バレンシアCF(Valencia Club de Futbol)とは、ラ・リーガに所属するサッカークラブである。本拠地はバレンシアであり、ホームスタジアムはエスタディオ・デ・メスタージャ。
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1919年創設。スペインの強豪クラブとしては比較的遅めの創設であった。チームカラーは白と黒(Blanquinegro)。 愛称はロス・プロス(Los Pulos)などがある。プリメーラ・ディビシオンを6度、コパ・デル・レイを7度制しており、1999-2000シーズンと2000-01シーズンには2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグの決勝に進出したこともある。
スペインの名門クラブの一つであるが、近年はレアル・マドリードとFCバルセロナの2強がタイトルを独占していることもありタイトルからは離れてしまっている。
また巨額の負債を抱えており、主力選手の放出が絶えずに続いている。2009-2010、2010-2011、2011-2012シーズンには3シーズン連続で3位に入る好成績を収めたが、主力報酬の影響もありその後は思うような成績を残せずにいる。
2014年にシンガポールの実業家ピーター・リムがクラブを買収してからはさらに混迷を極めており、上位進出どころかセクンダ・ディビシオン降格が現実を帯びるほど低迷している。
同じくバレンシアを本拠地とするレバンテUDや、同じバレンシア州を本拠地とするビジャレアルCFとはライバル関係にあり、この2チームとの対戦はバレンシアダービーと呼ばれ盛り上がりを見せる。
また下部組織にバレンシア・メスタージャがあり、現在はセグンダ・ディビシオンB(実質3部)に所属している。過去には指宿洋史が在籍していた。
クラブの創設は1919年。初代会長となるオクタビオ・ミレゴとゴンサロ・メディナを中心に設立された。スペインの他の名門クラブと比べれば比較的遅い設立であり、本拠地バレンシアにはすでにレバンテUDが存在していた。
1923年に現在のホームスタジアムであるエスタディオ・デ・メスタージャに移転。この年に地域リーグで優勝しており、当時スペイン最高の大会だったコパ・デル・レイへの初出場を果たす。
1928年にリーガ・エスパニョーラ(ラ・リーガ)が発足。バレンシアはコパ・デル・レイの優勝経験が無かったことから創設時は2部(セクンダ・ディビシオン)に組み込まれる。1929-30シーズンにセクンダ・ディビシオンで優勝し、初めて1部リーグであるプリメーラ・ディビシオンに昇格。
プリメーラ・ディビシオン昇格当初は中堅以下のクラブという立ち位置で、1933-34シーズンにコパ・デルレイで初めてファイナルに進出した以外に目立った成果は残せていなかった。さらに1936年に勃発したスペイン内戦によって本拠地メスタージャは爆撃によって崩壊し、所属選手の多くが戦死するなどクラブの発展に大きな影を落とした時期となった。
悲しい内戦が終えた1941年、ムンドが加わったチームはコパ・デルレイ決勝でRCDエスパニョールを破り、初優勝。クラブ史上初のメジャータイトルを獲得する。ムンドやエピファニオ・フェルナンデスを中心とした当時の攻撃陣はデランテーラ・エレクトリカ(delantera eléctrica、電撃フォワード)と称され、1941-42シーズンにプリメーラ・ディビシオンで初優勝すると、1943-44シーズンには2度目のリーグ優勝を果たし、1946-47シーズンにも優勝。1948-49シーズンにはコパ・デルレイで2度目の優勝。1940年代に5つのタイトルを手にする最初の黄金期を迎えるのだった。
1950年代にはスペイン国内外からスター選手を獲得するが、1940年代のような栄光を手にすることはできずにいた。それでも1953-54シーズンのコパ・デルレイで優勝し、リーガでも上位に入り続けていた。
1960年代は平凡な成績に終わることが多かったが、UEFAカップの前身であるインターシティーズ・フェアーズカップを1962年と1963年に連覇、3シーズン連続ファイナル進出と欧州の舞台で結果を残す。1966-67シーズンには4度目のコパ・デル・レイ優勝。
1970年にレアル・マドリードで数々の栄光を築いたアルフレッド・ディ・ステファノが監督に就任。就任1年目の1970-71シーズンには1947年以来となる4度目のリーガ優勝を成し遂げる。ディ・ステファノ退任後はチームはやや低迷した時期が続く。1976年には後にワールドカップ得点王となるマリオ・ケンペスが入団。リーガでは2シーズン連続ピチーチに輝いたケンペスは、1979年のコパ・デル・レイ決勝でレアル・マドリードを相手に2ゴールを決め、バレンシアにタイトルをもたらす。
1979-80シーズンにディ・ステファノが監督に復帰。この年のUEFAカップウィナーズカップで決勝に進出すると、アーセナルとのPK戦の末に初優勝。1980年のUEFAスーパーカップでもアストン・ヴィラ相手に勝利し、タイトルを獲得している。
ディ・ステファノが再び監督を退任すると、クラブは低迷期が到来。1982-83シーズンは終盤戦に至っても降格の危機から抜け出せず、他力本願ながらかろうじて降格を回避する不甲斐ないシーズンとなった。この頃のバレンシアは、多額の負債が重くのしかかっており、選手やスタッフへの給料未払い、士気の低下など、内部問題によってクラブが分裂していた。そして、1985-86シーズンにとうとうリーグ16位に終わってしまい、クラブ史上初のセクンダ・ディビシオン降格という最悪の結果に終わってしまう。
この結果を受けてクラブの会長にアルトゥーロ・トゥソンが就任。ディ・ステファノを三度監督に復帰させ、1年でのプリメーラ・ディビシオン復帰に成功する。ところが、その後のバレンシアは浮き沈みの激しいシーズンを過ごすことになる。
1990年代に入りクラブは株式会社となる。フース・ヒディンクが監督に就任した1991-92シーズンにはリーグ戦で4位、コパ・デル・レイで準々決勝に進出。1994年には、ブラジル代表監督として1994 FIFAワールドカップを制したばかりのカルロス・アルベルト・パレイラ監督の招聘に成功。アンドニ・スビサレッタ、オレグ・サレンコ、プレドラグ・ミヤトビッチを獲得する大型補強も敢行するが、うまくいかず。1995-96シーズンはルイス・アラゴネスが監督に就任し、ミヤトヴィッチらの活躍によって2位に躍進するが、翌シーズンはそのミヤトビッチがレアル・マドリードへ移籍し、ロマーリオが加入したことでチームは混乱。結局安定した強さを手にすることはできなかった。
1997年イタリア人のクラウディオ・ラニエリを監督に招聘し、セリエAから選手を補強することで堅守速攻をベースとした堅実なチーム作りに舵を切る。素行面に問題のあったロマーリオらスター選手を放出し、リーガでは上位に進出。1998-99シーズンのコパ・デル・レイでは20年ぶりの優勝を果たす。
1999年、ラニエリの後任としてアルゼンチン人のエクトル・クーペルが監督に就任。クーペルも堅守速攻のスタイルを踏襲し、1999-2000シーズンでも優勝争いに顔を出し、UEFAチャンピオンズリーグでは初めて決勝まで進出。レアル・マドリードに敗れはしたが、準優勝という成績を残した。パブロ・アイマールが加わった2000-01シーズンもCLで躍進を遂げ、2年連続でのファイナル進出を果たしたが、またも決勝でバイエルン・ミュンヘンに敗れ、準優勝に終わる。
2001-02シーズン、ラファエル・ベニテスが監督に就任。これまでの堅守速攻からアイマールを中心とした攻撃的なスタイルを導入すると、リーグ11連勝を記録するなどチームは躍進を遂げる。ベニテスがテネリフェから引き連れてきたミスタ、クロ・トーレスも予想以上の結果を残し、2位のデポルティーボ・ラ・コルーニャに勝ち点7差をつけ、クラブにとって31年ぶりとなるリーグタイトルを獲得。バレンシアニスタにとっては忘れられないシーズンとなった。
2003-04シーズンには、一時は首位レアル・マドリードに勝ち点8差を付けられながらも、シーズン終盤戦に調子を上げて逆転でのリーガ優勝に成功。さらに、UEFAカップでは決勝でオリンピック・マルセイユを下して初優勝。クラブ史上初となるシーズン二冠を成し遂げる。
2004年夏、フロントと対立したベニテスが退任。後任として復帰したラニエリは失望しか残せなかったが、2005年夏に就任したキケ・フローレスのもとでクラブは新たなサイクルに突入。ダビド・ビジャ、ダビド・シルバという若い攻撃の二枚看板がチームの中心となり、リーガとCLで上位進出を果たしている。ところが、2007-08シーズン序盤に成績不振を理由にキケ・フローレスが解任となるとクラブの雲行きは怪しくなる。後任となったロナルド・クーマンはダビド・アルベルダ・サンティアゴ・カニサレス・ミゲル・アンヘル・アングロの主力3選手を戦力外扱いにし、オランダ式の戦術をチームに叩き込もうとする。ところが、このクーマンの横暴なやり方にチームは空中分解してしまい、降格圏からわずか勝ち点2差の15位まで落ち込んでしまう。この年、コパ・デル・レイで7度目の優勝を果たしたものの、4日後成績不振を理由にクーマンは解任。以降、サポーターの間では史上最悪の監督としてクーマンは語り継がれている。
2008-09シーズンより新進気鋭の青年監督ウナイ・エメリが就任。ところが、クラブが4億ユーロ以上の巨額の負債を抱えており、何週間も選手に給料が支払われていないことが発覚。エメリは何とかクラブを上位に留めておいたものの、2009年にビジャ、2010年にダビド・シルバ、2011年にフアン・マタと毎年のようにスター選手の売却を余儀なくされるなど、クラブの財政状況は改善の兆しが見られないままだった。
2014年5月、シンガポール人実業家であるピーター・リムがクラブの買収を発表。資金を得たクラブは、新指揮官にヌーノ・エスピリト・サントを迎え、アンドレ・ゴメス、ロドリゴ、シュコドラン・ムスタフィ、ニコラス・オタメンディ、アルバロ・ネグレドらを獲得。このシーズンは最終的に4位で終え、CL出場権を獲得。ところが、その後はオーナーのリムの計画性のない運営や相次ぐ指揮官交代もあり、低迷が続くようになってしまう。2017年に就任したマルセリーノ・ガルシア・トラルは安定したチームを作り、リーガでは2シーズン連続でCL出場権をもたらし、2018-19シーズンには久々のタイトルとなるコパ・デル・レイ優勝を果たしたが、その数か月後にリムの独断によって解任させられてしまう。
リムがオーナーになってからは9年間で10人の監督が退任してしまい、ダニエル・パレホら主力も愛想が尽きて退団。サポーターからの批判も日増しに大きくなっている。2020年以降は成績も低迷し、二桁順位で終わることも珍しくなっている。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | ![]() |
カルロス・コルベラン | 1983.4.7 | 2024 | WBA 監督 |
1 | GK | ![]() |
ジャウメ・ドメネク | 1990.11.5 | 2015 | バレンシアB |
2 | DF | ![]() |
ティエリー・コレイア | 1999.3.9 | 2019 | スポルティングCP |
2 | DF | ![]() |
マキシミリアーノ・カウフリーズ | 1997.9.16 | 2024 | クレルモン |
3 | DF | ![]() |
クリスティアン・モスケラ | 2004.6.27 | 2021 | バレンシアB |
4 | DF | ![]() |
ムクタル・ディアカビ | 1996.12.19 | 2018 | オリンピック・リヨン |
5 | MF | ![]() |
エンツォ・バレネチェア | 2001.5.21 | 2024 | アストン・ヴィラ |
6 | MF | ![]() |
ウーゴ・ギジャモン | 2000.1.31 | 2020 | バレンシアB |
7 | FW | ![]() |
セルジ・カノス | 1997.2.2 | 2023 | ブレントフォード |
8 | MF | ![]() |
ハビ・ゲラ | 2003.5.13 | 2022 | バレンシアB |
9 | FW | ![]() |
ウーゴ・ドゥロ | 1999.11.10 | 2021 | レアル・マドリードB |
10 | MF | ![]() |
アンドレ・アウメイダ | 1988.3.10 | 2022 | ヴィトーリア |
11 | FW | ![]() |
ラファ・ミル | 1997.6.18 | 2024 | セビージャFC |
12 | FW | ![]() |
ウマル・サディク | 1997.2.2 | 2025 | レアル・ソシエダ |
13 | GK | ![]() |
ストーレ・ディミトリエフスキ | 1993.12.25 | 2019 | ラージョ・バジェカーノ |
14 | DF | ![]() |
ホセ・ガヤ(C) | 1995.5.25 | 2014 | バレンシアB |
15 | DF | ![]() |
セサル・タレガ | 2002.2.26 | 2021 | バリャドリード |
16 | FW | ![]() |
ディエゴ・ロペス | 2002.5.13 | 2022 | バレンシアB |
17 | FW | ![]() |
イバン・ハイメ | 2000.9.26 | 2025 | FCポルト |
18 | MF | ![]() |
ペペル | 1998.8.11 | 2023 | レバンテ |
19 | DF | ![]() |
マックス・アーロンズ | 2000.1.4 | 2025 | ボーンマス |
20 | DF | ![]() |
ディミトリ・フルキエ | 1993.3.23 | 2021 | グラナダ |
21 | DF | ![]() |
ヘスス・バスケス | 2003.1.2 | 2020 | バレンシアB |
22 | FW | ![]() |
ルイス・リオハ | 1993.10.16 | 2024 | アラベス |
23 | MF | ![]() |
フラン・ペレス | 2002.9.9 | 2022 | バレンシアB |
24 | DF | ![]() |
ヤレク・ガシオロウスキ | 2005.1.12 | 2023 | バレンシアB |
25 | GK | ![]() |
ギオルギ・ママルダシュヴィリ | 2000.9.29 | 2021 | ロコモティヴィ・トビリシ |
27 | FW | ![]() |
デイヴィッド・オトルビ ※ | 2007.10.16 | 2024 | バレンシアB |
28 | MF | ![]() |
アリ・ファダル ※ | 2004.1.14 | 2023 | バレンシアB |
29 | DF | ![]() |
アレックス・セラデル ※ | 2002.8.14 | バレンシアB | |
31 | DF | ![]() |
ルベン・イランソ ※ | 2003.3.14 | 2021 | バレンシアB |
32 | MF | ![]() |
マルティン・テホン ※ | 2004.4.12 | 2024 | バレンシアB |
34 | GK | ![]() |
ラウール・ヒメネス ※ | 2006.2.16 | 2024 | バレンシアB |
35 | GK | ![]() |
ビセント・アブリル ※ | 2005.2.15 | 2025 | バレンシアB |
38 | DF | ![]() |
イケル・コルドバ ※ | 2005.11.11 | 2024 | バレンシアB |
39 | MF | ![]() |
ロドリゴ・アバジャス ※ | 2003.5.12 | 2023 | バレンシアB |
42 | FW | ![]() |
ウォーレン・マドリガル ※ | 2004.7.24 | 2024 | サプリナ |
44 | DF | ![]() |
イスマエル・サンタナ ※ | 2004.11.18 | 2024 | バレンシアB |
45 | FW | ![]() |
パブロ・ロペス ※ | 2006.2.26 | 2025 | バレンシアB |
46 | MF | ![]() |
ペドロ・アルマン ※ | 2002.3.21 | 2025 | バレンシアB |
※はバレンシアB所属選手。
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最終更新:2025/03/31(月) 08:00
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