ろうそくみたいできれいだねとは、機動戦士ガンダム 水星の魔女の前日譚『PROLOGUE』にて、ヴァナディース機関研究員エルノラ・サマヤに対し、愛娘のエリクト・サマヤが放った幼き故のあまりにも無垢で残酷で無自覚な名言である。
こ、こんな現実が...こんな現実があると言うのか。...まだ遊びたい盛りの子供が、こんなとこで、こんな事をしちゃあ...いかん。
ヴァナディース機関の研究所にして研究員の住処であるフロント・フォールクヴァングが襲撃を受け、エルノラは娘のエリクトを探していた。
エルノラの夫、ナディムが、ガンダム・ルブリス 量産試作モデルで出撃し迎撃をする中、娘を炎上する格納庫のガンダム・ルブリスLF-03のコックピットで発見したエルノラは、起動不能だったガンダム・ルブリスLF-03が起動していることに驚愕する。
GUNDフォーマット理論の第一人者にしてガンダム・ルブリス開発者のカルド・ナボに、「あんたでダメなら、誰にもクリアできないさ」と言わしめたレイヤー33のコールバックを、娘はいとも簡単にクリアしていたのである。
格納庫を飛び出したガンダム・ルブリスLF-03は3機のハイングラと対峙する。
「ひとつ、ふたつ」
母の膝の上で、娘がモニタに表示されたアイコンを指差していくと、アイコンの横に「TARGET LOCK ON」と表示されていく。
「みっつ」
娘がそう言い終わるが否や、GUNDビットがガンダム・ルブリスLF-03から分離し、3機のハイングラはコックピットを撃ち抜かれて瞬殺されてしまった。
あまりのことに呆然とする母エルノラに対し、娘エリクトは吹き飛んだハイングラの3つの爆炎を見て笑顔で思ったことを口にした。
「ろうそくみたいできれいだね」
この日はエリクトの4歳の誕生日であり、襲撃が起きたのはバースデーケーキにろうそくライト[1]を刺す直前だった。
エリクトにしてみれば、4歳の誕生日にバースデーケーキのろうそくを吹き消すというこれまでの人生の一大イベントを中断された後に明かりが3つ灯ったので、ろうそくを連想し、それが綺麗であることを母に伝えただけである。
「そうね」
と返すことしかできなかった。
この後母娘は最新鋭機ベギルベウによりガンダム・ルブリスLF-03の左腕を切り飛ばされ、絶体絶命のピンチに陥る。しかし、そこに父ナディムが特攻をかけたことにより母娘は戦場を離脱することができた。
システムの過負荷により脳と精神を焼き尽くされていく父ナディムの脳裏に浮かんだのは、娘の4歳の誕生日を祝ってやれなかったことであった。
「パパだ」
気付いた娘も歌い始める。
そしてエリクトの生まれ故郷であるフォールクヴァングが爆破され4つ目の爆炎があがる。
サブタイトルになっている魔女は、このときのエリクトの行動と大きな関係がある。
人を指差してはいけないと言われた言われたことはないだろうか。
人を指差す行為は北欧において「ガンド[2]」という呪いをかける魔術であり、行うことはとても失礼であるとされた。
指差すということは人を呪う行為なのである。
エリクトがモニタで指差した機体はガンダム・ルブリスLF-03の攻撃により爆散し、パイロットはコックピットを的確に撃ち抜かれ死亡した。
これは「エリクトに呪い殺された」と見ることもでき、故にエリクトはガンドという魔術で人を呪う魔女なのではないかと予測する視聴者もいる。現時点で確定情報ではない
『PROLOGUE』の地上波放送後、視聴者はその衝撃から大混乱に陥り、SNSのタイムラインは阿鼻叫喚で埋め尽くされた。
こうして機動戦士ガンダム 水星の魔女は放映時のSNSのトレンドとなったのである。
歴代のガンダムシリーズでもここまで操作が簡単なガンダムは他に例を見ない。
4歳児がベテランパイロット相手に1対3で簡単操作で圧勝するというガンダムシリーズ屈指の異常事態なのだが、それを指摘する視聴者は僅かであった。
それはなぜか?
理由は簡単で、現代の視聴者にしてみれば4歳の子供が魔術のように機械を操り大人3人を葬り去ることなど当たり前だからである。
むしろ現代の視聴者にしてみれば4歳児の操作で人が死んだことが大問題だからだ。
これは大多数の視聴者の感じる当たり前、つまり常識がかつてのガンダムシリーズの頃から大きく変化してしまったせいである。
かつて、子供がモビルスーツに乗りこみ操縦して、大人が乗ったモビルスーツを倒すということへのリアリティは、ガンダムの重大な問題として取り扱われてきた[5]。作者は妥当な理由や話を提示することで視聴者に「いやこれは無理でしょ」と思われないようにしなければならない。妥当性の無い話はただのトンチキ話になってしまうからである[6]。
初代からして機械オタクの少年に取扱説明書を読ませ、それでも足りずに原作者でも設定を作ったことを後悔し[7]、公式でネタにされる程のとんでもパワーに目覚めさせなければ、大人の軍人というモビルスーツ操縦のプロを倒すというリアリティは生まれなかったのである。
その後も、
などなど、様々な方法で子供がモビルスーツを動かし大人を倒すことに対するリアリティの担保が行われてきた。
作品のリアリティを担保するためには、以下の課題をクリアしなければならない。
この2つの課題をいかにクリアさせるかが作品の特徴でもあり、主人公や敵のキャラクターを形作っていたのだ。この課題は前者が相当に難しく、後者はさらに難しかった。
しかし近年、コンピュータの進歩と普及によりパラダイムシフトが発生した。
視聴者のテクノロジーに対する常識のレベルが跳ね上がって、視聴者が感じるリアリティが大きく変化したのだ。
コンピュータの操作が飛躍的に簡単になり、爆発的に普及したことで、前者の課題は十分にリアリティのあるものとしてクリアされてしまった。
機動戦士ガンダムが放映された1979年に発売されたPC-8001は16,8000円でモニタ無し、メモリ24kBでCPUクロックが4MHzと現代の数百円のマイコンにも及ばない。
それがGUIを一般家庭レベルに普及させたWindows95が発売された1995年にはメモリ容量は数百倍、CPUクロックも数百倍。
2022年ならモニタ無しのデスクトップPCで16万円あればメモリは100万倍、CPUクロックは1000倍でマルチコアCPUにより計算能力は数万倍が当たり前になる。
機動戦士ガンダム放映時から文字通りに桁違いの性能となったコンピュータはGUIにより一気に普及し、パソコン操作はビジネスマンの必須スキルとなる。
そして2007年のiphone発売でコンピュータは誰もが使えるべきという方向性が示されると、ユーザーフレンドリーなUIを採用するのは製品開発の至上命題となり、文字を読めない幼児レベルでも、何ができるか、どう操作するかは一見して理解でき、タップ操作と音声命令だけで全ての操作を直感的に実行できるスマートフォンやタブレットが当たり前となった。
2022年には全世界レベルでスマートフォンとタブレットは普及し、アフリカやアマゾンの奥地からネットに接続してYouTubeやfacebookに投稿することが一般的に行われ、電子決済等では先進国を追い越している。ネットとスマートフォンは電気、ガス、水道よりも優先される世界標準の生活インフラと化し[8]ネットへの接続が人生を左右するようになった[9]。
日本のホームレスもスマートフォンを保有し、生活保護世帯でもPCとスマートフォンはそれぞれ1台までなら保有に制限がかかるぜいたく品ではなく生活必需品として認められてる。
人類の大半がネットに接続しスマートフォンを保有する時代に、使い方を知らなければ使えない機械は設計思想があまりにも古い時代遅れの産物なのだ。
現代のしっかりと設計された機械は、見れば、触れば何ができるか、どうすればいいのか理解できるのが当たり前。最新の機械であるならば、操作するのにアムロのように機械オタクである必要も、説明書を読む必要も、とんでもパワーに目覚めさせる必要も無いのだ。
今時の感性でアムロを描くなら機械オタクではなくゲーマーが妥当だろう[10]。ガンダムはFPSやTPSの画面をモニタに表示して、ゲーム機のコントローラーを置いておけば十分操縦できるはずだ[11]。
そしてこのコンピュータの進歩は機械に詳しいことや知能が高いことをモビルスーツの操縦とは無関係なものにした。よくできたコンピュータは、使う側に知識や知能を求めないからだ。
かつてコンピュータはアムロのような機械オタクや技術者等の専門の教育を受けた科学のエリート達のものだった。しかし運用においては「こうすればこうなる」「理由は知らなくても使える」という魔術[12]のごとき運用で十分だったことが判明したのだ。
部屋の明かりを点けることを考えてみよう。
壁のスイッチを押して明かりを点けるのは電気回路の科学だが、
「明かりをつけろ」と口頭でAIスピーカーに命令して明かりを点けるのはコンピュータが実現した魔術であり、もしそれが本物の魔術だとしても区別ができないということである。
要するに「よくできた科学は魔法と見分けがつかない」のだ。
視聴者はよくできた科学に慣れ親しむようになったため、指差しでガンダムを動かすという魔法のような科学[13]を特に説明せずとも自然に受け入れるようになったのだ[14]。
そして操縦方法が多くのシリーズで採用されたレバーとペダルではなくタップして動かすことであることも視聴者は特に疑問を持たずに受け入れた[15]。
画面をタップして敵を倒すというのはガンダムのUIとしては異質である。
しかし、RTSゲーム[16]等の画面としてみれば、操作対象のビットに対して、敵の攻撃順を指定したに過ぎないのである。
タップやクリックで敵を倒すゲームは、恐らく誰もが遊んだことがあり、この記事を見ているスマホやPCやタブレットにインストールされているか、日常的に遊んでいるか、画面脇に広告として表示されているだろう。車離れが進んでいるとされる現代では[17]、もっとも一般的な機械の操作方法は、レバーとペダルではなくタップなのだ。
かつて高度にコンピュータ制御された機械であるモビルスーツを子供が動かすことのハードルは高かったが、現代ではそのハードルは4歳児が超えたことに気付かない程度の物になっているのだ。
AIの性能が飛躍的に向上したことで、後者の課題もリアリティとしてクリアされてしまった。
4歳児が3人のプロを相手に圧勝したことも、現在の視聴者にしてみれば当たり前なのである。
よくできた未来の戦闘用機械にはよくできた戦闘用の支援プログラムが組み込まれているのが当然であり、 よくできたプログラム、つまり人工知能-AIが組み込まれているのならば、この結果は当然だからである。
かつて高度な知能は人間特有のものであり、賢い動物はいれど、人間に及ぶものはいなかった。しかし第二次世界大戦にコンピュータが開発され、様々な方面に利用されていくうちに、人間の知能を解析、あるいは全く違う知能を考え出してコンピュータにプログラムすることで、人間に匹敵、あるいは超越する知能を生み出し、それを稼働させ利用するという人工知能という概念が生まれる。
この人工知能はロボット等の科学の進歩と共に大ブームになり、人間の道具か? 、新たなる友人か?、人類を滅ぼす敵か?、それとも人類の支配者か?、と様々なフィクションの中で取り扱われてきた。
機動戦士ガンダム放映のおよそ10年前、1968年の映画「2001年宇宙の旅」において、人工知能HAL9000は人間にチェスで勝利することでその卓越した性能を示した[18]。
それから約30年、1997年にチェスにおいてIBMのチェス専用スーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が人間のチャンピョンにようやく勝利した。
専用のコンピュータを製造し、現在で言うところのデータセンターを丸ごと使い、莫大な電力を消費したことから、力任せの勝利であるとする声もあった。
この頃まではコンピュータが人間を超越するのは相当に困難であるとされており、
同時期のガンダムWのモビルドールも「プログラム通りにしか動けず、それを読まれればただの人形」であるとされ、人間の臨機応変さ等にはコンピュータは敵わないとされていた。
しかし、2006年に、YouTube動画から猫を認識できるディープラーニングが発明されたことを皮切りに第三次AIブームが生まれ、AIは飛躍的に性能を向上させていく。
これ以降、コンピュータは人間の能力を様々な分野で超えうることが実例によって示されていった。
ディープ・ブルーの勝利によって戦端が開かれたボードゲームはルールをプログラムしやすいことから真っ先に血祭りにあげられ、人間はAIに完全に敗北した。
将棋においては、このニコニコ大百科を運営するドワンゴが電王戦を開催し、プロ棋士の敗北によって2017年以降開催されていない。
囲碁においては、Google DeepMindのAlphaGoは2017年に世界トップ棋士に勝利した後、人間との対局を引退させることを宣言。
現在プロのボードゲームの世界において最大の問題となっているのはスマホによるカンニングであり、金属探知機でスマホの持ち込みを禁止する等の措置がとられている。
また、AlphaGoは人間が機械を上回る武器とされた直感をコンピュータがさらに上回る可能性を示しており、識者曰く「無意味に思える手を何度も打つ」「局面が進むと無意味に思えた手が最高の一手だったことを何度も理解させられる」と話した。
他の分野でもAIは人間の直感や想像力を上回ってくることは想像に難くなく、「プログラム通りにしか動けない」ということも近いうちにイメージが変わるだろう。
為替や金融の分野も数値を扱うことに長けたAIに制圧されてしまった。
もとよりコンピュータの使用が一般的だった業界だが、ついに米証券大手のゴールドマンサックスは、莫大な報酬を得ていたエリート会社員の象徴とも言えるトレーダー600人をリストラし、AIエンジニア2人に入れ替えてしまった。
論理判断や意味の理解においてもAIは人間を上回りつつある。
「ディープ・ブルー」を開発したIBMはワトソンを開発し、クイズ番組で優勝させ、質問応答システム・意思決定支援システムとして販売している。
日本の国立情報学研究所の東ロボくんはセンター試験で偏差値60を超え「MARCH合格レベル」に到達。
むしろ大多数の子供の読解力がAI以下であるというとんでもない大問題が明らかになり、対策のために「リーディングスキルテスト」が開発された程であった。
機械の操縦もAIが得意とするところだ。
2015年にはモビルスーツに最も近いであろう戦闘機の操縦において、戦闘機操縦用のAIプログラム「ALPHA」が米軍パイロットとの模擬戦で一方的に勝利した[19]。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1607/04/news062.html
自動車の自動運転は大手自動車メーカーと大手、ベンチャー両方のIT企業がしのぎを削っており、最早自動運転の実験はニュースにならない。
ロボットのプログラミングにもAIが活躍している。
OSを書き換えてやる必要など無く、AIが学習して最適なOS(ドライバ)を自分で書いてしまう時代が間近に迫っている。
https://www.technologyreview.jp/s/239267/forget-boston-dynamics-this-robot-taught-itself-to-walk/
創作表現、エンターテイメント、映像分野にもAIは参入している
PhotoShop等の画像処理ソフトは、人物を切り抜いて消す等の動作を自動でこなすようになり、色調補正等はカメラが自動で実行するようになった。
AIのべりすとに代表される創作AIは怪文書のデータを流し込まれ、新たな怪文書を量産し、ニコニコ動画に1ジャンルを築いている。
星新一賞は創作AIを利用して執筆することを認めており、2022年にはついにAIを利用した受賞作が現れた。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2202/18/news137.html
イラストの生成は2022年8月頃からクオリティが急上昇し、アメリカではコンクールの最優秀賞を受賞したことで物議を醸した。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2209/01/news148.html
ニチアサの仮面ライダーは人工知能をテーマにした仮面ライダーゼロワンの第一話で、コメディアンの主人公が人工知能に負けてクビになるという衝撃的な展開で話題をさらった。
こうしてAIが様々な分野で人間に匹敵、あるいは上回るにつれて、AIが社会に与える影響の傾向が判明してきた。AIは「知識と経験を持ち、それを売りにしたプロフェッショナル」を殺すということである[20]。
ガンダムWのように熟練したプロフェッショナルならばAIに勝てるというのは最早ガンダムでいうところ「そのコミックは少し古い」[21]だ。これまでは何かの達人等の強者がロボット相手に「所詮機械か」といったセリフを言い放つのがお約束だったが、今や同じことを「機械である」という理由だけで言うのはかませ犬の証といえる。AlphaGoが人間に理解できない戦法を生み出したように、機械が人類に理解不能な未知の新戦法を生み出していて[22]、新戦法に封殺される可能性に思い至らないのは、ゲーム用AI等の性能を制限、あるいは手加減しているAIしか知らないやられ役だろうからだ[23]。
コンピュータは光と電気の速度で情報を取り扱う道具である。疲れを知らず、人間よりも速く、正確に、大量の情報を取り扱える。正確な情報を与え、情報を処理する手順をきちんと与えてやれば、極めて高精度の答えを返してくるし、出力装置を用意すれば答えに基づいた正確な実行まで行ってくれる。
適切なプログラムがあれば人間よりも速く正確なのだから人間に負けようがない。
様々な方面でAIが人間を超えはじめたというあまりの衝撃に世間は大騒ぎになり、AIに関する情報は世間に溢れていった。
本屋に行けばAIに関連する本はビジネス書から専門書まで相当な量があり、様々な業界のニュースサイトや雑誌にAIの導入に関する記事がある。
義務教育にプログラミングが導入されたため、今後はあらゆる分野にプログラミング能力を持った人間が参入してき、あらゆる分野で彼らが生み出したAIによる失業が起きると本が出る。
親達は子供を失業させないために、そしてプログラミングのテストでいい点をとるために子供をプログラミング塾に通わせる。
そんな中、よくできた広告AIはユーザーの行動を予測し、必要になりそうなものや、欲しがりそうなものを広告として表示する。
コンビニは廃棄ロスを最小限にするためにAIで需要予測を行い数時間毎に商品を搬入する。
スマホのマップアプリのAIは道路交通情報等から最短ルートを出してくれる。
この世界は既にAIに溢れていたのだ。AIに関する情報が多い状況が、そして本物のAIに触れ続ける状況が、AIに関する情報を人間に与え、世界に行き渡らせていく。
そしてAIに関する情報が世界に行き渡った結果、4歳児が3人のプロを相手に圧勝したことも
「頭のいいAIが入った強力なモビルスーツなんだね」で視聴者の大多数は納得できたのである。
現代の視聴者の大半は「4歳児がベテランパイロット相手に1対3の数的不利でもAIを利用した簡単操作で圧勝する」ことは常識の範囲、未来の技術としてみれば普通であると認識したということである。
こうして子供がモビルスーツで大人を倒すという構図にリアリティが生まれた。いや、リアリティが生まれる世界に視聴者は既に突入していた。
既存のガンダムと比較してあまりに異質でも、現代の科学技術からすれば未来の技術として当たり前のレベルでしかないのだ。むしろ現代の科学技術からすれば既存のガンダムの多くが現在から地続きではない異質な未来を描いているともいえる[24]。
人類の大半がスマートフォンで高度なAIを取り扱う現代、そしてあらゆる機械にAIが組み込まれていくであろう未来において、今後の新たなガンダムシリーズにあえて高度なAIを搭載しないMSを出すならば、搭載しない妥当な理由を作らなければ視聴者の考えるであろう未来と乖離しすぎるため、視聴者は理解も納得もできないかもしれない[25]。
「エレガントではない」等の台詞が通用したのは高度なAIが出現する以前の時代だったのである。現実とそこから導かれる未来はフェネクスの如き速度で多くのガンダムの世界を時代遅れにしてしまった。もはや多くのガンダムは「視聴に過去の世界の知識という教養を必要とする」という点で時代劇と大差が無くなってしまっている。江戸時代を描いた作品の視聴に「刀を持ち歩く侍という階級の人々がいた」「メールや電話が無く、手紙で情報を届けるのに何日もかかった」等のような過去の知識が必要なように、ガンダムを視聴するには「この世界にはミノフスキー粒子という通信やレーダーを阻害する物質が存在する」[26]等の作品固有の知識や、「この作品が描かれた時代は、人工知能は人間を超えられないと思われていた」等の作品が描かれた時代の文化に関する知識が必要になっている。これらのせいで現代において過去のガンダム作品の視聴は結構敷居が高い作品になってしまい、現代の視聴者からは敬遠されてきたとも言えるだろう。
そんなことより現代の視聴者は4歳児の操作で人が死んだことを重視する。
現代社会の最大の論点は、「AIによって生じた損害は誰がどうやって責任を取るのか」だからである。
近年の自動運転の進歩は目覚ましく、運転させるだけなら近日中に可能になることは間違いない。
しかし、実用化するには「自動運転車が事故を起こしたときに誰がどんな責任を負うのか」という法的な問題をクリアしなければらなず、これに関しては今のところ世界レベルで議論の真っ最中である。
AIと責任の所在はトロッコ問題等、様々な方法で議論されているが人類はこれに答えを出すことができていない。 自動運転車の前に左右両方から人が飛び出してきて、そのままブレーキをかければ両方、ハンドルを切れば片方を轢き殺してしまう場合はどうすればいいだろうか?常識的には両方を轢き殺すのは論外だ。ならば轢き殺す方はどうやって決めるべきだろうか? 年齢か、性別か、IQか、家族構成か、財産か、将来予測される納税額か、健康情報も含むDNAデータベースに問い合わせて今後医療費のかかる方か、それとも犯罪係数か?
「こいつは死んでいいやつだから」という命の価値の判断をAIにさせるにはどんな判断基準、つまりルールを設定しなければならないのか?というのが自動運転のAIにおけるトロッコ問題となる。数値で判断させるには「人間の価値を計算する数式」を作らねばならない。そして値が同じなら右と左のどちらを優先するかを決めねばならない。果たして今後の多くの人間の生死に関わり、その結果を納得させることができるルールを決定して責任を取ることができる人間がいるだろうか?
そして全人類が納得するであろう完璧なルール設定をすればいいというものでもない。あのアシモフのロボット三原則も、「完璧なルールを設定しました」「実はルールはガバガバで人が死にました」というテーマの作品のルールだからだ。「人類が納得できること」と「ルールに穴が無い」ことは別の問題であり、その責任は誰がどうやってとればいいのだろうか?
人間ならその場の空気で「適切」に、言い方を変えれば「雑で偏見まみれで法の拡大解釈や恣意的運用により時代や価値観が異なれば非人道的とも言えるような」判断ができ、それが許されるだろうが、AIからすれば人間が設定するルールは穴だらけでバグだらけ。そして過去のデータを参照してみたら矛盾がてんこ盛り。人間のように意思表明をするAIならば人間をダブスタクソ親父呼ばわりするかもしれない。
ならばAIにいっそ人間のように空気で判断してもらうというのはどうだろう?AIの学習能力で空気を読んで「適切」な判断をする力を身に着けてもらうというのは意外と悪くないかもしれない。AIに空気を読ませるのはSNSやニュースのデータを分析させることでできなくはないからだ。ただしこの場合はAIが偏った差別的な判断をして行動してしまいかねず、AIの行動が学習によって変わった責任を誰が取るのかという話になる。
例えば特定人種等に対するバッシングが高まっているときに事故が発生して、AIが差別的な判断をしてしまって明らかに異常な行動をとったとする。するとAIは裁判に証拠として提出され解析されることになる。 そしてAIが差別的な判断をした根拠、つまり判断基準変更の原因として、あなたを含む大勢のSNSの書き込みやリツイートを学習に使用したデータファイルが出てきたらどうするべきだろう?AIは学習して判断基準をどれだけ変えたかを数値で取り扱うことができるし、それをバックアップとして記録することなど朝飯前だ。何のデータが何パーセント寄与しているかも出せてしまうだろう。「今回AIが異常な行動をしたのは、あなたのSNSの書き込みが0.5パーセント影響していることがわかりました。関係者として下記の日程で裁判所に出頭してください」なんて手紙が法的機関から届くかもしれない。
要するに「車が全く通っていないときでも横断歩道の信号を無視して道路を渡ってはいけない」「子供が見ているかもしれないから」の「子供」が「AI」に変わるわけだ。子供と違って厄介なのは学習するAIは信号無視を忘れてくれないことだろう。学習して変化するAIは、学習データを法的責任立証のために保持する可能性が極めて高い。「AIがおかしくなったのはこの日この場所でこの人が行った違法行為を目撃したことが0.5パーセント影響しています」なんて結果が出てしまったら0.5パーセントの責任を取らされるようになるかもしれない。スマホや自動運転車のようなコンピュータに囲まれた世界で、カメラはAIの目となり、マイクはAIの耳になるだろう。SNSの言動も当然AIはいつだって見ているだろう。究極の無垢な子供であるAIの異常な行動の原因にならないように常に責任を自覚して生き続けることが必要な時代に果たして人間は耐えられるのだろうか?
AIはその記憶能力と計算能力でこれまで人間が「適切」な判断で濁していた責任を人間に突き付けてくるようになるかもしれないということだ。そしてその責任に人間が耐えられるのかはわからない。
面倒なこと、大変なことを機械にやらせることで人類は進歩してきたが、機械に責任を取らせることはできない。機械は言われた通りに動作しただけで自我が無いからだ。
自我が無い機械を刑務所に放り込んだところで、倉庫で保管するのと変わりはない。
死刑と称してスクラップにしたところで、それはただの廃棄処分と変わりはない。
責任を取れるということは自我があるということである
機械に自我が生じるということについては、他のSFの方が詳しいので割愛する。
そして人を殺すことの責任や是非を40年以上テーマにしてきたガンダムにおいても4歳児が人を殺すなんて前代未聞。完全自動操縦なら開発者が悪いで終わりだが、4歳児が明らかに操作しているのだからパイロットとして責任を問うべきかもしれない。しかし、昨日まで3歳だった4歳児に責任を問うというのもまた人道に反する。少年法が存在するように、子供の責任能力は大人に比べて相当に低い、あるいは無いからだ。
高度な機械が判断に介入している場合の責任の所在というのは現時点の人類の倫理や正義では議論を重ねても答えが出ない程に厄介かつ最先端の問題なのだ。
「高度な機械を使った4歳児による殺人」は、作中どころか作品の外にいる視聴者をして取り扱えないという、ガンダムシリーズの中でもなかなか無い異色の問題なのである[27]。
かくして誰もどうやって扱うべきかわからないが、ショッキングでリアリティのある問題として「高度な機械を使った4歳児による殺人」が視聴者の大多数に問題として受け止められたのである。
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最終更新:2025/03/29(土) 05:00
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