マイネルネオス 単語

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マイネルネオス

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マイネルネオス(Meiner Neos)とは2003年生まれの日本競走馬鹿毛

新冠町・ビッグレッドファーム生産、美稲葉一→田中剛厩舎所属。
馬主サラブレッドクラブラフィアン(マイネル冠でお染み、BRF体とする一口クラブ)。

な勝ち
2011年中山グランドジャンプ(JGⅠ)

名前冠名+ギリシャ語で「新しい」

出自

ステイゴールド*マイネプリテンダー、Zabeelという血統。

ステイゴールドは中々勝ちきれないレースが続いたが、最後の最後で香港ヴァーズを制しGⅠとなった。引退後は日高ブリーダーズSS種牡馬入りし、マイネルネオスは初年度産駒である。
の*マイネプリテンダーはニュージーランドからの輸入で現役時代は1勝2着3回、後にマイネルネオスの戦となった柴田大知が若かりし頃に2度騎乗した事がある。Zabeel(ザビール)は現役時代オーストラリアオーストラリアンギニー(3歳限定GⅠ)を初め重賞4勝を挙げ、種牡馬入り後はGⅠ10勝を挙げたOctagonal、同7勝のMight and Powerなどを輩出した南半球の大種牡馬である。

*マイネプリテンダーは10歳で亡くなるまで5頭の産駒を残し、未出走に終わったマイネルヌーヴォー(*ペンタイア)を除いた4頭が重賞を勝つという優秀な繁殖成績を残した。因みにその4頭のうちマイネルネオスはステイゴールド産駒だが、他3頭は*ブライアンズタイム産駒である。

ビッグレッドファームで生産された本サラブレッドクラブラフィアンで募集(1口17万円×100口の総額1700万円)され、美稲葉一厩舎へ入厩した。

競走生活

平地時代

2005年12月中山マイルデビューしここを3着。続く未勝利戦も3着に入り、年明けの中山2000mで後方から差し切り勝ち上がる。福島ひめさゆり賞で2着に入ったが500万下打ち止めとなり、3歳年末に500万下場4着の後障害競走へ行くこととなった。

年明けの入障初戦を背に7着の後、次戦で押し切り濃厚のを直線で勢いよく追い上げて2着に入るとここで地に再転向。すると出戻り初戦の500万下場戦と1000万下特別戦を連勝。目黒記念に格上挑戦するが12着となり、降級後の1000万下特別を勝った後は1600万下を越えることが出来ず、2009年(6歳)の2月末の御堂筋Sを最後に再び障害へ戻ることとなった。

中山グランドジャンプに至るまで

障害戦に戻って3着連続で2着に入った後、半年間けて障害未勝利戦を勝ち上がる。その後のイルミネーションJSでは最初の障害で落し、続く中山大障害では完走し6着に入る。続く春麗JSではまたも落上の宗像骨折重賞を負い、ここまで障害戦で戦を務めた宗像は降となった。

その後障害OPを4着の後、五十嵐を背に障害OP級初勝利を挙げる。
その後、休みを経てある男と出会う。柴田大知である。新潟ジャンプSで初めて騎乗しここを5着に入り、続く障害OPを3着。東京HJで一旦五十嵐に乗り替わって7着となり、続くイルミネーションJSではランヘランバの8身差逃げ切りを許すが2着に入る。
柴田大知が初J・GⅠ初騎乗となった中山大障害では、中後方から後半じわじわとポジションを上げて直線では最内を突く。バシケーンタマモグレアーの叩き合いには加われずも3着に入り、じわじわと実力を付けていった。

年が明け8歳となり、春麗JSから始動し、ここを中最後方から追い上げてランヘランバの6身差の2着もバシケーンをアタマ差下す。続く障害OPでは最後の直線で逃げるデアモントを差し切ってオープン級2勝を挙げる。

2011年中山グランドジャンプ

そして7月中山グランドジャンプを迎える。従来4月に行われる予定であった中山グランドジャンプ東日本大震災によって中山競馬場がおよそ1ヶに渡り開催が中止となり、日経賞皐月賞が別の競馬場で振り返られる中、大障害コース中山にしか存在しない事もあって7月に順延する事となった。

従来芝Bコースを使用していたが、今回は芝Cコースを使用した為4260mで開催された中山グランドジャンプ。一番人気阪神スプリングJを勝ってきたゴーカイ産駒オープンガーデン。続く2番人気は本。他には4年前大障害を勝った古メルシーエイタイムやテイエムトッパズレなどが出走。前年J・GⅠを勝ったメルシーモンサンバシケーンは共に故障の為休養中であった。

レースが始まるとメジロラフィキが後ろを5身ほど離す逃げを打つ。マイネルネオスは出脚がつかず最初は後方から進めるが群が較的固まっている展開。大生垣障害を過ぎてからポジションを徐々に上げ、最後から2番の9号障害を飛越した頃にはメジロラフィキオープンガーデン、メルシーエイタイムを射程圏に入れる4番手につける。
バテたオープンガーデンを交わした時、最後の10号障害を飛越したメジロラフィキ前のめりに転倒。数身後ろにいたマイネルネオスは少し左へ避ける不利を受ける。しかし末脚は確かに残っており、先に抜け出したメルシーエイタイムを残り50mで交わして1と1/4身突き放してゴールも、騎手も、馬主も、調教師も皆J・GⅠ勝利となった。

年間未勝利が2年続き、長らく乗りが少ない状態が続いた柴田大知は、レース後のインタビューながらに「騎手を辞めなくて良かったです」と語った。

中山グランドジャンプの後

しかし走の代償か、レース後に右前脚の剥離骨折が発覚。休養の後イルミネーションJSに出走するが63kgの斤量不良馬場き5以上差がついた5着に敗れ、続く中山大障害では直線で脚色の勝ったマジェスティバイオの4着となる。

その後は精を欠き、年明けの春麗JSの後屈腱炎を発症。年末の中山大障害に復帰するが、この頃には柴田大知地に軸足を戻し、浜野尚に乗り替わった本は13着に敗れ、以後4戦するが全て掲示板外となり、2014年10月に調整中跛行を起こし復帰を断念。2014年10月10日競走馬登録を抹消。現役を引退した。
現在横浜にある根岸競馬記念にて乗となり、同い年の天皇賞イネルキッツも同地にいた。
獲得賞金は2億3370万円に達し、ステイゴールドの初年度産駒では最高額で、結果的にこの世代の出世頭となった。

柴田大知は本の他、コスモオオゾラ弥生賞を勝つなどマイネ軍団の騎乗機会が増えると結果を残し、2013年マイネルホウオウNHKマイルカップを制すとマイネ軍団戦の地位を不動のものとした。2021年現在でも関東本場を中心にマイネ軍団に乗る柴田大知を確認できる。

2023年6月6日にマイネルキッツがポニーセンターから退厩し、うらかわ優駿ビレッジAERUへ移った後も引き続き同地に止まったが、同年10月25日に彼も退厩、カントリーライフ21へ移った。

血統

ステイゴールド
1994 黒鹿
*サンデーサイレンス
1986 青鹿
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
ゴールデンサッシュ
1988 栗毛
*ディクタス Sanctus
Doronic
ダイナサッシュ *ノーザンテースト
*ロイヤルサッシュ
*マイネプリテンダー
1995 黒鹿
FNo.6-b
Zabeel
1986 鹿
Sir Tristram Sir Ivor
Isolt
Lady Giselle Nureyev
Valderna
Giladah
1986 鹿
Mill Reef Never Bend
Milan Mill
Nouvelle Star Luskin Star
Bonne Nouvelle

5代内クロスNorthern Dancer 5×5

*マイネプリテンダーはニュージーランドからの輸入。きょうだいには
・マイネヌーヴェルフラワーC
・マイネルアワグラスシリウスS
・マイネチャールズ弥生賞京成杯皐月賞2着
がいる。なお上記の3頭は全て*ブライアンズタイム産駒である。

2021年オークスユーバーレーベンは本の孫、2023年中山大障害覇者マイネルグロンは本の子にあたる。

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※ショッキングシーンがあるため視聴には注意

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