「わらわが初春じゃ。よろしく頼みますぞ。」
初春(はつはる)とは、大日本帝国海軍の初春型駆逐艦1番艦「初春」をモデルとした艦娘である。決して頭に花を咲かせている少女と同じ読み方ではないので注意。
担当声優は小林元子。
古風な喋り方(~なのじゃ、自分のことを妾(わらわ)と呼ぶ)をはじめ、紙垂(しで)を模したような髪飾り、扇子といった和風なスタイルが特徴的である。このため、二次創作では平安貴族めいたキャラ設定をされることも。
服装はセーラー服を意識したワンピース。そして彼女の周りにはファ○ネルらしき物体が・・・。
2番艦の「子日(ねのひ)」は同様の服装だが、3番艦の「若葉」と4番艦の「初霜」は同じ初春型でもまったく別の服装をし、背中に背負っているものも意匠が違う。むしろ全然関係ないはずの吹雪型駆逐艦5番艦「叢雲」の方が似ている。
ちなみに、初春型駆逐艦の「初春」「子日」「若葉」「初霜」の4隻は、第21駆逐隊を構成しているのだが、艦これにおいては、暁型駆逐艦4隻による第6駆逐隊に比べ、圧倒的に知名度が低い(泣)
「初春」は、初春型駆逐艦の1番艦(いわゆるネームシップ)なので、まずはその初春型駆逐艦についての解説をすることをお許しいただきたい。
ワシントン軍縮条約(別名:戦艦作りすぎで国がやばいんで軍は自重しろ条約。1922年)によって米、英に対する主力艦の保有トン数が60%に制限された日本は、制限外の補助艦艇に個艦能力を充実させる方向で新造艦の着手に入る。それにより出来たのが特型駆逐艦(俗に言う吹雪型)であったが、ロンドン軍縮条約(別名:お前ら抜け道ばっかり探すんじゃねぇ条約。1930年)のため、日本は補助艦の保有トン数までも69%に制限、加えて排水量1500トン以上の駆逐艦の保有制限がかかったことにより排水量1680トンである特型駆逐艦の建造が出来なくなった。
(あくまでも、無制限には出来なくなった、というだけで、特型駆逐艦は特Ⅱ型(通称綾波型)、特Ⅲ型(通称暁型)と改良されながら建造され続けている)
ロンドン軍縮条約により駆逐艦保有制限と「排水量1500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセントまで[1]㌧~1850[2]以下の艦艇。10万5500[3]のうち16%の16880[4]までは1隻あたり1500[5]以上で建造してもよいが、それ以上(残り82%、88620㌧分)は、1隻あたり1500[6]以下で建造しろという規定である。」という条件が付け加えられた為に特型艦と同等の性能を持たせた艦を建造しようといった中で作られたのが初春型駆逐艦である。初春型は排水量1400トンと約300トン近く特型艦よりも軽量でありながら、12.7cm砲5門、61㎝魚雷発射管9門(ゲーム的に言うと61㎝魚雷三連装魚雷3基)という重武装が当初の艤装であった。
特型艦と同等の装備でありながら艦の大きさ自体は軽量小型になった、ということは、当然どこかに無理が来るわけであり、初春型駆逐艦は重武装の重心上昇による復元性の不足が問題となった。
竣工後、航行試験をしていた「初春」が、普通に舵を切ったとたん転覆しかける、という笑えない事件が起こり、バルジをつけてみたりしたが、その直後に同様にトップヘビーだった水雷艇が演習中あっさり転覆するという事件が起こり(いわゆる「友鶴事件」)、その結果、竣工直後の「初春」「子日」は小手先じゃだめだ、と大改修を余儀なくされる。この大改修により魚雷発射管1基を撤去、艦橋直前にあった2番砲を艦の後方に移し、3番砲と同位置の背中合わせの配置しなおした。その他、艦橋部分も縮小や、艦橋の縮小、軽量化、バラストの搭載等の船の重心を下げるための改装が行われた結果、火力を落としつつも何とか復原性が向上し、実用上問題のないレベルにまで引き上げられた。
しかし、またしても船体の軽量化を図って様々な部位の強度が削られたことによる強度不足という問題が発生(いわゆる「第四艦隊事件」のこと)、甲板や外板の張り替え、熔接部を引き剥がし鋲止で接合し直す大工事を行うこととなり、その結果当初、1400トンだった排水量が1700トンに増量。計画当初の高性能・重武装駆逐艦という位置づけは失われ、平凡な性能の中型駆逐艦という位置づけになるという結果になった。なお、この結果条約違反艦になるのだが、内緒にしていた模様。
なお、5番艦「有明」と6番艦「夕暮」は、この時点で建造初期だったため、設計から見直して作り直した。このため、この2隻は改初春型とも呼ばれる。ちなみにこの2隻は艦これ未登場である。
最終的に初春型は12隻建造するはずだったが、上記の問題が発覚した時点で作り始めていた6隻でシリーズは打ち切りになり、残りの建造計画については設計から見直し、性能改善型ともいえる白露型として建造されることになった。
言わば、6隻分の試験結果を反映させた設計となった白露型は安定していたが、やはりこの大きさの艦に乗せられる武装には限界があると判断した海軍は、白露型は条約切れまで10隻作ったところで建造を終わらせ、制約が無くなったところで、より大型の朝潮型の建造に移行していく。
さて、試験航行でいきなり転覆しかけ、戦闘をする前に3回も改修される羽目になった「初春」だが、その後は妹たちを率い、一水戦所属の第21駆逐隊の一員として、対潜掃蕩や輸送の護衛にと、あちこちを転々とした。この間、軽巡「長良」に衝突したこともある。
また、アリューシャン列島のキスカ島への輸送護衛時に、爆撃機に襲われて大破した(このとき、僚艦だった駆逐艦「朧」が沈没している)が、このときは舞鶴まで戻って修理している。
その後、レイテ島への輸送作戦(彼女のいう「オルモック」のこと)を成功させ、マニラ湾に戻った彼女たちを、米軍の空襲が襲い、「初春」は軽巡「木曾」などとともに、マニラ湾内に沈んだ。ときに1944年11月13日のことだった。
なお、戦後、その名を受け継いだ海上保安庁の巡視艇「はつはる」(実は、建造されたのは太平洋戦争前の1939年で、当初の船名は「にじ」だったが戦後に改名した)は、1980年に無事に退役した。
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最終更新:2024/05/23(木) 11:00
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