日蓮正宗とは、日蓮を宗祖する伝統系日蓮教団の内、日蓮の高弟の日興を派祖として大石寺を総本山とする宗派である。現在の法主(六十八世)は早瀬日如(常聡院日如)である。
新興宗教の一種と思われがちだが、750年以上の歴史のある仏教の一宗派である。
概要
日蓮没後、日蓮の高弟である六老僧(日昭・日郎・日興・日向・日頂・日持)は身延山の日蓮の墓に輪番制で奉仕することを、当時他用で不在であった日向・日頂以外の六老僧で定めたが、富士周辺を布教地帯とする日興以外の五老僧は布教や弟子の育成で忙しく身延山へ登山することが困難であった。
この為、富士周辺に在住している日興と六老僧は次第に不仲になっていった。
身延山久遠寺の開基檀那の地頭・波木井実長(日興が教化し、日蓮に帰依した)は日興に身延山久遠寺の住職に晋山することを要請した。日興が他の六老僧と疎遠になっていた間に、六老僧の一人である日向が身延へ登山してきたので、日興は日向を学頭職につけた。実長はこれを歓迎して日興とともに迎え入れた。
しかし、日蓮の教義の変遷により、日蓮は日本国にいる神が居なくなっていると言っており、実長はその教義を受け入れることができなかったため、厳格に日蓮の教義を伝持したいと考えていた日興と波木井実長は次第に不仲になっていく。
日興は日蓮の本尊や文章等を持ち出し身延山久遠寺を離れ、富士山嶺の地頭・南条時光の招請により、現在の上条の地(大石ヶ原)に大石寺を創建した。
その後、身延山久遠寺には日向が、地頭波木井実長の推挙により晋山した。
また、富士に下った日興も日朗や日昭、日頂と和解している。
ただし、信仰上の違いがあるためその点については和解していない。
(上記は日蓮正宗の立場であって日蓮宗の立場はまた異なる)
日蓮正宗の特徴
前提条件
当時、中国から伝わった「正法(釈迦の教義が正しく伝わる期間)一千年間・像法(釈迦の教義が正法でないにしろ伝わる期間)一千年間・末法(間違った教えが広がる期間)一万年間」の考え方により、日蓮は「末法には法華経に予言として記されている地涌の菩薩(複数)が出現し、末法を守る。自分は地涌の菩薩である」と自覚して布教していった。
(このため、どこの仏教教団でもある一定の集団は祖師信仰を保持しており、日蓮宗内でも日興門派の寺院は祖師信仰がある。)
1. 教義
- 宗祖本仏論
- 日蓮は地涌の菩薩として、法華経に説かれる久遠実成の釈迦(唯一神的な仏)に末法を付属された立場であるが、逆の見方をすると末法万年という困難な時代に対して「久遠実成の釈迦でも救えきれない」として、祖師信仰と習合し地涌の菩薩(日蓮)が実は本仏(仏の中で一番偉く一番最初に悟った仏)として末法に法華経を布教するために僧として仮の形で現れたのであって、日蓮のその正体は本仏であるという信仰をしている。
- 法主の血脈相承
- 日蓮が日興以下大石寺の歴代住職に法を付嘱したという立場のため、本尊の書写、教義解釈の裁量は法主(大石寺住職)だけが持つ権能とされている。このため、大石寺住職が法主(法脈継承者)、管長(宗教法人上の代表責任者)、総本山住職の任を兼ねている。
2. 戒律
- 謗法厳誡
- 日蓮が書写し定めた十界曼荼羅本尊以外の本尊を崇めることを「謗法(正法を信仰しないことによって正法を謗る行為としている)」といい、日蓮が立正安国論の中で「日本の神は日本の国主が法華経を信じないから天上に帰った。」としているため神社及び他宗教の寺院の本尊を拝んではならないとする事をもって戒律とする。
- ただし、神社に祭祀されている神様を拝もうとするならば、ご神体を十界曼荼羅にすることで拝めるようなシステムになっている。
- (宗内では正式名称を金剛宝器戒と言われ、日蓮正宗に帰依する際に誓約することを通称「御受戒」という)
- 立正安国論や日蓮の真蹟である諌暁八幡抄(日本の最高神に次ぐとされていた八幡大菩薩を日蓮が叱る内容)を有しているために謗法厳誡の傾向は強く、宗内に伝統として保持されている。
3. 布教活動
- 折伏と言われる論理的に仏教を解釈し、論破する布教方法をする。
しかし、日蓮正宗では「相手に礼儀を正して接するようにしなければならない」(感情的な喧嘩になってはいけない)と規定している。全世界に布教する事を目指している。
信徒に日蓮仏教のみならず仏教諸派の学問を納めるように指導している(最近は自分の理解度を知るために教学試験というものがあり宗門が実施している)。
4. 生死観
- 上記のように謗法厳誡という戒律と、日蓮の四箇格言があるために、鎌倉時代から続く伝統仏教教団として独特の生死観を有している。 また、日蓮自身がその著作(妙法尼抄・千日尼抄)の中で臨終の相は「大論・摩訶止観に書かれているように大事なこと」として説いている(伝統仏教教団なので、古来からその言い伝えがある。死相観ばかり有名であるが、一番大事なのは「臨終に対する心構え」と「臨終者への心遣い」である)。
- 臨終の作法として、臨終者は家人が泣き叫ぶことを辛く痛く不安に思うものなので、泣き叫んだりすることを慎んで静かに爽やかにゆっくりと唱題(南無妙法蓮華経を連続して唱えること)しながら見送ってあげるのが良いとされている。
臨終の際に、五辛(ネギ・にんにく・はじかみ・ニラ・らっきょう)を食べた人や、お酒を飲んだ人を近づけ臨終者の心を不快にしてはいけないとしている。
臨終に際しては本人が息を引き取ったあとでもしばらく静かに唱題することで、底心に呼びかけることで動けなくなったあとの無意識の層に一心に題目に注視させることで安心させてあげることでもあるとしている。
総本山・本山・寺院
- 静岡県富士宮市上条にある大石寺(白蓮阿闍梨伯耆房日興開基)を以て総本山とする。正式名称は「多宝富士大日蓮華山大石寺」と言い、「大石寺」は大石ヶ原の地名から仮にとったものであるとして、全世界に布教した暁には「大本門寺」と号する予定であると言われている。
- 境内地は南北約1550m、東西約1150mで約70ヘクタールあり、御影堂・五重塔・三門等の歴史的建築物から山内には塔頭寺院として約20の坊舎(寺院)があり、その他、御宝蔵・多宝蔵、経蔵、十二角堂、鐘楼、鼓楼、五つの門(不開門・総門・二天門・鬼門・裏門)等からなる巨大寺院である。
- その他の本山として、以下の三本山がある。
- 末寺として全国に七百カ寺等がある。
その他
- 法主の下に若干名の能化衆(権僧正以上の僧侶は日号「〇〇院日○能化」を名乗れる。能化以下は「〇〇阿闍梨〇〇房日○」)がいる。
- 日蓮正宗は謗法厳誡であるため厳しい宗派であると思われがちだが、各末寺においては結構フランクなお坊さん(ご住職・ご主管)もいたりして、いろいろな相談にのってくれる。
- お盆などのお祀りの仕方は日蓮正宗で正式なものは一応あるのだが、地域に合わせた柔軟さも持っている。
- Wikipediaで書かれている主要な祭事以外にも、末寺が正月用に企画している餅つき大会とか成人式とか結婚式とかもある。
- 仏像の造立は日蓮の立てた本尊とは違い十界総具ではないとして謗法として禁止しているが、フィギュア(人形やドール含む)は本尊ではないから飾っても良い(ただし仏壇以外に)。
- 謗法に厳しいのと同時に、教義をある程度習得すると法華経サイクルにはまり「俺が俺が」となりやすいので、「俺が俺が」といった自分勝手な行動や、勝手な教義の改変は慎むべき行動とされている。
- 日蓮宗とは学術的な交流はあるが、宗教儀礼的な交流はない。また、萌え系の方法論についても交流はない。
- 初音ミクはニコニコ内においては「天使」と形容されるが、初音ミクに萌える行為は生命の温かみを感じる行為であって、宗教的行為ではないため「萌え」は特に禁止されていない。
- 真っ当に信仰や仕事を続けていると、青い子みたいに自身のソウルジェム的なもの(心)が黒くなって魔女化(頭破七分)しそうになるが、そんなときはお題目をあげてフラストレーションを開放してやるといいです。
- ご本尊は十界曼荼羅というインデックスでもある。勇気を失ったら、御書(日蓮遺文)を検索してがんばる。
- 宗派を変える際は、家族親族共によく協議して変更することを薦めている(無理矢理宗派を変えさせる様な真似はさせてはならない)。
- ご供養(お布施)は強制されないので、自分の出来る範囲ですることが望ましい(「大根が豊作だから、大根をご供養する」でも可能)。
- 大乗仏教の信仰者として信徒が守るべき五戒があるが、血流を良くし暖を取るためにお酒を飲んでもいい(ただし飲み過ぎて前後不覚になってはいけない)。
- 神主さんの普段着(白衣・袴)ような格好の上に僧衣(袈裟・衣)を着用する。
- 題目(南無妙法蓮華経)は「なん みょう ほう れん げ きょう」と読むとしている(日蓮宗の場合、「なむ みょう ほう れん げ きょう」と読む)。
- 信仰は「火の燃え滾るようにするのではなく、水が流れるように」するのがいいとされている。
日蓮正宗から生まれた宗派
日蓮正宗といえば、創価学会、正信会、顕正会の母体となった宗派として有名であり、創価学会が日蓮正宗と訣別した今となっても、日蓮正宗=創価学会という認識のままの年配が多い。
日蓮正宗から生まれた宗派は多数挙げられるが、
など、 日蓮系信徒団体から成った新興宗教は数え上げると切りがないのが真実である。
関連項目(´・ω・`)
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