セビージャFC 単語

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セビージャFC(Sevilla Fútbol Club)とは、スペインアンダルシア州セビリアに本拠を置くプロサッカーチームである。

ラ・リーガ1部であるプリメーラディビジョン所属。ホームスタジアムはエスタディオラモンサンチェス・ピスファン。セビリアFCとも表記される。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
セビージャFC
基本情報
創設 1890年
所属リーグ ラ・リーガ
ホームタウン セビリア
ホームスタジアム ラモンサンチェス・ピスファン
(45,500人)
クラブカラー ,
代表者 ホセカストロ・カルモナ
プロサッカークラブテンプレート

1890年創設。スペインの強チームであり、現在バルセロナレアル・マドリーアトレティコ・マドリーの3強に次ぐチームの一つとみなされている。リーグ1回、コパ・デル・レイ5回、UEFAヨーロッパリーグ(EL)7回の優勝経験があり、2016年にはEL3連覇を達成。前身のUEFAカップ時代を含めてELの歴代最多優勝チームとなっている。ちなみに、ELの決勝では7戦全勝と類の強さを誇っている。

一方で毎年のように力を引き抜かれており、リーガ3強や他の強リーグに移籍する選手も少なくない。下部組織も優秀で、アントニオレジェス、セルヒオ・ラモス、ヘスス・ナバスディエゴ・カペルなど多くのトップ選手がここを巣立っている。近年では、敏腕SDであるモンチを中心に低コストで選手を獲得し、ビッグクラブに高額な移籍金で売却することで収益を得るというビジネスモデルで成功を収めており、中でもFCバルセロナは大のお得意様となっている。

ファンはセビリスタ、セビジッタなどとよばれ、非常に熱狂的である。同じを本拠地とするレアル・ベティスが労働階級層を支持基盤としているのに対し、セビージャは富裕層を中心にファンが多いと言われている。

レアル・ベティスとはしいライバル関係にあり、セビージャダービーとしてスペインでもトップレベルの盛り上がりを見せるとともにもっとも過ダービーとして知られている。サポーター同士のいざこざも絶えず、2007年にはベティスサポーターの投げたペットボトルが当時セビージャ監督だったファンデ・ラモスに直撃し、そのまま倒れて病院に運ばれるという事件が起きた。通算成績ではセビージャが大きく勝ち越している。

ホームゲームの試合前にはイムノ(応援歌)が流れるが、その曲は非常に人気であり、またサポーターによる大合唱は一見の価値がある。

日本人選手では、清武弘嗣2016-17シーズンに半年ほど所属していた。また、Bチームの所属ではあったが宿洋史が2012年トップチーム公式戦に出場したことがある。

歴史

1890年、当時のセビージャの統治者によってクラブの設立が発表される。当初は文化スポーツ両面のプライベート協会として活動していたが、1905年にクラブチームとして登録し、1908年にレクレアティーボ・ウェルバとの初の公式戦が開催される。リーガ・エスパニョーラが初開催される前にアンダルシア州選手権で17度優勝し、セビージャ選手権で2度優勝

1930年代に入って力を付けるようになると、1935年クラブ史上初タイトルとなるコパ・デル・レイ優勝を果たす。スペイン内戦後となる1938-39シーズンには二度のコパ・デル・レイ優勝を達成。再会されたリーグ戦においても1939-40シーズンに、FCバルセロナに11-1で、バレンシアCFに10-3で勝利しており、4シーズン216得点を決めた「ロスストゥーカス」と称された爆発的な攻撃武器優勝争いを演じるようになる。そして、1945-46シーズンラモン・エンシナスを監督に招聘すると接戦を制して初のプリメーラ・ディビシオン制覇を果たす。1947-48シーズンには三度のコパ・デル・レイ優勝を達成。

1950年代になると勢いを失うが、それでも安定した成績は残し、リーガの上位には食い込んでいた。1958年には現在ホームスタジアムであるエスタディオラモンサンチェス・ピスファン完成1960年代に入ると低迷期に入り、順位も中位から下位にまで落ち込むようになる。1968-69シーズンは15位に沈み、初のセグンダ・ディビシオン(2部)降格となる。1年で1部復帰を果たしたものの、1971-72シーズンに再び降格。3シーズンをセグンダ・ディビシオンで過ごすことになる。

1975-76シーズンプリメーラに復帰してからは中位に定着するようになり、立った成果は残せなかったものの20年以上プリメーラに在籍する安定した地位は築いていた。その背景には1980年代後半以降はアントンポルスターイヴァン・サモラーノ、ダヴォール・シュケルといった優秀なストライカーを獲得できたことがあった。だが、彼らをチームに留めておくことはできず、他の強チームに引き抜かれることとなった。そして1996-97シーズンレアル・マドリードに移籍したシュケルのを埋められなかったチームリーグ最下位に低迷し、21年ぶりにセグンダへ降格となる。セグンダ2年プリメーラに復帰したものの1999-00シーズンは勝ち点わずか28しか稼げずに最下位に終わり、1年で降格となる。

2000年にホアキン・カパロス監督に就任。就任1年でセグンダ・ディビシオン優勝を果たし、1年でチームプリメーラ・ディビシオンに復帰させる。2002年会長に就任したホセマリア・デル・ニドはクラブの財政を整理し、強化担当のモンチスポーツディレクターの辣腕もあってセビージャは強へのを歩み出すことになる。また、カパロスの手腕によってヘスス・ナバスホセアントニオレジェス、セルヒオ・ラモス有能な若手選手が発掘・育成され、2004年2005年には2年連続で6位に入り、UEFAカップ出場権を獲得。どん底に落ちていたチームの立て直しに成功する。

2005年にはファン・デ・ラモス監督に就任。生え抜きセルヒオ・ラモスレジェスを売却した大金を得たことで積極的な補強を見せると、2005-06シーズンUEFAカップ決勝でミドルブラを4-0で下し、アンダルシアクラブとしては初の欧州タイトルを獲得する。2006-07シーズンになると、フレデリック・カヌーテとルイス・ファビアーノの2トップ覚醒。まず、FCバルセロナを破ってUEFAスーパーカップを制すると、UEFAカップでは前年と同じく勝ち進み、準決勝のシャフタール・ドネツク戦では敗色濃厚だった試合をGKアンドレス・バロップのゴールで追いつき勝ち抜くという奇跡を起こす。決勝もバロップがPK3本を止める活躍でRCDエスパニョールとの同対決を制し、連覇を達成。また、コパ・デル・レイでも4度優勝を成し遂げ二冠を達成。リーグ戦でもバルセロナレアル・マドリードを相手に終盤戦まで優勝争いを繰り広げ、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する。

絶頂のまま迎えた2007-08シーズンだったが、悲劇がチームを襲う。リーガ開幕戦の2007年8月25日クラブの有望であったアントニオ・プエルタが、試合中突如倒れる。いったんは意識を取り戻し、自身の足でピッチを去ったものの、その後再び倒れ、多くの人の祈りむなしく帰らぬ人となった。この出来事は、セビリスタのみならず、多くのサッカー関係者に衝撃を与えた。対立関係にあるベティスの関係者及びサポーターも哀悼の意をささげ、この悲劇には多くの人がした。このシーズンのすべてのリーグ戦で試合前に1分間の黙祷ささげ、すべてのホーム戦ではプエルタの背番号と同じ16分に拍手げられた。

エルタの悲劇の2か後にファン・デ・ラモストッテナムに引き抜かれ、クラブにさらに震が走る。だが、監督に昇格したマノロ・ヒメネスチームを引き継ぎ、初出場となったCLではラウンド16まで進出するなど上位チームとしての地位を維持。2009-10シーズンには、9月グレゴリーノ・マンサーノが監督に就任すると、コパ・デル・レイ決勝でジョゼップ・グアルディオラ監督率いるバルセロナを倒し、3シーズンぶり5度優勝を果たす。

2010年代初頭は監督交代が相次ぎ、成績も中位に低迷するようになっていたが、2013年1月にウナイ・エメリが監督に就任。エメリは、ボランチだったイヴァン・ラキティッチをトップ下にコンバートすると、ラキティッチを中心にチームは快進撃を見せるようになる。2013-14シーズンのELでは決勝でSLベンフィカを破って7シーズンぶり3度優勝を果たす。2014-15シーズンにラキティッチがバルセロナへ移籍するが、エメリの子飼いであるエベル・バネガが後釜として活躍。決勝ではドニプロを相手に競り勝ち、EL連覇を果たす。2015-16シーズン得点カルロス・バッカが移籍し、期待した新戦力がフィットしなかったことでCLではグループステージ敗退、リーグ戦でもアウェイで1つも勝てないという不名誉な記録を作る。だが、ELではまたも類の強さを発揮し、ケヴィン・ガメイロの活躍もあってファイナルへ進出。決勝でも強FCリヴァプールを相手に勝利し、EL3連覇という偉業を達成。この3連覇を最後にエメリは勇退し、パリ・サンジェルマン監督に就任する。

2019-20シーズンSDに復帰したモンチ導によってフレン・ロペテギを監督に招聘。ELでは決勝でインテル・ミラノを下し、史上最多となる6度優勝を果たす。ロペテギ政権でのセビージャは堅守をベースとしたサイドアタック体の速攻が持ち味のチームとなり、2021-22シーズンまで2年連続でCL出場権を得られる4位以内の成績を収めていた。しかし、2022-23シーズンにジエゴカルロスジュール・クンデの両CBを同時に引き抜かれたことでベースである守備が崩壊。一時は降格の危機に直面するほど低迷し、ロペテギは解任となる。だが、後任となったホセルイス・メンディリバルのアグレッシブスタイルによってチームは復調し、得意のELでは7度ファイナル進出を果たすと、決勝ではPK戦の末にASローマを破り、7度優勝を果たす。

2023-24シーズンセルヒオ・ラモスが18年ぶりに復帰したものの、相次ぐ力の移籍のを埋めきれず、低迷。メンディリバルは開幕8試合で解任となり、その後2度の監督交代がおこなわれる混乱続きのシーズンとなり、2年連続二桁順位の14位に終わる。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

現在所属している選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 ガルシア・ピミエンタ 1974.8.3 2024 ラスパルマ監督
1 GK アルバロ・フェルナンデス 1998.4.13 2024 エス
3 DF アンドリアペドロサ 1998.5.13 2023 エスパニョール
4 DF キケ・サラ 2002.4.21 2022 テネリフ
6 MF ネマニャ・グデリ 1991.11.16 2019 スポルティングCP
7 FW アイザックロメロ 2000.3.18 2024 セビージャB
8 MF ペドロ・オルティ 2000.8.19 2021 FCヴィセラ
9 FW レチ・イヘアナチョ 1996.10.3 2024 レスター・シティ
10 MF スソ 1993.11.19 2020 ミラン
11 FW ドディ・ルケバキ 1997.9.24 2023 ヘルタ・ベルリン
12 MF サンビ・ロコン 1999.10.22 2024 ルートン・タウン
13 GK エルヤン・ニーラン 1990.9.10 2023 ライプツィヒ
14 FW ペケフェルナンデス 2002.10.14 2024 シンサンタンデール
15 DF ゴンサロ・モンティエル 1997.1.1 2021 ノッティガム・フォレス
16 DF ヘスス・ナバス(C) 1985.11.21 2017 マンチェスター・C
17 MF ウール・ニゲス 1994.11.21 2024 アトレティコ・マドリード
18 MF ルシアン・アグメ 2002.2.9 2024 インテル
19 DF バレンティンバル 2004.2.23 2024 ボカ・ジュニアーズ
20 MF ジブリル・ソウ 1997.2.6 2023 フランクフルト
21 FW デラエジュケ 1998.1.2 2024 アントワープ
22 DF ロイク・バデ 2000.4.1 2023 レン
23 DF マルコ 1996.6.5 2022 ガラタサライ
24 DF タンギ・クアシ 2002.6.7 2022 バイエルン
26 MF フアン 2003.8.15 2021 ミランデス
32 MF ホルヘ・アンヘル・カルモナ 2002.1.29 2022 タフ
27 MF タニス・イトゥンボ 2005.1.25 2024 ヤングアヤックス
28 MF マヌ・ブエノ 2004.7.27 2023 セビージャB
29 DF ダリオ・ベナビデス  2003.1.12 セビージャB
30 MF アルベルト・コリャード  2005.4.16 セビージャB
31 GK アルベルトフローレス  2003.11.10 2023 セビージャB
33 GK ティアス・アルボル  2002.9.12 2022 セビージャB
34 FW マテオ・メヒア  2003.3.21 2024 セビージャB
37 DF パブロリベラ  2004.1.11 セビージャB

セビージャB所属選手。

過去に所属したおもな選手

歴代監督

 

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