コパ・アメリカとは、南米サッカー連盟(CONMEBOL)が主催するFIFA公認の国際サッカー大会である。
1967年までは南米選手権と呼ばれていたが、1975年以降はコパ・アメリカという呼び方が定着しており、特定の大会を表すときは(例2011年大会)、コパ・アメリカ2011という風に呼ばれる。
概要
大会が設立されたのは1916年であり、UEFA欧州選手権はもちろんFIFAワールドカップよりも長い歴史を持つ、世界最古の国際大会である。当初はアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、チリの4か国のみの参加だったが、徐々に増えていき、南米10か国全てが出場するようになったのはコパ・アメリカという名称に代わった1975年大会からだった。
南米サッカー連盟は加盟国が少ない(10チーム)ため、FIFAワールドカップやAFCアジアカップのように予選は行われずにいきなり本大会となる。また必ず他大陸の2チームが数合わせのため招待される。
招待国は基本的に北中米カリブサッカー協会(CONCACAF)から選ばれており、特にメキシコは毎回招待されていたが、2019年に初めて招待国から外れることとなった。CONCACAF以外からは現在のところAFC所属の国のみが招待出場している。
日本は4度招待され(1999年、2011年、2015年、2019年)、99年大会には出場したが、2011・2015は辞退した。2011年は東日本大震災の影響があったことが大きいが、2015年はFIFAの規定により同年開催の大陸別選手権に重複出場することが不可能になったためである(選手の重複出場が不可能なだけで、ナショナルチームの重複出場は可能)。そのため今後招待を受ける可能性は低いと思われたが、2019年に再度招待され、出場したものの、やはり同じ年にアジアカップがあったためU-23の選手中心のチーム編成となった。ちなみに2度出場し、2度ともグループリーグで敗退している。
コパ・アメリカ本選では出場国を4チームずつの3グループに分けグループリーグが行われる。各グループの上位2チームは無条件で、3位のチームの中で勝ち点が上の2チームが決勝トーナメントに進出する。
出場国
南米サッカー連盟加盟国は10チームしかないため、毎回固定での出場となる。
南米サッカー連盟100周年大会「センテナリオ」について
本大会はCONMEBOL加盟全10カ国に加え、CONCACAFから6カ国の合計16カ国で争われる。CONCACAFとの共同開催で、開催国はCONCACAF所属のアメリカとなった。CONCACAFの出場国はメキシコ、開催国のアメリカ、カリビアンカップ2014優勝のジャマイカ、コパ・セントロアメリカーナ2014優勝のコスタリカに加え、2015 CONCACAFゴールドカップの上位4か国によるプレーオフの勝者であるハイチとパナマとなった。
大会結果
| 開催年 |
開催国 |
出場国数 |
優勝 |
準優勝 |
3位 |
| 南米選手権 |
| 1916 |
アルゼンチン |
4 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
ブラジル |
| 1917 |
ウルグアイ |
4 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
ブラジル |
| 1919 |
ブラジル |
4 |
ブラジル |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
| 1920 |
チリ |
4 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
ブラジル |
| 1921 |
アルゼンチン |
4 |
アルゼンチン |
ブラジル |
ウルグアイ |
| 1922 |
ブラジル |
5 |
ブラジル |
パラグアイ |
ウルグアイ |
| 1923 |
ウルグアイ |
5 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
パラグアイ |
| 1924 |
ウルグアイ |
5 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
パラグアイ |
| 1925 |
アルゼンチン |
3 |
アルゼンチン |
ブラジル |
パラグアイ |
| 1926 |
チリ |
5 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
チリ |
| 1927 |
ペルー |
4 |
アルゼンチン |
ウルグアイ |
ペルー |
| 1929 |
アルゼンチン |
4 |
アルゼンチン |
パラグアイ |
ウルグアイ |
| 1935[1] |
ペルー |
4 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
ペルー |
| 1937 |
アルゼンチン |
6 |
アルゼンチン |
ブラジル |
ウルグアイ |
| 1939 |
ペルー |
5 |
ペルー |
ウルグアイ |
チリ |
| 1941[2] |
チリ |
5 |
アルゼンチン |
ウルグアイ |
チリ |
| 1942 |
ウルグアイ |
7 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
ブラジル |
| 1945[3] |
チリ |
7 |
アルゼンチン |
ブラジル |
チリ |
| 1946[4] |
アルゼンチン |
6 |
アルゼンチン |
ブラジル |
パラグアイ |
| 1947 |
エクアドル |
8 |
アルゼンチン |
パラグアイ |
ウルグアイ |
| 1949 |
ブラジル |
8 |
ブラジル |
パラグアイ |
ペルー |
| 1953 |
ペルー |
7 |
パラグアイ |
ブラジル |
ウルグアイ |
| 1955 |
チリ |
6 |
アルゼンチン |
チリ |
ペルー |
| 1956[5] |
ウルグアイ |
6 |
ウルグアイ |
チリ |
アルゼンチン |
| 1957 |
ペルー |
7 |
アルゼンチン |
ブラジル |
ウルグアイ |
| 1959[6] |
アルゼンチン |
7 |
アルゼンチン |
ブラジル |
パラグアイ |
| 1959 |
エクアドル |
5 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
ブラジル |
| 1963 |
ボリビア |
7 |
ボリビア |
パラグアイ |
アルゼンチン |
| 1967 |
ウルグアイ |
6 |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
チリ |
| コパ・アメリカ |
| 1975 |
ホーム&アウェー |
10 |
ペルー |
コロンビア |
ブラジル
ウルグアイ |
| 1979 |
ホーム&アウェー |
10 |
パラグアイ |
チリ |
ブラジル
ペルー |
| 1983 |
ホーム&アウェー |
10 |
ウルグアイ |
ブラジル |
ペルー
パラグアイ |
| 1987 |
アルゼンチン |
10 |
ウルグアイ |
チリ |
コロンビア |
| 1989 |
ブラジル |
10 |
ブラジル |
ウルグアイ |
アルゼンチン |
| 1991 |
チリ |
10 |
アルゼンチン |
ブラジル |
チリ |
| 1993 |
エクアドル |
12 |
アルゼンチン |
メキシコ |
コロンビア |
| 1995 |
ウルグアイ |
12 |
ウルグアイ |
ブラジル |
コロンビア |
| 1997 |
ボリビア |
12 |
ブラジル |
ボリビア |
メキシコ |
| 1999 |
パラグアイ |
12 |
ブラジル |
ウルグアイ |
メキシコ |
| 2001 |
コロンビア |
12 |
コロンビア |
メキシコ |
ホンジュラス |
| 2004 |
ペルー |
12 |
ブラジル |
アルゼンチン |
ウルグアイ |
| 2007 |
ベネズエラ |
12 |
ブラジル |
アルゼンチン |
メキシコ |
| 2011 |
アルゼンチン |
12 |
ウルグアイ |
パラグアイ |
ペルー |
| 2015 |
チリ |
12 |
チリ |
アルゼンチン |
ペルー |
| 2016 |
アメリカ |
16 |
チリ |
アルゼンチン |
コロンビア |
| 2019 |
ブラジル |
12 |
ブラジル |
ペルー |
アルゼンチン |
| 2021[7] |
ブラジル[8] |
10 |
アルゼンチン |
ブラジル |
コロンビア |
| 2024 |
エクアドル |
12 |
|
|
|
大会最優秀選手
| 開催年 |
国 |
選手名 |
| 1999 |
![ブラジル]() |
リバウド |
| 2001 |
![ホンジュラス]() |
アマド・ゲバラ |
| 2004 |
![ブラジル]() |
アドリアーノ |
| 2007 |
![ブラジル]() |
ロビーニョ |
| 2011 |
![ウルグアイ]() |
ルイス・スアレス |
| 2015 |
|
受賞者なし |
| 2016 |
![チリ]() |
アレクシス・サンチェス |
| 2019 |
![ブラジル]() |
ダニエウ・アウベス |
| 2021 |
![アルゼンチン]() |
リオネル・メッシ |
エピソード
- 第1回大会である1916年大会の決勝アルゼンチンvsウルグアイの試合で主審が不在となったため、4位となったチリ代表の監督が主審を務めた。
- 南米を代表する二大巨頭のペレ(ブラジル)とマラドーナ(アルゼンチン)だが、2人ともこの大会とは縁がない。ペレは1959年に一度だけ出場し、得点王にはなったものの準優勝に終わっている。一方、マラドーナも3度出場しながらも優勝に手が届いていない。
- 1999年大会のグループリーグ アルゼンチンvsコロンビアの試合において、アルゼンチンのマルティン・パレルモが1試合で3本のPKを蹴りながら3本とも外すという珍記録を生み出している。この記録は、プロサッカーの歴史上でも初の出来事だと言われている。ちなみにパレルモはこの10年後の2009年にも所属するボカ・ジュニアーズの練習試合においてPKを3本失敗している。
- 1999年大会で得点王になり、ブラジルに導いたロナウドだが、当時オーバーウェイトだったロナウドは利尿作用が強い痩せ薬の服用を命じられていたため、試合中も「おもらし」を避けるため、おむつを着用したまま試合に出場していた。
- 2011年大会でウルグアイの優勝に貢献したディエゴ・フォルランだが、父親のパブロも1967年大会優勝当時のメンバーであり、母方の祖父であるファン・カルロス・コラソは監督として1959年と1967年にウルグアイを優勝に導いている。つまり、フォルラン家は三世代で4度の優勝にかかわったことになる。
- 2016年のコパ・アメリカ・センテナリオ グループリーグ、ウルグアイvsメキシコの試合前の国歌斉唱においてウルグアイの国歌ではなく間違ってチリの国歌が流されるという珍事が起きている。
記録
歴代優勝回数
| 順位 |
国名 |
優勝 |
優勝年 |
準優勝 |
3位 |
| 1位 |
アルゼンチン |
15 |
1921,1925,1927,1929,1937,1941,1945,1946,1947,1955,
1957,1959,1991,1993,2021 |
14 |
5 |
| 1位 |
ウルグアイ |
15 |
1916,1917,1920,1923,1924,1926,1935,1942,1956,1959,
1967,1983,1987,1995,2011 |
6
|
9
|
| 3位 |
ブラジル |
9 |
1919,1922,1949,1989,1997,1999,2004,2007,2019 |
12 |
7 |
| 4位 |
パラグアイ |
2 |
1953,1979 |
6 |
7 |
| 4位 |
チリ |
2 |
2015,2016 |
4 |
5 |
| 4位 |
ペルー |
2 |
1939,1975 |
1 |
8 |
| 7位 |
コロンビア |
1 |
2001 |
1 |
5 |
| 7位 |
ボリビア |
1 |
1963 |
1 |
0 |
通算得点数
| 順位 |
選手名 |
得点数 |
| 1位 |
ジジーニョ |
17 |
| 1位 |
ノルベルト・メンデス |
17 |
| 3位 |
テオドロ・フェルナンデス |
15 |
| 3位 |
セベリーノ・バレラ |
15 |
| 5位 |
パオロ・ゲレーロ |
14 |
| 5位 |
エドゥアルド・ヴァルガス |
14 |
| 7位 |
エクトル・スカローネ |
13 |
| 7位 |
ホセ・マヌエル・モレノ |
13 |
| 7位 |
アデミール |
13 |
| 7位 |
ジャイルジーニョ |
13 |
| 7位 |
ガブリエル・バティストゥータ |
13 |
| 7位 |
リオネル・メッシ |
13 |
関連動画
関連生放送
関連項目
- 南米サッカー連盟(CONMEBOL)
- サッカー
- 南米
- UEFA欧州選手権
- AFCアジアカップ
脚注
- *大会トロフィーの授与は無かったが、CONMEBOLにより運営され、大会の公式記録として認定されている。
- *大会トロフィーの授与は無かったが、CONMEBOLにより運営され、大会の公式記録として認定されている。
- *大会トロフィーの授与は無かったが、CONMEBOLにより運営され、大会の公式記録として認定されている。
- *大会トロフィーの授与は無かったが、CONMEBOLにより運営され、大会の公式記録として認定されている。
- *大会トロフィーの授与は無かったが、CONMEBOLにより運営され、大会の公式記録として認定されている。
- *大会トロフィーの授与は無かったが、CONMEBOLにより運営され、大会の公式記録として認定されている。
- *もともと2020年にコパ・アメリカ2020として開催する予定であったが、新型コロナウィルスの感染が世界中で深刻に広がったため、EURO同様2021年に延期された。
- *当初はアルゼンチンとコロンビアの共催予定であったが、新型コロナウィルスの感染拡大によって両国が開催権を返上。急遽、前回大会に続きブラジルでの開催が決定した。