外木場義郎 単語


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外木場義郎(1945年6月1日~)とは、広島カープに所属していた元プロ野球選手である。

2リーグ制となってからは唯一3度のノーヒットノーランの達成者であり、広島カープの初優勝時にはエースとして活躍した。

概要

OB
外木場義郎
基本情報
出身地 鹿児島県
生年月日 1945年6月1日
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1965年
引退 1979年
経歴
選手歴
  • 鹿児島県立出光高等学校
  • 電電九州
  • 広島カープ
    広島東洋カープ(1965年-1979年)
コーチ歴
  • 広島東洋カープ(1980年-1990年,1996年-1999年)
  • オリックス・ブルーウェーブ(1991年-1993年)
プロ野球選手テンプレート

出水高から電電九州を経て65年に広島カープに入団する。
 
そしてプロ入り2戦目となる10月2日の阪神戦、相手は大エースの村山実、村山のファンだった外木場は興奮を抑えつつマウンドに向かう。
おそらくこの日、甲子園球場に集まった観客のほとんどは村山の勝利を確信していただろう、ところが試合はそんな観客の予想は異なる展開となる。

外木場は持ち味の速球を内角にズバズバと投げ込み阪神打線を抑え込むと、3回の表に味方打線は村山から犠牲フライで1点を先制、その裏外木場は鎌田実に四球を与えるものの後続を断ち一人の走者も許さない、9回表に古葉竹識のソロホームランで1点を追加すると、外木場はその裏も走者を許さず、結局プロ初勝利を1四球のみのノーヒットノーランで達成した。プロ入り2戦目のノーヒットノーランもさることながら、あの村山実が新人投手に負けたことが信じられないとばかりにやたらとフロック視する記者たちに対して「なんなら、もう1回やりましょうか?」と返した外木場の対応も新人離れしていた。

そして「もう1回やりましょうか?」という言葉は68年9月14日の大洋戦で完全試合という形で実現する。
本拠地である広島市民球場において16奪三振を奪う圧巻のピッチングで完全試合を達成し2-0で勝利、この年外木場は21勝を挙げ、防御率1.94で最優秀防御率を獲得、球団創設以来初となるAクラスに貢献する。

しかし69年は11勝、70年は13勝、71年は6月8日に7回2アウトまでノーヒットノーランを続けながら長嶋茂雄に2ランを浴びるなど苦い思いをする1年となり9勝に終わる。

「このままではいかん」と考えていた外木場は72年4月29日、7年連続で優勝を続けていた巨人を相手に迎える。
試合は5回まで巨人は外木場の速球をうまくとらえてくるものの、幸運にもすべてヒットにはならなかった。しかしあまりにもタイミングが合いすぎていることに違和感を感じた外木場は巨人のコーチである牧野茂にサインを盗まれていることに気づき、握りを見せてからグラブの中で変えることでこれを封じ、7回には王貞治に四球を与える者の次の長嶋茂雄はライトフライに打ち取る。
そして9回は高田繁と代打の萩原康弘と柳田俊郎をフライに打ち取り、3度目となるノーヒットノーランを達成3度のノーヒットノーランは2リーグ制では2013年現在外木場ただ一人、1リーグ制時代を含めても沢村栄治しかいない快挙である。

現在のカープの象徴である赤ヘルが採用された75年は開幕からエースとして活躍、途中監督のジョー・ルーツが辞任し古葉竹識が監督に就任するという非常事態が起こるもチームは快進撃を続け、10月10日のヤクルト戦では外木場の完封勝利により球団創立以来初のマジック「3」が点灯し、10月15日の後楽園で行われた巨人戦では7回を無失点に抑え、8回からは金城基㤗が抑え、広島カープは球団史上初の優勝を決める。

この年外木場は20勝を挙げ、MVPこそ山本浩二に譲ったものの、最多勝、最多奪三振、沢村賞に輝く。
日本シリーズでは阪急ブレーブスに敗れたものの優秀選手賞を受賞した。

しかし翌76年に右肩を故障すると以降は輝きを失い、79年に現役を引退した。

引退後は広島カープで長らく2軍投手コーチを、オリックスでは1軍投手コーチを務め、2006年からはプロ育成野球専門学院で指導を行っている。

2013年には野球殿堂入りを果たした。

人物・プレースタイル

「もう1回やりましょうか?」という発言からも見受けられるように気が強く、また弱かった広島を長年支えてきたエースでもあったため、75年の終盤の優勝争いの際にリリーフを命じられたときは若干ながら不満を持ったことがある。
余談だが外木場の活躍以降広島は北別府学や佐々岡信司といった苗字が3文字の投手が活躍すれば優勝できるという伝説が伝えられている。

現役時代は150キロを超えたと言われる速球と縦に割れるカープで活躍し、その速球はナチュラルにシュート回転していたという。
この速球を70年8月26日の阪神戦にて田淵幸一のこめかみにぶつけてしまったことがあり、田淵は耳からは血が流れおちるほどの怪我を負ったため、結果としてこの死球が耳付きヘルメットの採用のきっかけとなった。

通算成績

通算:15年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 防御率
NPB 445 118 27 131 138 3 -- .487 2419.1 691 1678 2.88

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関連項目

  • プロ野球選手一覧
  • 広島カープ
  • ノーヒットノーラン
  • 完全試合

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