スウィンフォード(Swynford)とは、1907年生まれのイギリスの競走馬・種牡馬である。
当時英国最高峰の良血といえる馬で、種牡馬としても大活躍した。
父はジョンオゴーント、母は英オークス馬で名繁殖牝馬カンタベリーピルグリムという血統。ジョンオゴーントは父が英国三冠馬アイシングラス、母がセントサイモンの代表産駒で英国牝馬三冠達成後、妊娠した状態でアスコットゴールドカップと英チャンピオンSを勝っためちゃくちゃな超名牝ラフレッシュという超良血であったが脚が悪く1勝しか出来なかった、血統を買われて種牡馬となった馬であった[1]。記事の枕にも書いたが当時の英国でも屈指の超良血である。
16代ダービー伯の生産馬だが、16代が1歳時に他界したためオーナーは17代ダービー伯に代替わりしている。
生まれた頃は1月生まれとやや早産傾向だったため小柄であったが、1歳になると立派な体つきに育った。
2歳になるとダービー伯の専属調教師であったジョージ・ラムトン師の厩舎に入った。恵まれた身体とそこから繰り出されるスピード、何より無尽蔵のスタミナがあると思えるほどにケロッと走り続けられていたため、相当な期待を抱かれつつ2歳の7月にデビューしたが騎手に逆らって大暴走して惨敗。2歳戦はこの後怪我もあってこれ以外に出走しなかった。
3歳になって初のレースはなんと英ダービー。未勝利馬が出られたのも驚きだが出したのも驚きである。ラムトン師はこの馬の才能に相当入れ込んでおり、名馬になると信じていたのでこんなローテになったと思われる。
しかし不利もあって11着惨敗。続くセントジェームスパレスSもダービー馬レンベルグに完敗の3着。3戦して未勝利であったが、ラムトン師は彼の才能を疑うことはなかった。
それに応えハードウィックSでは軽斤を生かして4戦目にして初勝利。このあたりから遅まきながら本格化していく。
リヴァプールサマーカップを騎手と大喧嘩しながら逃げて圧勝して向かった英セントレジャーでは、レンベルグが不調な上に包まれる不利があったが3着に破り逃げ切った。これで一流馬の仲間入りをするとリヴァプールセントレジャーでは他の出走馬が消えて単走となり勝利。3歳時は6戦4勝となった。
4歳は始動戦を勝利するとコロネーションカップでレンベルグに再び挑戦。しかし抑える競馬をしたのが災いしたか伸びを欠いて2着。ハードウィックSを連覇して臨んだプリンセスウェールズステークスでレンベルグとの5R目を迎えたがここは逃げたスウィンフォードが勝利。まあ斤量差はまだあったわけだが。
しかし続く6RとなったエクリプスSでは同斤を背負っても圧巻の逃げ切り劇を見せ圧勝。レンベルグに並んだとも追い越したとも言えるようになった。
この後もレンベルグとの名勝負が期待されたが、調教中に生まれつき不安のあった前脚、右前の球節を粉砕骨折。危うく死ぬところであったが、獣医のリヴォック氏が適切な処置をすぐに施したことや、気性が成長して落ち着きが増していたことが幸いし、治療をした右前脚を叩きつけたりせず大人しくしていたため一命は取り留めた。
まあ現役続行は不能であり、当然のごとく引退にはなった。
種牡馬としても類稀な才能を見せ、半兄チョーサーとともに17代ダービー伯の馬産の柱として活躍。1923年には英愛リーディング、1932年には英愛母父リーディングに輝いた。
兄同様フィリーサイアー気味であったが、セントジャーマンズとブランドフォードあたりが後継種牡馬としてかなり長きに渡り活躍馬を輩出し続けるラインを作り上げた。
セントジャーマンズはアメリカで三冠馬アソールトを出しリーディングにも輝いた。80年代に入っても*マラケートが有馬記念馬リードホーユーを出すなど活躍はあったが、直系種牡馬は北半球ではおそらく断絶している。今なら南米にはちょっと残ってたりするかもしれない。ウルグアイとか。
母系で言えば現在の日本で有名な当たりでは日本だとモーリスに*モガミを通して[2]伝わっている。
ブランドフォードは種牡馬として父以上の大活躍を見せ、特にブレニムとバーラムの血が世界中に広まった。1960年代あたりは世界中に相当な数のブランドフォード系の種牡馬が存在していたとみられる。日本で言えば戦前から活躍した直子*プリメロの子で、内国産種牡馬最多勝記録を樹立したトサミドリや、戦後に輸入された*パーシア、*リマンドあたりがいた。
しかしナスルーラの出現は耐えたが、ノーザンダンサーとミスタープロスペクターの出現で衰退トレンドに入ってしまい、バーラムの末裔であるドイツ血統の象徴的存在・モンズーンの系統以外はほぼ壊滅してしまった。そのモンズーン系も後継種牡馬が障害送りになって平地からは姿を消しつつある。
母系としてはブレニム産駒の牡馬・マームードが名繁殖牝馬アルマームードの父であり、その子にノーザンダンサーの母ナタルマやヘイローの母コスマーがいるので、スウィンフォードの血が一切消え失せることはまずありえないが。
1928年に21歳で亡くなった。
John o'Gaunt 1901 鹿毛 |
Isinglass 1890 黒鹿毛 |
Isonomy | Sterling |
Isola Bella | |||
Dead Lock | Wenlock | ||
Malpractice | |||
La Fleche 1889 黒鹿毛 |
St. Simon | Galopin | |
St.Angela | |||
Quiver | Toxophilite | ||
Young Melbourne Mare | |||
Cabterbury Pilgrim 1893 栗毛 FNo.1-g |
Tristan 1878 栗毛 |
Hermit | Newminster |
Seclusion | |||
Thrift | Stockwell | ||
Braxey | |||
Pilgrimage 1875 鹿毛 |
The Palmer | Beadsman | |
Madame Eglentine | |||
Lady Audley | Macaroni | ||
Secret |
Swynford 1907
|Blandford 1919
||Blenheim II 1927
|||Mahmoud 1933
||||The Axe 1958
|||||Hatchet Man 1971
||||||Half Iced 1979
|||Donatello 1934
||||Alycidon 1945
|||||Meld 1952
|||||Alcide 1955
||||||*リマンド 1965
|||||||アグネスレディー 1976
|||||||オペックホース 1977
|||||||サンオーイ 1980
|||||||メジロモンスニー 1980
|||||||タレンティドガール 1984
||||Crepello 1954
|||||Busted 1963
||||||Mtoto 1983
|||Whirlaway 1938
||*ステーツマン 1930
|||レダ 1949
||Brantome 1931
|||Vieux Manoir 1947
||||Val de Loir 1959
|||||Val de l'Orne 1972
||||||*ペイザバトラー 1984
||*プリメロ 1931
|||ミナミホマレ 1939
||||ゴールデンウエーブ 1951
||||ダイゴホマレ 1955
|||トビサクラ 1942
||||ハクチカラ 1953
|||アヅマライ 1943
|||トキツカゼ 1944
|||シラオキ 1946
|||タチカゼ 1946
|||トサミドリ 1946
||||ガーネツト 1955
||||シヨウグン 1963
|||ハクリヨウ 1950
||||シーザー 1957
||||トースト 1959
||Umidwar 1931
|||Norseman 1940
||||*モンタヴァル 1953
|||||メジロボサツ 1963
||Bahram 1932
|||Persian Gulf 1940
||||Tamerlane 1952
|||||Dschingis Khan 1961
||||||Konigsstuhl 1976
|||||||Monsun 1990
||||||||*スタセリタ 2006
||||||||*ノヴェリスト 2009
|||||||||ブレークアップ 2018
||||Persian Road 1955
|||||Dark Mirage 1965
||||*テッソ 1956
|||||コレヒデ 1962
|||||ハマテツソ 1962
|St. Germans 1921
||Bold Venture 1933
|||Assault 1943
||The Rhymer 1938
|||Vertex 1954
||||Lucky Debonair 1962
|||||*マラケート 1973
||||||リードホーユー 1980
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最終更新:2025/01/11(土) 14:00
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