後藤武敏(ごとう たけとし、1980年6月5日-)とは、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)である。2019年からは東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチを務める。
東北楽天ゴールデンイーグルス #93 一軍打撃コーチ |
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後藤武敏 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1980年6月5日 |
身長 体重 |
176cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 一塁手、左翼手、 三塁手 |
プロ入り | 2002年自由獲得枠 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
松坂大輔、小池正晃、小山良男らと共に横浜高校の甲子園優勝に貢献。法政大学では、東京六大学リーグに出場し、三冠王を獲得。その後2002年自由枠で西武ライオンズに入団した。背番号6。
2003年は開幕戦で4番に座り、11本塁打を打つなど活躍した。
2004年に貝塚政秀、2005年に石井義人、2006年に中村剛也が台頭で一軍での活躍の場を失いつつあった。二軍では4冠を獲得していたことから「二軍の帝王」と呼ばれていた。
2008年はセ・パ交流戦直後に一軍に昇格。6月29日の千葉ロッテマリーンズ戦で2003年以来5年ぶりの本塁打、さらに自身初の1試合2本塁打を放つ。その日のヒーローインタビューで「1本目は妻と息子のため、2本目は親父と先日亡くなった母ちゃんのために打った」と涙ながらコメントし、さらに「母ちゃんやったぞ!」と豪快に叫び、ファンを感動させた。その後も活躍して優勝と日本一に貢献した。
2009年からは外野手として登録された。8月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で自身初のサヨナラ本塁打を放った。
2010年は開幕一軍だったが、極度の打撃不振に陥り、5月に二軍に降格。クライマックスシリーズに出場したがノーヒットに終わる。
2011年も打撃不振から抜け出せず、同年オフ、武山真吾とのトレードで横浜ベイスターズに移籍した。背番号55。
2012年はオープン戦で打棒が戻りつつあったが、右太ももの張りで開幕を二軍で迎えた。7月22日に一軍に昇格し、8月4日の読売ジャイアンツ戦で3年ぶりのホームランを放つと、8月だけで6本のホームランを放つ。最後まで一軍に帯同するが8月末にやや調子が落ちたのと拙守もあり右の代打の切り札という存在になり、二軍の帝王を返上した。
2013年は春先は不調だったが、9月に月間打率.417を記録。中村紀洋、トニ・ブランコの不在時に4番を務めた。
2014年は開幕を二軍で迎えたが、中村紀洋の二軍降格と同時に一軍に昇格。シーズン初打席で杉内俊哉からホームランを放った。その後は怪我で一時戦線を離脱したが、トニ・ブランコの降格と同時に一軍に昇格。トニ・ブランコが戻るまで4番を務めた。7月にはアーロム・バルディリスの不調から西武時代の2007年以来となる三塁スタメンで起用された。8月31日の読売ジャイアンツ戦と9月7日の広島東洋カープ戦において代打で登場。共に打った打球が3塁ベースに直撃すると言う奇跡を起こし両試合とも同点につなげるタイムリーを放った。
2015年からは背のネームがGOMEZ、登録名が「後藤武敏G.」となった。しかし打率.206、4本塁打、11打点と結果を残せなかった。
2016年からは登録名を「後藤G武敏」に変更。キャンプで右太もも軽度の肉離れを発症し、開幕は二軍で迎え、7月13日にようやく一軍昇格。この日の中日ドラゴンズ戦では代打で出場し二塁打と結果を残した。8月2日の阪神タイガース戦でホームランを放ったが、この年はこの1本塁打と6打点に終わった。
2017年からは登録名を「G.後藤武敏」に変更。溶連菌感染症の影響で調整が大幅に遅れ、わずか26試合の出場に終わる。移籍後初めて0本塁打だった。
2018年は登録名を「G後藤武敏」に変更した。中日ドラゴンズに入団した松坂大輔との対戦をモチベーションとしていたが、一軍出場がないまま、9月9日に現役を引退することが発表された。9月22日の中日戦が引退試合となり、代打で登場し、空振り三振で現役生活を終えた。
2019年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍打撃コーチを務める。2023年からは楽天の一軍打撃コーチを務める。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#107 | 8690 | ![]() |
DeNA | 応援歌のピコカキコ一覧#930 | 11671 | ![]() |
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2003年 | 西武 | 101 | 272 | 252 | 30 | 66 | 15 | 1 | 11 | 44 | 1 | 0 | 1 | 17 | 2 | 57 | 9 | .262 | .313 |
2004年 | 24 | 52 | 47 | 5 | 9 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 15 | 1 | .191 | .269 | |
2005年 | 25 | 47 | 39 | 4 | 8 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 11 | 1 | .205 | .340 | |
2007年 | 20 | 42 | 37 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 12 | 1 | .162 | .220 | |
2008年 | 49 | 184 | 166 | 34 | 50 | 14 | 0 | 12 | 27 | 0 | 0 | 0 | 16 | 2 | 31 | 3 | .301 | .370 | |
2009年 | 54 | 161 | 147 | 13 | 43 | 4 | 1 | 5 | 23 | 0 | 0 | 1 | 13 | 0 | 33 | 4 | .293 | .348 | |
2010年 | 16 | 33 | 29 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 9 | 1 | .138 | .242 | |
2011年 | 24 | 37 | 33 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 13 | 0 | .152 | .243 | |
2012年 | DeNA | 51 | 138 | 125 | 11 | 32 | 3 | 0 | 6 | 15 | 0 | 0 | 1 | 12 | 0 | 26 | 2 | .256 | .319 |
2013年 | 62 | 101 | 88 | 13 | 25 | 6 | 0 | 6 | 14 | 0 | 1 | 0 | 9 | 3 | 19 | 1 | .284 | .370 | |
2014年 | 68 | 165 | 145 | 17 | 41 | 8 | 0 | 7 | 31 | 0 | 1 | 1 | 18 | 0 | 34 | 4 | .283 | .360 | |
2015年 | 70 | 76 | 68 | 4 | 14 | 4 | 0 | 4 | 11 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 17 | 2 | .206 | .289 | |
2016年 | 27 | 30 | 23 | 2 | 6 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 9 | 1 | .261 | .433 | |
2017年 | 26 | 29 | 26 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 7 | 1 | .115 | .207 | |
2018年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | |
NPB:15年 | 618 | 1368 | 1226 | 137 | 312 | 64 | 2 | 52 | 184 | 1 | 3 | 5 | 126 | 8 | 294 | 31 | .254 | .327 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
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NPB | 一塁手 | 162 | 1011 | 77 | 16 | 84 | .985 |
三塁手 | 26 | 12 | 23 | 3 | 5 | .921 | |
外野手 | 44 | 61 | 5 | 1 | 2 | .985 |
掲示板
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最終更新:2025/03/14(金) 03:00
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