アイドル達と昭和日本とは、鈴木貫太郎Pが制作している、iM@S架空戦記シリーズである。
第二次大戦直前の日本を舞台とした、現地人系架空戦記。
1934年1月、岡田啓介ではなく如月千早が31代首相となったことで、歴史は大きく変わり始める。
如月千早:第31代内閣総理大臣、海軍大将。通称「はらぺこ首相」。この世界では弟(千歳)は死んでおらず、その手料理が好物。世界恐慌の余波から来る不況への対策と、地方農村部の貧困対策などに優秀な閣僚やブレーンと共に熱意を持って取り組み、着実に効果を上げつつある事によって国民から高い支持率を得る。にもかかわらず、千早本人は軍人が政治を行うことを良しとせず辞任し政治を政党政治に返そうと決意するのだが、その矢先に先を見通せぬ暗愚な政党政治家がコミュニスト(ソ連)の謀略に嵌り、日本という国家が看過できない状況に追い込まれる事が明白となった為、苦渋の決断として開戦を決意する。千歳の恋人には如月家の賓乳 負の連鎖(22話前編での真の台詞により千早の母も○乳だった模様)を断ち切ってくれる様な豊かな胸の人(貴音や未来に希望の持てるやよいなど)と結ばれる事を願っている(よって、真は除外)。一時「官邸だけが高いものを食っている」と疑惑を持たれ騒然となったが、高い食材は殆ど使っていない事が証明され食べ過ぎ以外は無問題となったとか?
萩原雪歩:内務大臣兼鉄道大臣。通称「政界の土建屋」。日本最大の建築業「萩原組 建設」の跡取り娘。実家の実績から入閣を依頼される。本人は鉄道大臣を希望していたが、父親の知人(初代特高警察部長 安倍源基)の補佐を受けると言う事で内務大臣も拝命する。内務大臣としては普段は気弱な彼女だが一旦スイッチが入ると豹変し、愛 刀スコップの備前長船スコップがアカの血を求め唸りを上げるとも。内務大臣としての道路・上下水道などの生活インフラ整備、鉄道大臣として鉄道敷設などの土木工事をを実家の 組員若い衆と共にスコップを振り回し汗を流してるのはやり過ぎとの声も。
四条貴音:外務大臣。華族(四条家)ではなく、この世界では皇族の一員。千早の首相就任に皇族の入閣など通常ならありえなかったが、今が危機存亡の時と入閣を決断する。千歳暗殺(未遂)事件後、黒井に日本からの脱出を呼びかけられるが、千歳との出会いで人と人とを繋ぐ「絆」の大切さを知り、その提案を拒絶する。最近は三日と明けずに千歳の作る官邸ラーメン(別名 千歳龍麺)を食べている事で有名で、総理のはらぺこが感染したとの疑惑も。
水瀬伊織:大蔵大臣。通称「罵倒大臣」。水瀬財閥(伯爵家)の跡取り娘。元総理の高橋是清翁との知己により経済通となる。政財界の重鎮らに歯に衣着せぬ発言は反発どころか重鎮らを下僕化している模様。また、涼宮ハルヒ女王とは幼馴染で顔合わせる度に喧嘩している(つもりだが他者には仲良くじゃれあってるようにしか見えない)。ラジオの質疑応答での歯に衣着せぬ応答は一番人気だが、子供への釘宮病患者大量発生の根源として教育には悪いとの評判?
双海亜美:情報大臣。(現代の日本の内閣役職に当てはめた場合、公安調査庁長官に該当か?)通称「闇夜のとかち~」。大臣でありながら、日本が誇る第一級のエージェントでもある。実力は盗み出す事は困難と語られるソ連の軍事機密をも容易く盗み出してくる程で、彼女の諜報能力の優秀さを理解していただけるかと。
秋月律子:陸軍中将(16話後編より大将)、近衛師団長兼帝都防衛司令官。律太くん。第1話冒頭、如月内閣発足前の西園寺-高木会談では高木は律子を首相に推挙したかったが、陸軍内閣を嫌う西園寺翁の反対で口に出せずに終わった。“バーデン・バーデンの密約”主催の一人。対ソ開戦時は満州方面軍兼大陸派遣軍総司令官。自他共に認める優秀な将官であり、自分も切れ者たるべしと思ってるようであるが、他者(特に小畑敏四郎)から見れば情に厚く冷酷になり切れない一面を持つ(リッチャンハジョウニモロイデスヨ)。
菊地真:陸軍少将(16話中編より中将)、騎兵第一旅団長。対ソ開戦時は騎兵第1軍司令官。出征直前、千歳に奇襲を敢行し成功する。(ガンパレード・オーケストラ緑の章、第105山岳師団の面々は真の部下の模様。)
対ソ戦開始後、コリマ鉱山の捕虜収容所(ラーゲリ)を開放した事から“コリマの聖女”と称される事に。迂闊にも戦いの終わったばかりの戦場に一人立ち、凄惨な情景に胸を痛めていた所を狙撃され(千歳の贈ったバキュラペンダントで一命は取り留めるが)一時的にバイストン・ウェル行きとなる。そこで朝倉涼子の魂と出会い、現世に残る自分の身体を始末して欲しいと依頼される。ウブで純情でいて曲がった事が嫌いな熱血漢の娘(ねっけつおとこのこ)である。
星井美希:陸軍大佐(16話後編より少将、20話後編から中将)、飛行第一戦隊戦隊長。対ソ開戦時は大陸派遣陸軍航空隊司令官。千歳暗殺(未遂)事件後、落胆する千早を励まし立ち直らせたのは彼女である。千歳が抱える悩みを受け止められるくらいの関係になりたいと、恋する乙女の表情をものぞかせる。
双海真美:陸軍軍医中尉(17話前編より大尉)東郷平八郎元帥の最期を看取る。千歳暗殺(未遂)事件では陸軍病院に運ばれてきた千歳の手術を担当し、手術成功後は千歳の傍について目覚めの時を待っていた。対ソ戦開始後、彼女も満蒙へ渡る。
高槻やよい:陸軍少尉(14話後編より中尉)、総理護衛武官兼近衛師団小隊長。この世界では父親が海軍高官への贈賄事件「シーメンス事件」に関与したとして軍を追われた経緯を持つ(よってやよいは海軍ではなく陸軍へ進んだ)。史実で2.26事件を起こした皇道派青年将校らとは親交がある。「東京うっう~」
音無小鳥:海軍中佐、総理護衛武官兼秘書官で、「高木の隠密」とも称される。千歳の秘密(未来予知能力)を知る数少ない一人。この世界でも幼少のころから東郷×乃木の妄想していたなど妄想の女王ぶりは時代が変わっても変らずの模様。「永遠の23歳」から「音無小鳥さんまんにじゅうよんさい」へ
天海春香:海軍大佐(16話後編より少将)、横須賀海軍航空隊司令、対ソ開戦時は大陸派遣海軍航空隊司令官。満州帝国皇帝溥儀(康徳帝)の即位式でどんがらがっしゃ~んを披露(?)する。対ソ戦開始後はソ連極東軍を食いに食いまくり、一説では筆ヒゲがソ連人民最大の敵とドイツの某閣下より先に賞金首指定したという噂も。20話前編にて今後の海陸共同作戦の円滑な遂行(ぶっちゃけ陸軍に言う事聞かせる)為に三段階昇進で元帥に昇進する。
三浦あずさ:海軍大佐、戦艦『陸奥』艦長。A級ジャンパー。乗艦ごと移動していた魂の安らぎの場所(バイストン・ウェル)にて、地上から落下してきた千歳の魂を陸奥の主砲で地上に送り返すという奇跡の大殊勲を行った。(ガンパレードマーチ、5121小隊の面々は陸奥乗組員となっている)
我那覇響:統合軍少将(15話前編より中将)、海上機動旅団(海兵隊)長。(ガンパレード・オーケストラ青の章、海兵109師団の面々は響の部下)。巨大な戦闘犬「戦斗バーナード犬」を飼育。真の騎兵部隊に唯一着いて往ける機動力ある部隊という事で、本来不向きな戦場である砂漠と草原の地に赴く。23話後編にてソ連軍スナイパー、ヴァシリ・ザイツェフの狙撃を受けたが、千歳(真そっくりの次郎?)から貰ったバキュラペンダントと天然の86センチ胸部装甲で(73センチ胸部装甲の真は肋骨にひびが入り全治二週間の入院という羽目になったのに対し)無傷だった。
日高愛:日高 舞中将の娘。統合軍士官学校海軍科学生。卒業後(卒業席次は・・・・・・聞くなw(23話中編でブービーだった事が判明w))海軍少尉として海軍航空隊に配属。初陣にて10機撃墜と、オーガの娘は戦場で開花し華々しいデビューを飾る。
水谷絵理:統合軍士官学校情報科学生。次席で卒業し統合軍少尉としてチームELLIEを発足、技術研究に邁進する。
秋月 涼:統合軍士官学校陸軍科学生。首席で卒業し陸軍少尉として戦車第一軍第2師団へ配属。
桜井夢子:統合軍士官学校陸軍科学生。三位で卒業し陸軍少尉として戦車第一軍第3師団へ配属。
日高舞:日高 愛海軍少尉の母親。対イタリア、エチオピア援軍(およびトルコ・イスタンブールにボゾンジャンプした戦艦陸奥(三浦あずさ)回収)の「遣土艦隊」として戦艦金剛を旗艦として地中海へ出航す。ケマル・アタチュルクトルコ大統領に国民の為にも節酒をと進言する。対ソ開戦時は空母赤城を旗艦とする第1機動艦隊司令官。開戦2日前に最後通牒手渡したにも拘らず、敵基地への奇襲攻撃が成功してしまった事に大いに憤慨する。
史実人物についてもっと深く詳しく知りたいという方はWikipediaなどを検索してください。
今上(昭和)天皇:普段は感情を表に出さぬ温和な方で、圧縮言語「あっそう」(この四文字の中にはその場その時に応じ色々な意味が含まれる)を用いて語りかけるが、本気で怒ってる時は長文を語り感情を露わにする。
林銑十郎:陸軍大臣・陸軍大将、史実では33代総理大臣、外務、文部大臣なども歴任したが首相時代、特に何もしなかった事から「何にもせんじゅうろう」と揶揄された。暴走する軍部とハルヒの挟撃にストレスがたまり胃薬が欠かせず、痔にも悩まされる。開戦後は普段と変らず飄々とした好々爺の姿を見せながら、一方で誰にも語ってはいないが万一の事(日本敗北)があった場合は海軍によって天皇を脱出させる考えを持っている模様。
真崎甚三郎:陸軍大将、教育総監。皇道派の中心人物。史実では2.26事件の黒幕とも(真偽不明)。この世界では在郷軍人会や国粋主義者を煽動していた事が発覚、ハルヒの皇軍大粛清より失脚。
小畑敏四郎:陸軍少将(6話時点、史実最終階級、16話後編より中将)、「バーデン・バーデンの密約」の一人。敏四郎えもん。史実では皇道派の中心人物と目され、2.26事件後に青年将校の決起を止められなかった責任を取り予備役に編入される。この世界では統合軍士官学校校長。皇道派代表の一人として山下奉文、鈴木率道と共に三派会談に列席。対ソ開戦時は第1軍司令官兼大陸派遣軍総参謀長(ガンパレード・オーケストラ白の章、第108警護師団の面々は彼の配下の模様)で、総司令官の“律太くん”律子とは息の合ったコンビぶりを見せる。
山下奉文:陸軍中将(最終階級は大将)皇道派の幹部で、史実では2・26事件後に統制派に睨まれ中央から左遷される。太平洋戦争開戦時は第25軍司令官としてマレー作戦を指揮し「マレーの虎」と呼ばれ、シンガポールの戦いの英軍降伏交渉で「イエスかノーか」と迫った事は有名。マッカーサーの恨みを買い大将でありながらB級戦犯としてマニラで絞首刑となる(享年60歳)。この世界では皇道派代表の一人として小畑敏四郎、鈴木率道と共に三派会談に列席する。対ソ開戦時第2軍司令官。
鈴木率道(よりみち):陸軍少将(最終階級陸軍中将)。史実では欧米各国の航空隊の発展をつぶさにし、帰国後、陸軍航空隊の発展に尽力した航空隊育ての親であるが、東條英機に疎まれ、1943年5月に第2航空軍司令官を解職され、同年8月に没した。享年44歳。この世界では皇道派代表の一人として小畑敏四郎、山下奉文と共に三派会談に列席する。対ソ開戦時は陸軍第1航空隊司令官。
永田鉄山:陸軍少将(最終階級は中将)陸軍省軍務局長。統制派の中心人物。陸軍の英才と謳われ、「バーデン・バーデンの密約」の一人。史実では真崎教育総監更迭を巡り皇道派と対立し、永田の陰謀と信じた相沢三郎中佐に斬殺される(享年51歳)。この世界では統制派代表の一人としてHI☆DE☆KI、岡村寧次と共に三派会談に列席する。ハルヒの行った陸軍大粛清によって暗殺される事は無くなったがトロピコ行きとなる。対ソ開戦決定に伴い帰国し、動員課長を兼務する事に。
東條英機:HI☆DE☆KI(最終階級は陸軍大将)史実では義兄と呼ぶ永田鉄山の死後、統制派の第一人者となり、のち40代総理大臣となるが日本の敗戦後、東京裁判にて「A級戦犯」として起訴され絞首刑の判決を下され執行される(享年65歳)。この世界では統制派代表の一人として永田鉄山、岡村寧次と共に三派会談に列席する。上記永田鉄山と同様トロピコ送りとなる。鉄山の帰国後もトロピコに居残りであったが、帰国後はモンゴル遠征軍の補給の手筈を整える等、官僚型軍人として活躍。
岡村寧次(やすじ):陸軍中将(最終階級陸軍大将)。陸軍三羽烏の一人で「バーデン・バーデンの密約」の一人でもあり、支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任する。戦後は蒋介石の要請による国民党政府軍を秘密裏に支援した旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団「白団」に参加する。この世界では統制派代表の一人として永田鉄山、HI☆DE☆KIと共に三派会談に列席する。対ソ開戦時騎兵第2軍司令官。
瀬島龍三:陸軍中尉(10話時点、最終階級中佐)律子の部下。史実では陸軍士官学校第44期次席、陸軍大学校第51期首席。大本営参謀で、戦後はシベリアへ11年間抑留され帰国後は自衛隊への誘いもあったが伊藤忠商事へ入社、1978年には会長に就任した。義父の兄は史実の31代首相 岡田啓介(海軍大将)で、さらに義父は岡田政権で内閣総理大臣筆頭秘書官を務め、2.26事件で身代わり死した松尾伝蔵(陸軍大佐)である。
相沢三郎:陸軍中佐。史実では永田鉄山軍務局長斬殺の「相沢事件」を起こすのだが、この世界では千歳を斬殺事件の第一発見者となり、朝倉涼子との会話で知る今後起りうる世の中の事実と、如月千歳との出会いが大きく彼の未来を変える事となった。のち律子の計らいよって第1師団に転属となり、千歳の護衛の任につく。剣の腕前は朝倉さんと互角にやりあうほど。回復アイテム「はらこめし」と秘剣「鉄山切り」を持つ。
牟田口廉也:陸軍大佐(史実最終階級は中将)。富永恭次・木村兵太郎と並ぶ日本陸軍屈指の無能将官。余りにもの無能っぷりに史実ではA級戦犯とはなったが不起訴処分となり、ニコマスなど架空戦記ではネタキャラとして扱われるのがデフォとなっている。この世界では貴音らの不興を買い、エチオピアに左遷された(エチオピアに春の香りを 参照)が、そのエチオピアにイタリア軍が侵攻してきた際、日本政府・軍の意向を聞かず独断でエチオピア兵を率い迎撃・交戦し、あやうく日伊開戦となりかけた。その後日本へ帰国し、盧溝橋事件のフラグが立ちかけたがヘミングウェイとエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝によってキリマンジャロ山頂に連れて行かれ凍死一歩手前となるが麓タンガニーカ(タンザニア)の地元民に救助される。本人は帰国したがっているが地元民の懇願と呪術師の帰国すると日本が不幸になるとのお告げにより帰国できずにいる。地元民GJ!(サラザールのエスタド・ノヴォ 参照)
辻正信:陸軍大佐、のち政治家。「作戦の神様」と謳われる一方で、多くの失策や無謀な作戦計画などで批判されることが多い。戦後衆議院議員(4期)参院議員(1期)となり参院議員在職中の1961年、ラオスへの視察として渡航後行方不明となり、1968年家族の申請により裁判所より死亡宣告がなされた。この世界ではイタリアのエチオピア侵攻に対し中国人貿易商に扮しエチオピアに武器を供与(表向きはコーヒーとの交換貿易)する。対ソ戦開始後は中国人商人、辻大人(つじたーれん)に変装し新彊(ウイグル)の勢力と軍事物資の密貿易や諜報活動中の模様。「石原莞爾だって戦場(満州事変)で勝って出世したんだ、俺だって!」「やめろ、辻ーん!」
前田利為(としなり):陸軍少将(最終階級は大将)。旧加賀藩主前田本家第16代目当主(侯爵)。この世界では開戦当初樺太に駐屯。史実ではこの頃は第8師団長(ちなみにフィリピン・ルパング島に戦後30年潜伏した小野田寛郎少尉はこの第8師団参謀部所属だった。)で一旦予備役編入後、昭和17年4月にボルネオ守備軍司令官となり、9月に消息を絶ち後に残骸と遺体が発見され、死後大将に叙せられる(享年57歳)。
加藤建夫:14話前編で初登場。陸軍中佐(最終階級は小将)。陸軍航空隊戦隊長で美希の部下。史実においては帝国陸軍の飛行戦隊、飛行第64戦隊、通称“加藤隼戦闘隊”戦隊長として有名なエースパイロットの1人。1942年5月22日、敵機交戦中に被弾し帰還困難となり海面に自爆戦死し死後二階級特進して少将となり、軍神として讃えられた。
この世界では美希の部下で戦闘機コクピットで寝ている美希を起こすのが日課となってる模様。
武藤 章:陸軍大佐(最終階級中将)。この世界では山下中将率いる第2軍参謀長。史実でも山下奉文とは思想が異なるが仲が良かったという。統制派の一員で対中強硬派ではあったが対英米戦争には反対し、東条英機と対立して左遷されたにもかかわらず対英米戦は武藤が強権により強行したと田中隆吉陸軍少将が東京裁判で証言した為、中将で唯一絞首刑判決を受けた。
本間雅晴:陸軍中将。史実ではフィリピン攻略時の第14軍司令だったが攻略後の捕虜の輸送計画の不備により多大な犠牲者を出す事となる(パターン死の行進)。この時の不手際をとがめられ予備役に編入され、終戦まで第一線には復帰しなかった。戦後、マニラ戦犯裁判でバターン死の行進の責任者として召喚、死刑判決が下り1946年(昭和21年)4月3日午前0時53分、ちょうど4年前に第14軍司令官であった本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された(マッカーサーの復讐という説あり)。この世界では戦車第1軍司令官として涼、夢子の上官として登場、初めて戦場に赴く二人の不安を和らげようとする配慮を見せる。
渡辺錠太郎:明治~昭和初期の陸軍軍人、陸軍大将。“あの”元老山縣有朋の副官を務めていた。教養人であり天皇機関説を正しく理解していたといわれる人物であったが、真崎甚三郎教育総監の後任として教育総監に任命された事が近視眼・短絡的思考しか出来ない青年将校には真崎追い落としに加担したと映り憎悪の対象となって、2.26事件で決起兵の機関銃の餌食と化し死亡する(満61歳)。
2.26事件の発生していないこの世界では関東軍総司令官を務め、ソ連極東軍・シベリア軍撃破した今後の日本軍の戦略にりっちゃん達が苦慮していた所に、日露戦争というロシアと戦った大先輩の声を聞くべく呼ばれ、ソ連の縦深戦術理論やドイツの電撃戦理論といった彼らの戦術は、自分の一番されたくない事を行っているのだと語り、ロシアと戦う時は止まる事無く前へ進む事だと具申する。
篠原弘道:陸軍曹長(最終階級は陸軍少尉)。総撃墜数58機を誇る帝国陸軍のトップ・エースの一人で通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」と呼ばれ、1日で11機の敵機を撃墜した記録を持ち、この記録を上回るのはドイツ空軍のエーリヒ・ハルトマン(1日に12機を撃墜)だけである。しかし武運は長くは続かず、初陣からわずか4ヵ月後の1939年8月27日、爆撃機護衛の際に交戦となり敵機3機を撃墜したがI-16戦闘機に撃墜され戦死し、功績によって准尉から少尉に特進した(享年26歳)。この世界では加藤建夫と同様に美樹の部下で、史実と違い自己の撃墜数の上を行く美希を越すべく奮闘する。
板垣征四郎:陸軍大将。関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を決行。史実では満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣、朝鮮軍司令官などを務め、戦後東京裁判にて死刑判決を受け絞首刑に(満63歳)。この世界では当初ハルヒの皇軍大粛清の処分対象として満蒙送り(それって彼にとって処分と言えるのか?)となっていたが開戦後に新設された騎兵第3軍の司令官に任命される。
石原莞爾:陸軍中将。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、この東條との対立と病気のため戦犯指定を免れ、戦後は政治活動などをする事は無く山形・庄内の農場で静かに余生を送り、昭和24年の8月15日に60歳で死去している。この世界では当初ハルヒの皇軍大粛清の処分対象として満蒙送り(それって彼にとって処分と言えるのか?)となっていたが開戦後に新設された騎兵第3軍の参謀長に任命される。真の参謀である芝村英吏にして危険人物と言わせる人物(お前が言うな)である。(余録:世界的音楽指揮者の小澤征爾(1935年9月1日生)の征爾の名は、父親が親交のあった板垣征四郎と石原莞爾の一字づつから貰って命名されたもの。山形県選出の衆院議員(自民党元幹事長)加藤紘一は、彼の従兄・加藤清三(元衆院議員)の子である。)
田中隆吉:陸軍中佐(史実最終階級陸軍少将)。史実では太平洋戦争開戦時の陸軍省兵務局長、陸軍中野学校長など務める。第一次上海事変(1932年)・綏遠事件(1936年)において主導的役割を果たし、日本軍の数々の謀略に直接関与してた日本軍の闇の部分に通じた人物といえ、上海公使館附武官として上海に赴任していた1930年に“男装の麗人”川島芳子をスパイの道に引き込んだ張本人である。また戦後には太平洋戦争開戦時の陸軍省兵務局長という要職にありながら、極東国際軍事裁判(東京裁判)において戦犯としての訴追を免れ、検事側の証人として被告に不利な証言したといわれ、武藤章が東京裁判で唯一中将として絞首刑判決を受けたのは田中の証言による所が大きいといわれている。(ただこれは国体維持の為、被害者を最小限に抑える為の全てが計算された謀略であったとも。) この世界では情報省に出向中で亜美の部下となっている。(独りにすると碌な事しないので亜美の手元に置いているのか?)
樋口季一郎:陸軍少将(史実最終階級陸軍中将)。史実では第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任。相沢三郎が永田鉄山を斬殺した“相沢事件”当時の相沢の直接の上司でもあった。ハルピン特務機関長時代の1937年12月26日に第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を間接的ながら激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びたという。また、ナチスの迫害の為に欧州から逃れてきたユダヤ人に対して食料・燃料の援助や、亡命希望国への出国、満州国への移民、上海租界への移動の斡旋などを行っていたという。これは過去に樋口が欧州にてユダヤ人に暖かくむかえてくれた実体験が根底にあったためという(一方で“東洋のシンドラー”杉原千畝とは対照的にユダヤ人救済に尽力したにも関わらず、日本で名が知られていないのは難民救済を実質的に指揮したのは、後にA級戦犯とされる当時関東軍の参謀長だった東條英機と同じ時期に南満州鉄道の総裁だった松岡洋右も難民救済に一役買っていた事から、真に人道面からなのか単なる政策の一環からかの評価が定まっていない為との事)。戦後イスラエル建国功労者として安江仙弘大佐(作品未登場)と共に本来ユダヤ人しか登録されないはずのゴールデンブック(黄金の碑)に登録されることとなる。この世界では中央アジアにてソ連軍崩壊後に編成された騎兵第四軍の司令官に任命される。
山田乙三:(史実最終階級は陸軍大将)。史実では第3軍司令官や中支那派遣軍司令官、教育総監兼軍事参議官などを務め、1944年(昭和19年)7月最後の関東軍総司令官として赴任、終戦後ソ連軍に降伏し参謀らと共にソ連に抑留され、10年以上経って日本へ帰国した。 この世界では第3軍司令官。この世界では第3軍参謀長としてジューコフ率いる戦車隊と対峙する。
牛島満:(史実最終階級は陸軍中将(死後大将に昇進))。大戦末期、沖縄・首里に司令部を置く第32軍の司令官として赴任しアメリカ軍との沖縄戦を戦う事となるが衆寡如何せん南部の摩文仁へ撤退し、抵抗を続けるものの6月23日未明、参謀長の長勇と共に自決する(満57歳没)この世界では第三軍参謀長としてジューコフ率いる戦車隊と対峙する。
各師団の師団長はどうやら戦国と幕末の世から駆けつけてきた模様である。
第1師団長:北条氏康
第2師団長:伊達政宗
第3師団長:織田信長
第6師団長:深水長智
第11師団長:長宗我部元親
第17師団長:尼子経久、 参謀長:宇喜多直家
第22師団長:松平容保、参謀長:最上義光 ※なお、第22師団の兵は白虎隊である。
・・・・・・今後誰が登場するか楽しみである。
東郷平八郎:元帥海軍大将。日清・日露戦争の勝利に大きく貢献し、日露戦争においてはロシアのバルチック艦隊を撃ち破る大殊勲を挙げ、その名を世界に知らしめ、世界三大提督と称されるようになる。晩年は末次長官、加藤軍令部総長など艦隊派に利用され、ロンドン海軍軍縮会議に際して反対の立場を取り、また明治以来の懸案であった、兵科と機関科の処遇格差の是正にも反対するなど、現代においては老害と批判する者も多し。史実では昭和9年(1934年)5月30日に86歳で死去、その前日に侯爵位を授かる。この世界では軍神は死後、守護神となって如月内閣を、日本を見守っている。
伏見宮博恭(ひろやす)王:海軍大臣・元帥海軍大将(史実は軍令部総長も歴任する。)日露戦争の従軍を始め艦長や艦隊指令などを努めた実戦経験豊富な皇族である。自ら率先して最前線に立ち、常に部下将兵を鼓舞し苦楽を共にするのを厭わない姿勢や難所の航海でも難なく操る実力は尊敬されていたという。また、皇族の一員でありながら海軍での生活習慣が身に付いていた博恭王は、下着の洗濯などは自ら行う事もあったといい、艦内では握り飯と漬物という簡易な食事を好んで食し、海軍省食堂での昼食の好物は天ぷらうどんだったとの事。
末次信正:21代連合艦隊司令長官。最終階級海軍大将。ツンデレでオラ極右(ごくう)。ロンドン軍縮会議に関しては強硬な反対派であった。人望はあったが過激な性格が災いし、後には天皇陛下とも対立する。この世界においては、女性が戦艦の艦長なっているなど軍に女性がいる事に強く不満を持っていたが、戦艦陸奥艦長三浦あずさが物怖じせず自分に意見を述べた事で 惚れ 見識を改め、自分の後継者にと考えるようになった模様。
豊田副武(そえむ):最終階級海軍大将。史実では後に29・30代連合艦隊司令長官となるがその頃の帝国海軍は見る影も無い状態で、小沢治三郎中将に連合艦隊司令長官の職を引き継がせた後は、最後の軍令部総長として戦後処理に当たる。この世界では連合艦隊参謀長。ツンデレ末次長官の副官として胃の休まる日がない苦労人の模様。
山本五十六:史実では26・27代(太平洋戦争開戦時の)連合艦隊司令長官。海軍大将。世界的に名を知られる帝国海軍軍人の1人。旧姓・高野五十六で、越後長岡藩家老山本家(武田信玄の配下、山本勘助を祖とする。)の養子となる。航空機に早期から着目し海軍航空隊育成に尽力した。真珠湾攻撃の計画は山本の発案といわれる。後、前線視察に訪れていたブーゲンビル島にて米軍機の待ち伏せに遭い戦死し、死後元帥に追贈される。この世界では艦隊派から条約派に転向した事を千早が嫌い、顔も見たくないと語られるほどであったが千歳の仲介により和解し、後に海軍省次官に就任した模様。
木村昌福(まさとみ):最終階級海軍中将。あだ名は名前を音読みにした「ショーフク」。中央勤務の経験無しで中将まで昇進した叩き上げの帝国海軍軍人名将の1人。敵味方を問わず常に人命を疎かにせず、慎重且つ的確な指揮統率で知られ、キスカ島守備隊を味方の犠牲を1人も出さず行った事は有名。
小沢治三郎:海軍大佐(6話時点、最終階級は中将)統合軍海軍科教官。史実では最後の連合艦隊司令長官。水雷戦の延長上の発想から、空母の集中運用という「空母機動艦隊」を提案し空母機動艦隊生みの親と称される(が、艦隊指揮は年功人事で南雲中将が指揮する事となる)。
大西 瀧治郎:海軍大佐(史実最終階級は中将)。日高 舞中将貴下の第一機動艦隊参謀長。末次長官の副官、豊田参謀長と同様に苦労人の模様。史実では議論の余地あれど“特攻生みの親”として知られる。
高橋三吉:海軍大将。この世界では第一護衛艦隊司令官。史実ではこの時期の連合艦隊司令長官(22代)を務めている人物で、皇族で軍令部総長となっていた伏見宮博恭王とともに軍令部の権限強化を図ろうとしていた。連合艦隊司令長官に着任した頃、「大和」「武蔵」の建造が始まった際には、戦艦建造の必要性があるかどうか再考を促すコメントを残している。
井上成美:海軍少将(史実最終階級は海軍大将) 。この世界では第一護衛艦隊参謀長。史実では横須賀鎮守府参謀長、海軍省軍務局長、海軍次官などを務めた。横須賀鎮守府参謀長時代、2.26事件発生前から青年将校グループを反乱軍と予測・断定し、海軍陸戦隊を東京に派遣し海軍省の警備につかせるなどの対応を取っていた。軍務局長として米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官とともに日独伊三国軍事同盟条約締結に強行に反対し新聞記者からは「海軍左派3羽烏」と称された。剛直、清廉潔白、曲がったことが大嫌いという人柄であったが一方で敵も多かったといわれる。
黒島亀人:海軍中佐(史実最終階級海軍少将)、史実では太平洋戦争期の連合艦隊先任(主席)参謀。山本五十六の懐刀として真珠湾攻撃を立案、また特攻を発案し、軍令部第一部部長・中澤佑少将、源田実らと共に実行に移し多くの若者の生命を散らせた張本人ともいえる。敗戦後はデスクワーカーとなっていた事で戦争犯罪を問われず、自決するわけでもなくその後天寿を全うした。享年72。この世界では情報省に出向中で亜美の部下となっている。(独りにすると碌な事しないので亜美の手元に置いているのか?)
畑俊六:空軍大臣(注・当時の日本にはこの役職はありません。陸軍航空隊のトップと脳内補完を願います。)陸軍中将(史実最終階級は元帥)。史実では作戦関係の要職を歴任し昭和12(1937年)に陸軍大将に昇任し、軍事参議官・陸軍教育総監を兼任し、同年、林銑十郎らと共に首班指名候補に推される。天皇の信任厚く陸軍大臣に就任するが、軍部の暴走を止める事は出来なかった。陸相留任した米内内閣で天皇から内閣への協力を言明されていたにもかかわらず単独辞任しこれが元で内閣瓦解する事になり、戦後この事でA級戦犯として起訴される事となる。国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れ、罹災者援護の陣頭指揮を執り終戦を迎える。A級戦犯として起訴されたが東京裁判では米内(元首相・海軍大将)は彼をかばい、結果、死刑を免れ終身禁固の判決を受けた。
加藤寛治:この世界での軍令部総長 海軍大将。実は第1話OPにも登場しているが、次の登場が17話対ソ戦開始OPという不運の人。史実では伏見宮博恭王、末次信正らとともに艦隊派の中心人物の一人。鈴木貫太郎大将が侍従長に転出した事で軍令部総長となる。ロンドン海軍軍縮条約批准時には強硬に反対し、統帥権干犯問題に発展、史実では1930年6月条約批准後帷幄上奏(昭和天皇に直接辞表提出)し軍令部長を辞任した。
米内光政:海軍大将。この世界では護衛艦隊司令長官。史実では連合艦隊司令長官(23代)兼第一艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを務めた。山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長ととも日独伊三国軍事同盟に反対し続ける。昭和天皇に強く押されて37代総理大臣となったが陸軍とうまくいかず短命政権となる。昭和天皇も「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と語ったという。戦後GHQ(マッカーサー)は日本の占領統治をやり易くする為、天皇の戦争責任を問わない方針に決め、天皇が何ら罪のないことを日本側が立証させる代償として東条に全責任を負わせるようにするという密約を米内と交わしたとも。
安藤利吉:陸軍中将。対ソ開戦時第4軍司令官。(史実最終階級は陸軍大将。)史実では1940年(昭和15年)2月10日南支那方面軍司令官に着任。同年6月に北部仏領インドシナへの進駐(仏印進駐)を指揮するが、富永“敵前逃亡”恭次が独断で武力進駐したため責任を負い予備役に。のち再召集され台湾軍指令兼台湾総督も務めた。中華民国政府に拘束され、上海に抑留されたが1946年(昭和21年)に服毒自決した(毒殺という説もあり)。(満62歳)
柳川平助:陸軍中将。対ソ開戦時第5軍司令官。史実では荒木貞夫陸軍大臣の下で陸軍次官を務め皇道派の重鎮の一人で第一師団長となるが台湾軍司令に左遷、2.26事件後に予備役に。第2次近衛内閣で司法大臣、第3次近衛内閣では国務大臣を務めた。1945年病死。
梅津美治郎:陸軍中将。対ソ開戦時第6軍司令官。(史実最終階級陸軍大将。)通称「無言の将軍」。史実ではノモンハン事件後に関東軍総司令官に就任し、再三にわたり中央の統制を破って大事件を起こした関東軍参謀の粛正の任を果たした。終戦直前、阿南惟幾陸軍大臣から知らされた一部将校たちによる本土決戦を求めるクーデター計画に絶対反対を唱え、計画を中止させた。太平洋戦争の降伏文書調印式全権を依頼され大本営全権として降伏文書調印式に出席。東京裁判では終身禁固刑となり服役中に直腸癌により病没した。(満67歳)
松井石根(いわね):陸軍大将。蒙古方面軍司令官。史実では中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、ハルピン特務機関長などを務め、戦後所謂「南京大虐殺」の責任を取らされ東京裁判でB・C級戦犯として処刑された。(満70歳)
橋本欣五郎:陸軍中佐(史実最終階級陸軍大佐)。史実ではケマル・アタテュルクの革命思想に接したことで趣味が「革命」となる。2.26事件では自ら昭和天皇と決起部隊の仲介工作を行い、決起部隊側に有利な様に事態を収拾しようと、陸軍大臣官邸に乗り込んだが、天皇が決起部隊を「暴徒」と呼び、鎮圧するように命じたため、橋本にも責任問題が及び、予備役へ回される事となる。東京裁判ではA級戦犯として終身刑となるがのち仮出所する。
長 勇(ちょう いさむ):陸軍少佐(史実最終階級陸軍中将)。史実では1930年(昭和5年)に橋本欣五郎らと桜会を結成。同年12月、参謀本部員に異動。1931年(昭和6年)の三月事件・十月事件を計画。橋本らと同様に処分を受けるが軽い処分で済んでいる。1937年(昭和12年)12月、情報主任参謀として、南京攻略戦に参加。捕らえた中国兵捕虜を「ヤッチマエ」と処刑するように命じ、それを知った松井石根中支派遣軍司令官に窘められている。沖縄戦にて米軍に追い詰められ割腹自殺(実は青酸カリによる服毒自殺)した模様。(満50歳)
宮崎繁三郎:陸軍中佐。(史実最終階級陸軍中将。)ノモンハン事件、インパール作戦など、日本軍が劣勢の戦場で常に戦功を挙げた事は知られており、日本陸軍屈指の野戦指揮官、名将として名高い。負傷兵を戦場に残さないという信念の下、自らも負傷兵の担架を担ぎ食料が欲しいと言われれば自らの食料を与えて兵たちを直接励まし、他隊の戦死者や負傷兵を見つけると、遺体は埋葬し負傷兵を収容させ、日本軍の白骨死体で埋め尽くされた地獄の白骨街道を撤退し続けたという。
インパール作戦における“日本陸軍の良心”とも呼ばれ、作戦に従軍した兵士達は、牟田口の名を口にするたび、一様に怒りで口を震わせ、宮崎の名を口にするたび、一様にその怒りを鎮めたという。
松永貞市:海軍少将(最終階級は海軍中将)。“戦国のボンバーマン”松永久秀を祖先とする。木村昌福と海軍兵学校同期。太平洋戦争初期、マレー沖海戦で英東洋艦隊を壊滅させた航空隊指揮官として名高い。「敵インフラを破壊した後に飲む茶はまた格別・・・・・・」
岩本徹三:日本海軍戦闘機搭乗員(最終階級 海軍中尉)。史実では太平洋戦争時の日米パイロットの中で唯一撃墜数200機超えを主張するエース・パイロットであり、日中戦争から太平洋戦争終戦まで最前線で戦い続け、『最強の零戦パイロット』と謳われた名操縦士である。この武士道的言葉を、彼は常々自身に言い聞かせていたと言われる。「媚(こ)びず、諂(へつら)わず、とらわれず。」この世界では愛と同じ海軍航空隊部隊のパイロットで階級的に愛の部下と思われるが実質愛ちゃんのお守り?
西澤廣義:日本海軍戦闘機搭乗員(最終階級 海軍中尉)。史実ではラバウルでの活躍から『ラバウルの魔王』と呼ばれたが、乗機をフィリピン・セブ基地の特別攻撃隊に引渡し、新しい飛行機受領のためマバラカット基地(のちのクラーク空軍基地)へ零式輸送機に便乗して移動の途中、輸送機がミンドロ島北端上空に達したところでグラマンF6Fに攻撃を受けて撃墜され、戦死した。24歳。この世界では愛と同じ海軍航空隊部隊のパイロットで階級的に愛の部下と思われるが実質愛ちゃんのお守り?
西園寺公望:公爵。(最後の)元老。立憲政友会第2代総裁。第12・14代内閣総理大臣。政治家としては衆議院での多数派政党が内閣を組織する憲政の常道を慣例にする事を望んだ。大正13年に元老松方正義が死去後に元老として列せられ、内閣総理大臣奏薦の任に当たる事となる。この世界では次期首相奏薦について、艦隊派だった千早に危惧し千早への大命降下に反対した。千早が政権を正当に帰す決断をした時は、これで先立った元老たちの元へ旅立てると大喜びしたのだが、西園寺翁の願いは時代と愚かな政党政治家(鈴鳩)によって叶わぬものとなった。
牧野伸顕:内大臣。天皇陛下の「お言葉(=あっそう)」を超訳する(史実、麻生太郎元総理は曾孫に当たる)。
吉田 茂:駐イタリア大使。内大臣牧野伸顕の娘婿。“人を食う"のが大好きで、作品内でもドゥーチェらを喰ってしまう。史実では戦後、45・48~51代総理大臣となる。
杉原千畝:外務省諜報部第一課、貴音の部下。史実ではリトアニア・カウナス領事館領事代理時代、ナチス・ドイツからの迫害から逃れようとする多くのユダヤ人を救った人物“東洋のシンドラー”として世界に知られる。
安倍源基:内務官僚、初代特高警察部長。この世界では内務大臣の雪歩の部下であり、雪歩の父の親友。史実では「赤色ギャング事件」や「日本共産党査問リンチ事件」(プロレタリア文学作家、小林多喜二はこの件で死亡している)などで「赤狩り安倍」の名を轟かす。
岸 信介:商工省公務局長。16話中編で満州へ向かった雪歩に同行する。史実では戦後政界に転じ56・57代総理大臣となる。
(また、弟で61~63代内閣総理大臣となる佐藤栄作は鉄道省勤務でアメリカで鉄道技術取得中)
十河信二:南満州鉄道(満鉄)理事。雪歩、岸信介とともに同行する。史実では戦後、第4代国鉄総裁となり、「新幹線の父」と呼ばれるようになる。
田中角栄:建築技師見習いの17歳。史実では高等教育を受けずに64・65代総理大臣まで上りつめた事から“今太閤”とも呼ばれ、中共との日中国交正常化を実現。首相退陣後ロッキード事件発覚、首相経験者が逮捕される事態となる。
近衛文麿:公爵。第9代貴族院議長、第34・38・39代内閣総理大臣。五摂家の近衞家の第30代目当主。3度の首相指名を受けたがその任期中に盧溝橋事件を発端とする泥沼の日中戦争の勃発、大政翼賛会発足による日本の政党政治の終焉、日独伊三国軍事同盟を締結、ヒトラーによる第二次大戦勃発とフランス・パリ占領、ヴィシー政権誕生後の南部仏印進駐、それに反発したアメリカによる対日石油全面輸出禁止等の制裁強化と軍部に引きずられ戦争への道へ進んでいき、日米交渉も事実上決裂し戦争の決断を迫られた途端に内閣を投げ出し、陸相だった東條英機が首相となった。戦後、東久邇宮内閣で近衞は副総理格の国務大臣を務め憲法改正に携わったが、国内外世論で徐々に支那事変、三国同盟、大東亜戦争に対する近衞の責任問題の追及が激しくなりGHQに切り捨てられ和20年(1945年)12月6日に、GHQからの逮捕命令を聞きA級戦犯として巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の昭和20年(1945年)12月16日に、別荘の荻外荘にて青酸カリを服毒して自殺した。54歳2ヶ月での死去は、2011年現在、日本の総理大臣経験者では、もっとも若い没年齢である。また総理大臣経験者として、死因が自殺である人物は近衞が唯一でもある。
賀屋興宣:日本の大蔵官僚、政治家。1927年(昭和2年)ジュネーブ海軍軍縮会議、1929年ロンドン海軍軍縮会議に、それぞれ全権の随員として列席。ロンドン会議では条約締結賛成だったために、次席随員として参加していた山本五十六と鼻血を出す殴り合いを演じた。第一次近衛内閣で大蔵大臣を任じた。東條内閣でも大蔵大臣を務めたが米英に対する開戦には終始反対だった。戦時下には戦時公債を濫発し、増税による軍事費中心の予算を組み、戦時体制を支えた事で戦後A級戦犯となり終身刑となり約10年間巣鴨プリズンに服役、1955年に仮釈放、3年後正式釈放後に衆院議員となり岸信介首相の経済顧問や外交調査会長として安保改定に取り組んだほか、池田内閣の法務大臣、自民党政調会長などを歴任した。
鈴木喜三郎:動く愚者その1。野党・立憲政友会第7代総裁。5.15事件で犬養首相が暗殺された事で、本来なら後継内閣を組織するはずが軍部に政党政治を反対された為に首相になり損ねた経緯を持つ。軍人内閣が続くことを好ましくないと考える。
鳩山一郎:動く愚者その2。野党・立憲政友会の議員で鈴木喜三郎の義弟(姉が鈴木喜三郎夫人)。史実では戦後三木武吉らと日本自由党を結成したが離党して日本民主党に加わり52・53代総理大臣となり、その後日本自由党との保守合同を成し遂げ自由民主党を誕生させ初代総裁となり54代総理大臣になる。鈴木喜三郎もそうだが、国民の為の政治などより首相の座を奪った如月千早(政権)憎しの感情が先にたってるので、そこに付け込むソ連やユダヤ勢力のいい操り人形となっている(ただし、本人は気付いてない)愚かな道化たちである。
高橋是清:立憲政友会第4代総裁。大蔵大臣。20代総理大臣。史実では軍事予算を削減しようとした事で陸軍の恨みを買い、2.26事件で暗殺される(享年81歳)。この世界では元々伊織と知己を持ち、伊織の経済学の先生とも言える存在で、伊織が入閣した如月内閣に協力した事で立憲政友党から追放された。現在はトロピコに渡っていて後に訪れる永田・東條に賢狼ホロと共に経済を伝授する。
美濃部達吉:憲法学者で貴族院議員。天皇機関説を発表した事で右翼・陸軍から狙われる身となり、政府・海軍で保護する事となり戦艦陸奥に乗艦し、バイストン・ウェル経由でトルコまで同行する。日本に戻ると身の危険がある事から、トルコに残留しイスタンブール大学の教授に就任した模様。史実では発表後、貴族院を辞職する事となる。また、長男の亮吉は後に東京都知事になる。
尾崎秀実(ほつみ):朝日新聞記者で「完全な共産主義者」。内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員。近衛内閣のブレーンであり軍・政界と重要な関係を持つが、実態は共産主義者でゾルゲ事件の首謀者の一人。共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして同僚はもちろん妻にさえ隠し、自称「もっとも忠実にして実践的な共産主義者」として、逮捕されるまで正体が知られる事無く活動したが、1941年(昭和16年)10月14日にゾルゲ事件の首謀者の一人として発覚逮捕され、1944年(昭和19年)、ロシア革命記念日にあたる11月7日に、国防保安法違反、軍機保護法違反、治安維持法違反により巣鴨拘置所でリヒャルト・ゾルゲと共に絞首刑に処された。
北 一輝:革命家・思想家。右目は義眼で「片目の魔王」の異名をとる。1906年(明治39年)『国体論及び純正社会主義』を発表するが発禁処分となる。中国に渡り辛亥革命に参加したが失意のうちに帰国、のち「日本改造法案大綱」を刊行し、これが2.26事件の首謀者となる青年将校らに大きく影響を及ぼす。史実では2.26事件の理論的首謀者とされ死刑判決が下され処刑される。(満54歳没)
この世界では霊告によって“先”の見える千歳の存在を知り面会を希望していたが(14話中編)、作中では描かれなかったが面会を果たし、今では(特高警察を数人引き連れながら)首相官邸の千歳の所まで会いに来る間柄となった。
愛新覚羅溥儀:清帝国最後(12代)の皇帝・宣統帝、満州国執政、帝政以降後は康徳帝を名乗る。英明な人物で、生まれてくる時代が早くかつ西太后がいなければ清朝はまだ存続したかもと思わせる人物。即位名代として赴いた貴音・雪歩との会談で、日本からの移民の受け入れとその見返りとしての満州国内のインフラ整備を承諾する。
ベニート・ムッソリーニ(ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ):イタリア王国のドゥーチェ(首領)。ニコマスのアイドル。この世界では逆さ吊りにされて処刑されないといいですねw
チェーザレ・アメー:イタリア王国情報大臣。ドゥーチェの無茶振りに付き合わされる苦労人。
(どうやらこの世界でもイタリア兵はりっちゃん好きの模様)
アドルフ・ヒトラー:ドイツ第三帝国 伍勤上等兵総統。モスクワの筆ヒゲ(スターリン)と並ぶ世界最凶最悪の独裁者。
史実に関しては書こうとするとどんなに端折ってもあまりにも長上になってしまうのでアドルフ・ヒトラー - Wikipediaの記事を読んでください。
18話前編時点でラインラント進駐、19話中編でスペイン内戦の時期であり、歴史の舞台に姿を現すのはもう少し先の話・・・・・・だったがついに22話中編にて初登場。この世界では日本のソ連侵攻に喜ぶ一方でソ連軍を撃ち破る日本の軍事力に警戒感を持ち始める。
ヴィルヘルム・カナリス(ヴィルヘルム・フランツ・カナリス):ドイツ海軍軍人(最終階級海軍大将)。国防軍情報部(アプヴェーア)部長。第一次大戦時は所属したドイツ東洋艦隊壊滅後、チリに拘束されたが脱走し真冬のアンデス山脈を越えアルゼンチンに逃亡しイギリスの監視の目を掻い潜って帰国した事でスパイとしての一級の素材と判断された。ヒトラー政権成立後は賛意を持って迎え入れ、アプヴェーア(国防軍情報部)の長官に任じられ日独防共協定を成立に導いたが徐々にヒトラーの外交政策に疑念を抱き、それは時と共に増大し政府転覆計画を練っていた部下のハンス・オスターなどを庇ったがドイツ敗戦直前の2月にアプヴェーア長官の職を剥奪され、4月に国防軍情報部の金庫から長年探されていたカナリスの反逆を示す証拠文書を発見しヒトラーに提示され、ヒトラーは即座に陰謀者全員の殺害を命令、絞首刑に処された。 世界的に有名な女スパイ“マタ・ハリ”の恋人でもあったという。
コンスタンティン・フォン・ノイラート:ドイツの外交官、政治家。男爵。ドイツ共和国(第3帝国)外務大臣、ベーメン・メーレン(チェコ)保護領総督。テュービンゲン大学とベルリン大学で法学を学び博士号を取得。ドイツ帝国時代の外務省に入省し駐ロンドン大使館副領事、駐コンスタンチノープル大使館参事官を務め、第一次世界大戦には予備役将校として従軍し、鉄十字勲章を受章。戦後復職しデンマーク公使、イタリア大使を歴任。イタリア大使在任中にベニート・ムッソリーニのファシズムに感銘を受ける。ヒトラー政権の前々内閣時代から外務大臣に就任しており、実務経験の乏しいヒトラー内閣にとって貴族出身かつ国際的知名度の高かったノイラートは威信を与える役割を担っていたが、次第にヒトラーの私的外交顧問であるヨアヒム・フォン・リッベントロップが頭角を現し、さらにヒトラーの戦争計画に反対した事から38年2月に外相を解任、外交政策は後任の外相であるリッベントロップが取り仕切り完全に蚊帳の外に置かれてしまう。1939年にベーメン・メーレン(チェコ)保護領総督となったが穏健政策を取った事をヒトラーに失望され、副総督に国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒが送り込まれ実権を喪失、43年8月には総督を辞職し、以降直接政治に関係することはなくなった。ニュルンベルク裁判で戦犯として起訴、禁固15年の実刑判決を受けるが53年に健康面での悪化に伴い仮釈放、その3年後に心臓発作のため死去する。(83歳没)
ハイレ・セラシエ(1世):エチオピア帝国(最後の)皇帝。ムッソリーニのファシスト・イタリアの侵攻時、この世界では当時イタリア領であったマッサワまで日本軍の供与した武器の受け取り(表向きはコーヒーとの交換貿易)に出向く。欧米諸国がイタリアの侵略を黙殺する中、日本政府はエチオピア支援を決定し軍(日高舞中将の遣土艦隊)を派遣、またイタリア大使吉田茂の(人を喰った)外交術にイタリア政府は侵略を断念、エチオピアの独立は守られた。史実では侵攻は(毒ガス兵器まで使ってなんとか)成功し、イタリア王がエチオピア皇帝を兼務するイタリア領東アフリカ帝国となり、1941年イギリスによって開放されるまで亡命していた。戦後は経済の悪化と富裕層の腐敗により世界最貧国の一つと数えられる国となった中で、ペットのライオンに肉を与えてる写真が公表され、深刻な食糧難に苦しむ国民を激怒させるという事件も発生する。1974年9月、(後にエチオピア人民民主共和国初代大統領として独裁者となる)メンギスツ少佐率いる軍のクーデターが発生、退位直後に殺害されたという(満83歳没)。これによりシバの女王より続くといわれたエチオピアの王制は幕を閉じた。
ムスタファ・ケマル・アタトゥルク(ケマル・アタテュルク、ケマル・パシャ):トルコ大統領。史実では仕官学校時代から皇帝の専制政治には反感を抱いていた模様で、第一次大戦中は当時のオスマン帝国首都イスタンブールののど元に当たる要衝を守り、英仏軍の猛攻を凌ぎ「アナファルタラルの英雄」と呼ばれ名声を獲得しパシャの称号を得る。敗戦後、戦勝国のトルコ分割に反発・抵抗しアンカラで新政府を立ち上げ、ギリシアが占領していた地中海沿岸の大商業都市イズミルをサカリヤ川の戦いで撃退した事で連合国にアンカラ政府に有利な条件で休戦交渉を開かせることに成功し、1923年に共和制を宣言して自らトルコ共和国初代大統領に就任した。酒好きでラク(トルコのアルコール度数が45%~50%と強い蒸留酒)を毎晩500ml飲んでいたともいわれ、激務と過度の飲酒が原因の肝硬変で満57歳の生涯を閉じる。この世界ではオスマン帝国時代から続くちっぱい至上主義(如何なる物かはかわずP作品「あずさのハンガリー興隆記」をご覧ください)から、あずささんと出合った事で女性は胸の大きさは関係なく素晴らしいものだということに目覚める(いやむしろdtpnに目覚めた感もあり)。
リヒャルト・ゾルゲ:ナチス党員・ドイツの新聞社東京特派員を隠れ蓑としたソ連軍スパイ。ゾルゲ事件の首謀者。あらゆる方面から日本を観察し、日本人以上に当時の日本を理解していたかもしれない人物。史実では日本がシベリア方面侵攻ではなく南方(インドシナ)方面侵攻を計画してる事を尾崎秀実を介して情報を入手しスターリンに伝えた。これによってスターリンは満蒙方面に配備していた兵力を欧州戦線に移動させることが可能となり、ナチスドイツの独ソ戦敗北の遠因を作ったともいえる。1941年、特高警察による共産党員逮捕で尾崎秀実ともども一斉に逮捕され、1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴、死刑判決となり1944年11月に死刑執行された。
霜・兵兵衛(シモ・ヘイヘ):北の国(フィンランド)から義勇兵としてやってきた人物。初めて使う高射砲を使い慣れた狙撃銃の如く使いこなし、満州・新京へ侵攻爆撃しにきたソ連爆撃機に多大なる被害を与えた。
史実ではフィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争にて史上最多の確認戦果505名射殺(非公式戦果を含めると542人、その他にも未確認戦果が多数あり、アメリカで製作されたドキュメンタリー番組では800人以上を狙撃で殺害していると推定されている)の記録を残し、ソビエト赤軍から“白い死神”と呼ばれ恐れられた。
ラウル・ワレンバーグ(ラウル・グスタフ・ワレンバーグ):スウェーデンの外交官、実業家。オスカー・シンドラー、杉原千畝と並ぶユダヤ人の救出者の一人として知られる。史実ではスウェーデン政府から自分に付与された外交官特権を最大限に利用し、多くのユダヤ人を当時中立国だったスウェーデンの保護下に置くなどして救った。・・・・・・が、45年1月ナチスをブダペストから追い出したソ連指導部と会見すべく向かったがそのままソ連当局に拉致され、それが最後の姿となった。1986年のゴルバチョフ政権のグラスノスチ(情報公開)によって1947年7月に収容所で病死したとする資料が発見された。しかし、現在にいたるまでワレンバーグの死は公式に認められておらず、1947年以降の目撃情報も伝えられているため、調査が続けられている。 この世界ではスウェーデン王室の晩餐会で同席した東豪寺麗華らに、千早ら日本政府首脳とフルール・ボランとの会談の仲介を依頼する。
コロマン・ラウアー(本名 フルール・ボラン):この世界では(男装の)ユダヤ系貿易商。ユダヤ人の代表として千早ら日本政府首脳と会談し、ユダヤ人の人的資源、技術力の提供を条件に満州にユダヤ人移住の要望を申し込みに来る(キャラグラ元は狼と香辛料から)。史実ではユダヤ系ハンガリー人貿易商で、ラウル・ワレンバーグを見出した人物。アメリカ・ルーズベルト大統領がユダヤ人保護の一環として設立した「戦時亡命者委員会」に所属していた事でワレンバーグがハンガリーへ赴く事となった。
アントニオ・オスカル・カルモナ:ポルトガル共和国第11代大統領で首相。1926年のクーデターで大統領・首相の座に着いた2人の失脚後に就任し、1927年にサラザールを財務大臣に登用。その手腕に感銘を受け32年にサラザールを首相に任命するが、形式的な閣僚任命権などの儀礼的な役割を除きサラザールのお飾りとなる(とはいえ権力を握ったサラザールもカルモナを解任する事は出来なかった)。
アントニオ・サラザール(アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール):Hoi2×アイマス架空戦記「サラザールのエスタド・ノヴォ(現在不定期連載中)」のプロデューサー・・・・・・ではなく、ポルトガル共和国首相(短期間だが大統領も務めた)。王制終焉後のポルトガル第一共和制時代にも大臣の就任依頼があったが断り大学教授として教鞭を執っていたが、1926年クーデターの後にカルモナが大統領になると財務大臣に登用され、危機的財政の建て直しを行う。この時の手腕が認められ32年首相に任命され、33年の新憲法を制定して、「神、祖国、そして家族」をスローガンに「エスタド・ノヴォ(新国家体制)」の成立を宣言、穏健右派を体制の中心としながら敵対勢力は秘密警察を用いて始末するといった(ドイツやスペインよりは穏健的な)ファシズム体制を作り上げた。
この世界ではパッチもちゃんと入れたのに派兵までして協力したフランコが共和派に敗れてしまい隣国スペインに左派政権が誕生し危機的な状態に追い込まれつつあった所で、軍備更新で旧式となった日本軍の武器(及び鹵獲したソ連製武器)の売り込み(とその見返りとしての海外植民地での帝国海軍の補給許可)をエージェント亜美に求められる。
ヨシフ・スターリン:ソビエト連邦最高指導者。みんな大好き 筆髭親父 ヨシフおじさん。“ちょび髭"ヒトラーと並ぶ20世紀最凶最悪の独裁者。中華民国(蒋介石)と日本を戦わせ、疲弊した両国をモノにしようと策謀を張り巡らす。史実においては猜疑心の強さからトハチェフスキー元帥などの優秀な将官・政治家を粛清した事からナチス・ドイツにモスクワ一歩手前まで迫られる原因をも作り出した。これ以上の紹介は、この筆髭と後に登場するであろうチョビ髭の二人に関しては短い文章で紹介しようにもし切れないのでWikipediaの本項を読まれる事を推奨する。これ以上私がここに書いたら私の身g・・・###うp主は粛清されました###
マクシム・リトヴィノフ:ソビエト連邦外相。スターリンの右腕として対外工作を図る。史実では米英仏などとの融和を図り、ロシア革命後断絶していたアメリカとの国交を回復し国際連盟加盟にも貢献した。独ソ不可侵条約の締結の障碍になると見られ外相を解任される。その後駐米大使など務めたが、1951年自動車事故により死去(これは事故ではなくスターリンの陰謀らしい)。
クリメント・ヴォロシーロフ:ソビエト連邦の軍人、政治家、ソ連邦元帥、ソ連国防大臣、国家元首に当たる最高会議幹部会議長を歴任した。軍人としては決して優秀ではなく、フィンランドとの冬戦争では多くの死傷者を出し、ドイツ軍のレニングラード包囲を招いたが、スターリンの年来の幼馴染という事で不問となる。第二次世界大戦で使用された重戦車であるKVシリーズは、ヴォロシーロフにちなんで名付けられたものである。
ヤコフ・マリク:駐日全権代表部参事官。立憲政友会の鈴木・鳩山と密かに接触し、如月内閣打倒の陰謀に裏から加担する。史実では大戦中の42年(昭和17年)から大使となり、大戦末期の45年には非公式の終戦交渉を行い、8月には最後通牒、宣戦布告文種を手渡す。戦後は外務次官となると同時に駐国連安保理ソ連常任代表を兼任などと、優秀な外交官であった模様。
ラヴレンチー・ベリヤ:ソ連の政治家、グルジア共産党第一書記、ソ連共産党中央委員、ロリコン(と思ったら熟女でもOKだそうだw)。長官スターリンの大粛清の主要な執行者とみなされており、多くの人間を粛清し過ぎた前任の内務人民委員部(NKVD)長官エジョフを失脚・処刑し長官となり大粛清の総仕上げにあたる。スターリン死後、第一副首相に任命されたがフルシチョフとの政争に敗れ失脚、逮捕・銃殺刑となる。また、大変な漁色家で知られ、誘惑を断ったが最後その女性とその家族に身の破滅が待っていると恐れられた。
ヤン・ベルジン:軍諜報機関の指導者、強制収容所(ラーゲリ)の創設者。1924年3月から1935年4月まで、労農赤軍参謀本部第4局長として軍諜報機関の基礎を作った。特に彼の在任時、リヒャルト・ゾルゲ等の優秀な諜報員が採用された。1937年11月にスターリンの大粛清により逮捕され、翌年銃殺。1956年に名誉回復する。この世界ではスターリンの不興を買い極東軍副指令に左遷される。司令官・参謀長行方不明後指揮を執るが物資不足で継戦能力を失い降伏し、のち自決。ラーゲリの創設者の最後の仕事は皮肉にも自分の家族をラーゲリ送りにする事となった。
ヴァシーリー・ブリュヘル:ソ連の軍人。ソ連邦元帥。スターリン大粛清の著名な犠牲者の一人。史実ではトゥハチェフスキーを有罪とした裁判に加わっていたが、張鼓峰事件で見せた無能振りと恐らく軍における当時の人望のゆえにモスクワに呼び戻され逮捕された。監獄で自白を拒否し、片目が飛び出すほどの拷問を受け、間もなく獄死した。この世界では極東軍司令官で、日本軍の沿海州包囲を阻止すべく出撃したが、海兵隊と海軍の連携攻撃に阻まれ行方不明となるが19話前編にてチェイコフによって助け出されていた事が確認、シベリア軍管区司令となるが衆寡敵せず包囲され降伏する。
キリル・メレツコフ:ソ連の軍人。ソ連邦元帥。史実では冬戦争で第7軍司令官を務め、マンネルハイム線を突破した。1945年8月の対日参戦時には沿海方面から満州に侵攻し日本軍を破る。この世界では極東軍管区参謀長で、日本軍の沿海州包囲を阻止すべく出撃したが、海兵隊と海軍の連携攻撃に阻まれ行方不明となるが、19話前編にてチェイコフによって助け出されていた事が確認、シベリア軍管区参謀長となるが衆寡敵せず包囲され降伏する。
ワシーリー・チュイコフ:ソ連の軍人。ソ連邦元帥。史実ではスターリングラード攻防戦において、第62軍司令官として同市を死守したこと、さらにベルリンでナチスの降伏を受け入れたことで有名である。 農民出身で叩き上げの赤軍の名将。この世界では当初極東軍の部隊長であったがブリュヘルとメレツコフを助け出し、その後モンゴルの支援に派遣されるが、彼の能力に無理解な上官ブジョーンヌィは彼に兵を殆ど与えなかったため手持ちの戦力だけでは日本軍と対戦しても撃破されるだけだと判断した彼はモンゴル軍司令チョイバルサンと共にウランバートルを脱出する。
ニコライ・クルイロフ:ソ連の軍人。この世界ではソ連極東軍副参謀長。史実ではロシア革命後シベリア出兵の日本軍とも戦い、独ソ戦ではオデッサとセヴァストポリの防衛と撤退を指揮。その後はスターリングラード攻防戦や東プロシアでドイツ軍撃破、ヤルタ会談後は部隊を極東に移動させソ連対日参戦と共に関東軍を撃破した。戦後ソ連邦元帥。戦略ロケット軍総司令官兼国防次官、ソ連共産党中央委員に。この世界ではソ連極東軍副参謀長。ブリュヘル、メレツコフが行方不明、ベルジンが自害した為ウラジ・オストク降伏後の責任者となる。
セミョーン・ブジョーンヌイ:ロシア帝国・ソ連の軍人、帝政ロシア時代に日露戦争にも従軍した。ソ連邦元帥の最初の1人で、3度ソ連邦英雄の称号を受けた。ポーランド・ソビエト戦争でのワルシャワの戦いにて西欧式の近代的なに対し大敗北を喫しながらもその後も騎兵隊を過大視し、戦車部隊との連携を承認しなかった為、第二次大戦の頃には指揮官としての無能さを露呈するばかりであった。この世界では騎兵監督官を務め、日本との戦争の序盤で敗北した極東軍管区司令官のブリュヘル元帥を粛清から救い、ソ連革命軍事会議副議長としてシベリア軍管区司令官に任命する事を伝え、モンゴルに兵を進めた日本軍と戦うが兵力分散の愚を犯し惨敗、再度日本軍に挑むが自分は安全な後方にいた為、ブリュヘルやメレツコフが降伏し捕虜となる一方で脱出に成功したかに見えたが春香の爆撃に追われる羽目に。
ゲオルギー・ジューコフ(ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ):ソ連軍人、政治家。史実ではスターリンの大粛清を上手く避け生き延び、政治的に不穏なモスクワを避けソビエト・モンゴル軍団司令となり、のちノモンハン事件(ソ連側呼称・ハルハ河事件)が発生する。この戦いで機械化部隊の機動的な運用という革新的な戦術を用いたがまだ重要視されず注目されるにはナチス・ドイツの電撃戦を待つ事になる。第二次大戦ではジューコフの兵站手腕によりドイツ軍の攻勢を食い止めモスクワを防衛し、スターリングラードの戦いでは100万人の死者を出す犠牲を払いながら激戦を制しドイツ東部戦線の転換点を実現し1943年1月18日にソ連邦元帥に昇進する。1945年のドイツ侵攻の指揮を執り同年4月にベルリンを占領し降伏文書を受け取った。戦争終結後はそのままソ連のドイツ占領軍の最高司令官となった。彼の戦術は兵数の圧倒的優位で敵を打ち破る物で、全軍歴を通じ指導した作戦のほぼ全てで勝利を収める輝かしい戦績を持っている一方、彼の作戦ではソ連軍はほとんど常に敵より多い、時には数倍の死傷者を出している。兵士の消耗を恐れないジューコフの冷酷さにはスターリンですら感銘を受けるほどだった。
この世界ではソ連軍少将、親衛戦車師団長として登場する。
ニコライ・エジョフ:ソ連邦の政治家、政治警察・秘密警察である(KGBの前身)NKVDの長官。スターリンの大粛清の支持者であり実行者でもあり膨大な数の国民を虐殺し(背が小さかった(150cm)事から)毒入りの小人、血まみれの小人とも呼ばれた。大量の粛清を行った(晩年には疑心暗鬼に陥り、自分の妻まで粛清している)事から国家や経済が機能不全になり、スターリンの不興を買うようになりエジョフがNKVD前任のゲンリフ・ヤゴーダを逮捕・処刑したようにベリヤによって逮捕・処刑される事となる。
この世界では史実同様スターリンの不況を買い日本軍に始末させる&NKVD長官の地位を狙うベリヤによってスターリングラード防衛の司令官を任命される。
ヴァシリ・ザイツェフ(ヴァシリ・グリゴーリエヴィチ・ザイツェフ):ソ連軍軍人・狙撃兵
第二次世界大戦当初は、ロシア太平洋艦隊の会計班長だったが1942年9月から第284狙撃師団に所属する第1047狙撃連隊に配属され、スターリングラード攻防戦に参加し、1942年11月10日から12月17日までの間に225人のドイツ軍将兵を倒している(それ以前にも32人のドイツ軍将兵を倒している)。またザイツェフは化学工場の廃墟に設けた狙撃兵訓練学校で28人の兵士を狙撃手として育成し、結果として3,000人以上のドイツ兵が戦死したと云われている。
この世界では響を狙撃し成功したかに思えたが、千歳(真そっくりの次郎?)からのバキュラペンダントと天然の86センチ胸部装甲で(73センチ胸部装甲の真は肋骨にひびが入り全治二週間の入院という羽目になったのに対し)無傷だった。残念。
彼の手記を元に作られた映画が2001年に制作された「スターリングラード(原題:Enemy at the Gates)」である。
リュドミラ・パヴリチェンコ(リュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコ):ソ連軍軍人・狙撃兵。第二次世界大戦においてソビエト赤軍が数多く登用した女性狙撃手の中でも、確認戦果309名射殺という傑出した成績を残した史上最高の女性スナイパーである。
この世界では日本軍の侵攻にあわせたウクライナ人の反政府活動が活発化しており、ウクライナ出身のリュミドラは(リュミドラに味方兵を狙撃されると疑った)エジョフによって休暇の名の下で狙撃任務から外される。
ホルローギーン・チョイバルサン(漢字表記:霍爾洛・喬巴山):モンゴルの革命家、軍人、政治家、独裁者。第4代人民小会議幹部会議長(現在の大統領に相当)第11代モンゴル人民共和国首相。対日宥和政策やスターリンが助言したモンゴル仏教僧の排除を拒否した前首相ゲンドゥンらを日本のスパイとして粛清し、これを自らの独裁体制の確立に利用した。権力保身の為の粛清やチンギスハンの一族に連なる者の抹殺などといった暗黒面を持つ一方、現ロシア領のトゥバ共和国(タンヌトゥバ、唐努烏梁海)のようにソ連領に組み込まれる事無く独立した国家としての地位を保った点と、近代化を推し進めた点で、彼の国内の評価は現代でも悪くないとの事。(19話中編にて出てくる地名のバヤントゥメンは史実世界では改名され、モンゴル最東部ドノルド県の県都チョイバルサンとして彼の名前を残している。)この世界では、手持ちの戦力で日本軍と対抗できないと判断したチュイコフの進言に従いウランバートルを放棄・脱出する。
ペルジディーン・ゲンドゥン(漢字表記:博勒吉德・根登):第2代人民小会議幹部会議長(現在の大統領に相当)、第9代モンゴル人民共和国首相を務め、ラマ(チベット仏教)僧の一掃やソ蒙相互援助議定書の成文化などスターリンからのさまざまな圧力に抵抗した為、チョイバルサンに首相の座を追われ、反動主義者・日帝のスパイなどの罪で処刑された。この世界では粛清直前に日本軍により助けられ、占領下統治を任される。
高木順一郎:元老西園寺翁や皇族の貴音と対等に話のできる謎の人物。次期首相に海軍大将の千早を推挙し、さらに内閣自体を親千早人脈で固める「如月千早を支えよう内閣」を提案する。
黒井崇男:貿易会社社長、諜報のプロ。清々しいまでに自己の利益の追求に率直で、利用価値がなくなれば人であろうと(貴音・響・美希の3人は除く)母国であろうと捨てる事も厭わない超合理主義の持ち主。彼自身も謀略に手を染める事に躊躇しないので、謀略で日本を陥れようとするスターリンらを“旨い酒が飲めそう”とまで語る。
東豪寺麗華:水瀬財閥と家族ぐるみの親交を持つ東豪寺財閥(男爵家、モットーは「爪楊枝から重戦車まで」)の跡取り娘。兵器関連メーカーとして陸軍近代化に協力し、有事の際の物資輸送の迅速化と、来るべき車社会を見越し全国各地に自動車教習場を建設する。のち、ハルヒ女王が皇軍の大粛清を決断した後、統制派・皇道派・統合軍派の三派会談を主催し、対立は軍部の弱体化を招くものと三派を諭し、軍部融和を図る。
三条ともみ:三条公爵家令嬢で、麗華の公私にわたる右腕左腕といえる存在。
朝比奈りん:朝比奈男爵家(今川家家臣、朝比奈家の流れを汲む)令嬢、麗華の公私にわたる右腕左腕といえる存在。
石川 実・岡本まなみ:パンアメリカン航空の子会社、876新聞の社員。
善永さん(本来フルネーム設定は無いがこの作品内では善永薫とうp主命名):876新聞社記者。部数増大の為の大衆に迎合した記事、国民を何かしら誘導しようと目論む勢力の圧力に屈せず、本来新聞社としてあるべき公平な主観で記事を書く(部数が伸びない理由もそこにあるのだが)優れた新聞記者。
尾崎玲子:876新聞社記者。対ソ戦開始後は戦場特派員として戦地に赴く。
鈴木彩音(サイネリア):立憲政友会総帥鈴木喜三郎の秘書(この世界では鈴木喜三郎の遠縁という設定)。政党政治の復活の名の下に売国行動を平然と行う叔父たちに心を痛め、千早らに会談の内容を伝え、これが対ソ戦を決断する引き金ともなった。その後は大叔父に愛想を尽かし鈴木の名を捨て新たな人生を歩む為、876新聞社戦場特派員サイネリアとして戦地に赴き戦争を見る事を決断する。
涼宮ハルヒ(女王):皇族(涼宮の読みは原作上の「すずみや」ではなく「すずのみや」)、陸軍大将、陸軍総参謀長。暴走しやすい性格ゆえ「釘 杭」を刺される。伊織とは幼馴染で顔合わすたびに喧嘩している(喧嘩するほど仲がいい)。
キョン:陸軍中将、参謀次長。苦労人。陛下以外でハルヒを抑えられるのは彼以外いないと思われる。
古泉一樹:陸軍少将、参謀本部第一部部長。
(ちなみに長門有希は戦艦長門の通信兵(海軍中佐)、朝比奈みくるは東郷元帥宅の女給(メイド)として登場・・・・・・だったのだが、両者とも13話中編では違和感なく陸軍参謀本部にいたりする。)
アリョーシャ(露名、日本名朝倉涼子):11話後編では不明だったが13話前編により朝倉男爵家令嬢と判明。また、第1話冒頭の時点では貴音と高木の会話でで行方不明であった事が判る。千歳と同じく未来を見透す事のできる能力を持つ。その未来予知能力で知った未来(第二次大戦)は千歳が行っているように回避すべきものではなく、更にその先の未来の為には受け入れなくてはならぬ必要なものと主張し、戦争回避に能力を使う千歳を殺害しようとする。20話前編にて、実は彼女は死んでいて魂だけが魂の安らぎの場所(バイストン・ウェル)にいて、地上に残る彼女の身体は邪悪な怨念に囚われて堕ちた存在との事。狙撃されバイストン・ウェルに落ちてきたが一命を取り留め現世に帰った真に、現世にいる自分を始末する事、未来は生きている者によって変えられるもので子孫らに幸せな未来を作って欲しいと願いを託す。
安 怒流:(アン・ドリュー。朝鮮・済州島出身)陸軍少尉(20話後編では統合軍中尉)三岡健次郎を差し置いて、陸士46期主席となった、受験秀才。陸軍軍人らしい硬直思考でこのままだと後から味方に撃たれるか、洋上で海中に「処理」される運命が待っている可能性大。陸軍・海軍に涼・絵理・愛と入れ替わりで統合軍に入り、小畑校長と小沢教官らに徹底的に絞られ補給科を優秀な成績で卒業、時間はかかったが自分が後方勤務に向いているとも自覚し、自分の居場所を見つけ出す。
スンスンおじさん:Hoi2で最も有名な人物。この作品世界では本名「カミーユ・シラク」、コードネーム「スンスーン」というフランスの新聞社に勤務するコミンテルンの指示を受けたフランス社会党のスパイで、戒厳令と同時に逮捕され禁固10年の拘留中。キャラクターのベースはゾルゲ事件で事情聴取を受けたフランス人ジャーナリスト、ロベール・ギランか?(史実のロベールの方は事情聴取は受けたが逮捕されてはいない。)
善行忠孝:戦艦陸奥副長。海軍中佐。あずさの副官だけあって、毎度発生するあずさの生体ボゾンジャンプにも動じない強兵である。(なお、芝村、速水、原さんなどGPMの5121小隊は陸奥乗組員となっている。)
芝村英吏:騎兵第一軍参謀、真の部下。コリマの強制収容所(ラーゲリ)開放を大本営・総司令部に具申の際、参謀本部には「ツテ」があると発言した所から、軍中枢内部には「芝村」が深く根を広げていると思われる。)
萩原(現在名前募集中):萩原雪歩の父(大総統・憤怒のホムンクルスではありませんw)。娘に近づく男は実力排除も厭わないが、娘には弱いようである。
賢狼ホロ:ユダヤ社会代表として4話後編での満州国開発への外資調達を元・総理兼蔵相の高橋是清と共に行う。また、ハルヒの皇軍大粛清で トロピコ アメリカ送りとなった永田・東條に経済の何たるかを学ばせる。
高町なのは:在ソビエト日本大使館大使。日露戦争開戦直前時の帝政ロシア同様に日本を侮るソ連政府へ日本政府の最後通牒を手渡し、開戦後は全力全開なのと宣告する。
榊清太郎:整備班長。愛称、おやっさん。
斯波繁夫:整備班員。愛称、シゲさん。
この二人がいる基地において機体の整備不良はありえないと思われる。
如月千歳:如月千早の弟。未来予知能力があり、2.26事件のイメージにうなされる。能力を用いて歴史修正し、戦争回避の未来へ日本を進ませようとするが、それを阻止しようとする朝倉“アリョーシャ”涼子に殺害される・・・・・・が、A級ジャンパーあずさのとっさの機転で現世に生還する。17話中編での美希曰く、「臆病なくらいに他人の痛みに敏感で、優しいけれど、自分の事を大切に思っておらず自分と他人の距離を置きたがる」との事。この美希の直感は20話前編での朝倉涼子(魂)の「彼は自分の幸せを望む意思が無い」という言葉で裏付けられたといえる。
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最終更新:2025/12/14(日) 04:00
最終更新:2025/12/14(日) 04:00
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