御子柴進 単語

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御子柴進(みこしば すすむ)とは、元プロ野球選手である。

概要

1964年6月29日生まれ。長野県塩尻市出身。

松本工業高等学校に進学。3年間で甲子園大会出場歴はし。2年時まではオーバースローに近いのフォームだったようだが、北信越大会で打ち込まれたことからアンダースローに近いサイドスローに転向している。

1982年ドラフト会議にて、阪神タイガースから4位名を受け入団。同期入団には木戸克彦らがいた。

初年度の1983年二軍で9勝を挙げる活躍を見せると、シーズン終盤に一軍昇格。最終戦ヤクルトスワローズ戦では先発投手として起用され、プロ勝利を挙げており、この試合ではタイムリーヒットも放っている。

1984年フリーバッティングの投手として登板した際に、打球が頭部に直撃し入院するという不運もあり、2試合の登板に終わる。

1985年チームセ・リーグ制覇・日本一に沸いたが、自身は血行障害に悩まされ4試合の登板に終わっている。

1986年、14試合にリリーフ登板して、勝ち負けはつかなかったが、防御率1.89と安定感を発揮。

1987年中継ぎ投手として一軍に定着し、41試合に登板して、防御率3.00という成績を記録プロセーブも挙げている。

1988年リリーフだけでなく先発投手としても起用され、3勝6敗、防御率3.06という成績を残した。

その後、1989年1991年登板機会を減らしたが、防御率自体は2~3点台とそれほど悪い数字を残していない。

1992年中継ぎ投手として29試合に登板し、1勝2敗、防御率1.53と抜群の安定感を発揮し、チーム2位躍進に貢献した。

1993年チームは昨年ほどの勢いく4位に終わったが、御子柴自身は41試合に登板し、5勝2敗1セーブ防御率3.25という成績を残した。

1994年シーズン途中から先発ローテーションに入り、4勝7敗、防御率4.24という成績を残した。

1995年以降は登板数が減し、二軍ぐらしが続いた。

1997年戦力外通告を受け、現役を引退

引退後、阪神に残り、2002年まで二軍コーチを務めた。

2003年解説者として活動した後、2004年阪神に復帰。2008年まで監督付広報として活動した後、2009年からはスコアラーを務めている。

人物・エピソード

サイドハンドから正確コントロールと多変化球を操り打者を打ち取っていった右腕。

ワンポイントロングリリーフ敗戦処理先発投手など、場面を問わず便利屋のように起用されていた。

小林繁への憧れもあり、サイドスローに転向している。阪神入団も小林がいたことから即決で入団している。

通算成績

投手成績

通算:14年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 251 2 1 18 26 2 --- .409 527.0 133 250 214 193 3.30

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