アーイシャ・ビント・アブー=バクルとは、ムハンマドの妻の一人である。
6歳で預言者ムハンマドと婚約し、9歳で嫁いだ。
イスラーム初期に布教に有力な働きを果たし、後に初代正統カリフとなるアブー=バクルの娘で、他の妻が全員寡婦なのに対し、自分だけが処女のまま預言者に嫁いだのを誇りに思っていた。
非常に嫉妬深い性格で、3番目の妻である彼女はムハンマドの妻が家に新しく迎えられる度にその婦人がどのくらい美しく、自分の敵になるかを見極めていたという。その中でも自分にとって脅威になりそうにない女には積極的に取り入り、それ以外の妻に対し共同戦線を張っていた。
ムハンマドは妻との間に最初の妻であるハディージャと側室のコプトのマーリアとしか子供を授からなかったが、アーイシャはいつまでも子供を授からないことにコンプレックスを抱いていた。その空虚さを穴埋めするかのように自分の甥と姪をよく可愛がったといわれる。
アーイシャはムハンマドと共にムスタリクの征伐からメディナに戻る際、一行からはぐれ立ち往生したことがあった。そこをラクダに乗って通りかかった信徒に連れられて戻ってきたが、その件についてメディナに噂が広まった。アーイシャは号泣し、断固としてその噂を否定したが、ムハンマドもアーイシャを前にして疑念を抱いていた時、突如として彼に啓示が降り、アーイシャの無実がアッラーによって証明された。
その後、ムハンマドから信徒に対して4人の証人を出さずに貞淑な人妻を罪人呼ばわりする者には80回の鞭打ちに処せよとする新たな啓示が述べられた。
アーイシャはメディナ移住後ではムハンマドの最愛の妻とされ、特別の寵愛を受けていた。ムハンマドが死の床に附した時、明日は誰の家に行くのかと尋ねたとき、そばにいた妻達は一斉にその番をアーイシャに譲ったという。ムハンマドはアーイシャの膝の上で亡くなり、アーイシャはその様子を終始見届けた。
ムハンマドの没後はウンム・アル=ムウミニーン(信徒の母)として政治に関与するようになり、元々仲が悪く、中傷の中心人物でもあったアリーがカリフになると、アーイシャは対抗する軍を率いてアリーと戦火を交えた(ラクダの戦い)。これをアリーに鎮圧された後は一線から退き、20年余りの余生を過ごして亡くなった。
ムハンマドの最も近くにいただけあって、彼女の伝えたスンナやハディースは多く、現在のスンナ派に影響を与えている。彼女の存在は、イスラーム世界の女性が教育を受け、教師となることが正統なものであるという根拠とされることがある。逆に彼女と敵対していたアリーを崇拝するシーア派では、アーイシャを発信源とするハディースは無価値とされている。
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最終更新:2025/12/12(金) 22:00
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