みちのくプロレスとは、東北地方を拠点に活動するインディープロレス団体である。
略称は「みちプロ」。代表取締役社長にザ・グレート・サスケ(本名:村川政徳)が就任している。
1992年に、前身となるユニバーサル・プロレスリングの所属選手によって旗揚げ。「地域密着型プロレス団体」をモットーとし、東北6県で活動を始める。この時の社長は、サスケの実父である村川清兵衛氏。
他団体との違いとして、リング上に衝撃吸収用のマットを設けていないことが挙げられる。
これはみちプロが飛び技主体のメキシカンスタイルをベースにしているためで、メキシコのリング同様の作りとなっている。そのため、場外での投げ技のダメージが大きい。
またタッグマッチにおいて、試合権を持つ選手が場外に転落した時はパートナーが自動的に権利を獲得して試合に参加できる。DRAGONGATEも取り入れているルールで、スピーディな試合展開を行う事が可能。
旗揚げ当時こそは各種メディアに取り上げられ話題となるものの、それ以降の興行では苦戦が続いていた。
だがその2年後の1994年、現社長であるザ・グレート・サスケが新日本プロレスの『スーパーJカップトーナメント』に参加。
日本ジュニア界の代表格である獣神サンダーライガーを破り準優勝。その年の『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』でもスペル・デルフィンが準優勝したことで、みちプロの名前は一気に全国区へと知れ渡ることになる。
1997年にはTAKAみちのくがWWF(現WWE)へ参戦、その翌年にはディック東郷、MEN'Sテイオー、船木勝一(現・FUNAKI)が同じくWWFに移籍している。
1999年には、スペル・デルフィンや松井幸則レフェリーらをはじめとした選手の大量離脱が発生。
主力選手が抜け苦しい経営を迫られる中、2003年にはサスケが岩手県議員に当選。社長から会長へと後退した。
その後、新崎人生が新社長に就任。興行形態もフリー選手主体から闘龍門X出身選手主体へと変化する。
人生社長はみちプロの本社移転をこのときから考えており、2年後の2005年に本社を岩手県盛岡市から宮城県仙台市へと移転。同年7月に有限会社みちのくエンタテインメントを設立し、元GAEA JAPANの里村明衣子を責任者とし、みちプロ女子部にあたるセンダイガールズ・プロレスリング(通称:仙女)を旗揚げした。
その後みちプロは2008年に議員辞職したサスケが本格復帰。翌年に代表取締役社長に就任、新崎人生がコミッショナーに就き、みちのくエンタテイメントの社長を引き続き務める新体制を発足させた。
これに伴いみちのくの運営会社は岩手県盛岡市に再移転し、現在に至っている。
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最終更新:2025/12/15(月) 13:00
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