メルセルケビール海戦とは、第二次世界大戦中の1940年7月3日に生起したヴィシーフランス軍vsイギリス海軍の戦闘である。結果はイギリスの戦術的勝利、戦略的敗北であった。
1940年6月25日、連合国の一角であったフランスがドイツ軍に降伏した。しかし降伏寸前に海軍の艦艇はブレストやロリアンから脱出し、アフリカのダカール、メルセルケビール、オランといった海外の拠点へと逃げ込んだ。これらの艦艇は、降伏後に樹立された親独のヴィシー政権によって管理される事になったが、乗組員の対独意識は依然として高く、イギリスとともに再びドイツと戦うと考えていた。
しかし、当のイギリスには別の思惑があった。特に地中海の入り口付近に位置するメルセルケビールのヴィシーフランス艦艇は補給路を脅かしかねない危険な存在だった。もしドイツ軍に接収されようものなら地中海方面の補給事情が一気に悪化してしまうだろう。イギリス海軍はカタパルト作戦を立案し、メルセルケビールのヴィシー艦艇を接収ないし撃沈してしまおうと考えた。
1940年7月3日、メルセルケビールをイギリスの大艦隊が包囲した。交渉役には、フランス語が堪能な空母アークロイヤルのホランド艦長が据えられた。イギリスは「連合国側として参戦するか、一斉に自沈するか、艦の引き渡し」をヴィシーフランスに要求した。回答するのは旗艦ダンケルクに座乗するマルセル・ゲンスール提督だったが、「ドイツの顔色は窺いたい、でもかつての仲間と戦う事もイヤ」という気持ちに板ばさみにされ、優柔不断を招いてしまう。またイギリス海軍は戦闘に備え、アークロイヤルの艦載機を使って湾口に機雷を敷設するという露骨な敵対行動を見せ始めた。これに対し、ヴィシーフランス軍はH75ホーク戦闘機を出撃させ、1機のスクアを撃墜している。時間の経過とともに両軍は一触即発の状態になっていき、最初はイギリスとともにまた戦えると喜んでいたヴィシーフランス兵も顔色が青ざめていった。
16時15分、ホランド艦長がダンケルクに来訪。説得の結果、マルセル提督は武装解除に応じた。これで円満に解決するかと思いきや、実は既に手遅れだった。事態の解決を急いだチャーチル英首相が「問題を早急に解決せよ」と急かす命令を送り、これが事実上の攻撃命令としてイギリス艦隊に下されたのである。決断が、遅すぎたのだ。
17時54分、イギリス艦隊の砲撃で戦闘は始まった。
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最終更新:2025/12/12(金) 04:00
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