歌川豊広 単語

ウタガワトヨヒロ

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歌川豊広とは江戸時代中期から後期の浮世絵師である。

概要

生年不詳。本名岡島次郎。号は一斎。江戸出身。

の開祖・歌川豊春に絵を学ぶ。歌川豊国兄弟子に当たるが、あまり仲は良くなかったようである。

画壇に登場したのは天明年間(1781~1789)の後期に当たり、初期は挿絵や筆の美人画を制作していた。寛政年間(1789-1801)になると自身の画確立し、読本や合本の挿絵、美人画などで活躍した。

豊広は豊較すると寡作で、画も流行を追わず派手ではなかったが、等身の高いスラリとした美人画を好んで描き、静謐で上品な作品が多かった。そのため美人画では粗製濫造の多かった豊より豊広の方が優れていたとも言われる。

文政12年12月21日1830年1月15日)死去。

豊広の子はあまり多くないものの、現代人にも染み深い風景画の大家である歌川広重を輩出した。

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