トマス・ロバート・マルサスとは、主に19世紀に活躍したイギリスの経済学者である。
1798年にマルサスが匿名で出版した人口論は、その余りのショッキングな内容に大変な反響と反発を引き起こした。
マルサスによれば、
人口は幾何級的に増える。つまり1、2、4、8、16、32、64、〜と増える。
食料生産は算術的に増える。 つまり1、2、3、4、5、6、7、8、〜と増える。
ここまで見れば何が起こるかは誰にでも予想が出来る。すなわち、
これだけでもかなり衝撃的な内容である。当時の反発も凄まじかったのも頷ける。
その為マルサスは、第二版で「人口が増えれば、それにつれて子供を作ろうとする者が少なくなる。よって人口増加のダメージは減っていく」という道徳抑制論を唱え、多少主張を緩和した。
しかし、深く考えていくとこの道徳抑制論は厳しい哲学的問題を抱えている。
食料が不足していくにつれて、上記の3つのような問題が起きるのは明らかであるが、実際にそれらの問題は社会全体を平等に与えられるのではなく、主に貧困層を中心に苦しめる。
道徳抑制論では「それ故に貧困層は子づくりを控える」という理屈を唱えているが、ならば政府が貧困層に金銭的支援をすることは間違っているということになってしまう。
例えば日本がアフリカの国に募金をしたとする。そうなるとその国はそのお金で薬や食料を買う事によって、餓死者や病死者を減らすことができるが、しかしそれは同時に国力を超えた人口を抱える事を意味する。過剰人口は上述した問題を誘発し、結果的として貧困は解決しない。アフリカの貧困を解決するには結局は住民たちで人口調整をしつつ発展していくしかない。
この論理は今日でも、安易な食料援助、経済援助は無駄だと言う主張を支えている。
1971年にローマクラブが発表した「成長の限界」は、このままの成長率が続けば資源・エネルギーの枯渇、人口爆発、食料不足、環境汚染の急激によって21世紀の初めに「大破局(カタストロフィー)」が起きると主張した。
その為、世界全体で「ゼロ成長論」、「反成長論」ブームが起きた。しかしゼロ成長は社会を不況感に包む。結果的に国際社会はゼロ成長を捨て去り、新自由主義に傾倒していった。つまり、人類同士での資源の奪い合いが本格化したのだ。
マルサスとローマクラブ両方に共通する論理的欠点に、人類の技術的成長を無視している点にある。よくある笑い話に「新聞は50年前から『あと10年で石油は枯渇する』と言っている」というものがある。なぜ石油が枯渇しないのかといえば、その10年間に石油発見技術や採掘技術が発展し得られる石油が増え続けている為である。
しかしそれでも尚、技術進歩より人口増加の方が大きいのは想像に難くない。世界人口は間もなく100億人を突破しようとしている。
何か解決法はないものだろうか?
まともな方法では存在しない。
現行考えられているものは、貧民への経済支援を止め自然淘汰に任せる。つまり「餓死者を容認する」ことである。餓死者が増えれば人々は子づくりを控えるようになる。そうすれば長い目でみれば社会が養える人口に落ち着く筈だ、と考えられていた。
だが、実はその解決法すら作用しないことが分かってしまった。
現実問題として、食が大量に余っている(日本を含む)先進国では人口が減り、餓死者が毎日でるアフリカで人口が増え続けているのだ。
その理由は、先進国では一人の子を育てるのに大きな資源が必要なのに対して、途上国では殆ど必要としないことにある。
増えすぎた人口は、少数派を駆逐する。
日本は富裕国であり、そういう問題とは無関係であると考えている人は「自然淘汰」の意味を誤解している可能性が高い。
自然淘汰とは子孫を残せなくなることを言うのだ。
我々日本人は淘汰される側にある。
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最終更新:2025/12/09(火) 00:00
最終更新:2025/12/08(月) 23:00
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