トーストとは、1959年生まれの日本の競走馬である。鹿毛の牝馬。
クラシックで期待されながらも勝利できなかったものの、雌伏の時を経て復活し日本最強馬と激戦を繰り広げた、60年代を代表する女傑である。
主な勝ち鞍
1964年:金杯(東)、中山記念、アルゼンチンジョッキークラブカップ、毎日王冠
※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
父ハクリヨウ、母フラワーワイン、母父ヴィノーピュローという血統。
父ハクリヨウは1954年に天皇賞(春)を含む年間5戦全勝を成し遂げ中央競馬の初代年度代表馬を受賞した名馬。他の産駒には皐月賞を勝ったヤマノオーや60年代初期の善戦マンシーザーなどがいる。
母フラワーワインは現役時代尾形藤吉厩舎に所属し52戦12勝。重賞勝ちはないが朝日杯3歳S5着など第一線で活躍していた。
母父ヴィノーピュローは戦後直後壊滅した日本競馬を復活させるために輸入された競走馬の1頭。ただ当時の日本は貧乏だったせいなのかアルゼンチン産の18歳馬という今では考えられない条件で日本に来ている。しかしそんな中母父としてヒカルイマイを輩出して日本ダービーを制するなど日本競馬に大きな足跡を残した。
1980年5月13日に苫小牧の大若草牧場錦岡分場で誕生。トキノミノルの馬主として知られる実業家永田雅一氏に購入され「トースト」と名付けられた。なぜ馬にこんな名前を付けたのだろうか。トキノミノルの時に見せたセンスはどこに行ってしまったのか?
3歳になったトーストは父ハクリヨウ、母フラワーワインと同じく東京競馬場に厩舎を構える尾形藤吉厩舎に入厩した。
1961年11月の新馬戦でデビューして4着。翌週の2戦目で1番人気に応えて初勝利を挙げた。12月の3戦目から翌年の桜花賞まで5戦4勝2着1回という安定した成績を残して本番でも1番人気に支持されたが、唯一の2着だった時の勝ち馬ケンホウに2馬身半及ばず2着に敗れた。二冠目の優駿牝馬では伸びた距離に苦しみ18着に敗退。陣営はしばらく短距離を走らせることに決め、トーストはしばらく表舞台から姿を消すことになった。
4歳の夏から5歳の11月にかけ、トーストは主に1600から1800mのオープン戦を10戦程走った。1着こそ年末年始の3戦だけにとどまったが重賞馬を相手にして2着に入ること4回を数え、トーストは5歳11月に優駿牝馬以来1年半ぶりとなる重賞挑戦として東京牝馬特別に出走。しかし出走馬の中では2番目に思い斤量を背負わされたこともあり7着に敗れた。陣営はまだ重賞は早かったかと翌週トーストをオープン戦に出走させたが、ここで中京記念やサンケイ大阪杯を勝利していた名馬テツノオーを破って勝利した。これを見て翌年トーストは重賞をメインに走ることが決まった。
6歳になった1964年は早速尾形厩舎のエース保田隆芳騎手を背に金杯(東)から始動。その1度見たら忘れられない名前を引っ提げて優秀牝馬以来久しぶりに表舞台へと帰ってきた。牝馬としてはややキツめの52kgを背負って4番人気の支持を受けたが、1番人気のキングダンデイーを1馬身差で破り重賞初制覇。オープン1着を叩きに出走した武蔵野ステークス(当時芝2100m)では金杯で5着に破っていたヤマトキヨウダイに敗れたが、中山記念ではそのヤマトキヨウダイを3着に破り重賞連勝。その後は牝馬にもかかわらず牡馬も含めトップの斤量を背負わされたことで苦戦したが、そんな中で5月のアルゼンチン共和国杯(当時芝2300m)を2着に2馬身半差つけてレコード勝ち。長い距離でも勝てるようになってきた。
秋の初戦京王杯オータムハンデキャップでは夏にかけ日本経済賞を含む3連勝でいよいよ本格化してきたライバルヤマトキヨウダイよりも重い斤量を背負わされて5着に敗れたものの、続く毎日王冠ではそのヤマトキヨウダイと菊花賞に向けて出走してきたシンザンのライバルウメノチカラをトップタイの58kgを背負って返り討ち。これで重賞4勝目とした。この活躍で陣営は秋の目標を天皇賞(秋)と有馬記念の当時の秋競馬最高峰の2戦に決め、それを持って引退することになった。
オープン戦を3戦叩き2勝すると、トーストは11月23日の天皇賞(秋)に出走。保田騎手は同厩舎のメイズイに騎乗するため、新たに野平祐二騎手とコンビを組んだ。1番人気は悲願の天皇賞制覇を狙うメイズイ、2番人気は意外にもこれが八大競走初挑戦のライバルヤマトキヨウダイ、3番人気はコウライオーで、トーストはさすがに牝馬には荷が重いと思われたか5番人気に留まった。レースでは1枠1番から好スタートを切ったヤマトキヨウダイを7枠から持ち前のスピードで制すると逃げを打ち、それを止めようと競り掛けてきたヒンドソネラと先頭でレースを引っ張っていった。この時代牝馬が大逃げを掛けて沈むのは多くの重賞で見られていたこともあり後続はどうせ垂れるだろうと気にしていなかったが、トーストはヒンドソネラを競り潰して最終直線を単騎で迎えると、逆にそこから後続を話し始めた。しかし後続の馬群からはただ1頭ヤマトキヨウダイが凄まじい末脚を繰り出して内から並びかけ、一騎打ちの末1馬身4分の1差で2着に敗れた。ヤマトキヨウダイは前年までのレコードを1秒更新。トーストは3着のコウタローに8馬身もの着差を付けていた。
引退レースとなる有馬記念では、天皇賞であれだけのレースを見せたにもかかわらずトーストとヤマトキヨウダイはそれぞれ4番人気、3番人気であった。しかしレースは天皇賞(秋)の再放送というべきものになり、再びトーストはヤマトキヨウダイとの一騎打ちの末2着に敗れている。しかし着差こそつかなかったものの、メイズイ、ウメノチカラ、ヒカルポーラをまとめて破り、実力を十分示しての2着だった。秋2戦の活躍によりトーストは最優秀5歳以上牝馬と最優秀スプリンターを受賞。引退して繁殖入りした。通算成績39戦7勝。うち重賞4勝。
引退後は北海道伊達市の高橋農場で繁殖入り。重賞を勝つ産駒こそ現れないもののなかなかの勝ち上がり率で良成績を上げていた。そんな中結果的に最後となる74年産のラッキールーラが日本ダービーを勝利しダービー馬の母となった。ラッキールーラは自身も世話になった尾形厩舎に最後の日本ダービー、八大競走勝利をもたらした競走馬である。85年に繁殖牝馬を引退し、1989年11月に世を去った。30歳の大往生だった。
ハクリヨウ 1950 鹿毛 |
*プリメロ 1931 鹿毛 |
Blandford | Swynford |
Blanche | |||
Athasi | Farasi | ||
Athgreany | |||
第四バツカナムビユーチー 1940 黒鹿毛 |
ダイオライト | Diophon | |
Needle Rock | |||
バツカナムビユーチー | シアンモア | ||
第三ビユーチフルドリーマー | |||
*フラワーワイン Flower Wine 1950 鹿毛 FNo.13-c |
*ヴィノーピュロー 1934 栗毛 |
Polemarch | The Tetrarch |
Pomace | |||
Vainilla | San Jorge | ||
Verona | |||
Mimosa 1937 黒鹿毛 |
Royal Minstrel | Tetratema | |
Harpsichord | |||
Bryonia | St. Germans | ||
Briony | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Swynford 4×5(9.38%)、The Tetrarch 4×5(9.38%)
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最終更新:2025/03/23(日) 00:00
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