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ダイシンボルガード

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ダイシンボルガードとは、1966年生まれの日本の競走馬である。1969年のダービー馬であるが、そのダービーで起こった諸々の事件の方が有名である。

主な勝ち鞍
1969年:東京優駿(八大競走)
1970年:ダイヤモンドステークス

ダービー以前

父は英国から輸入されたイーグル、母ワカザクラ、母の父は名馬クモハタというなかなか渋い血統である。

売出し中の大崎昭一騎手を背に1968年9月22日に府中の新馬戦でデビューしたが、ここは4着。翌週も府中の新馬戦に出走したがこれも3着。10月になって未勝利戦で勝利し、11月に70万下特別の黄菊賞を制し、3歳のシーズンを終えた。

明け4歳の初戦、250万下特別のジュニアカップを2着とすると、2月には同特別のヒヤシンス特別を勝ってオープン馬となった。

続くオープンを2馬身半の差をつけて圧勝し、重賞初挑戦となる次走はいきなり皐月賞に出走。4番人気に推されたが、ここでは見せ場もなく14着に終わっている。

続くNHK杯では3番人気に応えて4着と好走。続く日本ダービーに弾みをつけた。

波乱の日本ダービー

1969年5月25日、ダートコースと見まがうほどに荒れた不良馬場で第44回日本ダービーは執り行われた。不良馬場のダービーはこの後2009年までなかった。この時点でもう荒れ模様である。

一番人気となったのは関西のタカツバキ。抽せん馬ながら12戦して6勝2着4回とかなりの成績を残していたが、皐月賞ではワイルドモアに完敗の3着に終わっており、ワイルドモアの不出走で人気が流れた結果の一番人気であった。

スタート直後、第一コーナーに差し掛かったところで最初の事件が起こった。タカツバキが落鉄しかけてバランスを崩したところを他馬に挟まれ、その拍子に鐙が外れて鞍上の嶋田功騎手が落馬したのだ。

この際故意に鐙を外されたように見えたこと、当時は抽せん馬の地位が非常低く、"抽せん馬に勝てるものか"と陰口を叩かれていたことから、タカツバキの落馬はJRAの陰謀だという説がまことしやかにささやかれた。

レースはハクエイホウが大外27番枠ながら素晴らしいスピードで逃げを打ち、そのまま先頭で府中の長い最後の直線に入った。

直線でダイシンボルガードと朝日杯を買ったミノルが抜け出し、必死に粘るハクエイホウを外から追走。レースは白熱した展開となったが、ここで事件が起こる。

ダイシンボルガードの担当厩務員の石田健一氏が興奮のあまり警備員を振り切って馬場に乱入。パドック周回用のメンコを振り回しながら「俺の馬だ!」と絶叫しつつコースを馬と並走したのだ。

石田さんの必死の応援が効いたのかダイシンボルガードはハクエイホウを追い抜き、ミノルをクビ差離してゴール板を通過。石田さんは嬉しさのあまり、今度は「俺の馬が勝ったァ!!」と絶叫した。

石田さんは後に厳重注意を受けたが、場内のファンは拍手で祝福したという。石田さんが嬉しかったのはよくわかるが、今なら拍手どころか罵声が飛びそうである。少なくとも某巨大掲示板では袋叩きだろう。

ダービー後

好勝負を制して勝ったのに、事件が多すぎてあまりに地味なダイシンボルガードだったが、秋にオープンを制して京都記念を4着とし、菊花賞に出走。ここは15着と大敗したが、続く有馬記念は3着と好走し、その後に期待を持たせて4歳のシーズンを終えた。

5歳になって第一戦のAJCCは6着になったが、次走の目黒記念は2着と好走。さらに続くダイヤモンドステークスを制して重賞2勝目を達成。ダービーがフロックではないということを証明して見せた。

しかし、その後半年の間休養し、復帰してオープンを2走したものの7着、4着と精彩を欠き、そのまま今度は10か月も休養した。

ダイシンボルガードは終わったとだれもが思っただろう。だが、明け6歳の9月に復帰するといきなりオープンで2着と好走。続くオープン、目黒記念と今一つだったものの、続く天皇賞を同期の牝馬トウメイの3着とし、復活をアピール。続く有馬記念では4番人気に推され、再びトウメイ、コンチネンタルに次ぐ3着となり、天皇賞に続いて同期でTOP3を独占、これを最後に現役を引退した。

24戦7勝、賞金総額7602万5900円、どこに出しても恥ずかしくない一流の成績である。

引退後

ダービー馬として恥ずかしくない成績を残し、種牡馬となることになったが買い手がつかず、北海道にある東京大学の付属牧場に引き取られ、そこで種牡馬生活を送った。

これといって特筆すべき馬は輩出していないが、地方競馬ではそれなりに走る馬を多く輩出し、1986年に世を去るまで種牡馬としての仕事を全うした。

現役時代に名馬だったとしても、産駒の成績が悪いと最悪馬肉用途変更にされてしまうのがサラブレッドである。そんななかで特に優秀な種牡馬でなかったのに天寿を全うできたダイシンボルガードは幸せだったのではないだろうか。

血統表

*イーグル
Eagle
1958 黒鹿毛
Court Martial
1942 栗毛
Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
Ark Royal
1952 黒鹿毛
Straight Deal Solario
Good Deal
Felucca Nearco
Felsetta
ワカザクラ
1947 栗毛
FNo.39
クモハタ
1936 栗毛
トウルヌソル Gainsborough
Soliste
星旗 Gnome
Tuscan Maiden
アイシンミンドア
1938 栗毛
ミンドアー Spearmint
Lady Orb
アイシンパレイド クラツクマンナン
クイーン

クロスGainsborough 5×4(12.5%)、Fairway=Pharos 4×5(9.38%)

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