ホウヨウボーイ 単語

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ホウヨウボーイ

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度重なる故障から、奇跡の如くり、
見事史上初の2年連続年度代表く勇者がいた。

不死鳥ホウヨウボーイ。
忘れもしないカツラノハイセイコとの闘、
今も暗唱できる3分18秒9の大レコードタイム
あの有馬記念天皇賞に見せた執念は、まさに感動そのものだった。

ロマンを失いかけた現代に、再び男のロマンを呼び戻した覇者よ。
ホウヨウボーイ、あの間以来、お前は、そして私たちは
永遠のロマンチストのままでいる。

JRA「ヒーロー列伝」No.5 ホウヨウボーイexit

ホウヨウボーイ とは、日本の元競走馬、元種牡馬である。

シンザン以来史上二度の二年連続で年度代表馬いた名である。

な勝ち
1980年:有馬記念(八大競走)、日経賞
1981年:天皇賞(秋)(八大競走)、アメリカジョッキークラブカップ

1980年優駿賞最優秀5歳以上年度代表馬
1981年優駿賞最優秀5歳以上年度代表馬

概要

馬齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。

誕生からデビュー戦、そして引退の危機

ファーストファミリーホウヨウクインレアリーリーガルという血統。
ファーストファミリーは「ビッグレッドセクレタリアトの半のホウヨウクインネアルコ系の代表的種牡馬ロイヤルチャージャーを祖に持つという良血で、栗毛綺麗体もあって生まれ故郷の豊洋牧場で最も注を集めていただった。
その血に恥じず、ホウヨウボーイはデビュー戦となる3歳暮れの新馬戦を6身差で圧勝。
だが、かしい未来が開けたと関係者一同が期待したところでホウヨウボーイに悪夢が襲いかかる。
このレース後、ホウヨウボーイは骨折が判明したのだ。しかも骨折治した直後に今度は別の足を骨折し、クラシックシーズン全に棒に振ってしまう。
悪いことは重なるもので、この休養中に馬主兼生産者である古川嘉治が死去。息子である古川博はの死に落ち込み、大事なクラシックシーズンに長期休養というハンデを背負ったホウヨウボーイの引退・乗入りを考えるまでとなる。
しかしホウヨウボーイの調教師である名伯楽・二本柳俊夫はその素質に惚れており、1年7ヶの長期休養を経ながらも大成したタニノチカラを例に挙げて、引退を押しとどまらせた。

ターフのフェミニスト

そんな期待に応え、タニノチカラを上回る1年9ヶの休養を経て復帰したホウヨウボーイは復帰後7戦5勝2着2回という抜群の安定感を見せながら初めての重賞挑戦となる日経賞に出走。ここも勝って見事に重賞初挑戦初勝利を果たす。
その後、2戦を挟んで迎えた天皇賞(秋)ではその安定感を買われて一歳年下のカツラノハイセイコに次ぐ2番人気。しかしレースではカツラノハイセイコマークしすぎて大逃げしたプリティキャスト逃げ切りを許したうえ、自身は初めての連対を外したどころか掲示板にすら載れない7着と惨敗してしまう。
ちなみにここまでホウヨウボーイが負けたのは秋の天皇賞を含めて全部で4戦なのだが、プリティキャストを筆頭にいずれも勝ちである。
そのうえパドックではっ気を出していることも多く、パドックでの周回時にが前に来る場合は順番を入れ替えてもらうほどだったらしい。有り体に言ってしまえば女好きで、ついたあだ名ターフのフェミニストだったのも納得である。

年度代表馬へ

プリティキャストを眺めていただけで終わった天皇賞リベンジを賭けた有馬記念では4番人気人気を落とすものの、同じようにリベンジに燃えるカツラノハイセイコとの一騎打ちを展開。
ハナ差でカツラノハイセイコを破り、八大競争(当時はグレード制導入前)初制覇を遂げた。
この勝利でホウヨウボーイは一躍年度代表馬の最有力補に躍り出る。
当時は古向けの大きな競走が秋の天皇賞宝塚記念有馬記念しかなかったうえにこの年まで天皇賞は勝ち抜け制度(一度天皇賞を勝つとに関わらず再度出走することが出来ない)だったため、現在でいうGⅠ級競走の勝利がこの1勝だけでも年度代表馬になることが可だったのだ。
そしてこの年に残した安定感ある成績を評価されて天皇賞(春)勝ちのニチドウタロー宝塚記念勝ちテルテンリュウ天皇賞(秋)勝ちプリティキャストを抑えて見事年度代表馬に選出される。

再びの故障、栄冠、そして世界の壁

年が明け、7歳となったホウヨウボーイは現役を続行。初戦のアメリカジョッキークラブカップを快勝し順調な滑り出しを見せるが、続く中山記念で2着に敗れた後に瘤を発症してまでの休養を余儀なくされてしまう。
この間に前年しのぎを削ったカツラノハイセイコ天皇賞を制したり故障で引退したりして、ホウヨウボーイが復帰する頃には太陽王子と呼ばれたモンテプリンス、ホウヨウボーイと同厩舎のの上がりアンバーシャダイら新勢力が台頭してきており、古戦線の勢力図はと様変わりしていた。
そんな中、ホウヨウボーイは復帰初戦のオールカマーこそのハセシノブの5着と敗れるが、次走の天皇賞(秋)モンテプリンスとの壮絶な叩き合いを制して前年の辱をらす勝利を挙げる。

次走に選んだのはもちろん有馬記念……ではなく、この年から新設された際競走・ジャパンカップである。

前年の年度代表馬で前走では天皇賞を勝ったばかりのホウヨウボーイは当然ながら日本大将格として迎え撃つ側。アメリカのザベリワンはともかくモンテプリンスにまで人気で負けてた気がするが気にしないようにしよう
だが、このジャパンカップ日本メアジードーツら外に対してって敗。ゴールドスペンサーが5着に入るのが精一杯で、ホウヨウボーイも6着と敗してしまう。
続く引退レース有馬記念ではアンバーシャダイの強襲に遭いハナ差の2着と敗れ、有馬記念連覇も阻まれてしまった。

だが、こそ故障で棒に振ったものの天皇賞制覇に有馬記念2着という実績が評価され、ホウヨウボーイは二年連続で年度代表馬くことになる。
ホウヨウボーイ以外に二年連続で年度代表馬いたのは2020年終了時点でシンザンシンボリルドルフシンボリクリスエスディープインパクトウオッカキタサンブラックの6頭だけ。年度代表馬二回という条件まで広げてもスピードシンボリジェンティルドンナアーモンドアイを含めた10頭だけという錚々たる面々なのだが、他の9頭にべてホウヨウボーイの評価が妙に低い気がするのはGⅠ級競走に2勝しかしていないことに加え、日本競馬関係者がショックを受けたジャパンカップ敗がしているのかもしれない。
ただしジャパンカップでホウヨウボーイはゲートに顔をぶつけてを三本折っており、血を流しながらのレースだったためにもしもこの怪がなければキョウエイプロミスカツラギエースを待たずとも、日本初の連対・優勝を果たせていた可性はある。

ともあれ、ホウヨウボーイは二年連続年度代表馬という手土産を引っさげて翌年から種牡馬入り。
しかし、種牡馬生活が始まった矢先の5月30日ストレス性の破裂で急死。わずかに48頭と交配しただけに終わり、産駒は30数頭しか残すことが出来なかった。

血統表

*ファーストファミリー
First Family
1962 栗毛
First Landing
1956 鹿毛
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Hildene Bubbling Over
Fancy Racket
Somethingroyal
1952 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Imperatrice Caruso
Cinquepace
ホウヨウクイン
1969 鹿毛
FNo.1-b
*レアリーリーガ
Really Regal
1962 栃栗毛
Royal Charger Nearco
Sun Princess
Fresh Air Fair Trial
Refreshed

1962 芦毛
*フェリオール Fastnet
Aisse
ダツシングラス ダツシング
第弐フラツシングラス
競走馬の4代血統表

クロスRoyal Charger 4×3(18.75) Pharos 5×5(9.38%)

ミヤマビューティーの曾孫に2022年高松宮記念を制したナランフレグがいる。

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