坂口博信とは、ゲームクリエイターである。日本のゲーム界で王道RPGを築いたファイナルファンタジーの生みの親。
後にファイナルファンタジーのサントラを全面的に担当した植松伸夫氏等を誘い、ゲーム製作会社スクウェアを創設。これで売れなければ最後!という思いを込めて、『ファイナルファンタジー』というRPGを世に放った(以後FFと表記)。これがヒットし、FF4~6のスーパーファミコン(任天堂)時代の2Dゲームではあらゆる面で面白さが充実し、黄金期と言われる。その後、次世代機としてプラットフォームを開発しやすいSCEのPlayStation(以後PSと表記)に移行し、任天堂と袂を分かったが、そうしてPS第一作の初の3Dポリゴン使用の壮大な長編RPG、FF7においてはシネマティックな要素も盛り込むことに成功し、絶賛を浴びた。FF7リリースより12年を経た2009年現在においてはFFシリーズは12作迄出ているが、未だにFF7が最高作と言われる。
坂口氏がすべてをチェックして仕上げていたファイナルファンタジーはこのFF7が最後とのことである。FF8ではノータッチ、そのためFFファンが離れたきらいがあり、FF9では「原点回帰」を謳って坂口氏もシナリオ等に参加した。非常に汎用的なゲームとなった(悪く言えば難易度が落ち、その頃としては珍しく攻略本も出なかった程であった)FF9は、それでも昔ながらのファンが、本来FFがテーマとしてきた「人間」とか「命」といったものをそこに暖かく、またある時は悲しく感じ取り、キャラの魅力も相俟って多くのファンを集めたが、作品としての完成度はFF7を超えることはできなかった。
その後PSの後継機PS2による初のFF、FF10が世に出たが、賛否両論、その後初のFF派生(本シリーズ以外に関連作品を作りリリースし始めた)となったFF10-2に至っては、酷評を受けるありさまだった(主にヒロインのキャラクターが本編FF10の真面目で暗い性格とは打って変わり(過ぎて)軽いキャラクターになってしまったこと、親父趣味的な温泉シーン等が盛り込まれているともっぱらのうわさになり手を出す人も多くはいなかった。ただ、FF10でないがしろにされたと言われたゲーム要素はかなり試行錯誤して盛り込まれ、「FFと考えなければそこそこ楽しめる」と一部には評価されはした)。ただ、当時進行していた坂口氏のグラフィック技術の追求のお蔭で、見事なグラフィックを実現していた。
この頃、FF10開発時、坂口氏は、グラフィック技術の追求に没頭し既に数年の間映画『ファイナルファンタジー』を製作中であったため、殆どFF10開発にはタッチはしていなかったがFF8同様クレジットは出ていた。(FF10、厳密にはFF10-2迄坂口氏の名前があった。)
坂口氏のグラフィック技術は後にクリスタルエンジンと称されるFF開発エンジン(開発キット)に継承されて現在に至る。つまりFF13やFF7ACの高精細美麗グラフィックは、坂口氏の退任の際の遺産、置き土産である。植松氏の音楽/SE等における仕事についてもそうだが、坂口氏も植松氏も、単なるクリエイター、単なるコンポーザーではなく、FFをよりよいものに昇華させるべく、あらゆる視点と角度であらゆる研究と努力を重ねて技術や仕組みづくりを作り上げて来た偉大なクリエイター達である。(例えば植松氏の、3音源しかないファミコンで多彩な音楽表現をするために気の遠くなる工夫の要る作業をしたことや、FF10では画面遷移で音楽が途切れない工夫等がなされていた事実はファンの既に知るところである。)更に才能があるのだから、今のスクエニは大切なふたりの宝物を失っていることは間違いないだろう。FFを続ける前提では尚更である。(後述するがお二人はその後退社しているため)
ちなみにFF10は、非常に暗い、エンディングには夢も希望もない悲しいFFであり、FF10の後ににわかにFF7が最高作であったというFFファンの声があがり始め、スクウェアはFF7派生プロジェクトに傾かざるを得なかった模様である。派生プロジェクトについては概ねファンは批判的であった。感動が焼きついたオリジナルFFのイメージを崩されることを嫌うのは当然のことである。(一時期FF7~9等のリメイク計画が発表されたが、これも、「ファンの気持ちを汲み取った」との理由で中止された)
しかしスクエニは派生製作が営業的に基本姿勢となってしまい、近い将来出る予定であるFF13については当初から3作出る話になっており、FFファンは沈黙してしまっており、FF10の頃までは盛んであったFFについて語られる掲示板もめっきり書き込みが減った。
一方、坂口氏の映画は、グラフィック技術においては成功したが(数々の賞を得ている)、ストーリー展開の引き込みが弱かったこともあり、興行収入的には失敗に終わった。既存のFFをそのまま映画化すればよかったのに、植松氏を音楽に起用すればよかったのに、等々と残念な声がささやかれた。ただ、グラフィックについては「髪の毛一本のゆらぎ」を自然に表現できる程の、当時としては画期的な技術革新の結果を坂口氏は残したのである。
しかしながらここまでのグラフィック技術の革新には、当時の一般的なCG技術の未熟さとのギャップがありすぎ、結果、映画の制作費用は莫大な額に上ってしまった。興行収入で回収が出来ず、スクウェアは大きく赤字に傾くことになる。
そのため、SCEがスクウェアの借金の肩代わりをした。その代わりに、坂口氏は引責辞任をさせられることになってしまう(当時、スクウェア副社長)。ファンにもにがい残念な思い出である。クリエイターに「代わり」はいないことをSCEは知らないようである。
この退任劇と前後して、次なるFF11はオンラインゲームとして世に放たれた。韓国のMMORPGのブームと成功に便乗し、これからはオンラインゲームの時代と錯覚した向きがあった。しかしオフラインの一話完結的なお仕着せストーリーと、やり込み要素、達成感がむしろ魅力とされていたであろうFFのファンの多くは飛びつくことをしなかった。リリース前より難色を示す批判的な意見も少なくなく、別タイトルでやるべきとの議論が掲示板等で戦わされていた。(*編者のネット仲間が「FFファンとしてやっておかねば」と始めたが、すぐにやめてしまったことも印象的であった。理由は「もう十分」「やめられなくなる」「きりがないし金がかかる」というものだった。)今でもFF11はあらゆるプラットフォームで遊ぶことができるが、ゲーム仲間の間でもあまり話題には上らないのが現状である。
その後、FF12が出たがこれもまた残念な話になる。坂口氏は、『タクティクスシリーズ』で名を馳せた松野氏がFF12のディレクターとして立つことをバックアップし応援していたが、完成前に松野氏が謎の『病気降板』とされて実は途中で退職していた事実も後に露見するのだが、そのため当然ながら松野氏指揮範囲で未完成作品となったFF12は、その後誰が補完して一応の完成を見たとしてもファンの満足の行くものにはなり得なかった。そのせいかどうかはわからないが(時間がなかっただけかも知れないが)坂口氏もFF12については序盤迄しかやっていないとどこかで語っていた。
* 編者自身も序盤で飽きてしまい、序盤で放棄した初のFFとなった。またFF12の敗因のひとつには、松野氏がFF11のようなオンラインゲームのような楽しさを盛り込みたいという発想でFF12を作ったために、「閉じられたよさ」がなく、無限大にマップが拡がり、そのくせ「何もない」みたいな、探索好きには行き倒れ必至の序盤展開であったこともあり、そこで編者は飽きてしまった、いわば行き倒れ組であった。サントラもこれまでFFの世界観を植松氏の音楽が語っていたものが、聴かれなくなり(FF10では3人合作、FF11でも一部、FF12ではテーマソングのみの提供になってしまった)残念至極であり、わくわく感がめっきりなくなってしまったことも個人的には大きな理由である。崎元氏のFF12の楽曲は悪くはないが、植松氏の楽曲を期待してしまう耳では、右から左へ流れてしまいがちであった。
その後坂口氏は暫く仕事から離れて英気を養っていたが、ふとしたきっかけからゲーム製作を天職と思い直し、シナリオとゲームデザインは自らが手がける、というポリシーの下、ミストウォーカーというゲーム製作会社を立ち上げ、Xbox360用のRPGの大作『ブルードラゴン』『ロストオデッセイ』を世に放った。共にFFを生み出した名コンポーザー植松伸夫氏の全面的なサントラ提供により、豪華で、世界観が耳から伝わるいかにもFFらしい作品になっている。
(特にロストオデッセイについては、「世の中は今RPGに飽きている」という前提の下に、坂口氏が様々な新しい試みを随所に盛り込み、全体として飽きさせない工夫と、RPG効果が独特な形で効いた作品になっている。グラフィックについては氏が残した技術を再現することは難しかったが、非常に魅力的な色使い、キャラ絵、背景となっている。バトルシステムについても氏のこだわりがあり、Gears of Warで知り得たUE3の採用で、ターン制ながら戦いの突進シーンが迫力のあるものになっている。これにエイムリングシステム発動のためのトリガーボタンを併用して臨場感のある楽しい戦闘になっている。また、数多くのスキルを覚えることができるが、それを限られたスロットにセットして使うという、戦いのスタイルと好みに合わせて自由度も考慮されている。また、基本は頭脳戦であり、アクションバトルではない。戦術を練らねば序盤、雑魚でも死ねるという面白いものになっている。更に魔導士系の弱体キャラを守ることもできる壁システム(Guard Conditionと呼ばれる)の採用も斬新である。何よりボス戦は圧巻であり、特に序盤のボス3戦においては久しぶりに遣り甲斐を感じる思い出深いものになる。ただ挑んだだけでは繰り返し全滅する類のものである。ボスバトル曲はまた植松氏の神が降りている名曲尽くしであるのもFFファンとしてはこの上なく嬉しい。また、リアル絵で固くなりがちな世界観を、絶妙のトークで和ませたり、笑わせたり、あるいは泣かせたり、と、シナリオ面でも稀代の出来である。詳細はロストオデッセイの項目を参照のこと。)
作品的にはまさに往年の黄金時代のFFを彷彿とさせる見事な王道のRPG、完成度の高さであったが、百年に一度の不況と言われる昨今においてXbox360の売上げを大きく牽引する程には至らなかった。そのため評価が殆どされていない状態であるのは、FFファンにとって、坂口ファンにとっては憂うべき状態となっている。
それでも近年スクエニがXbox360にRPGを投入し始めたことで、少しずつXbox360の売上げが伸び、ニコニコ動画でも実況/プレイ動画が、2作目のロストオデッセイが出てから1年半経過した最近になって増えて来ている。奇しくも坂口氏が世に放って最高傑作の評価を得ているFF7の、その派生映像作品『FF7アドベントチルドレンコンプリート(BD版)』が先頃リリースされ、その特典としてFF13の体験版が同梱されていたわけだが、この時期にPS3を買ってFF7ACを見、FF13の体験版をやるよりも、Xbox360を買って、ロストオデッセイを始める人が増えているようにも見方によってはそう見え、その流れが、悲しいスクエニの現実を物語っているようでならない。
FF14は是非坂口氏、音楽は植松氏で復活することを編者は夢見ている。SCEと坂口氏の確執もそろそろ雪解けの頃ではないのだろうか。PS3にとっても坂口氏は必要なのではないのだろうか。
ちなみに、坂口氏はFFの早期に、母親を火事で亡くしており、身をもって感じた大切な者との突然の別れと悲しさから、命の尊さ、人との別れ、生きる意味、といったテーマをFFで表現しようとしていた。昨今のFFや派生のそれにはそういったものは感じることができないためだろうか、今のFFはFFではない、坂口氏の手がけたロスオデは真FF、FF6の香りがする等々という意見もニコ動のコメントで散見される。
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最終更新:2025/12/15(月) 18:00
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