が強く人気があるとはいえないキャラだったが、以下の二作品では大いに評価が異なる。
MUSASHI -GUN道-
2006年に制作・放映された、伝説のアニメーション。
圧倒的なまでの作画崩壊ぶりと奇想天外な演出で有名なこの作品においては、
史実と異なり「豊臣方が関ヶ原の戦いで勝利した」一種のパラレルワールド的な舞台背景となっており
秀秋は「関ヶ原の戦いで豊臣方に勝利をもたらした名将」とされている。
また、けっこう美形に描かれてもいる。
采配のゆくえ
2008年にコーエーから発売された合戦アドベンチャー。
大筋では一応(MUSASHI -GUN道-よりは)史実に準じている作品なのだが、この作品における秀秋は
男の娘な外見に変更されており、「この秀秋は生えてない」的な萌えキャラとして登場。ファンに衝撃を与えた。
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▼「采配のゆくえ」関連
補足
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 38 | 政治 | 45 | 魅力 | 70 | 野望 | 86 | ||||||
武将風雲録(S2) | 戦闘 | 57 | 政治 | 62 | 魅力 | 67 | 野望 | 39 | 教養 | 68 | ||||
覇王伝 | 采配 | 57 | 戦闘 | 65 | 智謀 | 3 | 政治 | 5 | 野望 | 39 | ||||
天翔記 | 戦才 | 140(B) | 智才 | 92(C) | 政才 | 136(C) | 魅力 | 79 | 野望 | 60 | ||||
将星録 | 戦闘 | 67 | 智謀 | 45 | 政治 | 53 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 50 | 戦闘 | 57 | 智謀 | 27 | 政治 | 43 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 38 | 智謀 | 11 | 政治 | 15 | 野望 | 45 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 14 | 知略 | 36 | 政治 | 23 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 34 | 知略 | 21 | 政治 | 14 | 教養 | 58 | ||||||
革新 | 統率 | 38 | 武勇 | 23 | 知略 | 23 | 政治 | 16 |
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関連項目
- 豊臣秀吉
- 関ヶ原
- 裏切り者
- MUSASHI -GUN道-
- 采配のゆくえ
- 決戦
- 信長の野望
- ニコニコ歴史戦略ゲー
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