可算無限とは、数ある無限の中でも最も小さな無限。
非可算無限とは、可算無限より大きな無限。
無限にも大小がある。
結論から言えば可算無限とは自然数の無限のことである。自然数ってのは1とか2とか3とか100みたいなごく普通の数のこと。スタンダードな数学の範囲ではこれより小さい無限は存在しない。これより大きい無限がつまり非可算無限であり、例えば実数の無限がこれにあたる。実数ってのは自然数とか分数とか無理数を全部含んでるやつのこと。
一つずつ説明していく。
無限集合どうしの大きさを比較する尺度の一つに「濃度」というものがある。まず、集合の中に入ってるもの一つ一つのことを「要素」というが、有限集合ならその要素の個数を数えれば大きさの比較ができる。例えば都道府県の集合の要素の数は47。嵐のメンバーの集合なら5。都道府県の方がデカい。世の中に有限集合しかないならそれでいいが、自然数とか実数とかみたいな無限集合の場合は要素の個数を数えても数え終わらない。そこで「要素の個数」という概念を無限集合でも扱えるように拡張したものが「濃度」である。つまり濃度=個数、と読み替えてしまってここでは差し支えない。
無限小学校の無限運動会の無限玉入れが今終わった。赤組のカゴには無限個、白組のカゴには無限個の玉が入っている。まさにこの玉入れの玉を数える要領で、無限集合どうしの濃度を比較することができる。すなわち、一個ずつ同時に数えていって(赤玉と白玉のペアを一組ずつ作っていって)、最終的に余った方の濃度が大きい、ということである。
| 赤組 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ...(無限)... | ● | |
| 白組 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ...(無限)... |
ハイというわけで赤組の勝ち。赤組の玉の集合の方が大きい。別に白組の玉が有限というわけではない。無限どうしだけど、一つずつペアにしていってみたら赤組の方が余ったよ、ということである。たまにはそういうこともある。逆に言えば、過不足なくペアを作れるならば、二つの集合の濃度は等しいということになる。
前述の通り、自然数の濃度は数ある無限集合の濃度の中で最も小さい。しかし自然数より個数の少ない無限集合なんていくらでもありそうに思える。たとえば3の倍数。これも無限にある。
| 自然数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | .... |
| 3の倍数 | 3 | 6 | 9 | 12 | .... |
こうして見ると明らかに3の倍数の方が少ない。自然数の三分の一しかない。・・・ように見える。しかし次の表だとどうだろう。
| 自然数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | .... |
| 自然数×3 | 3 | 6 | 9 | 12 | 15 | 18 | 21 | 24 | 27 | 30 | 33 | .... |
この表の下の段と、さっきの表の下の段は全く同じものである。だって自然数を3倍したものが「3の倍数」なんだもの。あたりまえだ。
どの自然数でも3倍すると3の倍数になる。どの3の倍数でも1/3すると自然数になる。これはつまり自然数と3の倍数は過不足なくペアを作れるということにほかならない。あぶれる数はない。すなわち自然数の濃度と3の倍数の濃度は等しいということである。
これはほかの全ての自然数列にもあてはまる。偶数でも、奇数でも、10の倍数でも、一億の倍数でも、三角数でも、平方数でも、階乗数でも、その濃度は自然数の濃度と等しい。
それどころか、自然数より個数が多そうな整数や分数の濃度も、この考え方を使えば自然数と同じ濃度であることが示せる。整数や分数に1から順に番号付けができればいいわけなので、興味のある人はググるか、どうやったらできるか考えてみるかしたらいいと思う(放棄) 参考 - カントールの対関数
この自然数の濃度のことを指して「可算濃度」、その無限のことを言いたければ「可算無限」という。「可算」というのはつまり1つ、2つ、3つ、という風に番号づけして数えられるという意味である。英語ではcountable。しかし「数えられる」というと暗に「数え終われる」というニュアンスを含んでいるとして、「可付番」と呼ばせる向きもある。英語でも同じで、「listable」という言葉を使いたがる人もいる。
ここまで見てくると、じゃあ全ての無限が自然数の無限と同じなんじゃないの?という気がしてくる。しかし実数の無限の方が大きいのである。これはつまり、自然数と実数のペアを作っていくと実数の方が余る、ということである。
自然数と実数のペアを作っていってみる。全ての実数を考えるのはちょっとしんどいので最初は0以上1未満の実数を考える。実数は無限小数として表せるので、0以上1未満のところには0.1415926...とか0.7320508...とかそれこそ0.5000000...(すなわち0.5のこと。0.4999999...でも同じ)みたいのが大量に存在している。これらの実数をなんとかして全部順番に並べた列を作れたとする。
0.1415926...
0.7320508...
0.5000000...
0.3247195...
0.6180339...
0.7182818...
・
・
・
小さい順じゃなくていい。ていうか実数を一つずつ小さい順に並べるなんてことはできない。実数には隣の数がないからである。例えば円周率πの隣の数を見出すことはできない(3.1415...だから3.2? いやいやじゃあ3.15は? だったら3.142は? となって無限に続く)。じゃあどういう風に並んでるかというとテキトーである。テキトーでも、とにかく実数を全部こうやって列にすることができたと仮定して話を進める。
ここで対角線の位置にある数字に注目する。
0.1415926...
0.7320508...
0.5000000...
0.3247195...
0.6180339...
0.7182818...
・
・
・
これらの数字を「0.」の後に並べて「0.130731...」という数を作る(上の実数の列はまだまだ無限に下にも続いているためこの数も無限小数になる)。
次にこの「0.130731...」の小数点以下の各桁の数字において、1のときは0に、それ以外のときは1にする。すると「0.011110...」という数が出来上がる。ここでの作業は別になんでもいい。2のときに0でそれ以外を2にするとかでもいいし、偶数なら1、奇数なら0にするとかでもいい。とにかく全ての桁が元の数とは違う数字になっていればいい。
ではこのできあがった「0.011110...」という数は一体なんなのか。この数は実は、全ての実数を並べたはずの列のどこにも存在しない新しい数なのである。どういうことか。並べて見てみよう。
0.011110...←新しい数
0.1415926...
0.7320508...
0.5000000...
0.3247195...
0.6180339...
0.7182818...
・
・
・
この数は、1行目の数とは小数点第一位で異なる。2行目の数とは小数点第二位で異なる。以下同文。100番目に並んでいる数となら小数点第100位で異なる。どこまで行ってもこの数の入るスキマはない。なぜならそうなるように作った数だから。
この状況はまさに先ほどあげた「無限玉入れ」の例と同じである。
| 自然数 | 実数 |
| 1 | 0.1415926... |
| 2 | 0.7320508... |
| 3 | 0.5000000... |
| 4 | 0.3247195... |
| 5 | 0.6180339... |
| 6 | 0.7182818... |
| (無限に続く)... | (無限に続く)... |
| !? | 0.011110... |
自然数と実数のペアを一組ずつ作っていこうとしたら実数の方にどうしても余る数ができてしまった。これはつまり実数の方が濃度が大きい、ということにほかならない。
いまは0以上1未満の数だけでやってみたが、これが1以上2未満だろうが100以上101未満だろうがすべての実数の範囲において状況は同じである。かくして実数の方が濃度が大きいことが証明された。(大ざっぱに。ごまかしながら。この記事においては。)この対角線を使った証明法のことを「カントールの対角線論法」といい、かの有名なゲーデルの不完全性定理の証明などでも使われている。
この実数の濃度、またはそれ以上の濃度のことを指して「非可算濃度」、その無限のことを言いたければ「非可算無限」という。実数の濃度のことを特に「連続体濃度」ともいう。また、自然数の無限の濃度のことを「アレフ0(無限レベル0、ぐらいの意味。普通は「アレフヌル」と読む)」、実数の無限の濃度のことを「アレフ1」という。アレフ2、アレフ3・・・というのも存在して、どんどん無限が大きくなってゆく。
ここから先はちょっとした余談。
例えば2次元や3次元などの「次元」には0.63次元や2.73次元などが存在する(フラクタル次元)。「5.5!」のような階乗にも今日では意味が与えられている(ガンマ関数)。0とか1とか2があるんだったらその間はないの? と考えるのが人間の自然な発想であると言える。
そうなると、アレフ0(自然数の無限)とアレフ1(実数の無限)との間に、たとえばアレフ0.5みたいな無限は存在するの?しないの? という発想が出てくるのは当然だろう。ていうか「アレフ0.5みたいのは存在しないよ!」という仮説である「連続体仮説」というのがあり、これは長らくフェルマーの最終定理に匹敵するほど重要な未解決問題であった。
しかし1963年、この問題は一応の解決を見る。曰く、「アレフ0.5みたいな中間の濃度が存在することは証明も反証もできない」。つまりそんな濃度が存在したとしても別に矛盾はしないし、存在しなかったとしても矛盾しない、ということが数学的に厳密に証明されたのである。
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最終更新:2025/12/08(月) 15:00
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