メジロアンタレス(Mejiro Antares)とは、1979年生まれの日本の競走馬である。栗毛の牡馬。
グランドマーチスの障害獲得賞金記録を塗り替え世代賞金王にもなった、障害黄金世代の名ジャンパー。
主な勝鞍
1984年:中山大障害(秋)
1987年:中山大障害(春)
※当時は旧年齢表記だったためそれに伴った内容で記載。
父メジロゲッコウ、母メジロオーサカ、母父メジロサンマンという血統。
北海道伊達市のメジロ牧場で1979年4月4日に生まれたメジロアンタレスは美浦の大久保洋厩舎に所属し、1981年10月31日、京都の芝1200mの新馬戦でデビューし2着。その後は3戦し5戦目の中山芝1600m戦で勝ち上がった。このときの鞍上はライスシャワーやグラスワンダーでおなじみの的場均騎手。
翌1982年に格上挑戦となる若鮎賞(OP)で3勝目を飾り準オープン入りする。
しかしそこから半年間は勝ち星に恵まれず、12月12日のハンデ戦が最後の平地出走となった。
翌1983年から障害競走に転向。
5着となった初障害から連闘で挑んだ二戦目で2着につけると中2週の3戦目で障害未勝利戦を勝ち上がる。
2月に東京障害特別2着、5月にオープン戦を勝ち障害2勝目を挙げる。その後は京都大障害2着を経て中山大障害(秋)に初挑戦するが、大竹柵でメジロザニアーとともに落馬、競走中止となった。
1984年、再び中山大障害(春)に挑んだメジロアンタレスだったが、同厩のメジロジュピターに1馬身及ばず2着となった。ちなみにこのときの中山大障害はなんと出走6頭中3頭がメジロ冠、全て大久保洋厩舎所属であった。
そして新潟障害ステークスを制して挑んだ暮れの中山大障害(秋)。
絶好の内枠から飛び出した逃げの名手ライバコウハクをピッタリとマークしていたメジロアンタレスは終始二番手でレースを運ぶ。
「敵はライバコウハクただ一頭」鞍上の牧之瀬幸は慎重にレースを運ぶ。
最終直線でついにライバコウハクとメジロアンタレスが並ぶ。
叩き合いの末3/4馬身差をつけて先頭でゴールしたのはメジロアンタレス。
通算51戦目での重賞制覇。同年の最優秀障害馬に選出される。
翌1985年は斤量に泣かされ2,3着を繰り返し勝利できなかった。
86年は中山のオープン戦を勝つも秋の大障害はハッピールイスの3着に敗れる。
明けて1987年、9歳になったメジロアンタレスは再び中山のオープン戦を勝つと前哨戦となるオープン戦で2着となり、7回目となる中山大障害(春)に挑む。
向こう正面のバンケットを登りきったメジロアンタレスは逃げたライバコウハクを捉え、トウショウドリームの追撃も振り切って二度目の中山大障害勝利を飾った。
同年の中山大障害(秋)を同期のシノンシンボリの2着に敗れ、これを最後に現役引退。
通算71戦11勝、うち障害競走44戦8勝。
獲得賞金3億8091万4000円は、障害競走唯一の顕彰馬グランドマーチスの3億4338万8200円を上回り当時の障害馬としての歴代最高額。1982年クラシック世代では平地も含めた世代賞金王である。
この世代は賞金額の2位ライバコウハク、3位キョウエイウオリア、5位シノンシンボリも中山大障害を勝った障害馬という障害競走の黄金世代だった。
メジロゲッコウ 1968 鹿毛 |
*パーソロン 1960 鹿毛 |
Milesian | My Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Calonice | |||
メジロボサツ 1963 栗毛 |
*モンタヴァル | Norseman | |
Ballynash | |||
メジロクイン | シマタカ | ||
コウゲン | |||
メジロオーサカ 1970 鹿毛 FNo.2 |
メジロサンマン 1963 鹿毛 |
Charlottesville | Prince Chevalier |
Noorani | |||
*パラデイシア | Aureole | ||
Chenille | |||
*ドニタスヴィクトリー 1958 鹿毛 |
War Admiral | Man o'War | |
Brushup | |||
Donitas First | Reaping Reward | ||
Donita M. | |||
競走馬の4代血統表 |
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最終更新:2025/04/25(金) 17:00
最終更新:2025/04/25(金) 16:00
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