1978年1月18日、アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。
高校時代に防御率0.75、75奪三振を記録し、鳴り物入りでボルティモア・オリオールズにドラフトで入団。
メジャーリーグでは通算6年で64試合に登板しているが、防御率は5.59といまひとつだった。
2008年11月23日に福岡ソフトバンクホークスが獲得を発表し、入団。背番号は「25」。
開幕から16試合連続で自責0など好投を続け、2009年の福岡ソフトバンクホークスの勝ちパターンの中継ぎとして活躍。先発投手が6回もしくは7回で降りた後の7回攝津、8回ファルケンボーグ、9回馬原は鉄壁のリレーとして定着。親会社のソフトバンクモバイルにあやかって、3人の頭文字を取り「SBM」と名付けられた。他球団のファンの間では、羨望の7回(攝津が欲しい)、絶望の8回(ファルケンは打てない)、希望の9回(馬原なら何とかなる)と言われていたとか何とか。
しかし、2009年8月になって右ひじの張りを訴えて帰国、一度は復帰したものの本調子にはほど遠かったため大事を取ってシーズンを終える。ところがここで恐れていた事態が発生、ファルケンボーグの離脱とともに馬原孝浩も決壊しチームも失速してしまった。最終的に46試合に登板して6勝0敗、防御率1.74。攝津正に次いでリーグ2位の29ホールドポイントを記録した。
2010年シーズンも、攝津とともに不動のセットアッパーとして、復活した馬原孝浩に繋ぐ必勝リレーを形勢。来日初黒星を含む2敗を喫したが、9試合連続三者凡退で実質完全試合を達成したりと全体的には前年以上の無双っぷりを見せ、故障離脱もなく、60試合に登板して防御率1.02、42HPを挙げ攝津とともに最優秀中継ぎ投手のタイトルを分け合った。どのくらい無双だったかといえば、奪三振率12.05、WHIP0.76というだけでも恐ろしいレベルだが、加えてDIPS0.83、K/BB10.38とセイバーメトリクス系の指標では異常としか言い様の無い数値をたたき出している。
2011年は馬原孝浩が開幕直後に不調で二軍落ちしたため、現在は代役としてクローザー(即ち絶望の8回→まさかの希望の9回に代わって絶望の9回と化す)を努め(それにしても本職の馬原より仕事するとかどんだけなのよ・・・)、馬原復帰以降も強力中継ぎ投手として凄みを魅せる。
2mの長身から投げ下ろす150km/h以上の直球と、鋭く落ちるSFF気味の高速フォークが武器で、奪三振率が非常に高い。その上全くと言っていいほど無駄な四死球を出さない(2年間で106試合に登板し与四球は僅か17)抜群の制球力も持ち合わせているため、付け入る隙が無い鷹の要塞、玄界灘の不沈艦、ホークスのドクターK。近年助っ人として入団してくる外国人投手が活躍もせぬまま害国人と揶揄される中でキッチリ押さえる正真正銘の助っ人・・・を通り越してまさにホークスのメシアである。
ちなみに球種は直球、フォーク、カーブの3種類だけである。ひとりだけパワプロの世界に生きているとしか思えない。
そんなファルケンボーグにも疲れが溜まりやすい体質で連投が効かないという弱点があり、故障歴があることもあって三連投はしないように制限されている(2011年に関しては秋山監督自ら公言。後半戦に備えるとコメント)。投げたがりで間が空くと調子が狂う攝津と違って、休みをちゃんと取ったときのファルケンボーグはまさに鬼神である(それ故にファルケンボーグが投げる際は安心して観戦出来るとも)。
チーム内での愛称は「ファルキー」。ファルケンボーグに他球団(特にパ・リーグ)に移籍されると大変なので、ブルペン陣は何かと世話を焼いているらしい。
ちなみに杉内曰く、
ファルキー(ファルケンボーグ)は僕のあこがれかな。究極の理想は「練習しなくても勝てる投手」だから。
とのことで、連投が効かない体質なのは練習嫌いなせいもある様子。それであの安定感なのだからまさに人力チートである。
家族として奥さんと長女がいる。
余談だが、東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を狙っていたらしい。が、獲得に失敗し、楽天は代わりにフアン・モリーヨを獲得した。
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最終更新:2025/12/14(日) 07:00
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